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20 浦島宅

 二郎に話を聞いてから砂木は、華輪邸をあとにして浦島のアパートへと向かった。

 着替えを取りに帰るから、よかったら車で送りましょうという二郎の申し出を、砂木は有難く受けることにした。

「あんなことがあったんで、少しの間は邸にいようと思うんです。優子さんたち女性だけでは、なにかと不安でしょうからね。兄貴や浦島は忙しいから、僕が適任なんです」

 ハンドルを握る二郎は、応接室で見せた自虐心をすでに覆い隠していた。

 近代的なマンションや建売住宅が点在する田園風景の中を車は走っていく。農家の並びがあり、唐突に、その横に広い駐車場をもった大型スーパーがあったりする。そしてそのスーパーの前では、パラソルを立てて海産物や野菜を売る、行商の年配の婦人たちが、買い物客相手にいそしんでいる姿が見られた。

「めぐみさんと一郎さんは、仲がよくないのですか」

 助手席から砂木が尋ねた。

「どういうことです。とりわけて仲がよいことはありませんけど、格別悪くもないですよ」

「では、あなたとはどうです」

「僕ですか――むつかしい質問だな。小さい時から知っていますから、めぐみは妹みたいな感じですね。仲も、そんなんです。喧嘩もしょっちゅうなら、互いに心配あったりもしています。そういえば昨夜から、なんか不機嫌というか、からんでくるというのか、妙な態度ではありますね」

「どうしてでしょうね」

「事件のせいじゃないですか。なんのかんの言っても、まだ子供ですし」

 二郎は気にしていないふうに答えた。

「そういえば刑事さん、使われた毒物はやはり青酸系のものなんですか。もしそうだったら、チョコレートの表面でなく、中に入れられていたんでしょうね」

「どうしてそんなことを知っているんです」

「あ、じゃあ、やっぱ中だったんですか。青酸系は、空気中に放置していると炭酸系に変わってしまうらしいじゃないですか。戦時中に、自決用に配られていた青酸カリを飲んだら、炭酸カリになってしまっていて死ねなかったという話もあるそうですね。だから、表面にあらかじめ塗っておいたりしておくと変化する可能性が高いので無理がある。そう考えると、チョコレートの中だったんだろうなと思ってですね」

「青酸系だろうとは考えられていますが、いまのところ、まだ毒物は特定されていません。――二郎さん、えらく青酸に詳しいですね」

「えっ、そうなんですか。それじゃもしかしたら、実際に青酸系の毒がチョコの中に仕込まれていたら、どうしてそのことを事前に知っていたんだって、僕が犯人にされてしまうんですか。困ったな。うちの会社は健康食品が主ですから、薬学専攻の知り合いも多くてですね。その中のひとりに電話で教えてもらったんですよ」

「ということは、ほかの方より薬物を手に入れやすい立場にもあるということですね」

「ますますひどくなってきた。自分で自分の首を絞めているんだから、世話ない。もし僕が事件の第一容疑者になったら、刑事さん、その時は助けてくださいよ。金輪際、僕は犯人じゃありませんから」

 那珂川町を抜け、大橋に通じる三車線の道路を入って福岡市に入った。途中の、大型家電店がある角から左の脇道に入り、二十メートルほどいって右折すると浦島の住むアパートだった。華輪邸から、十五分ほどの距離である。

「それじゃ、用事があったら僕は当分邸のほうにいますから。あまり、浦島をいじめないでやってくださいよ」

 砂木を降ろし、二郎はそう言い残して車を走らせていった。

 車の去りゆくのを、しばし砂木は見つめていた。とらえどころのない考えが、頭の中でまわっている。車の姿が見えなくなって、ようやく砂木は動いた。

 浦島のアパートのチャイムを押すと、床を跳ねるような音がしてから浦島自身がドアを開いた。

 砂木を目にすると、浦島は意外だというふうな表情をみせた。

「これはこれは、今日はまたどういうご用件ですか」

「あなたと話がしたくてですね。かまいませんか」

「散らかっていますけど、上がってください」

 浦島はけんけんの要領で、右足だけで跳ねながら砂木を中へ通した。松葉杖の転がっているカーペットの上に腰をおろし、テーブルの書類やファイルなんかを、ひとまとめにして脇によせた。砂木が正面に腰をすえる。

