2 喪
ことはとどこおりなく進んでいた。
手配のほとんどはフミと浦島に任されていた。一時取り乱したものの、すぐに自分を取り戻したフミはさすがだった。
座敷に敷かれた布団の上に春仁は横たわっていた。胸の上に守り刀がおかれ、顔は静粛がおおっていた。座卓が三つ運んでこられ、座布団がそのまわりにおかれている。線香の匂いがたちこめ、連絡を受けた縁者が集まり、座敷には、あっという間に死が招き入れられていた。
あまりにも早い流れに、優子は取り残されたような気がしていた。頭ではわかっていても、気持ちはそれに追いついていってない。春仁は救急車で病院に搬送されたが、その移動の途中で亡くなっていた。突発性の心筋梗塞とはいえ、五十五という早すぎる死であった。
「それにしても、信じられない」
華輪冬和が苦り切った表情で、さきほどから繰り返している呟きを、また口にした。みなが思っていることを代弁している、そんな感じだった。
五十一になる冬和は、四つ上の春仁に比べ、線の細い神経質そうな顔をしている。縁なしのメガネが、いっそうその感じを増長させていた。その冬和の横では、妻の幸子と、ひとり娘のめぐみが、喪服に身をつつみ数珠を手に膝を揃えている。
「兄さんがこんなに早く逝くなんて思いもよらなかったわ。なにかそれなりの兆候はなかったの?」
島名奈津枝の言い草には、邸に住んでいた者たちを責めるような響きがあった。
冷たく整いすぎた顔には、いつも通り凛としたものがある。両耳がでるほどに短くカットした髪を、ワックスで撫でつけ右に流している。春仁の二つ下で、華輪家の長女だが、島名家に嫁いだいまも、華輪の家名を一番重んじていた。
奈津枝の子供である、一郎と二郎はまだこの場にきていない。
「いいえ、そのようなことは……それでも、わたしがもっと気をつけてさえいれば……ハル坊ちゃんがわたしより先にお亡くなりになるなんて……」フミが目尻を拭った。
さすがに気が咎めたらしく、奈津枝は打って変わったやさしい言葉をかけた。
「なにも責めているわけじゃないのよ。フミは、わたしたちが子供の時からずっと一緒だったんですから、よくやっていてくれることは十分にわかっています。だからそんなに自分を責めないで。フミにはなんの落ち度もないのだから。――そうよね。兄さんがこんなに早く逝ったのも、ある意味では仕方なかったことかもしれないわね。子供の時から遊びほうけて、いい年になっても、若い女に熱をあげていたんでは早死しても無理ないかもね。天罰かしら」
「どういう意味でしょう、奈津枝さん」
斜向かいから、美也が奈津枝をキッと睨む。
「べつに、ただほんとうのことを言っただけです。まったく恥知らずですよ。四年前には子供がいたことがわかり、つぎになにをするかと思えば、愛人を家に住まわせるんですからね。母が生きていたらなんて思うでしょう。華輪の家に泥を塗っているのと同じじゃない。亜紀代がこの家に一緒に住めるなんて、わたしには信じられないことです」
「姉さんやめて。ハル兄さんが死んだのよ。少しは悲しもうという気はないの」
亜紀代がレースのハンカチを握りしめて抗議した。
「そうだよ。いまはそんなことを言っている場合じゃない」
冬和も言う。
「ふん。妹と弟のあんたたちもわたしを非難するのね。わたしはね、あなたたちのことも心配してあげているのよ。それに華輪の家のこともね。まったく、そんなこともなにも考えないで」
奈津枝はむっつりしてフミに言った。
「それで、兄さんの遺言状はどうなっているの」
「弁護士の牟田先生にも連絡しておきましたが、そのような話はひと言もおっしゃいませんでしたので、遺言状については、わたくしのほうではわかりかねます」
「その件は牟田先生に聞くしかないのね。ま、どっちにしても、財産の大半は優子さんにいくようになっているんでしょうから、わたしが気をもんでも仕方ないわね。よろしかったわね、優子さん」
優子は頭を垂らしたまま、なにも言わなかった。
「姉さん、ほんとうにやめないか」
冬和が怒気を混じらせて言った。
「事実は事実でしょう。財産のほとんどが優子さんのもの、それのどこが間違って」
冬和がなにか言おうとしかけた時、浦島隆三が入ってきた。大柄な、肩幅のがっしりした体躯の四十になる中年男だ。ジャガイモに目鼻をつけたような顔に、早くも汗をかいている。
「これからのおおまかな段取りのことでよろしいでしょうか」
浦島はハンカチをせわしく使いながら、素早くみなに視線を走らせた。外見とは似つかわない、甘くて深みのある声だ。
「明日の夜、通夜をこちらの邸のほうでおこない、明後日が告別式となります。告別式の会場はフラワーセレモニー会館……場所は博多駅の近くで、そこでしたら交通の便もよいかと……時間は十一時より。喪主は優子様ということになりますが、それでかまわないでしょうか」
「そうね、若いとはいえ優子さんが喪主になるのよね。優子さん、それでいいわね」
当然のように言う奈津枝の横合いから、美也が浦島にきっぱり言った。
「喪主はわたしがいたします」
優子を除く一同は、驚いて美也を見つめた。
あまりのことに返す言葉を失っていた。
ようやく奈津枝が鼻先で笑った。
「気でもちがったの。愛人のあなたにどうして喪主がつとまるというわけ。兄さんが亡くなったいまとなっては、あなたはもう華輪とはなんの関係もないことを忘れないようにして欲しいわね。ほんとうは、いますぐにでもあなたには出ていってもらいたいの。ここにこうしてまだいられるだけでも、感謝してほしいぐらいよ。それにこの際ですから言っときますけど、あなたのあのお仕事の計画、あれはもう中止ですからね」
「そうはいきません。喪主はわたしがします」
美也が奈津枝を見据えた。
その視線の鋭さに、奈津枝は眉間に皺をよせた。
そして、いまだにわけのわからぬ顔つきのみなを前に美也が告げた。
「わたしは華輪春仁の正式な妻です」