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5 怪物

「もうひとりの犯人って、どういうことなんですの」

 亜紀代がおそるおそる尋ねた。

「美也さんに榊さん殺しを示唆し、一緒に計画を練り、そのじつ美也さんまで殺す計画をしていた犯人のことです。狡猾で頭が切れ、自分が疑われぬよう細心の注意をはらっている人物。そういう人物を想定すれば、美也さんが死んでしまった説明がつきます」

 砂木は続けた。

「これはほとんど想像の域ですが、チョコレートの細工はこうだったのではないでしょうか。その人物は、チョコレートを美也さんに買わせ、美也さんの前で毒を仕込んだのだと思います。使われた毒は青酸ナトリウムで、長時間空気に触れさせておくと炭酸ナトリウムに変化します。その特性をその人物は利用しました。つまり、そうすれば死ぬことはないのだと。そしてそうやって炭酸ナトリウムに変わったものを、チョコレートに塗るのだと話したのです。実際、その方法で細工したチョコを自分の口に入れてみせたでしょうし、美也さんにもそれをさせたのだと思います。こうすれば、犯人に青酸ナトリウムの知識が欠けていたために、殺人が未遂ですんだと警察に思わせることができると、説明したと思います。しかしそのじつ、そうではなかった。ほんとうは、そう信じさせたうえで美也さんを殺害するつもりだったのです。美也さんの目の前で、いま言ったような、死なずにすむチョコを作り、それを包装して渡しておきながら、それとまったく同じように包装した、青酸ナトリウムを仕込んだチョコレートの箱をあらかじめ用意しておいて、美也さんの隙を見て箱ごとすり替えた。――それで美也さんは死んでしまった」

「もうひとり犯人がいたとしたらありえそうだけど、完全な想像ね」

 めぐみが言った。

「そうです、まったく想像です。ただ、そういう人物がいて、そういう方法を使えば、美也さんが犯人でありながら、ああやって死んでしまった理由がつくことがわかってもらえればいいのです。というより、美也さんが死んだことを説明するには、第三の人物の意図があったと考えないと説明できないのですよ」

「それで、それは誰なんです」

 二郎が言った。

「逆にみなさんにお聞きしましょう。その第三の人物がいたのかどうかも不問にします。美也さんの単独犯と考えられてもかまいません。では、聞きます。美也さんは、いつチョコレートをおいたのでしょうか」

「それは、やっぱり邸に戻ってきて、二階に上がった時よね。四時半にはなかったのだから、その時しかないわ」

 めぐみが言った。

「それではつぎに、美也さんはそのチョコレートの箱をどこから取り出したんでしょう」

「部屋に隠していたわけではないよな。フミたちにないことを確認させるつもりだったから、万一そこで発見されてしまったりしたら計画がパーになってしまう」

 二郎だ。

「そうなると、美也さんが二階に上がった時に一緒に運んだことになるわ」

 めぐみが言い、二郎が引き継いだ。

「わかった、カバンだ。美也さんは書類カバンを手にしていた。その中にチョコレートの箱が入っていたんだ。彼女はあの日パンツスーツだったけど、あの大きさの箱を服の中に隠すのは無理がある。刑事さん、箱はカバンの中に入っていたんですよ」

「そう考えるのが自然ですよね。では、二郎さんと優子さんに聞きます。そのカバンを美也さんは、どう扱っていましたか」

「どうって言われても、美也さんはずっと自分で持っていましたけど……」

 優子が答えた。

「誰か、美也さんのカバンに触ったり、中を見たりした人はいませんでしたか」

 砂木に言われて、二郎と優子は同時に思い出したようだった。咄嗟に二人は、ある人物に顔を向けた。

 二郎がうわずった声で言った。

「そ、そんな……そんなことが……。僕と優子さんが美也さんを迎えにいった時、美也さんが玄関に出てきて、奥では浦島が、美也さんのカバンに書類なんかの荷物をつめているとこでした。そして、忘れ物はないなと言ってカバンを美也さんに渡しました」

