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32 クラブ エルミカ

 続く二日間を砂木は精力的にこなした。

 美也と榊が、福岡に出てきて同居していた最初のアパートから始めて、その後の美也の足取りをたどる調査であった。砂木の考えでは、そのどこかに接点があるはずだった。二日目に訪ねた、美也の三度目の職場である『エルミカ』というクラブで成果を得ることができた。

「美也は、七年前に入って四年ほどで辞めていったわね。綺麗だし、スタイルもよかったから客の評判はよかったわよ。人間的にも問題なかったんだけど、ただあの子望みが高かったから、そんじょそこらの金持ちぐらいでは満足できなかったみたい。だから、美也を雑誌のグラビアで見た時は、とうとうあの子もいいパトロンをつかまえたんだわって喜んでいたのよ。でも殺されたりしちゃ意味ないわね」

 太めの、年増のママはそう言うと、タバコを灰皿に押しつけた。吸い口が赤く染まっている。

「その当時のことで覚えられていることはありませんか」

「そりゃ、いろいろ覚えていますよ。でも、きっと事件に関係のないことばかりよ。だって、美也が辞めたのは三年も前のことでしょう」

「当時美也さんと、特に親しくしていた人とかは」

「そうね。親しくしていたのは和美とかミドリとかだったけど、みんな辞めちゃったし。一年ほどバイトでいた娘もよく可愛がっていたけど、あの娘もいまどうしているかいまは知らないし。ちょっと待ってて、そのころの写真があるかもしれないから見てくるわ」

 そう言ってママはソファから立ち上がり、奥の小部屋からクッキーの缶を持ってきた。

「ちゃんと整理すればいいんでしょうけど、なかなかね」

 蓋を取って、なかの写真を選り分けていく。

「あっ、あったわ。これが当時の美也。もうひとり写っている女の子が、いま言ったバイトの娘。昼間は会社勤めで、夜はうちでバイトというわけ。週のうちの何日かだったけど」

 サービスサイズの写真だった。ひとりの男を中心に、左側に美也、右側にそのバイトの娘という構図である。クリスマス時期なのだろうか、三人は派手な色の三角帽子を被り、美也は手にしたクラッカーを鳴らそうとするポーズをしている。

「この右側の女性と美也さんは親しかったんですね」

「そう、妹みたいに可愛がっていたわ。名前は確か、店での名がユウだったから……」

「優子じゃないですか」

「やだ刑事さん、ご存じじゃないですか。そういえばあの子、俳優の優ですって言っていたわね」

 砂木は、もう一度写真の中の優子の姿に目を向けた。

「この優子さんのことで知っていることを教えてもらえませんか」

「刑事さんったら名前しか知らないの――。店にいたのは一年ほどよ。見るからに清純そうな感じでしょう。人気はあったわ。わたしもこの子好きだったし、あんがいうまくいってたのよ。それが、入院しているお母さんが急に亡くなっちゃって。それを機にやめちゃったの。うちにバイトにきていたのも、お母さんの入院費のためだったし。お葬式にいこうと思っていたんだけど、会社のほうに内緒でバイトしていたから、ばれちゃいけないだろうと遠慮させてもらったわ。美也はいったみたいよ。そんなふうで辞めたもんだから、気になっていたんだけど、それっきり。美也がそのあともいくらか面倒みていたみたい。でも、ある日美也に彼女のことを聞いたら、なにがあったのか知らないけど、とても怖い顔して、ユウのことは忘れましょうって言ったことがあったわ」

「ほかにはなにか」

「そうね、これといってないわね」

「それではつぎに、この真ん中に写っている男性のことを教えてください」

 砂木は写真の男を指でさした。それは砂木の見知った人物だった。

「お客さんのひとりよ。名前は思い出せないわね。少し変わった感じの人だったわ。金持ちなのか貧乏人なのかわかんなくて。うちにくるくらいだからそれなりの人だったんでしょうけど、自分のことを話すのを嫌がっていたのよ。いまここにいる俺だけで十分なんて言ってね。服装がみすぼらしいというのか、英国製の上物なんだけど、どれもこれも古着屋で誂えたものみたいだったわ。そのくせ金まわりはよくて、いつも現金払いで、ツケなんて一度もなかった。だからみんなして怪しいって噂していたわね。闇ブローカーかなんかじゃないかって。話が面白くて、一緒にいて楽しいし、魅力のある人だったんだけど、あぶなげな匂いもしていたというわけ。一番懇意にしていたのは、そこに写っているユウだったわ。ユウの前だと、その人も別人みたいにおとなしかったっけ。ユウにはそういう不思議なところがあってね。酔っ払ったお客さんなんかも、ユウが前に出ると、借りてきた猫みたいになっちゃうの。おかしな話よね」

「ユウさんが辞めたのはいつごろのことですか」

「五年か六年前になるわ」ママはちょっと考えるようにした。「そういえば、そのお客さんもそのころからきていないわね。そうだ、いま思い出した。そのお客さん、確か季節みたいな名前だったわよ。ええと……フユ、そうみんなフユさんって呼んでいたわ。ほんとうの名前かどうかわからないけど」

「ハルでなく、フユさんですね」

 砂木が言い、ママはうなずいた。

「最後に聞いてみたいんですけど、『エルミカ』という店名はどこからつけられたんです」

「ミカエルよ。大天使のミカエル。刑事さんも名前ぐらい聞いたことがあるでしょう。私の名が美香子というのもあって、それでそうしたの。ただそのままだと、神様に失礼と思って言葉を入れ替えたの、エルミカってね」

 ママは右手の人差し指を立てると、天井を二度指した。

 砂木が顔を上げると、驚いたことに、天井には中世絵画の世界が広がっていた。宗教画を模写したものと思われるが、大天使ミカエルを中心に、天使たちが、竜や、神に背いた天使たちと争っている雄大な情景が描かれていた。

 胸を突かれたような思いがした。いきなり敬虔なものにぶつかったような感銘があった。

 天井が派手なのには気づいていたが、まさか天井画になっているとは思いもしていなかった。砂木は魅入られたように、天井を見つめた。絵がぐいぐいと迫り、いまにも落ちてきそうだ。堕天使という言葉が浮かんだ。画の中で、悪しき天使たちは、良き天使たちに駆逐されている。悲愴な表情を浮かべ、苦悶の声を上げては、踏みにじられ、あるいは地に落ちていっている。

「すごいですね」

 息をひとつ吐いてから、ようやく砂木は言った。

「みなさん驚いてくれるわ。うちの自慢。お金もたっぷりかかっているしね」

 ママは誇らしげに、顔全部で笑んだ。

 写真を預からせてもらいたい旨を告げると、あげると答え、今度はお客としてきてくださいねと、ママは砂木を送り出した。

 エレベーターで降り、ビルの前で砂木はタバコに火をつけた。深く吸い、顎を上げると、ゆっくりと煙を吐き出す。紫煙を背後に流しながら、砂木は歩きだした。

 事件の終盤が近づきつつあった。

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