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1 わたしだわって雀が言った

 翌週の火曜日、事件の関係者たちが華輪邸のリビングに集められた。県警から沢口と砂木と安藤刑事。筑紫野署からは綿貫と野田刑事が顔を揃えている。

 時刻が近づき、それぞれがやってきては腰をおろした。人数が多いため、パーティ用の椅子をいくつか用意してもらっていた。

「いったい、どういう余興なんだ。こんなことする暇があるなら、ほかにすることがいくらでもあるだろう。警察のすることといったら、いつだって、善良な一般市民に迷惑をかけるだけだ」

 さっそく一郎が不平をこぼし始めたが、安藤の一睨みで口を閉ざした。

「それにしても、みんなを集めてなにをなさるおつもりなんです」

 奈津枝が、まわりを見まわして言った。

「真相の解明をお手伝いしてもらおうと考えてですね」

 砂木が言うと、椅子に座っていた亜紀代が目を丸くした。

「それでは、犯人がわかられたのですか」

「いいえ、そういうわけでは――これからの成り行き次第です」

 砂木は曖昧に微笑んでみせた。いつものチャコールグレイの背広に、今日は無地の赤いネクタイをしている。優子がそれに目をとめているのを見て砂木が言った。

「美也さんの幸運を真似させてもらいました」

「アンラッキーにならなければいいわね」

 めぐみが横目で見て口にした。

 浦島が松葉杖でなく、ステンレス製のステッキをついて入ってきた。左足の捻挫はだいぶいいらしく、軽く引きずる程度になっている。砂木は浦島を見ると、みなに気取られぬよう歩み寄って、小声で話しかけた。

「浦島さん、この入口のほうの椅子にお願いできますか」

 浦島が、首を捻って砂木を見やった。

「じつは――なにかあった場合、たとえば誰かが逃げ出そうとしたりしたら、手助けをお願いできないかと思ってですね。そのへんのことを考えて人員を用意していますが、万一ってことがありますから」

 砂木は片目をつむってみせた。

「この足では、あまりお役には立てないでしょうけど。ま、その時は任せてください」

 浦島は頼もしげに笑顔すると、ステッキを片手に椅子に座った。

 ほどなくして全員が揃い、砂木が立ったままで口を開いた。

「さて――」

 砂木の位置を起点にして、左側の一人掛けの椅子に亜紀代、それからソファに優子、めぐみ、幸子、冬和の順で座っている。右側のソファには、奈津枝、一郎、二郎が座り、そのうしろでフミと妙子と早智が椅子に腰かけ、浦島はみなからやや離れた出入り口の椅子にいる。刑事たちの配置は、野田が表の階段寄りの出入り口近辺、安藤が浦島の斜め後方で、沢口と綿貫は左右に分かれて、なにかあったらいつでも動けるような位置に立っていた。砂木のいる場所からは、その全員が見渡せた。

「わざわざ集まってもらって、どうも申し訳ありません。本日みなさんをお呼び立てしたのは、これまで事件についてわかったことをお話しし、そのことでみなさんの意見や考えをお聞きしたいと思ったからです。そうすることによって、矛盾点やこれまで不明だった事柄が明らかになり、ことによれば真相解明ということになるかもしれません。もちろん解明とまでなると、この場に犯人がいる可能性もなきにしもあらずで……」

 みなの顔に、緊張が走るのを砂木は見て取った。

「この中に、犯人がいると言われるのですか」

 わずかな沈黙のあと、冬和が尋常ならざる面持ちで言った。

「それは断言できません。ただみなさんも、この中に美也さんを殺害した者がいるかもしれないとお疑いのはずです」

「なんかこういうのいやだな。みんなが猜疑心のかたまりになって、お互いを見合うなんて。――刑事さん、やめませんか」

 二郎が言い、めぐみがそんな二郎をじっと見つめていた。

「いえ、少々荒っぽいかもしれませんが、これは必要なことです。それにそう悪いほうにばかり取られず、もしかすれば、結果としてみなさんの中の誰一人として犯人でないことがわかるかもしれないじゃないですか」

