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25 川口家 早智

 砂木の推理は、その場にちょっとしたショックを与えた。単純すぎて、かえって戸惑ってしまうところがあったのだ。

「まいりましたな。――現場に居合わせたり、赤を取ろうとしたら止めていたりしたんでは、かなりのリスクを犯人も覚悟しなくてはいけませんが、実際におこったケースの範疇で考えるかぎり、他の者を巻き込まずに被害者を殺害するには、確かに警部補の言われる方法しかないと思いますね」しばらく沈思して、綿貫が言った。

「そうなんです。特に、赤を取ろうとした際に止めたりしていたのでは、犯人だとわかってしまうのではないかというリスクがあるんです。しかし、赤が被害者のラッキーカラーだということはみなが知っており、それを言ったからといって、不自然ではないのも事実です。そのへんも考慮したうえで、犯人はそういったリスクをおかしても、大丈夫だという自信があったような気がします」

「その推理が正しいとすると、居合わせたのは、一郎に二郎、めぐみに優子に亜紀代の五人。その中の誰かが犯人ということになる」

 沢口が言い、綿貫が補足する。

「チョコがおかれたのが、一郎の証言で、被害者たちの帰ってくる前だということがわかっていますから、二郎と優子は除外できます。となると、残りは、一郎とめぐみと亜紀代の三人です」

「容疑者が絞り込めてきた。早期解決も期待できそうだな」

 沢口が目を輝かせた。

「しかし少し簡単すぎる気もしますね。そうやすやすと、容疑が限定される方法を犯人が取るかな」

 砂木が呟いた。

「自分で推理しておきながら、なにを言っているんだ。それとも、簡単になりすぎるから、いまの推理は間違いでしたとでも言うつもりか」

「そんなことはないですよ。推理に間違いはないと思うんです。ただ、簡単すぎる気もするんです」

「そうやって犯罪者はどこかでつまずくものさ。それに容疑者が限定されたといっても、三人のうちの誰かはまだわかっていないのだからな。これからが難航するのかもしれない。そうならないことを願ってはいるがね」

「そうかもしれませんね。そこになにかあるのかもしれない」

 砂木がひとりでごちょごちょ言った。

「そういえば警部補。いま思い出したんですけど、グラビアの件で女中の川口早智がなにか知っているような素振りを昨日見せていましたよね」

 綿貫が言うと、砂木はびっくりしたように椅子から立ち上った。

「そうだ! そうでしたよね! そのことを忘れていました。なんてことだ。そんな重大なことを失念していただなんて。あの娘は、いったいなにを知っているんでしょう。女中というのは、邸内のことについて意外なほど知っていることがあります。どこかであのグラビアを見たことがあったとして、そのことをもし犯人が気づいたら――そうですよ、それこそ大変なことになりませんか」

 三人の間に緊張がみなぎった。

 最初に行動をおこしたのは綿貫だった。川口の連絡先を調べ、電話をする。

「家にはいません。母親の話だと、昼すぎから出かけてそのままだそうです。たぶん友だちと遊びにいっているんで、もうすぐ帰ってくると思うということです。帰ってきたら、こちらにすぐ電話するよう頼んでいます」

