2 それはあなたです
めぐみの発言は、その場にいた者たちをおののかせた。それは、砂木にしても同じことだった。
冬和と幸子は顔色を失い、言葉をかけることさえできなくなっている。
「まいりましたね」
砂木が頭を掻きながら言った。
「まさかあなたの口から、そんなことを聞こうとは思いもしませんでしたよ」
「あら、そうなの刑事さん。それなら、すべてを知っているというのは、わたしの買い被りね。でもいま言ったように、チョコレートをおいたのはわたしです。本人が告白しているんだから、これほど確かなことはないわよね。庭を散歩していたというのは嘘で、裏口から邸に入って、裏の階段を使って二階に上がったの。そして美也さんの部屋にチョコレートをおいたのよ」
「なるほど、そう言われるわけだ」
砂木が言い、めぐみはうなずいた。
「それにさっきの推理だけど、一郎さんを犯人とするにはおかしいわよね。もし一郎さんが犯人なら、どうやってチョコレートをデスクにおいたか知っているのだから、刑事さんの問いに答えられたはずよ。それなのにそれがわからなかったということは、犯人じゃないってことじゃない。刑事さんが推理で証明したことは、一郎さんが犯人であることじゃなくて、一郎さんはチョコレートなんか見ていないということ。つまり、一郎さんが部屋を出るまでチョコレートはデスクの上になかったということよね。それは当然よ。だって、わたしがそのあとでおいたんですもの」
「鋭いご指摘だ。その通りです。僕が明らかにしたかったのは、一郎さんはチョコレートの箱を見ておらず、それがおかれたのは、ほんとうは一郎さんが部屋を出てからだということです。そしてあなたの言われる通り、どうやってチョコの箱がおかれていたのかを知らない一郎さんは、犯人ではありません。しかしだからと言って、さきほど話した通り、めぐみさんが犯人のわけはないのですよ。赤色のチョコを取ったあなたが、この事件の犯人のはずがない」
めぐみは反論しようとしたが、白い歯並びを見せて、きつく噛むことしかできなかった。
「僕の推理はこうです。まず取っかかりは、あなたが一郎さんを犯人とする推理を聞かせようとしたことです。前夜の事情聴取の席では取り乱しさえしたあなたが、翌日には率先するようにして、僕に一郎さんが犯人だとほのめかす様子に驚いてしまいました。当然疑問をもちました。なぜ、めぐみさんはそうするのかなってね。それで、あなたが僕に話してくれた内容を吟味したら、話の中に、一郎さんが遺言状のコピーをおきにいき、クラクションが鳴ったので、窓から美也さんたちが帰ってくるのを見て、急いで下におりたというのがあったのに気づいたのです。その話を聞いた時点では、僕も遺言状のコピーが一郎さんの仕業だというのを想像はしていましたが、明らかにはなっていませんでした。どうしてめぐみさんは、コピーが一郎さんのしたことだと思ったんでしょう。ま、その件は推理のひとつとすればまだ納得できますが、それに続く、帰ってくるのを窓から見たというのは、推理や想像でわかるものではありません。しかもそれは、一郎さんが現実にしたことだったのですよ。それで僕はわかったのです。その部分はめぐみさんの推理でなく、見た通りのことだったんだと。優子さんに庭を案内してもらっている時に僕は気づいたのです。庭にいたあなたは、美也さんの部屋の窓から、表の様子をうかがう一郎さんの姿を見たのだとですね。
ここから先はいくぶん想像が入りますが、それを見たあなたは、なぜ一郎さんが美也さんの部屋にと疑問に思ったのでしょう。それで裏にまわって、裏の階段を使って美也さんの部屋に向かった。一郎さんがなにをしに美也さんの部屋にいたのか、こっそりそれを確かめようとあなたはしたのです。一郎さんが聞いた、裏の階段をのぼってくる足音というのは、その時あなたが美也さんの部屋に向かう時のものだった。そう、階段の幽霊とはあなただったのです。
さて、そうやってすれ違うようにして美也さんの部屋に入ったあなたは、けっきょくなにも発見できず、一郎さんがなにをしたのかもわからないまま、きた時と同じように裏口から出て、小走りで庭からリビングに戻った。その後殺人という悲劇が生じ、あなたは取り乱してしまった。そして僕たちから、遺言状のコピーが美也さんの部屋から発見されたことを知らされたあなたは、一郎さんが美也さんの部屋にいた理由に思い当たり、翌日僕に、それを推理という形で聞かせたわけです。
