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理性の果実

作者: 未鳴 漣

 便座の蓋の上に座る僕の前に、セーラー服を着た女の子が立っていた。


 この学校の制服と違うことに首をかしげながら、僕は彼女を見上げる。黒く長い前髪で顔を覆い隠して、まるで幽霊のようだ。彼女は個室の壁にしなだれかかって、髪の間からクスクスと笑い声だけを漏らしていた。


 僕はその様子を見つめ、いつの間にか弛緩していた指から箸を落とした。


 木の棒はからからと音を立て、その間も女の子は笑い続け、壁の隙間から隣の個室へと転がっていく。勿論、転がっていったのは箸の方である。


 彼女の顔は前髪の陰になっていて、よく見えなかった。可愛いのか、美しいのか、醜いのか、取るに足らないのか……笑い声は透き通る水のように綺麗だし、衣服から伸びる手足は程良い太さとくびれで僕の理想だけれど、手入れの行き届いていない縮れた黒髪から考えるに、容姿には期待出来そうになかった。


 そうして眺めていると、そんな僕の視線を切り裂くようにして彼女の手が動いた。


 長く美しい指。その先に生えている爪は噛んだ跡でギザギザだった。


 綺麗で醜い五本のそれらは僕の膝に近づいてきて、太ももの上に広げていた弁当箱に襲いかかった。


 卵焼きを抉り、ほうれん草を引き裂き、半切れのトマトを押し潰して、白米を乱暴にかき混ぜる。最後にはシワだらけの赤い実を摘まんで、その中から果肉と一緒に種をひり出した。


 彼女は髪の毛の間から突き出したどす黒い舌の上にその種を乗せ、ゆっくりとした動作で暗い口内へと閉じこめた。


 次の瞬間、残飯まみれで汚れていた彼女の手が僕の弁当箱を突き飛ばした。


 狭い個室には僕の昼食が台無しになった音だけが反響していた。彼女はそれが耳障りだったのか、不揃いの爪がついている小指を耳に突っ込んで音を遮断した。そして、耳垢をかき出すように動きだした指に赤い筋が垂れてくる。


 彼女はそれでも耳から指を抜かずに、穴が飲み込むに任せて指先から二つ目の関節までを押し込んだ。これはさすがに痛そうなのでやめさせようと僕が手を延ばすと、彼女はそこでようやく耳から指を抜いた。


 爪の先には血液以外の何かも付着している。耳垢でないことは確かだった。


 彼女は僕の前にひざまずいて天井を見上げた。そして口を開け、ずっと舌の上にあった種に小指を乗せる。


 指に絡みついた何かを養分にした種は舌に根を張り、小さな芽を生やした。彼女はその芽の成長を導くようにして小指を上方に引き上げていく。


 腕が完全に伸びきるところまで達すると、彼女の舌の上には立派な梅の木が成っていた。


 毒々しい赤の花弁が開き、その中心から青々とした実が現れ、彼女はその実をぷつりともぎ取ると、そっと僕に差し出した。梅の実は彼女の手の平の上で、まるで羞恥に頬を染める少女のように淡く色づいていく。彼女はそれを食べろと仕草で言っていた。


 僕は言われるがまま、彼女を養分にして育った実を口に含んだ。目をつぶり、彼女と口づけを交わしているような錯覚に陥りながら、とろけるような甘みの後に襲いかかるえぐみに耐えて果肉を噛み潰し、その種ごと喉の奥に飲み込んだ。


 目を開くと、あんなにも近くにいた彼女の姿は消えていた。弁当の中身が散乱する個室には僕一人しか居なかった。


 僕は腹の底で種が育っていくのを感じていた。


 喉を上って、鼻を通り、眉間を過ぎて、脳みその中に果実を産む。しかし頭の中に実ってしまったのでは取って食べることは出来ない。次第に実は熟れ、ひどいにおいをまき散らしながら腐っていった。


 どろりと溶けるようにして形を崩したそれ。


 腐敗は周囲に広がっていく。


 その影響だろうか、僕の視界は段々と狭く暗くなっていった。


 暗闇の中、弁当箱がまき散らした吐瀉物が上履きにかかっているのが見えた。


 僕はそれを振り払って便座から立ち上がり、鍵を開けて個室から出、手洗いの前まで歩いて行った。


 蛇口のハンドルを限界まで上げ、水しぶきを飛ばしながら手を洗う。やがて水を止め、ハンカチで水気を拭き、顔を上げて鏡を見た。


 暗がりの視界の中で黒い影がうごめいている。


 そこに居たのは先ほどの女の子だった。しばらくその姿を見ていると、暗闇に目が慣れてきたのか、顔の輪郭くらいは分かるようになった。


 僕が笑えば、鏡の中の彼女も同じように――黒塗りの顔面に異様なほど白い歯を浮かび上がらせて……笑った。


 彼女が鏡の中から拳を突き出してくる。僕はそれに自分の拳を重ねた。すると、そんなに力を入れたつもりはないのに鏡がぴしりと音を立てて割れた。


 壊したのがバレたら、きっと教師に怒られてしまう。


 これまで一度も怒られたことのない優等生だったのに。


 残念だ。


 僕は今日、その立場を失う。


 とても残念だ……そう呟きながら、僕は破片を持って教室へと戻った。

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