26 捜査会議 報告
月曜と火曜の二日間は、事件に大きな進展はなく、捜査会議において進捗状況と今後の捜査方針が検討されるにとどまっていた。
司法解剖の結果は、華輪美也の死因も死亡推定時刻も、現在判明していることを裏付けただけにすぎず、使用された薬物は青酸ナトリウムで、榊に用いられたものと同じものだった。
チョコレートは、大型スーパーの各店舗でバレンタインの催しの輸入チョコとして、一月の初めから二月十四日のバレンタイン当日まで大量に販売された商品で、そこから犯人を割り出すのは困難であった。ベルギー製で、赤・青・緑・黄・金・銀の銀紙に包まれた一口サイズのチョコが、それぞれ三個ずつ入り、青酸ナトリウムが仕込まれていたのは、推測通り赤色の三個だけで、ほかのものには混入されていなかった。方法としては、表面に塗るのでなく、チョコの下部に穴を開け、そこに青酸ナトリウムを入れたあと、溶かしたチョコでそれを塞ぐという方法が取られていた。青酸ナトリウムが空気中に放置されると、炭酸ナトリウムに変化するのを知ってのことだと思われた。
包装紙、リボン、『毒入り』と書かれたカードも、どこにでも手に入るような品物で、有力な手がかりにならないのはチョコレートと同様であった。
エレガントビーナス宛ての美也に対する嫌がらせの手紙は八通あり、亜紀代に送られた呼び出しの手紙と同じ封筒と用紙が使われていたことから、同一人の仕業である公算が高まっていた。
浦島宅に四時ごろかかってきた爆弾の電話は、榊のコーポから徒歩で十分ほどの公衆電話からであることが突き止められ、榊を殺害した犯人が、現場を出たあとにその公衆電話からかけたものと思われた。
庭の捜索において、石垣の上のフェンスは鉄条網になっていて、切断でもしないかぎり外からの侵入は不可能で、どこにもそういった痕跡がないことがわかった。よって、外部からの侵入者の可能性はなかったと判断された。
最も重要視されていた、青酸ナトリウムの入手先の割り出しは、多数の捜査員によっていまも続行中ではあるが、いまのところ行き詰っているのが実状だった。
チョコレートと一緒におかれていた美也のグラビアに、亜紀代の指紋が付着していなかったことを砂木は確認した。鑑識の調べに間違いはなく、グラビアから亜紀代の指紋は検出されていなかった。紙についた指紋は消すのがむずかしく、そこから、チョコと一緒におかれたグラビアは亜紀代のところから直接盗まれたものでなく、誰かが手袋をして、亜紀代の真似をして作成したものと考えられた。
華輪の者たちに関する、捜査員たちからの報告があった。
まず、チョコレートがおかれたと推測される、午後四時半から五時四十分までと、榊の死亡推定時刻の午後二時から四時までの二つの時間を中心にした、アリバイに関する調査結果があった。
島名二郎と華輪優子。
「二人については、ほぼアリバイの確認が取れました。十二時半前後から一時半までは、ファミリーレストランの従業員の証言があり、そのあとの観劇のほうも、会場の係員から、その日の指定席の全席に空席がなかった確認が取れています。また二郎と優子の席の後方の席が電話による予約指定になっていて、その人物に話を聞くことができました。それによると、三時三十分から四十分までの十分間の休憩時間を除けば、開演の二時から終わりの四時四十分までの間で席を立った者はひとりもいないとのことでした。二人の席と思われる場所に、男女のペアがいた記憶もあるそうです。ただ、うしろの席ということもあり顔まではわからないということです。中央区の会場から榊のコーポまでは、休憩の十分間での移動はとうてい無理で、替え玉でも使わない限り、二郎と優子のアリバイは証明されたと思って間違いありません」
華輪亜紀代。
