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16 華輪邸 めぐみの邸案内

 一階におりた砂木は、もう一度フミの部屋を訪ねた。しかしフミがいないので、食堂へと足を向けた。目隠しの壁が途切れ、リビングに華輪めぐみがいるのに気づいた。

「刑事さん、誰かを探しているの」

 めぐみのほうから声をかけてきた。ざっくりした編みのニットにジーンズで、ファッション雑誌を開いて、ソファの上で足を組んでいる。

「フミさんに、優子さんと二郎さんがどこにいるのか教えてもらおうと思ってですね。亜紀代さんの部屋で、今まで話をしていたんですけど、やはり、人様の邸を勝手に歩きまわるのはなんでしょうから」

「あら、わたしに聞くことはなにもないの。警察までわたしにつれないなんて、いやんなっちゃう。小娘だと思って馬鹿にしているんでしょう」

 めぐみは薄ら笑いを浮かべた。

「いいこと教えてあげる。優子さんと二郎さんは、フミさんに頼まれて夕食の食材を買いに出かけたので、しばらく戻らないわよ」

 砂木は目を丸くした。フミにしてやられていた。どうやら、フミの機嫌をそこねたみたいだった。しかし腹は立たない。かえって愉快な気さえする。

「とりあえず、座ったらどう」

 めぐみが正面のソファを顎で示し、砂木はそれに従った。

「まいりましたね。フミさんに、一本取られてしまいました。どうやら嫌われたみたいです」

「いいじゃない。二人が帰ってくるまで、わたしが相手してあげるわ。暇なんですもの」

 めぐみはにっこり笑うと、砂木に親しげに話しかけてきた。

 リビングの封鎖が午前中に解除になったこと。当面はめぐみと二郎が邸に滞在するようになったこと、マスコミやいろんな電話でうるさくて仕方がなかったことなど、をめぐみは話した。

 ショックで取り乱していた昨夜とは、まるで違う多弁なめぐみの様子に、砂木は意外な思いがしていた。

「なにかあったのですか」

「なにかって?」

 めぐみが空とぼけるのを、砂木は見逃さなかった。

「めぐみさんが、昨夜と別人みたいだからです」

「ああ、そのこと。いまのわたしが普段のわたしよ。昨日は突然のことで、めげていただけ。だって、目の前で美也さんが殺されるんだもの。仕方ないわ」

「回復が早いんですね」

「そりゃ、若いから」めぐみは、うふふと笑った。「それより刑事さん、犯人の目星はついたの」

「そんなに急というわけにはいきませんよ。捜査は始まったばかりです」

「捜査上の秘密っていうやつね」

「そんなんじゃありません。――そうだ、よかったらめぐみさん、邸の中を案内してくれませんか」

 間をつなぐために砂木が言い、めぐみも承諾した。

 リビングに隣接した二つある部屋の、南寄りの、角のほうの部屋から始まった。

「ここは書斎よ」めぐみが言った。

 風格のあるどっしりとしたマホガニー製のデスクがあり、左側と正面に窓。デスクはドアに対して正面を向くようにおかれ、黒革の背もたれの高い椅子がうしろにある。右の壁に、デスクと同じくマホガニー材を使ったガラス戸がついた書棚が二つ並べられ、装飾として、左奥に西洋の銀色の甲冑、デスクの右側には地球儀があった。

「どなたが使われているんですか」

 砂木の問いに、めぐみは愉快そうにした。

「幽霊よ」

「幽霊――?」

「最初にわたしのおじいちゃんで、それから春仁伯父さんが使っていたけど、いまは誰も使っていないらしいの。だから幽霊。順番からいったら美也さんになったんでしょうけど、ここにはほとんど出入りしていなかったみたい」

