帰還
「う、ぐじゅっ……ごめんばばい」
「謝りたくないなら謝るな。お前のしたいようにすれば良い」
バルパはようやく泣き止み、嫌々ながら頭をほんの少しだけ下げたウィリスの謝罪を拒否した。ミーナやピリリごと自分を殺そうとした女をそう簡単に許したら、また殺しても良いだろうと安易に考える可能性がある。バルパとしてはこのエルフの少女に肉体言語でしてはいけないことを指導してやろうとすら考えている。
ずびずびと鼻を鳴らす少女がバルパに不満げな顔を向ける。
「……」
「ひっ⁉」
そして天使少女ことレイの凄みのある笑顔を見ておののいた、感情の移り変わりの激しい女だ。人間という生き物はどいつもこいつも感情が動きやすいのだろうか? いや、だが少なくとも目の前の女は魔物だし、人間の中にもアラドのようなまともなのもいる。自分の周囲の例が特殊過ぎてバルパには女が面倒なのか、人間が面倒なのか、それとも雌全般が面倒なのか判断がつかなかった。
誠意のない謝りを続けようとするウィリスの首筋にも黒い首輪はついている、それを見てようやくバルパは自分が何をしにきたのかを思い出した。
「レイ、幾つか質問をする」
「はい、どうぞ」
彼女の顔はあくまでも柔らかな笑みで、その美貌には陰りは全く見えない。黒い瞳、黒い髪、そしてそれらと対照的に真っ白な二対の翼。
彼女は空を飛び機動戦闘が可能なのか気になったが、それよりも大事なことがあったのでその質問は後回しだ。
「お前らの主はどこだ?」
「死にました、私たちを置いて逃げようとしていたところをドラゴンに殺されて」
「ではお前らはどうなる? もう奴隷ではないのか?」
「……わかりません。そうかもしれませんし、そうではないのかもしれません。」
そういえば亜人と人間は言葉が通じるのか、そう思い後ろを振り返ると、ミーナとピリリが一緒になって肉をかじっていた。何やら話をしているが、意思疎通に問題はなさそうだ。
「ではお前らはどうなる? 主が死んだら首輪の効力は消えるのか?」
「わかりません、ですが首輪を外そうとすると激しい痛みが来ます」
なるほど、つまり隷属の首輪はまだその能力を失ってはいないということだ。新たな主が出来るまで外れないのか、それともなんらかの外す方法があるのか、はたまた実は主がまだ生きているのか。奴隷についてのことをほとんど知らないバルパは、癇癪を起こし喧嘩別れのような形で去ってしまった奴隷商店のことを思い出した。
あの男、ティビーは亜人の奴隷に道を示すことが出来るだろうか。出来ることならば彼女達を自由にしてやりたいと思うが、もしこれでそのまま魔物の領域に放流しても死なれるだけだろうし、故郷まで送り出すほどに世話を焼いてやるつもりはバルパにはない。
彼には今ドラゴンワンパン、そしてミーナを煩わせないという大きな目標があった。自分が強くなることの方が、彼女達の安否よりも大切である。
だが同時に、彼女達はバルパとミーナが魔物の領域に入り助けようとしているその張本人でもあるのだ。それがバルパの思考を掻き乱す。助けるべきだとはわかっているが、それで支障が出るというのも面白くない。
「お前らだけで故郷に帰れるか?」
「難しいでしょう、天使族とエルフは特に。ヴォーネとピリリならなんとかなる気もしますが……」
天使族、というのが彼女における部族の名なのだろう。スンファにおけるミリミリ族のようなものだと思えばわかりやすい。
レイの説明はよくわからなかったが、要は天使族とエルフは中々見つけられないし、人間の奴隷になった彼女達を一族が受け入れてくれるかわからないらしい。そんな面倒な事情の全てに関わろうとすれば、莫大な時間がかかるだろう。その時間があればどれほど強くなれ、結果としてどれほどの弱き者を助けられるだろうか。
「俺はお前らを助けた。だがそれは俺がしたいようにした結果であって、必ずしもお前らの面倒の全てをみるってことじゃない」
「わかっています、出来れば私はあなた様についていけたらと思っています」