「――そう気に病むこともないだろう」

 顔を曇らせながらも、沢口が言った。

「じっと待っていても、どう仕様もないですね。どうです、綿貫さんいまから川口の家にいってみませんか」

 言っているそばから砂木は動きだし、綿貫がそれを追いかけた。


          *          *


 華輪邸から、歩いて十分ほどの場所に川口の家はあった。一戸建ての二階家で、まわりには同じような住宅が並んでいる。

 車を家の前にとめて、砂木と綿貫はチャイムを鳴らした。時刻にして十時四十分。住宅地は静まり返り、それがいっそう二人の不安をつのらせた。

 しかしそんな二人の心配を一掃するかのように、玄関の引き戸を開いたのは早智本人だった。

「いったいどうしたんです」

 刑事たちの驚いたような顔に、早智は目を丸くした。

「すみませんね。すぐ電話したんですよ。でも、もう出られたあとだったみたいで」

 奥から母親の妙子がにこやかに出てきた。

「いや、よかった。お嬢さんになにもなくて。じつは早智さん、あなたに至急尋ねたいことができてですね」

 綿貫がほっとした様子で言った。

「なんのことです」

「美也さんのグラビアの件です。あなたはそのことで、なにかを知っているのではないのですか」

 砂木の言葉に、早智の表情がハッとしたものに変わった。

「よかったら早智、あがってもらったら」

 妙子が探るような目つきで言う。

「ううん、いいの母さん。刑事さんたち車でこられているんだったら、車の中で話せませんか」

 早智の希望通り、三人は車の中に乗り込んだ。

「二階のわたしの部屋でもよかったんだけど、立ち聞きされたらいやだったから」

 早智がうつむいて言った。ポニーテールをほどき、髪をたらしているので、昨夜と違う印象がする。女中でなく、若くて、その魅力をどうしたらいいかと悩んでいるひとりの女の子であった。

「それでは話してもらえますか」

 砂木がそう言っても、早智はなにも言わなかった。唇の間から舌先をのぞかせ、伏し目がちで、気持ちがいまだに逡巡しているのがわかった。

「あのグラビアが亜紀代さんのしたことだとは、もうわかっているんですよ」

 えっと、早智は言葉を発した。

「そして、それが盗まれたこともですね」

「わたし、盗んではいません!」

 早智が怒ったようにして否定するのを、砂木は面白く見た。

「事件当日、亜紀代さんがほんとうは外出したことも僕たちは知っています。君は知らないだろうけど、亜紀代さんは、グラビアの件で話があると呼び出されたんですよ」

 そこまでだった。早智の顔が歪んだ。

「わたし、こんなことになるなんて思ってもいなかったんです。美也さんが殺されて、榊さんも……あの人も殺されたみたいじゃないですか。わたし、ニュースでそれ見て……」

 早智が榊に初めて声をかけられたのは、昨年の十二月だった。榊にしてみれば、早智を相手にすることなど、赤子の手をひねるのも同然であった。言葉巧みに声をかけ、九州の経済情報誌のフリーライターだと自分を紹介し、早智に興味がある素振りをみせながら、彼女から華輪の情報をつぎつぎと引き出していた。

「じつはね、華輪のことを知りたいというのは、早智さんとこうやって会うための、僕の方便かもしれないんだ」

 そう言って早智を見つめる榊は、とても魅力的だった。一度目はコーヒーショップで、二度目は一緒に映画を観て、そのあとエスニック料理を食べさせる店に連れていってもらった。華輪のことを話すと榊が嬉しそうにするものだから、つい早智もいろんなことをしゃべった。エレビのオープンパーティに、経済誌のライターとして出席させてもらったことなどを話す榊は、それなりに美也の知り合いであることも匂わせ、早智の目からは信頼できる相手として映った。そして今年に入って、亜紀代が美也の写っているグラビアを傷つけていることを知り、居酒屋で榊と会っている時、アルコールが入ってテンションが上がっていることも手伝って、早智はそれを榊に教えてしまっていた。

「わたしが外の回廊を掃除している時に、窓から、亜紀代さんが机でなにかをしているのが見えたんです。やけに亜紀代さんがはしゃいでいるようだったので、なんだろうと思って、いない時に部屋に入って机の引き出しを開けると、あのグラビアがあったんです。いつも上品そうな感じなんで、あんなことされているなんて、わたしびっくりしてしまいました。それでそのことを、榊さんに話してしまったんです。ええ、話しただけです。盗んだりはしてません。頼まれたとしても、そこまではできません。悪いことだし、怖くてできないです。このことを昨夜言わなくてはいけないとわかってはいたんですけど、言うと、わたしが勝手に引き出しを開けたことや、話したことがばれちゃうんで黙っていたんです。わたしはどうでもいいんです。だって自分がしたことだから。ただ母さんのことを考えると……それでわたし言えなかったんです」

 早智は唇を噛むと、目尻の涙を指で拭った。

 榊と最後に会ったのは一月の末で、連絡先を教えてもらっていなかったので、早智のほうから連絡を取ることはできなかった。昨日あのグラビアが目にとまった時は、直感で自分が話したせいでこうなってしまったと思い、ずっと恐ろしくてたまらなかったと、早智は打ち明けた。そして今日になって、ニュースで榊が死んだのを知ると、とうてい自分の胸の中にだけしまっておくことができず、友だちの家にいって、さっきまで相談していたとのことであった。

