19 華輪邸 ホットケーキ 二郎
ホットケーキに、紅茶とコーヒーというのがティータイムメニューだった。亜紀代も二階からおりてきている。
テーブルの片隅で、キツネ色の表面にバターを塗り、メープルシロップをたっぷりかけて、砂木はみなと一緒にホットケーキを頬張った。笑みがこぼれる。ナイフで切り分け、また口に運ぶ。
「刑事さんって、おいしそうに食べられますわね」
亜紀代が感心したように言った。
「これもいけますよ」
二郎が蜂蜜とジャムの容器を砂木にまわした。言われた通りにすると、確かにそうだった。
「ホットケーキにマヨネーズも案外おいしいわよ」とめぐみが言い、「うえっ、それはないだろう」と二郎が眉をひそめた。
「マヨネーズは、なんにでも合う万能ソースですよ。ぜんぶマヨネーズの味になりますけどね」フミが言った。
「ほんと見惚れてしまうわ」めぐみが砂木を見つめた。「刑事なんかやめて、グルメ番組のリポーターになったらいいんじゃない」
優子がふくみ笑いし、そんなことないですよと砂木は照れた。
ものをおいしく食べるというのは、砂木の長所のひとつだった。意識してそうしているわけではないが、そう見えるらしい。実際砂木は食べるのが好きだった。ただし、グルメではない。
いつの間にか、フミまでが微笑みを交えている。
砂木は遠慮なくコーヒーをお代わりした。
「ホットケーキなんて久しぶりで、おいしかったです」
フォークをおいて、ハンカチで口を拭ってから砂木が言った。
「そんなに喜んでもらえると、作ったほうとしても甲斐がありますよ」二郎のカップにコーヒーを注いでいたフミが、目を細めた。「見ていて春仁様を思い出しました。春仁様も、刑事さんみたいに、おいしそうにものを食べられる方でした」
「そうね、ハル兄さんもそんなだったわね。豪快で、ホットケーキはこうやって食べるほうがうまいと言って、子供みたいに手づかみだったわ」亜紀代が笑んだ。
砂木は、春仁を身近に感じた。慣習とかものにこだわらない性格。カリスマ性があり、快楽を好み、自由奔放を主義とした人物。図書室で見た書物が、頭をかすめる。
「刑事さん、僕にもなにか話があるんですか」
カップをおいた二郎の言葉に、砂木は顔を上げた。
「ええ、できたらお願いします」
「やはり二人のほうがいいんですよね。それじゃ昨夜と同じで、応接室にでもいきましょうか」
立ち上がる二郎をめぐみが見た。二郎はそれに気づかず、自分から応接室へ歩いていき、そのうしろを砂木はついていった。
目隠しの壁を通りすぎたあたりで、砂木が言った。
「この壁は、思いのほか音を遮断しますね。リビングで話し声がしているのはわかりますけど、誰の声かの区別はつきません。話の内容も聞き取れない。二郎さんはどうです」
二郎は目を閉じて音に集中するようにしたが、すぐに首を横に振った。
「僕にも無理ですね。声がしているのがわかる程度です。耳は悪くないと思うので、みんなそうだと思いますよ。それがどうかしたんですか」
「こっそり立ち聞きするのは無理だということです」
「それも捜査の一環ですか」
二郎が応接室のノブに手をかけてドアを開き、二人は室内に入った。
「で、実際のところ捜査は進展しているのですか」
ソファに座って二郎が言った。
「そう簡単にはいきません」
砂木も、二郎の正面に腰をおろした。
「そうやって油断させておいてグサリですか。フミさんがそう言っていましたよ。おとなしそうな顔して、いきなり噛みついてくるって」
「フミさんの誤解ですよ」
「それで聞きたいことはなんです。昨日全部話したつもりなんですけどね。とにかく、僕は捜査に協力するつもりですから、なんでも聞いてください」
砂木は昨日二郎が話したことを、もう一度確認した。それから、気になっていたことを聞いた。
「榊さんの話が出た時、なにか思いついたような顔をされていましたけど、あれはなんだったのですか」