自分以外の三人は説得するとレイは約束した。どうせ帰るつもりではあったのだし、十二層から帰るのならドラゴンにさせ気を付ければ他の魔物を相手にするのはなんとかなるだろうから少し手間が増える程度のものだ。魔力の消費を気にせずにバルパとミーナが全開で戦えば連れていくことは不可能ではないように思える。
第三層あたりの人気のない場所で待機させ、ティビーに話を聞いてから街に入るか同化を考えれば良い。それでまずいことになりそうなら再び彼女達を戻せば良いし、問題なさそうなら街へ入れてしまえば良いだろう。だが亜人を魔物だと頑なに主張する人間の思考から類推するに、恐らく街に入れることは不可能に思える。
「……いや、そうでもないか」
バルパは袋に触れ、とある腕輪を三つほど取り出した。赤と緑で出来ているそれらは、バルパが今右手首につけているものと全く同じ魔法の品である。魔力で体の表面をコーティングし、幻影を生み出すこの魔法の品があれば、ウィリス・ヴォーネ・レイの三人を普通の人間として連れることも可能なのではないだろうか。ピリリは全身に模様が入っているだけあとは普通の人間だから適当にローブでも着せておけば良いし、何か問題が起きそうになったら力で黙らすかヴァンスの威光を使うという手もある。
ヴァンスは女を触るのが好きらしいし、それほど亜人に抵抗もないようだったから、適当に彼女達の尻でも触らせれば二つ返事で頷いてくれる気もする。
「そうだな、とりあえずこれを付けて魔力を流してみてくれ」
「……? はい、わかりました」
素直に従ってくれたレイに腕輪を渡し、魔力を流させる。するとすぐに彼女の周りを魔力の膜が覆い、羽根の生えていないごく普通の人間の少女の姿が現れた。
顔立ちが変わっていないというのが完全に人間の見た目になっているらしい自分とは違ったが、それでもこれなら普通の人間で通るのではないだろうか。黒髪黒目の人間はリンプフェルトには多いから、ただの借財奴隷か何かだと勘違いしてくれるだろう。
「…………これは一体、なんなのですか?」
「後ろを向いてみろ」
くるりと首を回し、自分に生えているはずの羽がなくなっていることに気付き驚くレイ。何もないようにしか見えない中空に慌てて手をやると、幻影で見えなくなっている羽に触れ安心したようにホッと息を漏らす。彼女はしきりに感触を確かめながら、幻覚の見事さに驚きを隠せないでいるようだった。ゴブリンである自分が人間に溶け込めるのだから、彼女達ならばもっと簡単に出来ることだろう。
「あと二つある、あの二人に着けさせてくれ」
「ですが、その…………はい、わかりました」
「ねぇねぇ、ピリリには?」
「……ドラゴンの肉をやる、特別だぞ」
「えっ、ホントにっ⁉ やったぁ‼」
お前が今さっき食べてたのはドラゴンの肉だぞと教えようかとも思ったが、喜びに水を差すのも良くないかと思い黙って焼いた肉のステーキをあげた。肉串だとバレるかもしれないと考えて品を変えるあたり、バルパも人間社会に溶け込んでいる。
レイを向こう側で横になったままの二人へ向かわせてから一度馬車の外へ出るバルパ。その後をミーナがとてとてとついてきた。
魔力感知を使うと既に魔物が集まり始めている、バルパは横転していた馬車を強化した腕力で無理矢理元に戻す。よくよく考えてみると馬車は横になっているはずなのに馬車の中は真っ直ぐだった、相変わらず魔法の品はよくわからない。バルパが馬車を眺めながらどうやって行けば最短距離で帰れるかを考えていると奇妙なことに気付く。馬車の車輪はくるくると回っているのに、馬車は場所をまったく動いていない。
これはどういうことだろうと思い少し押してみると、まるで空気でも押すかのように楽々と馬車を動かすことが出来た。それならと試しに馬車を持ち上げてみると片手で軽々と持ち上がった。一応右手は空いているし、下手に策を巡らすより片手で強硬突破する方が速いだろう。
「行くぞ」
「馬車は片手で持つものじゃないよ、バルパ」
「流石にそれくらいは知ってる。でもこの方が楽で速い」
「そう、ならもう何も言わないよ」
「よし、ここから先はミーナも魔法を常に全力で撃ち続けて良いぞ。出し惜しみはなしで行こう」
「わかった」
バルパはミーナと一緒に、半月かけて辿ってきた道を逆走していった。




