終止符
バルパがわざわざ大声をあげたのは、もちろん理由があってのことである。自分がドラゴンの注意をひき、その攻撃の全てを受け止めなければあの少女達はすぐ側で横になっている死体達のあとを追うことになってしまう。おそらくレッドドラゴンの攻撃にまともに耐えることが出来るのは自分だけであり、彼女達は攻撃の余波で死んでしまうようなか弱い存在でしかない。首筋で鈍く光る金属環とただ強者になすがままになっている彼女達の姿は、バルパが守りたいと思っていた存在そのものだ。
だがドラゴンを相手に、まともに戦えそうにない人間二人と未だ馬車から出てくる気配すらない二体を守るということは非常に難しい。どちらかを助けようとすればドラゴンがそれを止めるのはさきほど実証済みだし、下手に守ろうと背中を向ければそこを背撃されるであろうことは間違いない。
一撃確殺、バルパが後方にいる人間を守るための方法はこの一言に尽きる。緑砲女王を渡せば遠距離攻撃は防ぐことは出来るだろう。バルパが肉壁になればポーション頼みではあるが数撃なら耐えられるだろう、だがそれでは肝心のドラゴンを倒すことはできない。
レッドドラゴンの全力の攻撃を緑砲女王で跳ね返し、近接攻撃を避け、そのままドラゴンの眼球ごと脳髄を抉る。そんな単純な方法がおそらくもっとも可能性が高い。
ドラゴンは大体地面から百歩位の場所で滞空している。スレイブニルで空を駆けられるのは三百歩前後なので愚かな竜は十分にバルパの射程圏内だ。
空を駆けるバルパはここ半月ほど歩き続けていた森を抜けドラゴン目指して一直線に向かっていくこの瞬間、まるで思考の軛から解き放たれたかのような解放感を感じていた。
遮蔽物もなく、二体の魔物の間を遮るものは何もない。こんなに素晴らしい環境が整っているというのにドラゴンはどうにも気がそぞろだ、それがバルパには気に入らない。
雷の魔撃を行使速度を重視して放つ。雷の槍、雷の玉、雷の両刃刀等色々と形状を変えてドラゴンの顔辺りを目掛けて撃ち続ける。攻撃を続けながら一度横へ駆け、近場にある木のうち一番高いものに飛び乗った。そして樹表に着地してから再度スレイブニルに魔力を込め、自分の体が隠れてしまわないよう気をつけながら木を飛び移りほとんどダメージの通らない魔撃を相手を苛つかせるためだけに放ち続けた。
ドラゴンが鬱陶しそうに翼を揺らした、今竜の目は光がちらついていてまともに見えていないはずだ。レッドドラゴンが爪を動かし、竜言語魔法を発動させる。先ほどまでバルパが体にぶつけ続けていた魔撃は、今度はドラゴンの放つ土槍により相殺されるようになった。
ドラゴンはようやくバルパに意識を向ける、自らと対等に戦う戦士としてではなく自らの視界をちらつく羽虫のような存在として。バルパは少し時間をかけ、手のひらから雷を大量に放出した。雷が流れ狂う波のように出現し、上下に揺れながらバチバチと爆ぜドラゴンへ飛びかかる。そして竜へと向かう雷は、バルパの手を離れていくにつれ形を整え、とある生物の形を模して空を飛んでいく。
ギザギザと鋭利な翼、顎を大きく開き敵を飲み込まんとする口、そして全身を覆う雷の鱗。ドラゴンがそれを見て不快そうに唸る、その姿があまりに自分に酷似しているがために。だがそれも当然だ。今レッドドラゴンへと向かう攻撃は、バルパがわざわざ雷の形状を作るのに魔力を注ぎドラゴンを煽るために作った魔撃なのだから。
Furyuuuuuu!!