 誰もなにも言わないのを見て、砂木は続けた。

「それではまず、今度の事件についてわかっていることのあらましを述べてみたいと思います」

 砂木はこれまでの事件の経緯を手短に話した。榊の殺された事件も、偽の遺言状のコピーが一郎の仕業であることも、美也のグラビアを傷つけたのが亜紀代であることも、早智がそのことを榊に教えていたことも、三年前に優子を襲った暴漢が榊であったことも話した。そしてそれらが、すべて事件に関連していると述べた。

「以上のことから、この事件が用意周到な計算のもとにおこなわれた計画殺人事件であることは、みなさんにもご理解いただけるはずです。いいですか、これは計画殺人なんですよ。犯人は美也さんを殺害するにあたって、計画をしそれを実行したのです。グラビアをもとに亜紀代さんを呼び出したのも、四時に爆弾の電話をしたのも、赤い色のチョコレートにだけ毒物を混入したのも、同じ日に榊さんを殺害したのも、すべてはその計画によるものです。ここで覚えていてもらいたいのは、その犯人の計画に、偶然に頼った部分があるはずがないということです。犯人が、偶然を機敏に利用することはあっても、最初の計画にそういうのは含まれてはいないということです。よろしいでしょうか。計画殺人の解明にとって、一番重要な点はここです。犯人は偶然に頼るはずがなく、いろいろな手がかりにはなんらかの意図があるということです」

 砂木は、そこまでで一度全員を見渡した。

「その通りですわ。どうぞ、お話を続けてください」

 奈津枝が言い、砂木はみんなに向かってうなずいた。

「その計画性を考えた場合、疑問になるのは、チョコレートを使った殺害方法でした。犯人はチョコレートを美也さんの部屋におき、美也さんの幸運の色である赤色のぶんにだけしか毒を混入していない。その事実は、どうみても、美也さんを殺害するためのものとしか思えません。しかしその一方で、この犯行方法には確実性に欠けるところがあります。つまり、もしかしたらほかの誰かが赤色のチョコレートを食べてしまうかもしれないという可能性です。実際、めぐみさんはそれを手に取り、美也さんから言われたので難を逃れています。はたして美也さんを殺害することが目的の犯人が、そういう犯行方法を選ぶでしょうか。しかし、実際に犯人はそういう犯行方法を選んでいるわけです。それではいかにして犯人は、美也さんだけを殺害し、ほかの者を犠牲にするかもしれないという危険性を回避しようとしたのでしょう。答えは簡単でした。ただたんに、誰かが赤色のぶんを取ろうとしたら、ちょうど美也さんがしたように、赤は美也さんのものだからと注意を促せばいいだけだったんです。そうすれば第三者を巻き込むことなく、美也さんを殺害できたわけです。この推理は、実際にあったように、美也さんが二階からチョコレートを持ってきてみんなの前で食べるという事例でおこなっていますが、そのほかの事例を検討するまでもなく、推理として有効だと思います。つまり、チョコレートをあとで食べた、チョコレートは食べられなかったなどの、ほかの選択肢があったにしても、チョコレートをみなの前で食べるという場合も考えて計画は立てられていたはずですから、犯人としてもそれに備えて、美也さんだけを殺害する方法を用意していたと考えられるからです。それには、いまお話しましたように、誰かが赤色のぶんを取ろうとしたら注意を促すという方法しかありません。ほかの者を犠牲にせず美也さんを殺害するには、犯人はそうする以外なかったはずです。そのために犯人は、ひとつのリスクを負うことになりました。そうするには、チョコレートを食べる現場に居合わせないといけないというリスクです。つまり犯人は、犯行がおこなわれた現場にいたということになります」

