33 詰め
翌日砂木は華輪邸にいくと、フミに言って、美也の部屋に通してもらった。
事件当日、美也と一緒にこの部屋に入った時、ドアノブに触れたかを尋ねると、ドアの開け閉めは美也がしたので、ノブには触れていないとの返事だった。ひとりにして欲しいことを頼むと、フミはただちに引き下がった。
砂木は一旦、ドアの外に出た。掌を合わせて鼻の前にもってきてノブを見つめる。ノブは、布などで拭われていて、ついていたのは美也の指紋だけだった。頭の中で事実を確認しながら、砂木は部屋に入った。部屋を見まわす。左側の壁に沿って、化粧台とデスクが並べられている。ベッドが右側の角に寄せてあり、手前の壁には大きなクローゼットが二つおかれている。中央に小さなテーブルと椅子が二脚。窓は正面と右側に二つあった。
砂木はまず化粧台に近寄った。デスクよりドアに近い位置だ。一郎になったつもりで、引き出しを開ける。デスクの上は片づけられていて、そこから首を少し向けただけで、机上の全体が目に入る。それを確認し、つぎに正面の窓に歩み、外を見やる。車道が見渡せ、二郎の車が入ってくるのはすぐわかったはずだ。偽の遺言状のコピーを忍ばせ、部屋を出るには一分とかからない。
砂木は窓際で振り返って、部屋の全体を見まわした。ベッドの下を覗き込み、クローゼットを開く。洋服と靴がぎっしりと詰まっている。彼女がこの部屋に入った痕跡は、やはりどこにも残っていない。すでに鑑識の調べがすんでいるのだから、当然のことではあった。それだけ見て、砂木は部屋の外に出た。通路を進み、階段の上に立つ。事件当日には、階段の下にフミがいたはずだ。それで一郎は裏の階段のほうへ向かった。砂木も同じように行動した。裏の階段の近くまで通路をいって足を止める。一郎の供述では、裏の階段のほうから足音がしたので、慌てて引き返したことになっている。その場に突っ立ったまま、砂木は眉根を寄せて脳裏に一連の映像を描いた。
自分なりに得心すると踵を返し、優子の部屋の前にいって砂木はドアをノックした。優子は在室していて、カーペットの上で困惑した顔をしていた。
「華輪コーポレーションの、書類や資料に目を通しているところです。美也さんが亡くなってわたしが役職を引き継ぐなんて。――刑事さん信じられます」
優子はガラステーブルの上に積まれたファイルや書類を右手で示した。
「女子大生重役。優子さんには似合っているかもしれません」
優子は目で微笑んだ。
「経営学部を選んでいて正解でした。それで今日はどんなご用ですの。ウサギとカメの問題は、もう解決されましたか」
「そう言われると面目ないです。あの時は失礼しました」
「気にしていません。刑事さんもお仕事でしょうし、それにわたしも、早く事件が解決するのを望んでいますから」
砂木はにこりと笑って言った。
「それではお聞きしますが、事件当日のことを、もう一度逐一話していただけませんか。ご面倒でしょうけど、優子さんの覚えられていることをすべて知りたいのです」
優子はため息をついて砂木を見やった。砂木が黙ったままなので、あきらめたように口を開く。
「どこから始めたらいいのでしょうか」
「二郎さんが、車で迎えにきたところからお願いできますか」
優子がゆっくりと話しだし、砂木は目を半ば閉じたようにして耳をそばだてた。
土曜日の十一時前に二郎がきたことから始め、会話や、美也の服装や荷物まで、砂木は知りたがった。それはうるさいほどであった。浦島の家に寄って美也を降ろし、昼食を摂ってからミュージカルの会場に入り、観劇し、帰りにまた浦島の家にいったと続き、お土産を買うのに洋菓子屋に寄り、美也が玄関にでてき、浦島が美也のカバンに書類をつめていたこと、その時に四時の爆弾の電話の話を聞いたこと、そして邸に戻ってきた時、猫が車道を塞いでいたことへと話は続いた。
「猫のせいで、どれぐらいの時間もたついたか覚えられていますか」
