里の外から見る景色は 2
ウィリスはその名をウィリス=ゼスペリア=ロ=スラスタリアという。その長ったらしい名はスラスタリアの里に住む者の中でもロ、つまりは支配階級であるゼスペリア家のウィリス、という意味を持つ。彼女は里の有力者の娘であり、つまりはあらゆる規制や束縛を払ってしまえるエルフだった。その年齢は十六、人間換算すれば齢五つにも満たない童である。
エルフの寿命は長い、三百年以上生きられる彼らはほぼ無限に等しい寿命を持つハイエルフは例外としてもかなりの長寿を誇っており、その生活は彼らの生命の源である世界樹を中心として組み立てられていた。
里自体が世界樹を囲むような形で発展しており、各家庭には世界樹の若木が幾つも存在し、木から流れ出す純粋な魔力とでも形容すべきものを摂ることで健やかに過ごすことが出来る。
エルフの中でもかなり若く、危機感よりも好奇心が勝るような快活な少女であったウィリスはそのせっかちな気質を度々親に咎められ、決して里の外へと出ないようにと何度も何度も念押しされていた。エルフは世界樹と共にある、つまりそれは世界樹が無ければまともに生きることすら不可能ということだ。父に言われれば言われるほど、ウィリスの心の中にまだ見ぬ景色が浮かんでくる。ドワーフが築いた長城、天使族のエルフすら霞む相貌、亜人と共存しているらしい極少数の人間。必死になって覚えた文字を辿り、本を読破すればするほどにその気持ちは抑えられないものになっていく。
里の外へ出てみたい、知らないことだらけの世界を見て回りたい。
人間は話を聞いていても碌なものではなさそうだしなんとなく嫌いだが、共存が可能であることもまた事実らしいから一度話をしてみたい。
里の皆は世界樹が無ければエルフは生きられないと言っていたが、ウィリスは少なくとも里の中でどれだけ世界樹から距離を取ろうが苦しい思いをしたことはなかった。世界樹が云々という話自体が、エルフを里から外へ出さないための嘘なのではないか? 一度そう思ってしまえば疑念は消えることなく、日に日に増していく。里を囲うように存在している黒い金属製の壁も、口酸っぱく説教をしてくる大人達も、全てがうさんくさいと感じられた。
そして好奇心と里のエルフ達への不信感が閾値を超えた瞬間、ウィリスは里を抜け出すことを決めた。
皆が寝静まったところを見計らって里の唯一の出入り口である金属製の門へ辿り着く。開閉装置にこっそりと拝借した母の認識札を触れさせると、ドアは簡単に開いた。
これで今まで自分を縛っていた全てとはおさらばだ‼ 私はもう、自由だ‼ 心が躍り、体が跳ねる。
ウィリスはまだ見たことのない景色を見て、家から持ち出してきた干し椎茸をかじりながら森を掻き分けて進んでいった。これもまた家から借りてきた収納箱には十分過ぎるほどの食料が入っている。半年でちびちびと貯めてきたおかげでしばらく食事に困窮する必要はない。困ってきたら魔物を狩って食べれば良い、自分は戦うための戦闘能力を持っているのだから。
ウィリスのそんな明るく無謀な計画は、旅をし始めて数日も経つと無残にも崩れ去った。エルフの里を抜け、追っ手に捕まらないように里と反対の方向へ駆けていけば駆けていくほど、明らかに体調が悪くなってきた。
もしかしたら早まったかもしれない、そう考え始めたのは里を抜け出してから一週間ほどが経過したときのことだった。
足が棒のように疲れている。常に瞼が重く、今にも眠ってしまいそうになる。
これ以上は限界かもしれないと思ったウィリスは、大人の言うことを聞かなかった自分の浅慮を後悔した。
戻らなくちゃ、やっぱり世界樹がないと私達エルフは生きていけないんだ。お父さんが嘘なんて吐くはずない、お母さんが言ってることは本当だったんだ。
なんてバカだったんだろう、私。急いで里に戻らなくちゃ。ウィリスは朦朧とする意識の中でなんとか魔物を殺し、来た道を戻り始めた。
幸い、エルフには念動術という戦闘技術がある。魔力さえあれば、人間のように詠唱などせずとも炎を出すのも水を出すのも自由自在だ。故に彼女は戦闘面に関しては問題はなかった。
時に歯を食い縛り、時に無理矢理食料を喉の奥に流し込みながらもウィリスはなんとか歩き続けた。自分がどれだけ歩いたのかはわからない。だが鋭敏な感覚を持つ彼女が不意打ちを食らう可能性はほとんどなかったし、真っ向からぶつかることが出来るのならば魔物ごときにやられる心配はない。
そんな彼女の自信は、突如虚空から襲いかかってきた冒険者達により消え去った。気配を消す魔法の品を使われては探知能力も使えず、不意打ちをモロに食らった彼女はぼやけた視界の中で自分を襲ってきたのが人間達であることを知った。
そして気が付けば馬車の中に引き入れられ、中で何人もの人間によって押さえ付けられた。生まれて初めて会った人間はウィリスに挨拶をすることもせず、彼女にわからない首輪をつけた。拘束を解かれ反撃しようとすれば、体を激しい痛みが襲う。首につけられた魔法の品が抵抗を未然に防ぐ類の物であることを悟り、ウィリスは父と母の言葉が正しかったことを本当の意味で理解した。
その日、ウィリスという一人の少女は人間の奴隷になった。
その本当の意味を知ることになるのは、馬車に乗せられてからすぐのことだった。