「ちょっと待ってくれ。それだと、美也さんが死んだ時、あの場に居合わせた者の中に犯人がいたというのか」

 ソファから慌てて上半身を起こして、一郎が言った。

「そうです。その中に美也さんを死に至らしめた者がいたのです」

 全員の顔に疑惑と不安が浮かんだ。それは、まわりの空気にまで広がっていった。

 二郎が、調子のはずれた笑い声を立てた。

「それじゃあ、僕か兄貴か、めぐみか優子さん、それに亜紀代叔母さんの中に犯人がいるわけだ」

「やめて二郎さん! わたくしじゃありませんわよ!」

 亜紀代が言い放った。

「話を続けさせてもらってかまいませんか」

 砂木が言った。丁寧だが、有無を言わせない響きがあった。

「では、誰がそうしたのか。それを解明するには、その中の誰が美也さんの部屋にチョコレートをおくことができたのかを考えなければなりません。当初チョコレートがおかれたのは、爆弾騒ぎの四時半から、美也さんが発見するまでの六時半と思われていましたが、はからずも一郎さんが、五時四十分ごろに美也さんの部屋に入ったことがわかり――なんのためかは、説明の必要もないですね――その時点でチョコレートがすでにデスクの上にあったという証言を得ています。一郎さんの話では、表からクラクションが聞こえて下におりたとなっていますから、チョコレートは美也さんたちの帰ってくる前におかれていたことになります。つまりその事実は、二郎さんと優子さんにはチョコレートをおくことができなかったということを証明しています」

「ヤッホー! よかったですね優子さん。早くも、僕とあなたの疑いは晴れましたよ」

 二郎がはしゃぎ、優子が微笑みを返した。

「おいおいどういうことなんだ。犯人は現場にいた者で、二郎と優子さんはそうじゃないとしたら、残るのは、俺とめぐみと亜紀代叔母さんの三人になってしまうじゃないか」

 一郎の顔には焦りと苛立ちが滲み出ていた。

「残念ですが、そうなりますね。チョコレートが美也さんたちが帰ってくる前におかれた以上、そう考えるしかありません」

「刑事さん、あたしじゃありませんことよ。チョコレートのことは、わたしまったく身に覚えがありません」

 亜紀代がじっとしてはおれない様子で言った。

「そう感情的になられずに、おひとりずつ検討してみましょう。まずは亜紀代さん、あなたから始めてみましょうか」

 亜紀代は生唾を呑みこんだ。

「亜紀代さんを犯人とした場合、その計画はかなり複雑なものになります。自分が罪を着せられようとしているのだと思わせるシチュエーションを作ったうえで、榊さんと美也さんを殺害したことになりますからね。その計画だと、偽の呼び出し状を自分宛てに送り、それに従って行動したかのようにみせ、そのじつ榊さんを殺しにいく。そのあと爆弾の電話をして、さもその電話も自分を犯人と印象づけるために、ほんとうの犯人がそれをしたと思わせる。あとは邸に戻り、グラビアとチョコレートを美也さんのデスクの上におき、美也さんが帰ってくるのを待つ。ざっとこういうふうになると思います。計画としては巧妙かつ複雑と言わざるをえません。では、ほんとうに亜紀代さんはそれをしたのか。検討してみましょう。

 まず最初に問わなければならないのは、そういう、自分を犯人にみせるという複雑な犯行をするからには、それなりの利点が亜紀代さんにあったのかということです。僕の見地としては、ないとは言えない程度のものがあったと思います。それは、犯人に仕立て上げられるために、アリバイの証明が難しい場所に呼び出され、それによってアリバイを証明することができなくなったという言い訳を作ることができたということです。そしてじつは、その時間に榊さんを殺害していた。つまり亜紀代さんが犯人だった場合、アリバイがないのが当然と思わせることができるわけです。そのうえで、罪を着せられようとしている無実の者と思わせることもできます。これが、亜紀代さんが、自分を犯人にみせた計画の場合の最大の利点です。では、亜紀代さんはそれを実行したのか。可能性だけでいうと、十分考えられます。しかし、だから実行したとは言い切れない。で、亜紀代さんにお聞きしたいのです。いまの推理を聞いて、あなたは自分が犯人じゃないという証明ができますか」