「タクシーを呼び、一時十分に邸を出て博多駅に一時四十五分前後に着いているのは、運転手から裏付けを取ることができました。ただ、その後になると、中央改札口前に二時半ごろまでいたことになっていますが、そちらのほうは確認できておりません。同じく、四時ごろまで、中央改札口前と駅ビル近辺を行き来したということも、確認することができませんでした。つまり、一時四十分から四時までの亜紀代の行動は不明で、四時半ごろに邸に戻ったことを、フミと川口親子から確認することができただけです」
華輪めぐみ。
「華輪めぐみのアリバイですが、午後一時半から二時半まで歯科医院にいたことは確認が取れ、その後については、二時五十分に天神の有料駐車場に車を預け、車を出したのが四時四十分であることが、駐車場の記録と管理人からわかりました。その間の行動については、街をぶらついたという本人の証言があるのみで、確認を得ることはできませんでした。車を預けたあと、タクシーを使って榊のコーポにいき殺害するのは、榊の死亡時刻が四時までですので、めぐみには一時間ほどの空白があり、可能ではあります」
島名一郎。
「供述にあった通り、会員制のスポーツジムに午後一時半に入り、そこを三時半に出ていることは、ジムの記録のほうに残っていました。受付の係員のほうも、一郎のことを覚えていました。ただしジムにいた間の証人は見つからず、非常口などを使えばジムから抜けだせた可能性があります。ですから、はっきりしたアリバイは取れていません。ジムを出た三時半以後についても、一郎は賃貸マンションでひとり住まいをしていますから、確認することはできませんでした」
浦島隆三。
「浦島に関しては、被害者と一緒だったということですので、アリバイの確認は取れないのが実状です。三時ごろにピザの配達があり、その配達員によりますと、玄関に出てきたのは浦島本人だったそうです。出て来るのにえらく時間がかかるなと思っていたら、左足を捻挫していて、これまでも何度か配達したことがあって顔見知りだったもので、どうしたんですかと二言三言会話を交わしたということでした。捻挫に関しては、受診した整形外科に尋ねましたが、間違いなく捻挫で、少なくとも一週間は歩行は困難な症状だということです」
島名奈津枝。
「午後二時から三時半までマッサージ店にいたことの確認は取れました。店の者の話ですと、二日前に予約があったそうです。店の場所が春日原駅近辺ですので、そこから博多の榊のコーポまではタクシーで移動したとしても二十分はかかります。榊の死亡時間が四時までですので、十分ほどの時間ができますが、毒殺を実行したにしては短いかもしれないという印象がします。それに二十分というのは移動時間だけで、タクシーを拾う時間や、乗り降りに要する時間を加えてないものであることを述べておきます。マッサージ店を出てからのことは確認が取れませんでした」
華輪冬和と幸子。
「冬和ですが、ギャラリーを二時半に出てから六時に戻ってきた以外はわかっていません。供述によると美術館にいったことになっていますが、それを裏付けるものを入手できませんでした。妻の幸子に関しては、二時から四時まで美容院にいたことを確認することができています。七時から十時までの、ロシアレストランとホテルのラウンジは、それぞれの従業員たちから、間違いがなくその時間に二人がいたことを聞いています」
以上がアリバイについての現時点での報告で、大杉フミと川口親子に関しては、邸にいましたという証言以外になにもなく、互いにそれを証人として認め合っていた。
つぎに動機についての言及があった。
〇「シマナ株式会社は現在経営面での問題はありませんが、商品開発の長期計画があり、それを実行するためには多額の資金を必要としていることがわかりました。投資や資金援助はしてもらわなくても、被害者の華輪美也が保証人になれば、銀行からの融資も可能なのですが、一郎から相談はあったものの、被害者はその返事を保留していた状態でした。娘の優子のほうも、お金のことは美也に任せているとの返事だったみたいです。ですから、被害者がいなくなり、優子が全財産を継げばという考えがあってもおかしくはないと思えます。また個人的感情として、奈津枝と被害者の仲がよくなかったということも、動機の面から考慮すべきです」