「けっこう長かった記憶があります。クラクションも三度鳴らしましたし、やっと起き上がったと思っても、二郎さんが車から降りかけるまで動こうとしませんでしたから」
「数分とみていいと思いますか」
「ええ。五分かかったかどうかぐらいじゃないかと思います」
そのあと優子は、邸に戻ってから美也が亡くなるまでを話した。
「こんな感じでよかったのでしょうか」
「たいへんにけっこうです。すごく参考になりました。で、よかったらもう一度同じ話を聞かせてもらえませんか。なに、たんなる確認のためです」
さすがに、優子の目の色が険しくなった。
華輪邸を出たあと砂木は、シマナ株式会社に出向いて一郎に面会を申し込んだ。
「なんです。仕事中ですから、手短にお願いしますよ」
最初から一郎は、ぶっきらぼうな態度だった。
「すぐに終わりますので安心してください。いくつか尋ねるだけです。まずは、あのコピーのことですが」
「そのことはもう勘弁してくれよ。前にも話した通り、悪戯のつもりだったんですよ。それ以外に他意はないと、何度も言ったはずだ」
「そういうことではなく。お聞きしたいのは、偽の遺言状のコピーを美也さんの部屋に持っていった時、手袋をしていなかったかどうかを確認したいのです」
「手袋なんてしていないに決まっているだろう。悪戯のつもりだったんだから、そんなものするはずがない。指紋を気にもせず、ほうっておくぐらいなんですよ。悪戯なのは、それだけでもわかりそうなもんでしょう」
「それなら、指紋を拭き取るようなことも当然されていませんよね」
「なんのことです。ええ、していません。犯罪者でもあるまいし、指紋を消す必要はありませんからね」
「事件当日、まずリビングにめぐみさんといて、めぐみさんが庭に出てから、あなたは行動を開始したわけですが、実際のところ、めぐみさんがいなくなって何分ほど経ってからだったか覚えていませんか」
「五分は経ってたと思うな。余裕を持って少し様子を見たのさ。めぐみがすぐに戻ってきそうにないのがわかってから、まず伯父の書斎に、印鑑とノートを戻した。それから、また庭のほうの様子を見て、大丈夫だと思ってから二階に上がったんだよ」
「その時、すでにチョコレートはデスクの上にあったんですね」
「もう何度も言っただろう。デスクの上に、チョコレートの箱と、あのグラビアの入った封筒が並べておいてあったのを見たって」
「そのあと、クラクションの音がし、窓から二郎さんの車が入ってきているのを見てから、あなたは下におりようとしたが、フミさんが階段下にいたのでためらったんですよね。それは時間にしてどれぐらいでしょう」
「そんなもん、わかるわけないだろう。フミがいることで混乱してしまって、裏にも階段があることを忘れていたほどだったんだ。どうしたらいいんだと焦っているうちに、ふっと思い出してそっちに向かったから、一分強ぐらいかな。そしてそっちにいったら、今度は裏の階段から足音が聞こえてくるじゃないか、すぐさま引き返したね。見られちゃまずいって感じの、咄嗟の行動みたいなもんさ。で、もとの場所に戻ると、やはりフミがいるんで、あきらめてそのまま階段をおりたんだよ」
「裏の階段から、誰かの足音が聞こえたのは間違いないですね。ほかの音ということはありえませんね」
「ああ、ああ、間違いない。あれは足音だった。階段からだった」
「最後にもうひとつだけ、美也さんが亡くなられてからめぐみさんと、事件のことについて話したことはありますか。それとめぐみさんとあなたの仲は良好ですか」
「なにを知りたいんだ。あの女がリビングで死んでから、めぐみとは、今日に至るまで一度も口をきいていない。めぐみとの仲というのは、どういうことです」
「めぐみさんに恨まれたり、憎まれたりしているおぼえはありませんか」
「あるわけないでしょう。めぐみがどう思っているかは知りませんけどね」
「わかりました。これだけ聞ければ十分です」
砂木はそう言って立ち上がると、訝しげな一郎を残して、応接室から出ていった。