 亜紀代は、かたくなな表情で答えた。

「わたしは、わたしが犯人でないことを知っています」

「それだけですか」

 砂木がわざとらしく首を傾げてみせると、亜紀代は言いつのった。

「ええ、わたしにはそれで十分です。ほかのことなど必要ありません」

「なるほど。興味深いご意見です」砂木は、鷹揚に首を縦に振った。「つまり、証明はできないというわけですね。もちろん、だからと言って、みなさんおわかりとは思いますが、亜紀代さんが犯人だということにはなりません。いえそれどころか、証明する材料がないことで、はからずも亜紀代さんは犯人でないことを証明しているのです。それといいますのも、こういう、自分を犯人に仕立てあげる犯人というのは、ほんとうに自分が犯人になってしまう危険性があるがゆえに、計画のどこかに、自分が犯人ではないことを証明するような事実をひそませておきます。ま、一種の保険みたいなものです。つまり、犯人だと思わせながら、肝心なところで犯人ではないと主張している箇所があるはずなのです。ところが、いまみなさんがお聞きになったように、亜紀代さんにはそれがないのです。本人に聞いてみても、証明とはいえない、あのような返事です。自分を犯人にみせて、なおかつ犯人でないように思わせようとする犯人がそんな不用心なことをするとは考えられません。一歩間違えればそのまま犯人になってしまうのですから、保険をつけないわけがないのです。だから、亜紀代さんは犯人ではない。

 ――といけば簡単なのですが、ほんとうに自分が犯人ではないという保険はないのでしょうか。亜紀代さんの言葉をわれわれはそのまま信じていいのか。いえいえ、亜紀代さんにも、保険はちゃんとあったのです。犯人じゃないと主張している箇所がです。チョコレートと一緒におかれていた、美也さんの傷つけられたグラビアがそれです。みなさんもご承知の通り、グラビアは偶然おかれたものでなく、故意に、これ見よがしにわざとおかれていました。つまり、知らないうちに犯罪現場に落としてしまったボタンなどでなく、わざと落としたボタンなわけです。しかも実際においたのは、洋服のボタンでなく、自分の手で傷つけたグラビアです。そんなことをする犯人がいるでしょうか。私が犯人ですと署名しているようなものではないですか。グラビアをこんなふうにした者が犯人です。その人物を探してください。大声でそう言っているも同然です。そう、そんなことをする犯人がいるわけがないのです。で、これが保険なわけです。自分が犯人であるようにみせかけ、その一方でグラビアをおくことで、自分が犯人ならそんなことをするはずがない、理屈が通らないとしているわけです。そう、保険はちゃんとあったのです」

「どういうおつもりなんです!」

 堪りかねたように亜紀代が声を上げた。

「刑事さん、はっきり申し上げておきますが、わたし、そんなことをした覚えもないなら、考えたこともありません」

「ええ、その通りです」

砂木はきっぱりと言ってのけた。

「脅かしたみたいでしたら、どうぞお許しください。あまり長引かせるのもなんでしょうから、結論から申し上げましょう。亜紀代さんは犯人ではありません。かなり悩まされましたが、いまは犯人でないと判断しています」