〇「華輪冬和は、昨年の十一月に、建築会社を経営していた丘田民夫の自殺によって、連帯保証人の責任を取らされる羽目になっています。金額はかなりのもので、冬和は金銭的に追いつめられているといっていい状況です。被害者のもとに何度か相談にいっていますが、いまのところよい返事をもらってはいません。シマナと同じで、保証人になってくれさえすれば、銀行から融資を受けることができると思われます。が、このままでは、ギャラリーもマンションも手放さざるをえないのは明らかで、被害者が死んで遺産が華輪優子にいくことを、シマナと同じように望んでいただろうということは、十分ありえます」
〇亜紀代に関しては、砂木に話した通りの詐欺にあった事実が確かめられた。
被害者の華輪美也についての報告があった。
「華輪美也、旧姓芦谷美也。本籍地は佐賀で出身もそうです。十九歳の時に結婚して、二十二歳で離婚。それを機に福岡に出てきています。その際に榊も一緒だったらしく、二人は一年ほど同居生活をしています。その後二人は別れ、美也はクラブなどの水商売をいくつか変わって暮らしていたみたいです。そのころの同僚の話では、独立心が旺盛で、金持ちのいいパトロンを見つけて、自分の店を持つのが夢だとよく語っていたそうです。そういう相手を探すつもりなのか、パーティでのコンパニオンもしていたみたいです。最後の勤め先は『蘭花』という中洲の高級クラブで、そこを昨年の四月に辞めています。榊が美也を初めて訪ねてきたのは、わかっている範囲では、昨年の十一月に職場のほうに電話があったのを、女子社員から聞き出すことができました」
佐賀に出張した博多署の捜査員たちの報告は、榊のことを含めた内容のものであった。
「榊欣治は農家の次男として生まれ、商業高校を卒業後、定職に就かずアルバイトなどをしていました。札付きのワルというわけではありませんが、素行はよくなく、いろいろと問題を起こしては、家族から困った奴と見なされていたみたいです。美也の最初の夫の村田竜吾とは麻雀仲間で、竜吾の自宅で卓を囲んでいるうちに、同じ高校の一年先輩ということもあって、榊は美也ともよく話すようになったようです。同じ高校といっても、それまでに交際があったわけでなく、美也があれだけの美人でしたので、榊のほうが顔を知っていた程度です。美也は、結婚する前までは母親と弟との三人暮らしで、母親がおでん屋を経営していて、高校を卒業後、美也は店のほうで働いていました。竜吾と知り合ったのはそのおでん屋で、店の客だった竜吾が、おでん屋の看板娘を見初めたというわけです。
竜吾は農業に従事しており、家はむかしからの富農です。最初のうち結婚生活はうまくいっていましたが、近所の住人からの聞き込みによると、竜吾が威圧的で暴力を振るうことが多くなってきたみたいです。嫉妬深い性分で、すぐに、色目を使ったといっては手を上げていたとのことを耳にしました。服装なんかにもうるさく、肌を出すなと、夏でも冬のような服装をさせていたらしいです。子供もいませんでしたし、もともと美也は上昇志向の強い性格でしたので、若さに任せて結婚したことを後悔し、竜吾のことがいやになって、榊と一緒に夜逃げしたと思われます。榊も、いつまでも地元でくすぶっているつもりはないと吹聴していましたので、美也の件はちょうどいいきっかけになったのかもしれません。
村田竜吾を訪ねてきましたが、美也や榊のことは、いまどうしているか知らないなら、名前を聞くのもいやだという態度でした。話すことはなにもないから帰れと一方的で、竜吾によると、多情な、どうしようもない女だったので、自分のほうから叩きだしてやったんだとのことです」
以上のことなどが捜査会議で報告され、主任の沢口が、犯行方法からの推察により、亜紀代、一郎、めぐみのいずれかの犯行であるのが有力だとの見解を示した。また、今後の捜査として、その三人を重視しながらいままでの捜査を続行すること、及び、榊と容疑者たちの接点を見いだすことが重要だと指示した。




