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彩綾の独白

 


 やめてっ


 かずくんにへんなことしないでっ


 なんで? いけないことなの?


 だっていったよ?


 すきなひとならいいって


 けっこんしてくれるひとならいいって


 いけないの?


 じゃあもうみせないっ


 だれにもみせないっ


 だれにも、かずくんにもっ




 ****



 柔らかくも軽快な音楽がなった。


 新幹線をご利用頂き、ありがとうございます。まもなく……


 私ははっと身体を起こした。新横浜の駅を出てしばらくは停車しないからうとうとしていた。実家がある街は新幹線のこだまが止まる街だが、一日に数本だけひかりが止まる。それを狙って乗った訳ではないが、たまたま飛び乗った列車がそのひかりだった。


 乗り過ごしたか、と緩やかなスピードで駅に入っていく新幹線の窓から駅名の看板を探すと、小田原という文字を見つけてほっとする。


 まだ、大丈夫か。


 きゅっと唇を引き締める。

 小田原を出てしばらくするとバッとトンネルに入って車窓は夜のような雰囲気となり、窓に今まで見えなかった自分の顔が映る。不安そうな顔をしている、と思った。

 無理矢理口の両端を指でぐいっと上げる。

 微笑む装いが出来るように。



 これから会いに行くんだ。

 会って、告げるんだ。



 泣きそうになる想いに蓋をして、こんどは前を向いた。


 もうすぐ、着く。



 ****



 時間よりも早く着きすぎてしまった駅を出て、バスターミナルのベンチに座った。

 風除けの囲いはあるけれど、しんしんと底冷えしてくる冷えはどうしようもなくて、はあ、と手に白い息をかける。

 と、目の前に白い物がチラついて、あっ、と思った。


「ゆき……風花……」


 少しだけ身体を曲げて外を見ると、はらはらとチラついただけだった。雪雲は無く、太陽にも薄い雲が張っているだけ。


 このまま、曇ってしまえばいいのに。


 曇って、そして雪になれば、夜になっても月は見えない。

 自分の姿を、晒すこともない。



 犬神の一族だと知ったのは、物心ついた時だった。

 満月の夜、たまたま夜中に目が覚めて、むくりと起きるとカーテンの隙間から綺麗な光が差していた。誘われるようにカーテンを開けると、真ん丸のお月さま。

 あまりに真ん丸で綺麗なお月さまもっと近くて見たくてそろりと窓を開けた時だった。


 ぴこっ、と出た茶色い耳としっぽ。


 引っ張っても痛いだけで消えないのに困って、おかーさん、と揺り起こして引っ込まない耳としっぽをどうしたらいいのか、聞くと、母は寝ぼけた目でううん?と言ってこちらを向くと、突然がばっと起きて私を見た。

 そして、嬉しそうな不安そうな顔をして、くしゃっと笑った。


 ーー彩綾、やっぱり出ちゃったね。


 母はそう言ってぎゅっと抱きしめて、私をじっと見ると、噛んで含めるようにゆっくりと言った。


 ーーこれは他の人には出ないものだから、内緒にする事。見せていいのは、お父さんとお母さんと、結婚をすると決めた人だけ。


 ーーけっこんをきめたひとって?


 ーーそうね、彩綾が、いちばん好きな人、かな。


 ーーうん、わかった!



 単純な私は好きな人、かずくん、かずくんならけっこんしてくれると思って、次の満月の夜、かずくんと約束して犬神一族の主張である物を見せてしまった。


 ーー彩綾、ダメだといったのに。


 いつのまにか側にいた母は、かずくんの首の後ろをとすっとついて、何かの薬を飲ませてしまった。


 ーーやめてっ おかーさん、なにするの?

 みせていいっていったよ?すきなひとなら、けっこんをきめたひとならいいって!



 母はかずくんを大事そうに抱えて言った。



 ーー彩綾が好きでも、かずくんがそうだとは限らない。ちゃんと分かる年が来るまで、かずくんにも、誰にも見せちゃだめ。


 ーーひどい、おかーさん、ひどいよっ!

