8 アメリカの友人
雪でも舞いそうな冬空の日曜日。
鬢に白いものが混じった、値の張りそうなベージュのコートを着た五十年配の男が、華輪邸を訪ねてきたのは午後になってからだった。
突然の訪問で、女中の川口親子は休日にあたり、亜紀代は冬和の経営するギャラリーで開催中の『アート華道展』を観に出かけ、美也はサロンのオープン準備に大わらわで留守にしていたため、邸にいたのは優子とフミの二人であった。
男は佐久間研三と名乗り、春仁がアメリカに遊学していた時の知り合いだと話した。同じビジネススクールに通っていて、さんざん春仁に世話になったなら、一緒に悪ふざけや無茶もした仲でしたと、当時を偲ぶように目を細めた。
佐久間は現在もアメリカに在住で、広告関係の会社に勤め、ブルネットの髪とグレイの虹彩の妻と二人の娘がいる家庭を、ロサンゼルス郊外に築いていた。今回は父親の法事で日本に里帰りしたのだが、春仁が亡くなったことを耳にしたので、線香の一本でもあげさせてもらい、手を合わせたいと思って寄らせてもらったと訪問の旨を伝えた。
優子の案内で位牌を拝んだ佐久間は、フミがお茶を用意したリビングに通され、そこであらためて優子が、自分が春仁の娘であることを告げると、それまでの穏やかな表情を一変させた。まるで幽霊でも見るように目を見開き、優子をまじまじと見つめ、どうかされましたかと優子が尋ねると、気まずそうに目を逸らし、いや、なんでもありません……と言葉を濁した。
その後も佐久間は春仁との思い出話をしながら、何度も優子を浮かない顔で見つめ、とうとう口にした。
「うううん。じつはさきほどから気になっていることがあってですね。不躾ですが優子さん。内密に、どこか二人だけでお話しさせていただけませんか」
優子と佐久間が、優子の私室で二人だけで話をしたのは、時間にして十分ほどだった。話を終えた佐久間の顔は、疑念が払拭されたかのように、合点のいったものへと変化していた。
帰り際にもう一度仏壇に手を合わせて、佐久間は華輪邸を辞した。
優子とフミは、電話で呼んだタクシーに佐久間が乗り込むのを、灰色の空の下で見送った。コートの襟口を襟巻で塞いだ佐久間が窓越しに会釈し、それに応じるように、動き出したタクシーに優子とフミも頭を下げた。
フミと並んで立っていた優子が、不意に、両の掌で顔を覆ってその場にしゃがみ込んでしまったのは、佐久間の乗ったタクシーが見えなくなってすぐだった。抑えていたものが、抑え切れなくなってしまったかのようだった。
急な異変に、フミは腰を屈めて優子の肩に左手をあてがい、どうなさいましたと心配そうにした。
すみませんと顔を上げ、掌を離してこちらに向けた優子の頬に、涙が流れていることにフミは気づいた。優子は言った。
「大丈夫です。佐久間さんと話して、亡くなった父のことを思い出してしまいました。もうあの父に会えないと思うと、急に悲しみが込み上げて……。ですから心配しないでください。少しの間ひとりにしてもらえばすぐになおります。それと、このことは誰にも言わないでください。余計な心配をかけたくないので、誰にも言わないようにお願いします」
フミはしっかりとうなずいてみせた。