 亜紀代からみなへと視線を移動させて、砂木は言葉を継いだ。

「じつは鑑識から、チョコレートと一緒におかれたグラビアから亜紀代さんの指紋が検出されていないとの報告を受けています。紙などに付着した指紋は消すことが難しいのにです。もしあのグラビアが、亜紀代さんの部屋から盗まれたもので、亜紀代さんが傷つけたものであったなら指紋は残っていないといけません。それがまったく見当たらないということは、チョコと一緒におかれたグラビアは、亜紀代さんが傷つけたグラビアを真似して、犯人が作ったものと考えねばなりません。では、どうして犯人はそういうことをしたのか。それは、僕がいま説明したように、ほんとうの犯人だったらグラビアをおいたりするという、馬鹿な行為をするはずがないということに、犯人が気づいたからです。つまり、自分の指紋が付着したようなグラビアを、犯人である者がおいたりするはずがないということにです。一方では、グラビアをおくことで亜紀代さんに捜査の目を向けさせたい、が、もう一方ではそんなことはするはずがないとわかっている。だから、指紋のない傷つけられたグラビアを作ったわけです。指紋がなくても、いずれグラビアを傷つけていたのは、早智さんの口から亜紀代さんだと判明するでしょうし、チョコと一緒においたのは、誰かが自分に罪を着せようとしているという欺瞞がなされているのだと警察が判断するだろうとしたのです。そしてその行為は、明らかに、第三者が亜紀代さんを犯人に仕立てようとしているものです。もし亜紀代さんが犯人で、グラビアが保険だったのなら、指紋がついているのを使ったほうが、保険として効果的だったはずです。私が犯人なら、指紋を残すはずがありませんと。それなのに、そうはなっていない。つまり、亜紀代さんは犯人ではないのです」

 みなの口からため息が洩れた。一番安堵したのは、亜紀代本人だった。

「やっと安心できましたわ。これでわたしも無罪放免なわけですわね。刑事さんも、人が悪いにもほどがあります。一時は、どうなるかと気が気でありませんでした」

 誰から見てもわかるように、亜紀代は胸を撫でおろしていた。

「どうも失礼しました。お許しのほどを。――では、つぎにめぐみさんはどうでしょう」

 砂木が、優子の右隣のめぐみをさりげなく見やって推理を再開した。

「めぐみさんは、事件当日一郎さんの前に邸にきていましたから、一郎さんがくる前に、二階の美也さんの部屋にチョコレートをおきにいくことができました。また、先にリビングを出ていますので、一郎さんが二階に上がる前におくこともできたはずです。アリバイに関しても、榊さんを殺害するのは可能ですし、四時の爆弾の電話もかけることができました。欠けているものといえば榊さんとのつながりがないことですが、それさえ想定すれば、犯人としての条件は揃っているといえるでしょう」

 めぐみはなにも言わずに、大きな目で、砂木を食い入るように見つめていた。

「しかしめぐみさんには、犯人ではないと思われる決定的な事実があります。というのも、めぐみさんは美也さんにチョコレートを勧められた時に、最初毒の入った赤色のぶんを取りました。それは、とうてい犯人のすることではありません。いや、それこそ怪しいのではないか。裏をかくつもりで、毒が入っているぶんを、知らないふりをして取ろうとしたのではないか。そう考えられる方がおられるかもしれません。しかしよく考えてください。めぐみさんが犯人だとして、そういう行為をするでしょうか。いえ、するはずがないのです。なぜなら、もしそういう行為をして誰も止めなかったら、めぐみさんはいったいどうするつもりだったんでしょう。赤のチョコレートを取って、美也さんが死ぬまで食べないつもりだったのでしょうか。それとも、赤を一度取り、自ら美也さんのラッキーカラーだったと言って、別の色のぶんと交換したのでしょうか。どう考えても、そういうことをすればかえって注目を浴び、疑惑を招くだけです。めぐみさんが犯人だったら、いや、誰が犯人だったにしても、そういう不審な行動を取らざるを得ない立場に、自分をもっていくはずがないのは自明の理です。よってめぐみさんは、赤色のチョコに毒が入っていたことを知らなかったと判断でき、この事件の犯人ではないということになります」

「刑事さん、それじゃあんたは、俺が犯人だとでも言うつもりなのか」一郎がすさまじい形相を見せた。「亜紀代叔母さんでもなく、めぐみでもないとしたら、残るのは俺だけじゃないか」