「ああ、あの時ですね」二郎は軽い調子でうなずいた。「事件には関係ないことです。そうか、テレビのニュースで見ましたけど、榊さんも殺されたらしいじゃないですか。びっくりですよ。だから昨夜も、榊さんのことを聞かれたんでしょう。警察としては、榊さんの事件も、美也さんの事件と関係があると考えているんですか。ま、当然でしょうね。僕たちから見ても、つき合いのある二人の人間が続けて殺されたのでは、偶然とは思えませんものね」
「質問のほうには、まだ答えてもらってないんですけど」
二郎は呆れたような顔をした。
「なんだ、まだそのことですか。でも、ほんとうに関係ないことなんですよ。昨夜榊さんの名前が出て、たまさか思い出しただけのことですから」
「そういうふうに言われると、かえって気になります」
「困ったな」二郎は顎に手をあてた。
「誰かに迷惑をかけることなんですか」
「下手に話して、その人に疑いをもたれたらいやですからね」
「それじゃ、やはり事件に関係のあることなんですね」
「いや、だからそれはないって……」
言い終わらぬうちに、二郎は笑い出した。
「矛盾してますね。事件に関係ないなら、疑われることもないですよね。このまま話さないほうが疑惑を生みそうだ。わかりました、お話しします。聞いたあとで、なんだと思われても知らないですよ」
二郎はそう言ってから続けた。
「榊さんの名が出て、パーティで見たあることを思い出したんです。連想的に、ふっとですね。あの夜、風にあたろうと思ってベランダに出ると、そこに浦島がいて、怖い顔してなにか真剣に考え込んでいたんです。あんな浦島の顔を見たのは初めてだったもので、やけに気になってですね。そのことを、あの時思い出したというわけです。ね、刑事さん、関係ないでしょう」
どう判断していいのか砂木にもわからなかった。榊がみなの前に登場したのが、そのパーティの時だった。その時浦島が怖い顔で考え込んでいた。その二つのことにつながりがあるのか。――どうとも言えない。
「そのことを浦島さんに尋ねましたか」
「いや、していないです。なんか聞きにくい感じで。それにパーティが終わるころには、僕も忘れていましたから」
「わかりました。僕のほうで調べてみます。――そういえば、浦島さんの名が出たついでに聞きたいのですが、三年前優子さんが神社で暴漢に襲われた時、どうしてあなたはそこにいたんですか」
二郎はぎくっとして、顔を白くした。右の眉がぐいと上がっている。
「どうして、そんなことを知っているんです。フミの言った通り、いきなり噛みついてきますね」
「それで、どうしてそこにいたんですか」砂木が畳みかけた。
二郎の額に汗が浮かんだ。
「たまたま通りかかって……いや、そのう、神社に願掛けに……こういうのでは信用してもらえないでしょうね」
「ほんとうのことを話してください」
「まいったな。プライベートもなにもあったもんじゃない。みんな知っていることだから、ま、いいか。――あの日、じつは優子さんを見にいっていたんですよ」
二郎は恥ずかしそうにうつむいた。
「彼女がピーターと早朝に散歩していることを知っていましたから、それとなく遠くから見るつもりだったんです。そうです。初めてじゃありません。それまでも、何度かしていました。僕はこんな調子なので誤解されるんですけど、女性に関しては臆病なたちなんです。いざとなったらなんにもできずに、遠くから見てばかりいる奴なんですよ。普通に接するのはできるんですけど……肝心なのは駄目なんです。それであの日も、神社の脇のほうの道に車を止めて、車の中から遠目に優子さんを見ていたんです。そうしたらいきなり男が現れて、いけないと思って飛び出していったら、一撃でのされちまったというわけです。パンチが見事に決まって、優子さんに起こされるまで寝ていました。骨に異常はなくて、左顔面と顎がしばらく腫れた程度ですみました。――恥をかいただけ。それだけです」
「みなさんは、そのことをご存じなのですか」
「みんな知っていますよ。陰でみんな笑っています。浦島はナイトで、僕はピエロということです。それでいいんです。その通りだし、もうすんだことですから」
「優子さんに、直接気持ちは伝えていないのですね」
「なにを伝えるんですか」
二郎が砂木をねめつけた。
「ピエロになにが言えるというんです」