「それじゃ、ほぼ春仁さんが使っていた時のままなのでしょうね」

 黒革の椅子を砂木はぼんやりと見つめた。

「たぶんそうだと思うけど、フミさんか優子さんにでも聞いてみて」

 隣の部屋は、ドアが書斎のものと違い両開きの広い扉になっていた。めぐみが取っ手を両手で握って開くと、書斎よりずっと広い空間が砂木の前に現われた。

「物置っていうのか、それとも納戸かなあ」

 めぐみの言う通り、いろんなものが押し込んである。といっても、物置というにはりっぱすぎた。明らかにピアノと思われるものが白い布をかけられてあり、来客用の椅子やテーブルが積み重ねられている。壁には棚がしつらえられ、段ボールの箱や備品が、ぎっしりと棚を埋め尽くしている。どこか埃っぽいが、その埃さえ格式のあるものに感じられる。

「パーティを催す時なんかに、この部屋のものを運び出すわけ。雑然としているけど、フミさんの話だと、貴賓客用のティーセットなんかもあるらしいから、隠された財宝の在りかでもあるらしいの。一度ここを探索してみるのが子供の時からの夢なんだけど、まだ実現していないわね」

「その時はぜひとも誘ってください」

 砂木が目を輝かせて言った。過去の秘密めいたものを探り出すのは、砂木の好むところだった。

「ええ、二人で宝島を制覇するのも悪くないわよね。呪われた短剣や幻のルビーを発見して、ラム酒で乾杯するのよ」

 二人で顔を見合わせて笑い、扉を閉めためぐみは、テラスに面した広々とした空間の中央で両腕を広げた。

「ここはホール。見ての通りね」

 食堂に沿った通路を東に進み、突き当りにドアを見ながら、途中で、その通路から右に折れる通路のあるところでめぐみが足を止めた。

「ここを曲がると和室の部屋」

 砂木が見ると南に伸びる通路があり、それに沿って両側とも障子になっているのがわかった。

「左側がおじいちゃんとおばあちゃんの部屋だったの。右が、和式の行事なんかに使う部屋。どちらもひと続きの畳部屋なんだけど、真ん中を襖で仕切ってあるわ」

 障子を開いて一応覗いてみたが、さしたるものはなかった。畳だけが印象に残った。佐門夫婦の部屋だったほうに仏壇がおかれ、神棚が右のほうの和室にしつらえられていた。

 食堂に沿った通路に戻り、佐門夫婦の和室を背にしてめぐみが言った。

「左が浴室で、右がトイレ。二階にも浴室とトイレはあるのよ。ちょうど真上に」

 浴室とトイレに挟まれるようにして、幅が一メートルに満たないほどの二階に通じる階段があった。邸を上から見たとして、浴室とトイレと階段は、ちょうど北東の角にあたっていた。

「玄関のを表階段、こちらのを裏階段と呼んでいるみたい。そしてそこが裏口ね」

 通路の突き当りの、手を伸ばせばすぐのドアをめぐみは指差した。

「邸の出入り口は、ここと玄関の二か所ですか」

「あと、厨房に勝手口があるわ」

 そう答えながらめぐみは目の前の階段をのぼり始め、二人は裏階段を使って二階にあがった。

 壁が見え、右横に伸びた通路に出た。めぐみが説明した通り、浴室とトイレは一階と同じ位置になっていた。左手に見える通路の突き当りにも、やはり一階と同じようにドアがある。あと左斜め正面に、部屋に通じると思われるドアがあった。

 そこを客室と教えためぐみに、突き当りのドアを砂木は尋ねた。

「外回廊に出るドアよ」めぐみは通路の反対側に顔を向けた。伸びた先にも、突き当りにドアがある。「あっちもそう。外回廊の出入り口はこの二つだけ」

 めぐみは通路を真っ直ぐ進んだ。北東の角から北西の角へ移動することになる。数歩いったところの右側にドアが二つあり、そこも客室であった。

「この二部屋は、むかしは使用人部屋だったらしくて、ほかの客室より少し広めになっているの。いま現在、左を二郎さん、右をわたしが使用中」

 その客室に隣接して、手摺りと屋根つきのベランダが広がっていた。邸の裏手になる。ガーデン用の椅子とテーブルがおかれ、ベランダ部分の通路の壁の、腰から上の高さがガラス窓になっていて、ガラス越しにベランダを見ることができた。ベランダへのドアも、外枠と真ん中の横枠を除けばガラスになっていた。