 あっ、お茶をと言う浦島を、砂木は手で制した。

「どうぞおかまいなく。僕も手ぶらですから。それに、話をしにきただけです。足の具合はどうです?」

「まだ使いものにはなりません。それでも順調に回復していますよ」

「お仕事のほうが大変でしょう」

「美也さんが亡くなられてしまったからですね」浦島は脇の書類を指差した。「明日から出社しますよ」

「美也さんの仕事はどなたが継ぐのですか」

「当面は私が担当することになるでしょうね。ほかに詳しい者がいないので」

「エレガントビーナスをですか」

 浦島の大柄な身体を砂木はまじまじと見つめた。キングコングのようだ。コングに美女はつきものだが、エステ向きかというと、いささか疑問がある。

 浦島は手で髪の毛を梳くいながら、声を立てて笑った。

「そんなに似合いませんかね。でもご心配なく、担当といっても運営のほうだけです。私みたいにごっついオジサンが、店の表に出たんじゃ営業妨害になるだけですよ。当然、裏に引っ込んでいます。一種の金持ち商法なんです。資金を出し、設備を整え、その道の人材を集めておこなうという。美也さんの時もそうで、エステの技術方面は専門家を雇っているんです。ですから、知識も技術もなくてやれるんですよ。お金さえあればね」

「羨ましい話ですね」

「そうです。お金さえあればなんでもできるんです。人はお金のあるところに集まるし、お金もそこに集まるという仕組みです。最初から、金持ちは有利な立場にあるんですよ。華輪コーポレーションの強みはひとえにそれですね」

 浦島は唇をすぼめ、勘ぐるようにした。

「もしかして、動機がそのへんにあると考えているんですか。つまり、エレガントビーナスがらみだと」

「いえ、そういうわけでは。もちろん、その可能性もありますから、担当の者たちが、そちらのほうも調べているはずです」

「で、刑事さん、あなたはなにを調べているんです」

「たいしたことじゃないですね。みなさんとお話しして、事実関係を明らかにすることが僕の役目です」砂木はにんまりと笑った。「浦島さん。今日こちらにおうかがいしたのは、あなたの事件に関しての意見を聞きたいと思ったからです。関係者の中で、唯一部外者的立場にあるのはあなただけですよね。フミさんもそうですけど、あの方は華輪家に対して思い入れが深すぎる。それであなたなら、事件のことについて客観的な話が聞けるんじゃないかと思うわけです」

「なるほど。しかし、そりゃ考え違いってやつでしょう。たとえ部外者であっても、私が、華輪の人たちに不利になるようなことを、すすんでしゃべる人間に見えますか」

「そう言われずに、捜査の協力と思われてください。事件を解決するのが、なによりも一番いいことです」

 浦島は黙ったまま、少し考えてから言った。

「わかりました。ま、とにかく、なんでも聞いてみてください。ただし、すべて話すかどうかは保証のかぎりではありませんよ」

 砂木はうなずいた。

「まず動機ですが。美也さんを殺害する動機を持った方の心当たりはありませんか。美也さんを憎んでいたり、恨みに思っていたり、あるいは、ただ死ねばいいとか」

「そう思っていた人はいるでしょう。でも、それぐらいで人を殺したりはしませんよ。誰だって、一人や二人は、そういう相手を持っているもんです」

「しかしそこに、巨額の財産が加わったらどうなります。春仁氏が亡くなって、美也さんと優子さんがその遺産を相続されたわけですけど、じつのところ、実権はほとんど美也さんのものだったのではありませんか。美也さんが亡くなれば遺産は優子さんにいき、そのほうが都合がいい人がいるんじゃないですか」

「それは、その通りです。ただそう言うと、華輪家の者全員がそうなるでしょうね」

「一郎さんや二郎さんやめぐみさんも含めて全員がですか」

「ええ。こう言っちゃなんだが、優子さんと違い美也さんは、あまり好かれていませんでしたから。あの人の性格があんなだからということもあるんでしょうけど、愛人で入ってきて、それがいきなり本妻の名乗りをあげたのでは、そりゃ、みなさん心よくは思っていませんよ。美也さんもそのへんのことは十分承知していて、それでなおのことみんなを押さえつけようとしました。しかしそれも、美也さんの立場で考えると無理ないことです」