「刑事さん、このことはみんなに全部話すんですよね。わたし、もうどうしたらいいのかわからない。でも、仕方ないよね。人が殺されたりしたんだもの。ほんと、わたしどうしたらいいんだろう」

「正直にお母さんに話すのがいいと思いますよ。それからフミさんに話し、亜紀代さんに謝るんだ」

「だってそんなことしたら」

「そんなもなにもない」砂木は厳しく言った。「君は自分のしたことに責任を取らなくてはいけない。それにいずれすべてはわかってしまう。それなら、僕たちから知らせるより、君から話したほうがいいんじゃないかな」

 早智は真っ直ぐな眼差しを砂木に向けただけで、なにも答えなかった。

 話を聞かせてもらった礼を述べ、早智を車から降ろして、綿貫と砂木は深夜の道を本部へと車を走らせた。

「あの娘、ちゃんとできますかね」車を運転しながら綿貫が言った。

「彼女に任せるしかないですよ。それしか、僕たちにできることはありません」

 綿貫は助手席の砂木を見やってから、視線をフロントガラスの向こうに戻した。

「彼女の証言で、榊がまたしても浮上してきました。奴は華輪の内情を探っていたんですね。亜紀代に呼び出しの手紙を送ったのも奴だと思いますか」

「それはないでしょう。待ち合わせの時刻が二時で、榊の死亡推定時刻は二時から四時の間です。もし榊が差出人だったら、二時には家にいず出かけていたはずです。亜紀代の話だと、差出人はこなかったことになっています。ですから、手紙の主は、差出人が榊であるかのように思わせたかったんでしょう。亜紀代が榊を殺してもおかしくないと見えるようにです」

「亜紀代に罪をきせるための一環というわけですね」

「ええ。そして、そうしているからには、早智が亜紀代のグラビアの件を榊に話したことを知っていなければなりません。それをどうやって知ったのか」

「早智が言うはずはないから、榊からそれを聞いたとするべきでしょう」

「つまり、犯人は榊とそういう関係の成り立つ人物だということです。そのうえで、亜紀代の部屋からグラビアを盗み出すことができた者というわけです。早智はそんなことはしていないと言っているし、榊が邸の中に入ることができるとも思えません」

「これまでのを総合すると、犯人は、殺人の現場に居合わせ、四時半から五時四十分前後までにチョコをおくことができ、亜紀代のグラビアを盗むことができた人物ということになりますね。――めぐみと一郎はその条件を満たしています。しかし榊とのつながりは、いまのところ見当たらない」

「亜紀代というのはどうです」

「は? どういうことです? たったいま警部補自身が、亜紀代を犯人に見せかけていると推理したばかりじゃないですか」

「ええ、その通りです。ただ、そうやって見せかけている人物が、亜紀代本人なのかもしれません。グラビアのことをネタに、榊が亜紀代をすでに脅かしていたとします。それで榊を殺すことにし、その際に、グラビアの件を、容疑をかわすための道具として逆に利用した」

「誰かが自分を犯人に仕立て上げようとしていると、見せかけているというわけですか。脅かされていることで榊とのつながりがあることになり、現場にも居合わせ、チョコをおくこともできるなら、当然、盗まずともグラビアは手に入る。確かに、亜紀代は犯人として最適です。しかし、自分を犯人に見せかけるなんて、ややこしいことをほんとうにしますかね。一歩間違えれば、犯人になってしまいますよ。それに、榊はわかるとして、美也を殺す動機はどうなります?」

「榊と美也を殺す動機はべつべつなものになりますね。榊は脅されていたから、美也は、グラビアを見てもわかる通り、憎んでいたから」

「グラビアの件を秘密にしておきたかったから榊を殺すんですよね。それなのに、自分から暴露しているようなことになっていませんか」

「秘密にしておきたかったのは、美也に対してです。その美也が死ぬんですから、関係ないですよ」

綿貫が呆れた顔をした。

「警部補は、本気でそんなことを考えているんですか」

「まさか」

砂木は笑んだ。

この時点で、捜査の章の前段と中段が終わり、つぎの更新から後段となります。

で、一休みします。


今後の予定としては、捜査の章の後段のあとに、大団円とエピローグの二つの章があって、それで完結です。

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