 通路の突き当りに外回廊のドア、そして通路を挟んで、ベランダの向かいに、反対側と同じように客室があった。

 この二階の通路の真ん中あたりに、縦に、幅の広い通路が走っていた。幅広通路は中途で十字に分かれ、そのまま進めば表の階段へと通じている。

 その十字になった分岐点に立って、階段を正面にしたかたちで、まずめぐみが左側を向いた。通路を挟んで四つの部屋がある。

「右の奥が亜紀代叔母様の部屋、それはもう知っているんでしょう。で、その隣が優子さん。叔母様の向かいが客室で、優子さんの向かいが二階のリビング、居間と呼んでいるわ」

 通路の突き当りにドアはなく、嵌め殺しの窓となっていた。反対側も同じだった。その反対側のほうを、身振りを交えてめぐみが説明した。

「左の奥が美也さんの部屋で、その隣が春仁伯父様の部屋。正確にはだったと言うべきかしら。美也さんの向かいが、反対側と同じく客室で、伯父様の部屋の向かいが図書室」

 二階の通路は、上から見たら、『物干し』の『干』の漢字に似ていた。縦線が幅広通路で、上の横線が裏の階段やベランダがある通路、下の横線が私室や図書室のある通路となる。上を北通路、下を南通路、縦線を縦通路とした場合、まず縦通路の南端に表階段がある。北通路の両端に外回廊のドアがあり、東端あたりに裏階段があることになる。南通路は、縦通路で分断された左右に、通路を挟んで四部屋ずつあり、右端の南側が亜紀代、その左隣に優子、亜紀代の向かいの右端の北側が客室、その隣が居間であった。反対側は、左端の南端が美也で、その右隣が春仁、美也の向かいの左端の北側が客室で、その隣が図書室となっていた。南通路に外回廊への出入り口はなく、邸の正面となる南側に私室が集められている。

 あと、表階段の左端に、屋根裏部屋に出る、上への狭い階段があった。

「さて、どうするの」めぐみが聞いた。

「外の回廊を歩いてみたいですね」

 ベランダがある側のドアから、二人は回廊へ出た。ドアを開けると下駄箱があったので、スリッパを脱いでサンダルを履いた。外回廊は、邸の正面と左右の側面がひとつにつながっていて、裏手を除いて、邸まわりを一巡できるように造られていた。石でできた欄干があり、回廊の幅は一メートル五十センチほどだ。歩きながら目にする庭の眺望は素晴らしいものだった。朝からの捜索も終わりらしく、捜査員たちの姿もまばらとなっていた。

「普通、刑事さんって二人同行じゃないの」

 庭の捜査員たちを目にしためぐみが聞いてきた。

「一応そうなっています。でも、単独で捜査にあたることもあるんですよ」

言い訳がましく聞こえないように、砂木は言った。

 砂木の場合、単独での捜査が普通だった。それが許されている私服警察官というほうが正しいかもしれない。砂木に期待されているのは、通常とはべつな観点からの捜査であった。通常の捜査が行き詰った場合のために、砂木がいた。今回も、捜査主任である沢口からの具体的な指示はなく、好きにしていいと言われている。自由気ままでよさそうだが、ある意味、戦力外とみなされているのも事実だった。本人もその自覚があった。あまり気にしてはいない。

 歩いているうちに砂木は、各部屋の窓が回廊に面していることに気づいた。

「これだと、中の通路を利用しなくても、窓を使えば部屋から部屋への移動が可能ですよね」

「わざとそういうふうな造りにしたらしいの。たとえば、仲のよい客人がいたとするじゃない。しかもその客は男と女で、互いに相手を憎からず思っていた場合、誰にも知られず、部屋から部屋へいくことができたわけよ」

