深夜アニメの外
なろうの外の人達って以前エッセイで書いたけど雑だったと思う。私は勝手に深夜アニメの多数派を想定して書いてしまったが、なろうの外以外全部だと良く考えたら捕らえる人がいるもしれない。私の論はそこまで万能じゃない。そこまで広げるとちと大変だという思いがある。
客観的とはなんだろう?と考えた時に、私は話せる相手を良く限定する。その限定を外して不特定多数のすべてを対象に話をするととんでもなく困難になる。お前は馬鹿か?と言われそうだ。それが客観的ってものだろ?と。いや多くの人は分かってない。あなた無意識に相手が日本人であるの期待してるでしょ?人間ってのは大体無意識にこうやって客観的といっても常識的やってしまう。そういうのを排除するから科学の客観的と言うのは特別な地位を得られると私は理解してる。
何度も書いてるが、以前書いたエッセイの一般と言う幻想についてで、深夜アニメのさらに外でそこに行き着くが、私この人達に語る価値を全く感じてない。20年前の一般層は幻想じゃなかったが、今の時代その一般層を物語を対象に当てはまると、逆に限定的に中年世代以上の特殊層だと私は見るようになった。
今一般として使えていても、10、20年もたてばこの人達は私も含めて死んでしまうかもしれない。どんどん数が減る人達を一般と呼んで良いのか?今はまだ良いとして、将来絶対に使い物にならない一般論を創り上げる価値は?敢えて、私はそういう特殊層に向けて書きたい。
さて複雑なのだが、深夜アニメの視聴者は同じ価値観で統一されてるわけじゃない。まず一番重視すべきなのが、癒しだと言ってるだけで、すべての視聴者が深夜アニメに癒しを求めてるわけじゃない。少数派ならどうでも良いだろう?いやそれが私は漫画層だと見てるんだ。漫画と深夜アニメの層は大きくずれる。さらに漫画の中の実写的な部分だけを抽出するとずれる。文学まで言うと今度は極端に小さな特殊そうになってしまう。これは何故か?と言うと大多数の人は中庸だからだ。
今気軽さの重視が一般的になってるが、これは犠牲もあるのを理解しなくてはいけない。激情を伴う物語=カタルシスを求める物語は、気軽さと対極する部分がある。段々面倒になってきた…。私が何故こういった論をやりたくないか?と言うと、これから使い物にならない、年寄りのための今の物語の潮流を理解するための講座を0からやってるからだ。
この人達は20年前ぐらいの価値観で一般論だと思い込んでいるからクソ面倒なんだ。私がわざわざ使い物にならないのを知っててお前達ためのだけに作ってるのに、それが一般論だと思って聞いてもらったら困るからだ。より多くの人達に賛同を貰うのは喜びだと思う。その数が実は少ないのを私は知ってるんだ。そして将来どんどん減ることも。
海外の話をするなら、アジアは物語については日本の後追いなのでどうでも良い。欧州とアメリカになる。日本はアメリカ化している。映像に金をかけるからかろうじてSFが生き残ってるけど、アメリカの大半の国民は物語に関してアホだ。ただ日本と決定的に違うのは、展開重視の点だろう。エログロで見てはいけない。それは結局は展開重視の点。そして日本もアニメと漫画では違う。漫画は展開重視だ。アメリカ的なものは漫画ならあるし、だから日本の漫画原作アニメが一部受けてるのもあるんだ。
深夜アニメの平均的なものならまずアメリカじゃ特殊な人しか受けないだろうと見ている。それは簡単だ、アメリカだってオタクが居るからだ。欧州は触れない。日本が向かう先じゃないので特殊だというしかない。アメリカよりオタ文化が根付いてるけど、だからこそ逆方向だと見てるんだ。
私は単純に日本がこの点でガラパゴス化してると思ってない。根本的なとにかく頭を使わない受け手って点でアメリカの方が日本には近い。ただアメリカでは日本的な癒しが表に出てくるほどじゃないだけ。よって深夜アニメの視聴者はアメリカ型と日本型の混合だと言える。一見欧州の方が近いが騙されてはいけない。あれは欧州の伝統的な芸術傾向の中に入る。日本で言えば古いオタクのタイプになる。むしろ文学オタとかの方が近い。