そこまでわかった時、どうしてあなたが一郎さんを犯人として示唆したのかも見当がつきました。あなたは、一郎さんが犯人でないことを知っていたからそうしたんです。一郎さんが部屋を出たあとに、デスクの上にチョコレートの箱がなかったことをあなたは見たのです。あなたにとって、一郎さんが犯人でないことは一目瞭然だった。それがゆえに、僕の前であなたは一郎さんを犯人にした。犯人でない以上、証拠が出てくることもないし、最終的に捕まるはずがないとあなたは考えたのです。それにいざとなったら、自分がそのことを証言すればいいのだとも。そしていまあなたは、今度は、自分が犯人でないことを知っているがゆえに、チョコレートをおいたのは自分だと言い出しているわけです。ほんとうの犯人にされることはないと思ってですね」
「ちょっと待ってくれ」
一郎が口を挟んできた。
「それじゃあんたは、俺が犯人でないことを知っておきながら、ああいう振る舞いをしたわけか。さっきまでのことは、茶番だったというわけか。それにめぐみ、従妹の分際で、おまえはいったいどういうつもりなんだ。俺をおちょくっているのか」
砂木は一郎を見やった。
「申し訳ありませんでした。あそこまであなたを追い込んだのは、部屋に入った時チョコレートはなかったという証言を、あなたの口から得るためにしたことです。それと、その裏付けを、めぐみさんから引き出すためにです。お二人とも、素直には話してくれそうにありませんでしたからね。――あと一言いいですか一郎さん。警察を甘く見てはいけません」
顎を突き出してなにか言い出そうとした一郎の頭を、奈津枝が、ぴしゃりと音がするほどに叩いた。反射的に首をすくめた一郎の驚いた目を、奈津枝は無言で見つめ返す。
一郎の顔が怒りと羞恥で朱に染まるのを無視して、砂木はめぐみに顔を向きなおした。
「めぐみさん、いまの推理になにか間違いはありますか」
「肝心なことが抜け落ちているわ。わたしがチョコレートの箱と封筒をおいたことが」
「そこまで言われるなら、いいでしょう。では、あなたにもお聞きします。どのようにデスクの上にチョコと封筒をおきましたか。あなたが犯人ならご存知ですよね」
「ノーコメント。黙秘権の行使」
「やれやれ、困りましたね。あなたが犯人でないことは、赤のチョコを取ろうとしたことではっきりしているのに。第一、一郎さんより先にリビングを出たあなたが、どうして一郎さんが部屋から出たあとに、チョコレートをおきにいったりするんです。先におきにいくのが道理じゃないですか。ま、いいでしょう。それでは僕も、まだお話ししていない、推理の肝心な部分を続けさせてもらいます。では、どうしてめぐみさんは、一郎さんを犯人と思わせる必要があったのか。ひとつは捜査を攪乱させるのが目的でした。しかしそれ以上に、ある人物への疑惑をそらさせるのが狙いでした」
「やめて! あなたの話なんて、もうたくさん。さっさと、わたしを連行しなさいよ」
めぐみが急に反抗心を剥き出しにした。
「チョコレートをおいたのが、一郎さんでなく自分でもないことを知っているあなたには、誰がおいたのかがわかったのです。そのために、事件当夜あなたは精神的にまいり取り乱してしまった。しかし翌日には、その人物をかばうために、一郎さん犯人説を印象づけようとしたり、捜査の進展具合を探り出そうとしました。またあなたの言動には、その人物が犯人でないことを強調しているようなところもありました。そしていまは、あろうことか自分が犯人だと言って、その人物をかばおうとしている」
「やめて! やめて! 聞きたくない!」
めぐみが両手で耳を塞ぎ、激しく頭を振った。幸子が、そんな娘の背に腕をまわして引き寄せた。
「めぐみ、ほんとうのことを言うんだ。私には、おまえが人を殺すなんて信じられない」
冬和が言い聞かせようとする。
「誰なのですか。そのめぐみが、かばおうとしている人物とは」
二郎が、乾いた声で言った。
「わかられませんか」砂木が言う。「それは、二郎さんあなたですよ」