 じゃあもうみせないっ、だれにもみせないっ、だれにも、かずくんにもっ



 青ざめたかずくんの顔を見て、私は怖くなってしまった。


 だいすきなかずくんを、

 傷つけてしまった。


 私の、この姿を見せたせいで。



 ****



 バスロータリーの向こうから、カズくんが歩いて来るのが見えた。

 私はぎゅっと手を握ってにこっと笑顔を作る。


 近づいてきたカズくんに叫んで駆け寄る。

 精一杯、手を広げて。


 カズくんは相変わらずのボサボサ頭で、ジーンズに黒いダウンに全然普通の格好で、その飾らない姿が嬉しかった。私の手の冷たさにすぐに気が付いてくれて叱ってくれたのも。


 幼い頃から口は悪いけれど、なんだかんだ言って私を見てくれるカズくんが好きだった。


 でも。


 満月の度に現れる私の異形の姿に、カズくんがどう思うのか、怖くて。

 離れたくないのに、拒否されるかも知れないと思うとどうしても怖くて、距離を置いた。

 恋人にならなくてもいい。このまま、付かず離れずの幼なじみでいられたらそれで。



 大学は、地元の大学に進学する事を許されなかった。東京に犬神一族をまとめる総社があり、月に一度は参拝し、巫女役を演じなければならなかった。


 二十歳までに婚姻相手を決めねばならぬ事。そしてその相手に一族の者を望まれていた事を、十九になった年に知った。

 巫女役は、参拝にくる一族の男達から、婚姻相手になりうる相手か否かを見定められる場だった。


 複数の巫女達と舞を奉納した後に、度々控えの間に男の人が来る事があった。じろじろと見るガラスのような目が嫌だった。

 ただの物のように見ている目が。


 耐えられなくて、カズくんにラインをした。


 今日の講義長くて大変だったー

 アルバイトも始めたから眠いよー

 カズくんの顔早くみたいよー

 無視しないでよー


 ばか、勉強しろ、っていう反応が嬉しかった。

 嬉しくて、すがってしまった。



 やがて反応のなくなったカズくんのラインに、たまらなくなって飛び出した。



 ****



 カズくんに会えた事が嬉しくて、はしゃいで余計な事をいって……カズくんを怒らせてしまった。


 家に戻ってラインを開くけど、何も言葉が出なくて、コトリと机に置いた。


 父と母はまだ帰ってこない。

 家の中は、東京と同じで寒かった。



 ガタガタという音にはっとした。


 ベランダを往復する音が聞こえる。

 バッとカーテンを開くと、カズくんの姿が見えた。

 月明かりのなか、カズくんが洗濯物を取り込んでいる。



 もう、今しかないと思った。

 月が煌々(こうこう)と照らしている。

 私の姿が変わる。

 満月の夜。



 私はずるい事を言った。

 旦那さんになってくれなかったら、東京に帰ると言った。

 でも本当は、消えるつもりだった。



 もし、カズくんが、うんと言ってくれなかったら。


 もし、カズくん以外の人と結婚する事になったら。


 たぶん、私は、耐えられない。



 私の変化に気付いたカズくんの少しだけ大きな目が揺れた。

 ああ、だめなんだ、と悟った。



 そうだよね、分かってた。

 分かってたよ。

 こんな異形な人のそばに居るだなんて、

 ましてや結婚だなんて。



 出来るはず、ないよね。



 私はもう出てしまっている耳を隠しながら、そろりと後ずさりをした。

 一歩、また一歩と下がる度に、広がる視界。

 カズくんが、遠くなる。



 ボサボサの髪、好きだったよ。

 叱ってくれるの、好きだったよ。

 ゲンコツはちょっとだけ痛かったけど。

 でも、嬉しかった。



 ありがとう、カズくん。


 もう、消えるね。





 私はベランダの端に行き、カズくんの姿を心に留めて、去ろうとした時だった。



 不意に視界は狭まり、私はいつの間にかカズくんの腕の中に居た。

 ぎゅう、と苦しいぐらいに抱きしめられて、息が、出来ない。


 カズくんが、関係ないって、叫んでくれた。彩綾には変わりないだろ?って言った言葉が、震えてた。


 震えて、でも、捕まえてくれた……



 私は、震えながら、両手を外した。

 カズくんの、背中を掴む。

 カズくんの、頭にそっと頭を寄せる。



 しっぽだけじゃなくて、耳もあるの。



 それでも、いい?

 こんな私で、いい?



 カズくんが震えてる。

 私も震えてる。

 それでも、ずっと抱きしめてくれた。

 離さないで、いてくれた。



 私は泣きそうになりながら、カズくんの頭に耳をすりつけた。

 そしたら、カズくんの腰がもぞっと引いた。



 え……やっぱりだめ?



 腰が引けた事を震えながら言うと、馬鹿言うなって言われて、カズくんは私をがばっと見た。



 あ!



 カズくんの腰がさらに引いた。



 やっぱりやっぱり……



 私は涙が溢れそうになって言うと、カズくんは焦ったように、違う、不可抗力、俺にだって言えない事が、とか、とにかく訳わからない事ばかり言って、でも楽しそうに逃げた。



 !!



 私はそんな風に逃げるカズくんを知っていた。私が小さい頃、ぎゅむぎゅむとカズくんにひっついていた時、最初は背をそらして引いて、最後は私の手から抜け出して走り出すのだ。でも、ちょっと振り返って、楽しそうに。



 カズくんが、変わってない。

 カズくんが、私を見ても……

 いつものカズくんでいてくれる!



 私は泣き笑いしながら追いかけた。

 くるくるくるくるベランダを追いかけて……腕をつかまえて……



 息荒くはあはあとお互い白い息の中、祈るように目を瞑った。

 カズくんが息を呑んだ気配がした。


 気の遠くなるような時間のあと、柔らかく温かい感触がした。



 触れるだけだけど

 長くて

 あたたかくて



 ありがとう、カズくん……



 私が泣きながら言うと、カズくんは短く、おう、と言って、また、抱きしめてくれた。



 カズくんの肩越しにお月さまが見える。



 あんなに見ないようにしてたお月さまが、優しく照らしてくれる。



 お月さま、ごめんなさい。

 お月さま、ありがとう。



 私はお月さまに心の中で感謝した。

 お月さまは変わらずに、柔らかな光を、私達に降りそそいでくれているようだった。





 完






お読み頂きありがとうございました。

紆余曲折の末、彩綾の独白をもって完結とさせて頂きます。


ありがとうございました。

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