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フーダニット・~華輪邸の殺人~  作者: 愛理 修
長めのプロローグ
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7 東屋 美也と優子

 東屋へ通じる小道を美也は歩いていた。広大な庭も十二月のいまは、冬枯れの状態で見る影もない。ところどころが、たぶん色合いのせいだろう、剥げたように見える。美也がこの邸にきた時の、あの青々とした瑞々しさも草いきれの匂いもない。

 美也は足を止め、肩越しに華輪邸を振り返った。邸の正面を左斜めから見ることになる。

 ベージュの外壁と胡桃色の屋根をした、半木造建築のハーフティンバー様式を取り入れた二階建ての邸は、大きさをべつにすればシンプルな造りといってよかった。お邸というよりカントリーハウスというほうが似合う。柱などを浮き出しただけで、ごたごたした装飾はなく、一階の玄関にあたる中央部分がいくぶん凸しているのを除けば、長方形の箱を二つ重ねたといってよい構造だ。二階部分に、邸の左右の側面と正面をひとつにつなぐようにして回廊ふうの外ベランダが設けてあり、その回廊と、正面から見て右手にある屋根裏部屋の窓が、外観のアクセントとなっていた。

 建てられた当時のことを考えると、春仁の父親の華輪佐門はなかなか趣味がよかった。成金のいやらしさはほとんどない。山奥の山林王とは思えないほどだ。というより、田舎者だったからこういう邸宅になったのかもしれない。屋根を藁葺きに変え、門前に柿の木を植えたら、りっぱな豪農の住まいでも通用しそうだ。洋館でありながら、妙に違和感がないのはそのせいかもしれなかった。

 住みやすい素朴な邸であることは美也も認める。佐門も春仁も飾ることに興味のない人物だったのだ。それに、それはそれでいいと思う。ただ女のわたしには飾る必要があるのだ。飾るのが嫌いな女がどこにいる。人から注目され、羨望されるのを欲しない女がいるだろうか。

 いや、いる。それも身近に。飾るのは嫌いではないが、それほど興味を示さない女が。

 美也は首を戻すと、含み笑いして小道を進んだ。そして、葉が落ち、上空に向かって枝を広げた大きな欅の木の傍らにある東屋に着いた。

 東屋にいた優子は、美也の姿を目にすると驚いたような顔をした。

「お仕事じゃなかったの」

 灯油ストーブの前で、ダッフルコートを着て座り、タータンチェックの膝掛けをしている。暖冬とはいえ、十二月に東屋ですごすとはご苦労なことだと美也は思った。

 東屋は春仁と優子、それに以前飼っていたと聞いたビーグル犬のピーターの、お気入りの場所のひとつだった。

「大金持ちの、二十四の女の子のする格好じゃないわ。ねえ、寒くないの」

 優子は心持ち鼻先を上げた。

「うううん。こうやっていると暖かいのよ。焚火をしている感じ。家の中にいると暖かみとか意識しなくなるけど、戸外でこうして火にあたっていると、つくづく心地よさが伝わってくるの」

「変わってるわね、優子は」

 美也は優子の隣に座ると、自分も掌をストーブにかざした。

「でも、もういい加減忘れるようにしないとね」

 そして優子の顔を見やった。

 四十九日を過ぎてから、背中の中ほどまであった髪を、少年のように短くカットしていた。コートの下はセーターで、長いまつ毛が両の眼を際立たせている。ほとんど化粧をしない肌は羨ましいほどつややかだ。優子は飾らなくても魅力のある女だった。もっと正確にいえば、優子の美しさは美也のとは異なる種類のものであった。

「気持ちがわからないじゃないのよ」自分でも月並みな言い方だと思いながら、美也は続けた。「でも優子は若いんだし、これからずっと生きていくんだから、過去は過去として捨てていかないとね」

「ありがとう」

 優子はおざなりに答えた。目の光は弱い。優子が春仁の死をいまだに引きずっているのは明らかだった。それがどういう感情なのか、美也には想像すらできない。口の中に苦いものがする感触に、美也は眉をしかめた。

