28 水月由美
美也の葬儀がおこなわれた火曜日の夜、砂木は水月由美を訪ねた。
五階建てのワンルームマンションの三階の一部屋だった。由美はパチンコ店に勤務しており、三階がそこの女子社員寮になっていた。
ドアの上の壁面のネームプレートに、サインペンで水月由美と書かれた紙片が挟まれている。美麗な字で、それが砂木の目にとまった。
電話連絡をしておいたので、由美は在宅していた。昨日と今日休みを取ったことを気さくに話しながら、彼女は砂木を部屋に通した。佐賀からさっき帰ってきたばかりだとつけ加えた。
「欣ちゃんのお兄さんと、昨日遺体を引き取りにいって、そのまま佐賀の家で葬式を終えて帰ってきたばかり、それぐらいはわたしもしてあげないとね」
座布団をすすめ、砂木にお茶と菓子を出しながら由美が言った。菓子は、佐賀名物の村岡屋の佐賀錦だった。
ベッドとテーブルで占められた狭い部屋である。調度品はディスカウントショップで販売されている代物だったが、整頓されていて全体的に落ち着いた感じを与えた。
「刑事さんはなにが聞きたいの。知っていることは、ほかの刑事さんに全部しゃべっちゃったけど」
黒目がちのくりくりした目を、由美が砂木に向けた。レザーカットで毛先を四方に散らした、わざと無造作っぽいショートヘアーが、幼い顔を引きしめている。年は、めぐみと同じ二十歳のはずだった。
「同じことの繰り返しになるかもしれませんが、捜査のためですのでよろしくお願いします」
そう断って砂木は由美に質問していった。しかし、砂木が博多署で聞かされた以上のことを由美はなにも知らないようだった。
事件当日榊のコーポにいったのは、夜は留守にすると聞いていたが、洗濯ものがたまっているのではないかと、仕事の帰りに見にいったのであった。合鍵は持っていたし、コーポは由美のマンションからすぐだった。そして部屋に入り、電灯をつけてから榊の遺体に気づいた。
華輪家のことについてはほとんど榊から聞かされておらず、榊と知り合ったのは一年ほど前で、それ以前のことはわからないと首を横に振った。
「美也さんという人とむかしつき合いがあって、その時俺が世話をしてやったから、今度はこっちが少しばかりよくしてもらうだけさとか。ようやく俺にも運が向いてきたとか。そんなことばっかり言っていたわ。そして、こんなボロ家住まいとはおさらばして、二人で本物のマンションに住もうって。それぐらいわけないことさ。それにあたしに、いまの仕事辞めろって。俺がなに不自由しない暮らしをさせてやるからって。ほんと夢みたいな話ばかり。あたし、そんな生活はいやだって言ったけど、聞く耳なんてなかった」
「心配されていたんですね?」
「うん、少し。あぶないことしてなけりゃいいなあって思ってた。でも欣ちゃん、初めて会った時からそんな話ばっかりする人だったし、格好つけたがりで、臆病だということも知っていたから、あんまり本気にしていなかったのもほんと」
「昨年の十二月に、榊さんは美也さんの主催する、エレガントビーナスのパーティに主席されているはずですけど、その夜とかに変わったことなどはありませんでしたか。いつもと違うみたいな」
「ああ、あの日ね。欣ちゃんの家のほうで待っていたんだけど、パーティから帰ってきて、えらく機嫌よくて可笑しかったわ。世の中なにがおこるかわかんないもんだ。縁ってやつは不思議もいいとこだ、しかも重なるとはとか言って、あたしがなんのことか聞いてもそれ以上は話さなかったわ。子供みたいに童謡をずっと口ずさんだり、思いだし笑いをしては、ひとりでニヤニヤしていた」
「童謡ですか――誰かと出会ったみたいな話はでませんでしたか」
「そういう具体的なことはなんにも。欣ちゃんがこんなことになると知っていたら、あたしも、そりゃ聞いていたんだけど。そんなこと思いもしないじゃない……」
由美は言葉を詰まらせた。そして顔を上げて砂木に言った。
「その華輪とかいう人たちの誰かが欣ちゃんを殺したの? 美也さんって人も、同じ日に殺されたんでしょう。テレビで言ってたもの」
「申し訳ありません。捜査中としかお答えできません」
砂木が言い、由美は自分のぶんの湯呑に視線を落とした。
「欣ちゃんって、よい人ってわけじゃなかったわ。でも、そんなに悪い人でもなかったのよ。第一、ワルになり切れるほど強くなかった。夢みたいな話ばかりして、そういう時のあの人ってほんと嬉しそうで、あたしそんな欣ちゃんと一緒にいるのが楽しかった。本物のミンクのコートを買ってやるとか、リムジンを二人で乗りまわそうとか、地中海でバカンスしようぜとか。地中海がどこにあるのかも知らないくせに、そんな歯の浮いたような話をしてあたしを喜ばせてくれたわ。もちろん、そんなの一度として真に受けたことなんてないわよ。でも、そんなことを言ってくれる人がそばにいてくれるのは楽しかったわ。ありえないとわかっていても、気持ちだけでもそうなれるじゃない。貧乏人は、そうやって夢見るしかないもん。欣ちゃんが殺されたりしたのは、あの人もそれなりのことをやったんだろうから仕方ないのかもしれないけど、だからって、みんなが欣ちゃんの悪口を言うのはいや。――欣ちゃんをあんな目に遭わせた犯人を、一刻も早く捕まえて欲しい」
「榊さんのことが好きだったんですね」
「うん。馬鹿みたいって思うでしょうけど、欣ちゃんと将来なんか店を持てたらいいななんて想像してた。刑事さん、これでもあたし少しずつだけど貯金してんだ」
由美のもとを立ち去りがけに、砂木が言った。
「表のネームプレートの字は、由美さんが書いたものですか」
「あたし字だけは、綺麗だって誉められるの」
由美は恥ずかしそうにした。
本部に戻ると、捜査員たちに混じって強矢刑事官がいた。
強矢は渋い顔つきで、砂木を手招きした。
「おまえのほうの調べは進んでいるのか」
「一進一退です。疑えば切りがないし、仮説ならいくらでも作れます。これといった決め手が見つからないんです。それで行き詰っています」
強矢がいくらか思案して言った。
「ほんとうのところ、誰が犯人だと思っている」
「華輪春仁というのはどうです」
顎を突き出して強矢が怒鳴った。
「馬鹿も休み休み言え!」




