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14 華輪邸 亜紀代

 亜紀代についていくかたちで、砂木は彼女の私室に入った。

 玄関の階段を上がって最初の通路を右に曲がった、右手の奥の部屋だった。正面の窓際に机があり、窓の横に化粧台とクローゼットが並べておかれている。左の壁にも正面と同じ造りの窓が設けられ、角に寄せるようにしてベッドが配置されていた。ベッドの足元側には小型のテレビとビデオデッキが専用台にのせておかれ、中央に背もたれの高い安楽椅子がある。ベッドの頭側の壁に、額に入ったオードリ・ヘップバーンのモノクロのブロマイドが二つ飾られ、壁紙は淡いベージュ地に緑の蔓の柄があるものだった。机やクローゼットといった家具や調度品はアンティーク調で、窓からの光がやわらかく部屋を演出していた。机の上に、陶製の人形が二つと花をかたどったスタンドがある。

「適当に座ってくださってかまいませんわ」

 亜紀代が安楽椅子にどさりと座り、砂木は机用の椅子を借りて、亜紀代の前に腰をおろした。どこか投げやりな仕草も、亜紀代がすると品位が漂った。

「どうして気づかれたんですの」

 頭のうしろで両手を組んで、亜紀代が砂木に顔を向けた。

「昨夜フミさんと川口さんが、あなたが邸にいたことを不自然に印象づけようとされていました。それにあなたも、邸にいたことを強調しすぎました。それで、もしやと思っていたわけです」

「やはり、警察を相手ではかないませんわね。で、なにをお聞きになりたいんです」

「ほんとうのこと、ただそれだけです」

 砂木は笑顔した。

 亜紀代は立ち上がるとベッドのほうに歩いていき、マットの下から水色の封筒を取り出して砂木に差し出した。白手袋を使い、指紋がつかないようにして砂木は受け取った。

「拝見していいですね」

 亜紀代が腰をおろしながらうなずいた。

 封筒に差出人の名はなく、表に『華輪亜紀代様』と定規を使った文字で書かれていた。中には、『三月×日土曜日の午後二時。博多駅の中央改札口でお待ちしています』と、やはり定規で書かれた手紙と、美也の傷つけられたグラビアが一枚入っていた。封筒と手紙の用紙は揃いのもので、どこでも買えそうな代物だった。

「水曜日に郵便受けに入っていましたの。フミがダイレクトメールなどと一緒に持ってきてくれましたわ。切手も貼ってありませんし、郵便受けに誰かが直接入れたのだと思います。開けてみて、びっくりです。それで昨日、その手紙に従って駅にまいりました。ですから、一日中邸にいたというのは、嘘をついたことになります」

「何時にこちらを出られたのですか」

「一時にタクシーを邸のほうに呼んで、博多駅に着いたのは一時半ごろでした。それから中央改札口の前にいたのですが、約束の二時を三十分すぎても誰も現れません。それでも気になって、駅ビルや百貨店で時間をつぶしては、何度も中央改札口に足を運びました。朝から食事をしておりませんでしたので、その時に、食堂街の店でサンドイッチを食べましたわ。パン生地がしけていて、口には合いませんでした。けっきょく四時少しすぎにあきらめて、タクシーで邸に戻ったのです。こちらに着いたのは四時半ごろで、フミと川口が美也さんの部屋を調べにかかった時でした」

 手袋でつかんだ封筒を砂木は持ち上げてみせた。

「フミさんと川口さんは、このことをご存じなのですか」

「外出したのは知っていますけど、手紙のことは話していません」

「怪しい手紙だとは思われなかったのですか」

 亜紀代が不服そうに言い返した。

「もちろんそう思いましたわ。でもいかざるを得ないじゃありませんか」

「なぜです」

 亜紀代は憎々しげに唇を歪めて砂木を見つめた。そして言い放った。

「脅されたからに決まってます」

 亜紀代は頬をふくらませて机のそばにいき、袖の一番下の引き出しから箱を出して砂木に渡した。

 砂木が箱の蓋を取ると、中には無残な有様の美也のグラビアがつまっていた。カッターで切り裂かれたもの、顔がマジックで塗りつぶされたもの、針で穴だらけになったもの、原型をとどめてないほどになっているものもあった。