「消去法でいくとそうなりますね」

「なんだと。はっきり言っとくが、俺はやっていないからな。あんたがなにを言おうと、金輪際俺じゃない。言いがかりもいいとこだ」

「とりあえず、検討してみるのが一番だと思いますよ。では、一郎さんが犯人だったらどうでしょう。一郎さんは、一時半に会員制のジムに入り三時半にそこを出たことになっていますが、非常口などから抜け出せば榊さんを殺害することは可能でした。殺害後にジムに戻り、三時半に受付のほうに姿を見せたあと車を走らせれば、四時の爆弾の電話をかけることもできたはずです。それに、ご自分でも認められているように、偽の遺言状のコピーをおきに美也さんの部屋に入っていますから、その時チョコレートの箱をおくこともできたはずです。しかし、美也さんを殺そうとする者が、偽の遺言状のコピーをおいたりするだろうかという疑問が残ります。もちろん普通に考えたら、そんなことをするはずがありません。殺害するつもりなのに、コピーで驚かせようとするなんて、どう考えても矛盾しています。なにしろ、驚かすつもりの相手が死んでしまうのですから、する意味がなくなります。でも、狡知に長けた犯人ならどうでしょう。さきほど亜紀代さんの際に話した犯行の保険と同じように、犯人だったらそんなことをするわけがないと思わせたいとしたら。

 では、一郎さんの場合そのどちらなのでしょう。そこで考えてもらいたいのが、コピーに残されていた一郎さんの指紋です。亜紀代さんのグラビアとは逆に、コピーからは一郎さんの指紋が検出されています。なぜ一郎さんは指紋を残したのでしょう。偽装した遺言状のコピーをしのばせるのに、子供じゃあるまいし、指紋のことを気にしない人がいるでしょうか。それよりも、コピーをおきにいったことが最初からわかるように、わざと指紋を残したと考えるほうが理にかなっていませんか。では、なんのために。もちろん犯人なら、指紋のついたコピーをおいたりしないと思わせるためです」

「やめろ!」一郎ががなり立てた。「そんなくだらない理屈なんぞ聞きたくない。あんたは、俺を犯人にするつもりなんだ」

「では、おうかがいします。なぜあなたは、指紋を残したりしたのですか」

「それは……前にも言った通り、軽い気持ちでやった悪戯だったんだよ。警察沙汰になるなんて思ってもいなかったんだ。だから指紋のことなんか、気にもとめなかったのさ。ついていようとついてなかろうと、知ったことじゃなかったんだよ」

「そうではなくて、事実はいまの僕の推理通りで、あなたがチョコレートをおいたのではないですか。それに忘れてもらっては困ります。亜紀代さんとめぐみさんは犯人とは考えられないのですよ。消去法で残っているのは、あなたしかいないのです」

「違う! 俺はやっていない! なあ、みんな信じてくれ。俺じゃないんだ」

 一郎は両腕を広げ、みなを見まわした。

「そこまで言われるのなら、あなたの言葉を信じたとしましょう。あなたは、悪戯だったから、警察が関わるとは思っていなかったから、指紋のことを気にしなかったと言われました。また、先日僕が聞いた時も、美也さんの部屋に入った際にも、手袋はしていなかったし、指紋を拭き取るようなこともしてないと言われた。それに間違いないですか」

「そう、その通りだとも。そんなことはなにもしていない」

「それなら、なぜ美也さんの部屋のドアのノブに、あなたの指紋が、その痕跡すら残っていないのですか」

 一郎は、わけのわからぬ顔で砂木を見つめた。

「いいですか、よく考えてください。たんなる順序の問題です。あなたの証言がほんとうだとしたら、犯人がチョコレートをおいたのはあなたが部屋に入る前ということになりますよね。言い換えると、あなたは犯人のあとで部屋に入った。それなのに、犯人が部屋を出る際に、ドアノブを拭ったというのに、ノブには美也さんの指紋しか残っておらず、あなたの指紋がまったくないというのはどういうことなんですか。もう一度言いますよ。犯人が部屋に入ってチョコレートをおく。そして出る際に、指紋を消すためにノブを拭き取る。それからあなたが部屋に入る。ねえ、おかしいでしょう。指紋のことなど気にしていなかったのなら、あなたの指紋が残るはずだ」