「それはそうと、優子のほうにはみんななにか言ってこない」美也は言った。

「なにかって?」

「決まっているじゃない、お金のことよ。なにしろわたしと優子は、いまでは大金持ちなんだから」

「べつになにも」

「そう、それならいいわ。わたしのところにはいろいろ話にくるのよ。それも遠まわしにね。いま一番お金に困っているのは冬和の一家よ。どうやら保証人倒れらしいわ。このままいくと、マンションもギャラリーも手放さなくてはならないかもね。奈津枝のほうは、さすがに本人はこないけど、一郎がなにかとやってくるの。よくわからないけど、事業を拡張するのをバックアップしてもらいたいみたい。わたしのご機嫌うかがって、将来の展望とかなんとかをごたいそうに話したりしてね。あと、亜紀代さんが、最近妙にわたしの機嫌を取るのよね。あれはなにかあるはずよ」

「それで美也さんはどうするの。助けてはあげないの」

 美也は上体を前に屈め、首をまわして優子に顔を向けてから言った。

「優子だったらどうする?」

 優子は下唇を噛んだ。心の中の葛藤が読み取れるようだった。

「いい優子。ぜったいにハイとかわかりましたという返事をしてはだめよ」

 美也の目と声の調子がきつくなった。

「わたしだってなにも、冷酷非情に振る舞おうとしているわけじゃないのよ。それなりの親戚づき合いもしなくてはと思うわ。でも、だからといって、あの人たちの言いなりになるつもりもないの。いやなことはいやと、きっぱり言わないとね。いまあなたとわたしが持っているお金は、自分たちのものなの。どう使うかはわたしたちの自由よ。誰にも責められる筋合いなんかないんだからね」

「でも、だからといって、あの人たちを見離すことはできないわ」

「なにもそんなことをしろとは言ってないじゃない。ただ簡単にハイと言わないでと言っているのよ。これからわたしと優子がうまくやっていくためにも、誰が頭なのか、あの人たちに教える必要があるの。安心してよ、見殺しにしたりはしないから。そのかわり優子も、わたしの許可なしで、あの人たちにお金を融通するようなことはぜったいしないでよ。相談されたら、お金のことはわたしに任せてますと言ってくれればそれでいいのよ。この機会に、金持ちの坊ちゃんとお嬢様たちに、お金のありがたさを噛みしめてもらわないとね。わかったわね優子。もし、あなたがいまの約束を守ってくれなかったら、その時はわたしどうするかわからないわよ。これだけは覚えておいて、優子もわかっていると思うけど、わたしとあなたは、パートナーなのよ」

 優子は黙ってうなずいた。

 そう。どちらが頭か、優子にも覚えてもらわなくてはいけない。

「それじゃ、わたしは仕事に戻るわ。忘れ物を取りにきたついでに、優子と少し話しておこうと思ったの」

「お店のほうはうまくいきそう」

「あたりまえじゃない。浦島も手伝ってくれているし、着々と進んでいるわ。あっ、そうそう、オープンパーティ用のドレスを作るつもりなんだけど、優子のも一緒に作りましょう。あなただって、その時のドレスを用意しておかないとね。だから、明日か明後日でも都合のいい日を選んでおいて」

「美也さんは赤いドレスにするの」

「そうよ。なんといっても、赤はわたしのラッキーカラーですからね。それじゃ優子、今夜にでも日にちを決めておいて」

 美也はそれだけ言って東屋をあとにした。

 これでひとつ片づいた。優子に釘を刺しておいたから、あの連中が優子から助けてもらえる可能性はない。これですべてはわたしの気持ちひとつだ。ことはうまく進んでいる。それに優子だって、あの連中の食い物にならずにすんでよかったといえるだろう。

 しかしそれにしても……。

 春仁に抱かれた日々を思い出して、美也は身を震わせた。あの男に抱かれたなんて、いま思い出しても反吐が出そうだ。

 美也は頭を振ってそのことを払った。すんだ過去にこだわってもどうにもなりはしない。それに、もう二度とあの男に抱かれることはないのだ。それよりも、他に考えなければいけないことがある。

 あいつをどうするかだ――。

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