問い
冒険者達が大量にたむろしていたのを第二層とするなら、第三層は非常に閑散としている印象があった。人がいる様子はほとんどなく、魔物の数も第二層と比べると明らかに少ない。先へ進めば進むほど素材の価値が上がるのならどうして冒険者の姿がないのだろうと思っていたが、それも戦闘をしてみれば理解できた。
ここの魔物はほとんど全て、状態異常攻撃を持つものだったのだ。触れれば皮膚が溶ける溶解液を吐き出す二本角の熊、切り刻もうと近づけば自分の体の一部を爆発させ痺れ粉を撒き散らす蝶等その状態異常の種類は実に豊富だった。毒、痺れに加え石化、混乱、催眠などというものまである。石化を食らったミーナのアクセサリーの一つが駄目になってしまった、体力回復のアクセサリーには代わりがいくつかあったために進行速度は変わらなかったが、彼女は少し申し訳なさそうだった。
混乱と催眠というのが中々に曲者で、これを食らうと自分が魔物に利する攻撃を取るようになったり、自分が自分であることすらわからなくなるほどに思考に靄がかかるらしい。
これを食らったミーナは危うくバルパに全力で魔法をぶちこみかけた、それも状態異常用のポーションを使えば回復したために大事になることはなかったが。
ミーナは戦闘を続ける度に迷惑をかけるバルパに謝り通しだった、彼女のそんな様子を見てバルパの機嫌はすこぶる悪くなっている。
「謝るな」
「ご、ごめっ……そのありがとう」
「……ああ……」
バルパが怒っているのは明らかにバルパの戦闘に支障をきたす原因となっているミーナ……ではなく、彼女に怪我や状態異常もなく戦闘を終えることの出来ない不甲斐なさに対してだ。全てを守ると言っておいて、一番大事なはずの彼女の心に不安を抱えさせてしまっている。それでは本当の意味で守っているとは言えない、バルパは魔物の領域で過ごした一週間の努力ではまだまだ足りていないことを痛感した。
魔力感知の精度は上がった、半径数百歩の生物の動きながら一歩単位で読み取れるし、接敵の可能性は大きく減らせている。だがそれも完全ではない、放射状に囲まれるような形になればどこかで戦闘をしてその包囲を抜けねばいけないし、人間に会わないような道を選んでいるせいで魔物と出会うことが避けられない場面もある。
彼らは東端を進んでいる第三グループ冒険者達の中でも更に端の方を歩いているのだが、帰るのに不便なはずのこの場所にもやはりある程度の冒険者がいる。どこにでもいるその様子は、まるでダンジョンの中にいるゴブリンのようだった。数は少ないが、それでも全くいないというわけではないところがバルパに全力を出させることを躊躇わせる。下手に人間達の目についても碌な目に遭うことはない、バルパはそれを知っている。
我慢の連続にバルパは辟易としていた。ゴミゴミとした群れを抜けようやく第一層に入れば強くもない冒険者達が蹂躙される面白くもない場面を幾つも感じ取らせ、第二層は人が多すぎて魔物を避けなるべく足取りを掴ませないことで精一杯になり、第三層ではミーナの気分を沈めさせてしまった。
全てが面倒だ、どうして自分にもヴァンスのような力がないのだろうか。少なくとも空を飛ぶ方法、そしてドラゴンをワンパンで倒せる方法があればこんな面倒なことなどせずとも彼のように一気に空を飛べるはずなのだ。ドラゴンのブレス攻撃を受ける心配をミーナにさせることもなく、彼女にすまなそうな感情を抱かせることもなく。
バルパ達は明らかに本来の調子を逸しながら、第四層へと足をかける。
第四層は第三層より人が多く、第二層よりも人が少なかった。だがその一人一人の力量はかなり高い、数人ほとんど魔力のない人間もいるのが気になったがそれ以外はかなりの経験とそれに裏打ちされた実力を持っている人間達だと言える。
魔物を殺し続ければある程度は魔力が増える、故に魔力がほとんどないということは戦闘経験が少ないか、もしくは魔力の成長効率が著しく悪いかのどちらかだろう。前者ならばズブの素人がいることになり、後者なら自らの体一つで魔物と渡り合ってみせる正真正銘の人外だ。ヴァンスは言っていた、本当に強いやつには二種類いる。近づいただけで死ぬと分かる奴と、気付いたときには殺し終えている奴だと。後者の人間であるのなら近づくのは危険だ。そもそもまだ駆け出し冒険者である自分とミーナがこんな奥深くで平然と生き残っているということ自体、いらん邪推を招きかねない。今のところ誰とも顔を合わせるヘマをしてはいないが、この状態を続けられる余裕があのミリミリ族の住んでいるあたりまで続けられるかは微妙なところだ。
四層の魔物は一転状態異常攻撃を行うものは減り、シンプルに魔物のフィジカルを利用して殺そうとしてくる少し様子の違う見慣れた魔物がメインになっていた。