 事実を理解した一郎の顔が途方に暮れたようになり、砂木が言った。

「ほんとうはあなたがチョコレートをおいて、いまのような矛盾に気づくことなく、自分以外の犯人が侵入したことを偽装するためにノブの指紋を消し去った。一郎さん、それが真相なのではないですか」

「違う! なにかの間違いだ! どうして指紋がないのかなんて知るもんか。でも、俺はしていないんだ。母さん、僕じゃない。僕じゃないんだよ」

 一郎の呼びかけに、奈津枝は硬く唇を閉ざしたまま中空の一点を凝視していた。

 真向かいではめぐみが、指が白くなるほどに両手を握りしめている。

「一郎さん、そろそろほんとうのことを言ってもらえませんか」

 砂木の口調がやわらかくなった。

「なんのことだ」

「これ以上嘘を突き通して、警察を困らせないで欲しいと言っているのです」

「だから、なんのことだと聞いているじゃないか」

 砂木はため息をついた。

「よろしいでしょう。それではお聞きしますが、あなたが部屋に入った時に、すでにチョコレートの箱とグラビアの入った封筒はおかれていたと言われてましたが、それはどんなふうにおかれていましたか」

「そのことは何度も言っただろう。俺が入った時、チョコレートも封筒もデスクにあったって。並べておいてあったって。見ただけで、指一本触れちゃいない」

「事実は違うのですよ」

 一郎の目が丸くなった。

「いいですか一郎さん。グラビアの入った封筒は、チョコレートの箱の下に隠されるようにしておかれていたのです。箱を持ち上げたら、封筒が出現するようにしてですね。しかもグラビアの一部は、持ち上げた瞬間に目に飛び込んでくるように、封筒から出されて、その上におかれていました。つまり、あなたが言うように並べておかれたりはしていないのです。見ただけでは、封筒があることはわからなかったはずです」

「そうだ。あんたの言う通りだ。そうやっておかれていた。並べてと言ったのは、言い間違えたというか、言葉の綾みたいなもんだ」

「ほう。あなたはチョコレートには指一本も触れてもいないと言われたはずなのに、その下にグラビアと封筒があったのがわかったのですか」

「それも言葉の綾だ!」

 砂木は声を上げて笑った。

「まったく往生際の悪い人だ。じつはいまのは嘘なんです。最初にあなたが言われたように、チョコと封筒は並べておかれていたのですよ」

「なんだって!」

「いえいえ、じつはそれこそ嘘です。やはり封筒はチョコの箱の下にありました。いや、もしかしたらどちらとも違うかもしれなせん。で、改めてお聞きしましょう。あなたが見たというチョコレートの箱と封筒は、どういうふうにおかれていましたか。よく思い出して、お答えください」

「そうか、わかったぞ。あんたは知っているんだな」

 砂木は黙ってうなずいた。

 一郎は両目をぎらつかせ、唇をもごもごさせていたが、あきらめたようにして言った。

「わかったよ。言えばいいんだろう、言えば。そうとも、あんたの考えている通り、俺がいった時には、デスクの上にはチョコレートなんてなかったんだよ」

 みなの視線が一郎に集まった。

「そのことを言ったら自分が犯人にされてしまうと思って、あったなんていう嘘を咄嗟についてしまったのさ。だってそうだろう。俺の身にもなってみろって。叔母さんもめぐみも下にいて、二階にいたのは俺だけなんだぜ。しかも運悪く、階段からおりてくるとこをフミに見られてしまったんでは、言い逃れもできない始末じゃないか」