どちらかと言えば、私が今回対象としてるのは欧州型だと思う。欧州はじゃ知的なのか?と言うとそれはアメリカにも日本にも居る。平均なら欧州も頭を使わない大衆タイプでしかない。お国柄として出る部分が違う。日本はそんなものを一般論としてきたんだ。異常だ。間違いなく20年前の日本の物語の捉え方は異常だ。そっちがおかしいと私は見てて、異常が是正されただけで、アメリカ型こそ正しいあり方だと見ている。
大衆文化と、文化は違う。大衆文化は頭を使わない受け手に支えられたものであるべきなんだ。これは未来永劫どんな時代も変わらない永遠の常識。むしろ日本のこれまでが異常だったと考えるのが妥当なんだ。ただ、無駄なものや趣味で国民の知的レベルが諮れるというなら、多分そういう考え方も正しい面があると思う。これは難しい問題だと思う。
そこに癒しが関わってくる。社会で疲れた心を癒して何が悪いんだ?余暇、プライベートな時間も知的な刺激で頭の中を満たすべき。そうどんな階層の人にも強く言えるか?私はいえない。そういうのを当たり前にこなすのがエリートなんだと思う。選ばれた特殊層。それを認めると国民全体が怠惰になるのではないか?となる。難しい話しだ。私は今の日本でそう追い詰めなくても良いでしょ?と思うから癒しを擁護してる部分がある。余暇の時間で何しようが勝手ジャン。それが自由ってものでしょ?何故私が批判してる人を強く批判するか?と言うとこれを分かってるから。自分の時間をどう使うか?口出しされてるようで、うっとしくて仕方ない。
深夜アニメが何故特殊なのか?と言うと2chじゃ絶対に分からないが、日本特有の癒しを実は共有してる人が実は多い。BDの売上げはすぐ分かる。これは流行と萌えだと書いたが、この萌えは結局癒しの特殊例に過ぎない。流行も大半癒される現実逃避の流行に過ぎない。ただ無料で見てる人はそれが強く出ない、そのロジックを書いたが、そもそも癒しを土台にした深夜アニメの外にいる層は私は無視して書いたものだ。
しかも、中に居る人にも多分伝わらないだろう。ただ私は癒しを求める傾向が低い。私はアメリカ型の漫画系の視聴者だからだ。私と較べるとすべての深夜アニメの視聴者は癒しへの理解が高すぎる。ただ彼らは金を払うほど強く癒されてないだけだ。お金って点で見るとすべて分かるでしょ?なろうは無料だから、深夜アニメと繋がってると。
でも深夜アニメじゃ受けないよって書いた。そのロジックは量の違いだとなる。
癒しを求める傾向が低い私がこれを書いて良いのか?なら私は全く感じないわけじゃない。なろうの宝石も根底の部分でそれが0じゃないからだ。ただ閾値を越えた瞬間に別の刺激が生まれる。だから宝石は深夜アニメのアメリカ型の視聴者に受けるんだ。そして、癒しを求める人には薄すぎて受けない。そのコテコテタイプはリゼロだけじゃないか?と思う。ストーリーからすべて濃厚だが、レムだけに絞ると強烈な癒し成分がレムには詰まってる。
レムはすべてを受け入れるグレートマザーか?と言うと、それは違う。それは何故か?なろう的自己投影部分の癒しが邪魔をするからだ。リゼロは、なろう的な癒しとけもフレ的な癒しの融合作品だと見てる。ただそれ当たり前なんだ。一応リゼロ異色だと書いたがなろう作品なんだから…。主人公が活躍しない物語はレムが認めません。って二人の関係から読み取れる。
アメリカ型と欧州型の決定的な違いは、面白ければ物語に拘る必要ないんじゃない?って事になる。ここが欧州との決定的な違い。日本が何故アメリカ型に進んでるとわかるか?と言うとここになる。アメリカ人は物語が特に好きじゃない。だから楽しみの中で後回しにされるから、大衆的面白さについてはプロだと思わせるレベルの高さがあるが、物語に拘らないから、そこがオタク的に突き進まない部分だと見てる。
気軽である、頭を使わない。この2点から予想される未来はすでに日本で始まっている。ドラマやアニメが減って楽しいバラエティーになるんじゃないの?である。日本は予算の関係もあってこの傾向が強くなってるけど、それだけじゃこうならない。視聴者のニーズが物語に拘る意味が無いんじゃない?ってすぐ受け手側も気が付くから。
今の一般的な日本人は物語なんて好まない。だから物語について述べる時、一般層(不特定多数の色の無い人達)なんてちゃんちゃらおかしいんだ。だから君の名のヒットはマグレだから考えても無駄だと言ってるんだ。特に文字がぎっしり詰まった小説なんて一般人は誰もリピーターとしては読まないよ…。