「つまり、うまくいってなかったと、そういうことですね。――では、その中でも一番動機がありそうな人はどなただと思います」

「そこまで言わせるつもりですか」浦島は呆れたように笑った。「刑事というのは、つくづく因業な商売ですね。そんなことわかりませんと答えればすむんでしょうけど、ここは正直にお答えしましょう」

 浦島はあっさりと言った。

「奈津枝さんでしょうね。二人がいがみあっているのは、みなさん知っていることですし。実際そうですから。ただし奈津枝さんは、犯罪をおかすような方じゃありません。気性は激しいが、内面に冷静沈着な部分があるお人です。よほど切羽詰った事情でもないかぎり、ありえませんね」

「一郎さんはどうです」

「一郎さんか。あの人はわからないな。一言でいえば、一郎さんはマザコンなんですよ。奈津枝さんの顔色ばっかりをうかがっている。だから女癖が悪いんです」

「女癖が悪いんですか」

「そうです。そのこともみんなが知っていることです。母親が強すぎるため、その反動で女性を支配したい欲望に駆られるんじゃないんですか。女性に暴力を振るったりで、何度かトラブルがあったのを私も知っています。そのうえで、奈津枝さんが望んでいるものだから、優子さんに言い寄ったりしているんですよ。優子さんが相手にしていないのを、みんなも知っているからほうっていますけどね。あの日のミュージカルにしても、美也さんに聞いた話ですと、一郎さんか二郎さんを誘ったらと口添えしただけで、二郎さんにしたのは優子さんらしいです」

「で、その二郎さんはどうなんですか」

「一郎さんと違い女性に対して礼儀正しすぎるタイプですね。王女を守る騎士みたいなところがあります。それにしては、いくぶん頼りになりませんが。ただ二郎さんは、きっかけさえつかめば、できる人ですよ。仕事でも、女性でもね。私が奈津枝さんなら、シマナの後継者は一郎さんでなく二郎さんにしますね」

「一郎さんは奈津枝さんが望むなら、二郎さんは愛する女性のためなら――人殺しもいとわないと思いますか」

「刑事さんがどう考えるかは知りませんけど、常識的にみて、二人ともそこまではしないだろうと私は思いますね」浦島は語気を強めた。

「それでは、冬和さん一家はどう思います」

「うううん。犯罪と結びつけるのが難しいですね。冬和さんは芸術家肌の人ですから、俗なことは似合いませんよ。そういうのには疎いんじゃないですか。ただし、芸術家肌といっても、冬和さんは創作は駄目らしいです。その方面は明るくないのではっきりとはわかりませんが、鑑識眼はあるらしいけど創作のほうはさっぱりみたいです。亜紀代さんの話だと、日曜画家程度らしい。ギャラリーを経営してますが、貧乏絵描きやらのいいパトロンになっている感じですね。奥さんの幸子さんが、そのへんをうまく切り盛りして、あの家はもっているんだと思います。冬和さんや幸子さんが美也さんを殺そうとするなんて、私には想像もつかないですね。快くは思っていなかったでしょうけど、殺人はね……」

「めぐみさんなら」

 浦島は唖然とした目で砂木を見つめた。

「本気で言われているのですか。夢多き二十歳の娘が、人殺しなんてするはずがないですよ。考えるだけ時間の無駄ですね。そうそう、めぐみさんが二郎さんのことをそれとなく思っていることには気づかれましたか」

「ええ、多少はですね」

「そうなんですよ。それに二郎さんは気づいていないんですよね。従妹ですが、もったいない話です」

「亜紀代さんはどう思われます」

「亜紀代さんか――典型的なお嬢さんという人ですね。ものやわらかくて、おとなしそうな感じですけど、意外と頑固な面や気丈な部分もあります。頭も悪くないし、刺繍や編み物なんかも得意なだけに手先も器用です。でも、どこか現実離れしているところがあって、それがあの人を弱くしています。話は変わりますけど、私は、ほんとうはエレガントビーナスは、美也さんより亜紀代さんのほうが向いているんじゃないかと思っているんですよ。亜紀代さんの生まれながらの品位みたいなものが、店のイメージとしては最適ではないかとです。ですから、亜紀代さんを社長に据えて、あとは私たちがバックアップする、それをエレビの今後の方針として考えているところなんです。いまのところまだ、私の頭の中だけでの構想ですけどね」