「粋なはからいですね」

「そういうのって、古めかしくて、かえってロマンチックよね」

 めぐみが二十歳の女の子らしい弾んだ声で言うと、つま先立ちし、両腕を上げて背伸びをしてみせた。肢体からあふれた若さが、回廊に満ちるようだった。

 一巡して、裏階段のあるほうのドアから邸内に入ると、そこの下駄箱でサンダルからスリッパに履き替えて、二人はつぎに図書室に向かった。春仁の私室の向かいの部屋だ。

 天井の蛍光灯を点けると、壁面が書棚で埋め尽くされた部屋が、暗い中から出現した。中央よりやや右側に、スタンドつきの机が二つ差し向いでおかれ、椅子は肘掛のついたゆったりしたものだった。壁面とはべつに書棚が二つ左手におかれ、新聞掛けとマガジンラックもある。換気がよくないのか、書物の匂いが部屋にこもっている。

「そうか、ここには窓がないんだ」砂木が声を上げた。

「窓って、それがないのがどうかしたの」

「いや、べつにですね……」

 言葉を濁したものの、心中ではそれを見逃していた自分に、砂木は舌打ちしていた。

 本の背表紙を見てまわった。多種多様な本の集まりだった。難解そうな本もあれば、ロマンス小説もある。詩集、絵本、哲学書、解剖学、民俗学、西洋文学、古典、通俗小説、映画評論集、近代文学、ホームズ譚、芸術書、旅行記、料理の本、神話、スリラー、ビジネス書、生物学、スタイリングブック、ギリシア悲劇、シェイクスピア全集……。個人の興味を特定するのは無理であった。

 一画にビデオテープが百本ほど収納されていて、『ローマの休日』と『ティフアニーで朝食を』がそこにあるのを見て、砂木は微笑んだ。

 べつな一画には宗教関係の本が集められていた。聖書と一緒に、悪魔考、神秘学、魔女の鉄槌、宗教裁判、ゾロアスター教、煉獄と贖罪といった本が、そこでは異彩を放っていた。

 砂木が一冊を抜き取ってページをめくると、めぐみが横から覗き込んだ。

 異形な生きものの挿絵や魔法陣のような図形が散在している。堕天使、黙示録の四騎士、赤い竜、ベルゼブル、悪魔の烙印、サタナエル、アゼザル、性魔術、イザヤ書、明けの明星、夢魔といった活字が目に飛び込んでくる。

「なにか事件の手がかり?」

「いえ、ただの興味ですね」

 砂木が本を棚に戻し、図書室を後にした二人は、二階の居間へと移動した。

 居間には、カーペットが敷かれ、低めのテーブルとカバーリングタイプのソファがおかれていた。左角にL字型のバーカウンターがあり、回転式のカウンターチェアが三つ前にあった。そのうしろには冷蔵庫と洋酒棚が据えられている。左手の壁に、牧歌的な風景のタペストリーが掛けられ、正面にはコンポやテレビといったAV機器が設置されていた。右角に、観葉植物がひとつある。

「お客様用の居間というところね。座って少し話でもしない」

 めぐみがさっさと腰をおろし、砂木もそれにならった。

「で、刑事さん、もう犯人はわかった?」

「無茶を言わないでくださいよ。邸を見てまわっただけじゃないですか」砂木はぼやいた。「それよりも、めぐみさんはえらく事件に興味があるみたいですね」

「そりゃ、身内のひとりが死んだんですもの。いろいろ気になって当然じゃない」

「なるほどね。それでめぐみさんは、なにを知りたいんです」

「事件のことならなんでも。じつはわたしミステリファンなの。それで事件のことを考えちゃうんだわ。毒入りチョコレート事件なんて、謎解きの古典よね」

 めぐみはそう言ってから、意味ありげにつけ加えた。

「それにその手のミステリでは、素人探偵が活躍するのがお約束じゃない」

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