 砂木が高らかに、ハハハと笑った。

「語るに落ちるとは、まさにこのことです。あなたはいま、自分の口からチョコレートがなかったことを認められましたね。それが、犯人であるのを告白したようなものであることに気づかれずに。いいですか。いまあなたの言われた通り、チョコレートがその時点でなかったとして、ほかの誰がそれをおくことができるというのですか。クラクションが鳴った時に、亜紀代さんはリビングにいて、めぐみさんは庭にいて、二階にいたのはあなたひとりなのですよ。また、この二人にチョコをおくチャンスがあったとしても、あなたが部屋に入る前におくはずで、クラクションが鳴ったあとの、駆け込みセーフのタイミングでおきにいくはずがない。そのうえ、二郎さんと優子さんは、美也さんと一緒に戻ってきたのですよ。あなた以外に、どなたもチョコレートをおくことはできないじゃないですか。あなたが偽装の遺言状のコピーを用意したのには二つの目的がありました。ひとつは最初に説明した、殺害を意図した者がそんなことをするはずがないと思わせるため。明らかな指紋を残したのもそのためです。そしてもうひとつは、万が一美也さんの部屋に入るとこなり出るとこなりを誰かに見られてしまった場合、あとで、コピーをおきにいったのだという弁明ができるようにするためだったのです。偽装の遺言状のコピーは、悪戯でなく、容疑をかわすための二重のお守りだったわけです」

「ちくしょう! はめやがったな!」

 猛然と立ち上がりかけた一郎の両肩を、背後から綿貫が押さえつけた。

 安藤と野田が体勢を整え、浦島もいつでも動くことができるように腰を浮かしていた。

「離せ、この野郎。おまえらみんなグルになって、俺を犯人にするつもりだな」

 一郎は隣に座っている、奈津枝の腕にすがりついた。

「母さん、なにか言ってくれよ。このままだと犯人にされてしまう」

「みっともない! しゃんとしなさい一郎!」

 奈津枝が一喝した。

「あなたが犯人でないのなら、ちゃんと申し開きをすればすむことです」

 毅然とした奈津枝の態度に、一郎はしゅんとなった。誰もなにも言わず、そんな二人の姿を見守っていた。奈津枝の唇が、悔しそうに歪み、ふるふると微動しているのを全員が見た。

「それでは一郎さん、詳しい話は署のほうでおうかがいしましょうか」

 沢口が歩み寄り、その時、呟きともいえる、うち震えた声がめぐみの口から発せられた。

「違う……違う。一郎さんじゃない。一郎さんは、犯人じゃない!」

 みなは驚いたような顔でめぐみを見つめた。

 砂木が言った。

「どうしました、めぐみさん。一郎さんが犯人だというのは、あなたの推理通りじゃないですか」

 一郎の顔色がさっと変わった。

「なんだって! めぐみの推理だと、いったいそれはなんなんだ!」

「みなさんはご存じないと思いますが、最初に、一郎さんが犯人だという推理を僕に聞かせてくれたのはめぐみさんだったのです」

「めぐみ、いったいどういう料簡なんだ。おまえ、俺に恨みでもあるのか」

 一郎がめぐみのほうにせりだそうとするのを、ふたたび綿貫が押さえた。

「めぐみ、それはほんとうのことかい。もしそうだったら、どうしておまえはそんなことをしたんだい?」

 冬和が問いかけ、その横から幸子が、めぐみの名を呼んだ。

 めぐみは顔を上げ、砂木をいまいましそうに見つめた。

「刑事さん、あなたってほんといやな人だわ。背が低くて、意地悪で、サディストで、もう最低! すべてを知っていて、こんなことをしているんでしょう」

「そうです。僕はなにもかも知っています」

 めぐみは不快そうな表情をしたが、まなじりを上げると、自虐的な笑みを口元に浮かべた。

「そうよ。そんなに聞きたいなら言ってあげるわ。チョコレートをおいたのはわたしだわ」

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