「その話は、亜紀代さんにはまだされていないのですね」

 砂木が、はしゃいだ声をだした。

「そうですけど……それがどうかしましたか?」

 砂木の陽気な態度に、浦島は浮かない顔つきをした。

「いいえ、どうもしないです。ただ、その話はぜひともご本人にしてあげてください」

 首をひねったまま、浦島も愉快そうにうなずいた。

「そうだ、優子さんのことを忘れていました。優子さんはどう思われます」

 砂木が、さもいま気づいたように口にした。

 優子の名が出たことそのものに、浦島は意外そうにしていた。鳩が豆鉄砲を食ったようだった。

「そうか! 彼女も警察にとっては容疑者のひとりなんですよね。優子さんね――それにしても、思いつきもしませんでしたよ。あの中では、一番美也さんとは親しかったしな……」

「しかし優子さんは、美也さんが死んで、金銭的にもっとも利益を得ることのできる人間ですよ」

「それはわかりますけどね。それでも優子さんが……私にはちょっと考えられませんね。証拠みたいなものでも突きつけられないかぎり、私にはぜったい無理です」

 左の掌をこちらに向けて立て、浦島は首を横に振ってみせた。

「そうですか。それでは、あなたならどうです」

「私ですか――まいったな。刑事さんも、人が悪いや。自分で自分を疑ったらどうなりますかね。まず動機ですが、美也さんがいなくなって私が得することといえば、仕事が増えたぐらいですか。ほかになにかありますかね。つぎに殺害の機会ですが、自分でいうのもなんですけど、あったのでしょうか。よくわからないですね。人を殺したりするかというと、うううん、どう答えていいのやら。なにしろ、そういう経験がまだ一度もないので。あと知っていることは、年は四十で、身長は一八五センチ、体重八十五キロ。顔はジャガイモなのに声だけはいいらしい。ま、こんなとこで勘弁してください」

 浦島は鼻から息を吐き出した。

「すみません、変な質問をしてしまって。で、お聞きしますが、パーティ会場でなにがあったんですか」

 びくっと浦島は顔を向けた。ボタンのような金壺眼が、それなりに見開いている。黙ったまま、じっと砂木を見つめた。

 砂木は、パーティ会場での浦島について聞いたことを話した。

「二郎さんが話したんでしょう。やはり、気づかれていましたか」

 浦島は考え深げに言った。テーブルを指で二度叩き、下唇を突き出す。それから、ゆっくりと口を開いた。

「ニュースで見ましたけど、榊さんも殺されたみたいですね」

「それがどうかしましたか」

「いや、そういうのでは……ただ気になってですね」

 浦島の視線が、砂木の視線を避けるように下がった。

 ほんの少し待って砂木が言った。

「浦島さん、はっきりとおっしゃってくれませんか。パーティ会場でなにがあったんですか」

 浦島は、まいりましたねとため息をついた。そして、ためらいがちな口ぶりで尋ねてきた。

「そのう、刑事さん、榊さんに刺青はなかったですか」

 捜査会議での、榊の肉体的特徴を砂木は思い出した。右の首筋に四センチほどの青色の蝶の刺青があったことが報告されていた。

「直接見てはいませんけど、青い蝶の彫り物があったと聞いています」

 眉と目の間隔を狭め、浦島の顔が探るようなものになった。

「場所は、右の首のあたりですか」

「ええ、そうです。正確には首筋ですね」

 浦島は大げさに見えるほど、大きく息を吐いた。

「そうですか。やはり、私の見間違えじゃなかったんだ。パーティの時、榊さんにそれがあるのを見たんですよ。身長が私は高いじゃないですか、それで榊さんの首に青色の蝶の刺青を見たんです。そして、あろうことか、私は思い出したことがあるんです。――その時までは、それを見たことすら忘れていたのに、見た瞬間に記憶が呼び戻るとでもいうんですか、そういうふうになっちゃって」

 浦島は、息を弾ませて言った。

「三年前、優子さんを襲った暴漢にも、同じ場所に青色の蝶の彫り物があったんですよ」

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