バルパを優に越える体長を持ち冒険者から剥ぎ取ったと思われる鉄剣を装備したゴブリン、脂肪の下に明らかに筋肉の盛り上がりの見える白っぽい色のオーク、そして機敏な動きと奇襲として攻撃を組み立て、スピードの優位を利用して一撃離脱を繰り返す黒灰色のコボルト、どれもこれもバルパが今まで見てきたそれらより一回りも二回りも大きかった。だがどれもこれもバルパの体を崩せるほどの技量やパワーを持っている訳でもなく、ミーナの一撃を受け無傷でいられるほどの魔法への抵抗を持っているわけでもない。時々怪我を負う以外はほとんど問題なく先へ進めた。ちなみに魔物の素材達は魔法の品ではなかったが、彼らの持っている物品の中に魔法の品が混じっていることがあった。ここを根城にしていた冒険者達の物なのか、それとも元から彼らが持っていたものなのかは二人にはわからなかったが、もしものときのために一応回収はしておくことにした。
ここを五層とすれば自分が居た場所は十層だろうか、それとも二十層だろうか。バルパは先へ続く道のりの長さに目眩がしそうになる。
あそこにいる魔物は、中でも最弱らしい黒色のリザードマンでさえ三属性の魔法を使ってきた。それと比べれば状態異常攻撃も、弱々しい魔撃もさほどの驚異ではない。
朱染戦鬼から二段ほど落ちる魔物相手ならば後方を気にしながらでも十分対処出来るし、ドラゴン等の横入りを警戒するようなポジショニングを心がけていれば問題はないと思っていたが、そこに魔力感知を強化していなければ知覚出来ない人間、嗜虐心の強いドラゴン、人目を避けねばならない事情や状態異常攻撃の危険性も加味すると、あそこから先まで行けるかどうかは微妙だった。
事前の備えが足りていないと言われてしまえばそれまでだが、それを言えばバルパは今まで一度も事前の準備を万全にして戦った経験はない。足りない強くない見られてはいけない、そういったないない尽くしの中で戦ってきたのがバルパというゴブリンだった。
今はまだ問題ない、それならばまず行ける層まで進み、行けなくなったらその前の層でひたすら戦闘訓練。そして次の層をクリア出来るようになるまで鍛え、以後はその繰り返しを続けていけば良い。
バルパは木々が薙ぎ倒され、その上を縦横無尽に這っている土色の蜥蜴の脳天にボロ剣を突き刺して六層へと進んだ。
第五層を越えるとグッと人が減るのがわかった。ここが一般的な冒険者達が来ることの出来る場所の限界なのかもしれない、そう思えるほどに人足が途絶えている。
バルパは若干遠回りになりながら湖や山岳地帯以外行ける範囲で確認して回ってみたが、五層には冒険者パーティーが二つ、六層には確認できるパーティーは一つも残存していなかった。人間がひ弱なわけではないだろう、魔力感知で敵の襲来や奇襲を自由自在に行える自分が恵まれ過ぎているだけなのだ。
仮りに魔力感知が無かったとしてもバルパは死なないだろうが、今のようにミーナに切り傷や擦過傷以上の傷を付けずに守れていたかと言われれば否だと言いきれる。
ミーナの顔を見ると、彼女には隠しきれぬ疲労の色が色濃く見えていた。口数は減る一方、食は細る一方、増えているのは魔法の無駄打ちと魔力だけだ。ここにやって来る前と比べれば明らかに魔力は増えてはいる。だが魔力の上昇というものはよほど格上の生物を殺しでもしない限り成長それ自体は非常に緩やかだ。強くなっているという実感が明確に得られなければ、それはやる気や根気も失われてしまうだろう。
やはり早かっただろうかと戻り力を蓄えた方が良いのではないかという感情がバルパの心を揺らす。だが鬼気迫る表情で戦闘を続ける今の彼女にそれを言っても、更に頑なになられるだけだろう。成長はバルパの望むものではあるが、それで彼女が変わってしまうのは何かが違う気がしていた。
彼女を変えることなく、自分がこんな場所を抜けてしまえれば良いのに。彼がミーナを見る度思うのは、自分の弱さばかりだ。
何も変わっていない、何も変えられていない。強くなるんじゃなかったのか、他の誰でもないミーナのために。そして自分と同じ思いをしている同胞達のために。
グッと歯を噛み合わせる。元々上下でかなり長さの違うバルパの犬歯が、立ててはいけない音を立てて無理矢理噛み合わせられる。
「俺は、強く……なれたのか?」
奇しくも彼が口にした言葉は、未だその自意識が確かなものになる前のそれと酷似していた。だがそこに込められている意味は180度違う。
彼のその問いに答えられる人間は既にこの世にはいない。
バルパの消え入るような呟きは、尖った葉の擦れ合うざらついた音に掻き消された。