「そのあとで、美也さんのカバンに誰か触れた人はいましたか。また、一度でも美也さんはカバンを開けたりしましたか」

「僕の見た限りでは、美也さん以外でカバンに触れた人はひとりもいないなら、カバンが開けられることもありませんでした」

 浦島はじっと黙っていた。みなの視線が浦島に集まっている。

「浦島さん」砂木が名を呼んだ。「あなたはカバンの中にチョコレートの箱が入っているのを、美也さんに手渡す前に見たはずですよね。グラビアが入っている封筒もですね。それなのに、不審に思うこともなければ、疑うこともなかった。つまり、あなたは計画のすべてを知っていた」

 浦島が唸り声を上げ、ステッキを振りまわして立ち上がるのと、野田と安藤が飛びかかるのは同時だった。野田が浦島の右腕をつかみ、安藤が体重をかけて腰にタックルした。三人は、音を立て、ひとつになって床の上に倒れ込んだ。綿貫が、そこへ素早く動く。左足がままならないこともあり、浦島は三人の刑事たちに押さえつけられた。

「あなたひとり席を離したのは正解でしたよ」

 砂木がふううっと息を吐いた。

「このクソ野郎ども離しやがれ! きさまらになにがわかっているんだ。いいか、俺はなにも知らないんだ。ああ、そこにいる、埴輪野郎が言ったように、箱があったのは見たさ。ただそれだけさ。それがどうしたって言うんだ。俺は、あの女がなにをするつもりかなんて知らなかったんだ」

 そう言い張る浦島は完全に別人だった。荒い息をつき、目は獣のそれだった。ジャガイモを思わせる容貌はまがまがしさに覆われ、鬼の様相を呈していた。

 沢口が床に転がったステッキを拾い上げた。

「浦島、いい加減に観念したらどうなんだ。華輪美也がみなを招待したのが事件の一週間前、その時すでに計画はできていたはずだ。亜紀代さんが呼び出しの手紙を受け取ったのは水曜で、その時点では亜紀代さんを犯人に仕立てることもできあがっていた。つまり、榊を殺す計画もできていたなら、おまえの家でのアリバイ工作も、すでに決まっていたはずだ。それなのに、木曜日の捻挫が偶然なんてことがあると思うか。捻挫のせいで、計画通り、おまえの家に行くことになったのにだぞ。そんなことあるわけがない。おまえの捻挫も最初から計画のうちだったはずだ。そのことだけでも、計画に関与していなかったなんて言わせないぞ。計画のためおまえは、自分で捻挫したのさ。自分で自分の足を捻挫できるなんて、浦島、おまえは怪物だよ」

 沢口は砂木を振り返った。

「砂木、どうやらおまえの読みが当たったみたいだな」

 埴輪を思わせる顔に笑みをたたえて、砂木はそれを気取ったお辞儀で受け流すと、いまだに驚愕を押えきれないみなに向かって言った。

「ご迷惑をおかけしました」


*     *     *


 事件当日。

 手袋をして電話ボックスに入ると、まず腕時計を見た。四時前二分、午後三時五十八分だ。受話器を持ち上げコインを入れた。そして、ひとつ大きく息をつくと、浦島隆三の自宅の電話番号をプッシュした。

「はい、浦島です」

 浦島の声を耳にし、わざと声をかすれさせて言った。

「華輪美也に代われ」

 息遣いが聞こえ、少し間があって浦島が言った。

「ふざける余裕があるようなら、万事うまくいったみたいですね」

 美也は声を普通に戻した。

「ええ、いまからそっちに戻るから」

「わかりました。計画通りにお願いしますよ。タクシーを降りる時は私の家の前でなく、離れた場所にしてください。そして私の家に入る際には、くれぐれも誰にも見られないようにですね」

「わかってるわ。それじゃ、あとで」

 美也は電話を切ると、タクシーを拾うべく電話ボックスをあとにした。

 ――計画は順調に進んでいた。

僕がクリスティから学んだことは

長編推理小説で大事なのは、トリックよりも、如何にして騙すかである、ということです。

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