ドラゴンが喉を震わせてバルパの方を向いた、その目には怒りの色が宿っている。矮小な存在が自分を馬鹿にしている、バカな蜥蜴はこれだけで簡単に怒ってくれる。バルパは内心ほくそ笑みながら注意が少女達から外れたことにそっと胸を撫で下ろした。
今自分の背後には少し樹齢の長そうな木しか存在していない、既に少女達のいる場所からはかなり距離を開けることが出来ている。これで自分がやられない限りドラゴンが彼女達を狙うことはないだろう。被害を与える可能性がぐんと減るというだけでバルパはある程度余裕をもつことが出来るようになっていた。
そういえば自分がつけている翻訳の首飾りはどうしてドラゴンには反応しないだろう、そんなことを考えているとドラゴンが翼を小刻みに震わせ始めた。間違いない、ブレスの兆候だ。
バルパは即座に迅雷を発動させ、自らの知覚範囲の限界まで体の動きを加速させる。
スレイブニルの靴を起動、彼めがけてブレスを放とうと放とうとするドラゴンに真っ向から突撃していく。
ドラゴンの腹が膨らんだ、その光景を見た瞬間に緑砲女王を掲げ突っ込みながら闇の魔撃を発動。瞬間激しい閃光が強化されたバルパの網膜を焼く、闇の魔撃がその光量を抑えてくれたため視界が確保できている。
バルパの周囲を切り取るようにブレス攻撃が消えた、赤と白の奔流が赤い筋の浮き出る緑盾へ吸い込まれていく。そして増幅され、より強い輝きを伴いながらドラゴンの顔面目掛けて光が疾る。それに追従するようにバルパの自らの限界速度で駆けた。
まさか自らの攻撃が跳ね返ると思っていなかったのか明らかにうろたえるレッドドラゴン。その顔に不可解そうな表情を浮かべながら咄嗟の判断で対物・対魔障壁を起動させ反射されたブレス攻撃の減衰を目論んだ。
ブレスのカウンター攻撃はドラゴンの顔を強かに打ち付ける、自らの攻撃力の高さをその身で知ることになったドラゴンの顔の周囲の鱗が光と共に弾け飛ぶ。
レッドドラゴンは攻撃を受けきったと確信した瞬間に目を開く、回復を使い自らの負傷を治している余裕は今はなかった。焼けついて白んでいる視界の中、一つの影が自ら目掛けて飛んでくるのが写っている。その影は既に自分と目と鼻の先の距離にまで近づいてしまっている。 だが不幸中の幸いと言うべきか対物障壁の展開は終えている、相手の一撃を耐えたら即座に体を回し自重で押し潰してしまおう。
そう考えながら相手のゼロ距離での攻撃を耐えようとするドラゴンの目に……茶色く錆びた剣が突き立った。
Furyiiiiiii!?
何故だ、どうして易々と自分の防御を抜けてくる。尽きぬ疑問のあとには今まで感じたことのない痛みが自らの眼球にやってきた。鋭い痛み、そして追加されるようにすぐあとにやってきた体内を引っ掻き回すかのような痛み。苦痛に呻くレッドドラゴンは辛うじてそれが目の前の男が剣を動かし眼球をほじくり出し、更に奥へ進もうとしている動きが原因であることを理解した。体を振り回し男を必死になって振り落とそうとしても、右手でボロくさい剣を突き立て、左手の短剣を眼球近くの顔筋に刺し支えとしているためか中々落ちてはくれない。それならばと回復を使おうとするが、どうしてか自らの体は再生してくれなかった。
何故だ、何故だ、どうしてだ。疑問の上に疑問が折り重なり、それを痛みと苦しみが塗り潰していく。塗炭の苦しみを味わいながらも解決策を捻り出そうとするが、顔を襲う激痛はそんなことを許してはくれない。
人間とは自分の欲求を満たしてくれる存在ではなかったのか。碌な抵抗も出来ぬまま蹂躙されるだけの存在ではなかったのか。
ドラゴンは自らを殺したのが人間ではなく人間の強さを学び取ろうと足掻き続けたゴブリンであることを終ぞ知ることのないまま、その五十年あまりの竜生に終止符を打った。