「これはこれは」

 砂木が声を上げ、亜紀代は椅子に戻って、屈辱と羞恥で顔を赤くした。

「警察官って、いやらしいお仕事ですわね。わかっているくせして、いちいち本人の口から言わせようとするんですから。ええ、その箱の中身は全部わたしがしたことです」

「チョコレートの箱と一緒におかれていたあのグラビアもですか」

「たぶんそうだと思います。誰の仕業かわかりませんが、その箱から、いつのまにか盗まれていたんです」

「重要なことなので、もう一度確認しますが、盗まれたことに間違いありませんね」

「お望みなら何度でも言いますわ。誰かが盗まなければ、どうして封筒の中に入っていたり、チョコレートと一緒におかれていたと言うんです。もうこうなったら、すべてをお話ししたほうがいいとわたし決めたんですの。あのグラビアからわたしの指紋が出るでしょうし、昨日は出かけるのにタクシーを呼びましたので、いずれわかると思いましたの。下手に隠し立てしていたら、かえって取り返しのつかないことになると気づきました。警察だって、なにもしていない者を逮捕なさったりはしませんわよね」

「順を追って聞きますが、まず、美也さんのグラビアをあなたは傷つけていたわけですね」

「恥ずかしいことですけど、そうです。わたし美也さんが好きじゃなかったんです。いつもわたしを小馬鹿にしているみたいで。それで、そうやって腹いせをしていたんです。グラビアは、美也さんがエレビの宣伝のために掲載した情報誌から切り取ったりしたものです。わたしはそれを箱の中にためておいて、癪にさわることがあったら、そのたびに顔を針で刺したり、線香で焼き痕を作ったり、マジックで悪戯書きしたりしていたんです。陰湿でみっともないとは自分でも思っていましたが、それでもそれをすると気分が晴れました」

「あまりいい趣味とは言えませんね。それはしょっちゅうされていたんですか」

 亜紀代は顔をいっそう赤くした。

「いくらなんでも、そんなことありませんわ! ごくたまに……」

 最後のほうは声が小さくなっていた。

 いつから始めたのかは覚えていないが、エレビが昨年の十二月にオープンする前からだったこと、盗まれたのは何枚もあるうちの一部だったので、盗まれたこと自体わからず、水曜に封筒を受け取ってそれに初めて気づいたことを、砂木の質問に答えるかたちで、亜紀代は話していった。

「水曜に、手紙の中からグラビアが出てきた時は凍りつきました。みっともなくて人に相談することもできないなら、美也さんに知られるとどうなるかと思うと、それだけで居ても立ってもいられませんでした。脅迫されるのだろうとの不安はありましたが、それでも、手紙にあったように土曜日に駅にいったのです」

「こういうことをする人物に心当たりはありませんか」

 亜紀代は首を横に振った。

「誰が盗んだかは」

「わたしもそれを考えたのですが、引き出しにもドアにも鍵はかけていませんでしたので、邸の中に入りさえすれば、誰でも盗み出すことはできたろうと思います。秘密のつもりでしたが、わたしがそれをしているのに誰かが気づいていたんです」

「博多駅にいったものの、けっきょく手紙の主は現れず、邸に帰ってきた美也さんが、チョコレートの箱と盗まれたグラビアを持って二階からおりてきたわけですね」

 亜紀代は椅子の上でぶるっと震えた。

「あの時は、心臓が止まるかと思いました。いま思い出しても胸がどきどきします。チョコレートがどうのこうのという問題ではありませんでしたわ。いったいなにがどうなっているのかと、頭は混乱していました。そのうえで美也さんが、ああやって死んだものですから、余計に取り乱して、もう考えることなどできなくなってしまいました。誰かがわたしに罪を着せようとしているように思え、怖くて、フミと川口に、一日中邸にいたことにしてもらうよう頼んだのです」

 亜紀代はふうっと息をつくと、椅子の背にもたれかかった。

「これですっとしましたわ。刑事さん、わたしの話信じてもらえますか」

「調べてみないとですね。それとこれは預からせてもらいます」

 そう言いながら砂木は、封筒と手袋を上着の内ポケットにしまいこんだ。

 亜紀代が切なそうに微笑み、上体を起こした。

「あとひとつ告白しておかなければいけないことがあります」

「まだ隠しごとがあるのですか」

 ええと、亜紀代はうなずいた。

「動機ですわ。わたしが美也さんを殺すには動機が必要ですよね。いずれわかることですから、それもいまのうちにお話ししておきたいと思いますの」

 砂木に顔を向けたまま、亜紀代は語りだした。

「じつはわたし、こう見えて文無しですの。ここを追い出されたりしたら、路頭に迷うほかないんです。一年ほど前に、ある男性と知り合いになりました。わたしより二十も年下のアポロ像のような人でしたわ。青年実業家で、インドから宝石を輸入している仕事だと言ってました。インドのほうに邸宅があり、日本とインドとを行き来しているとも。有力な宝石の鉱山があって、もう少しで成果が出せるとこだとも。そして、僕と一緒に夢を見るつもりはありませんかと……。笑っちゃいますわね。まるでお伽噺ですわ。でも彼が語ると、それはまるでほんとうのことのように聞こえたんです。ええ、すべては嘘でした。しかしそれがわかった時には、わたしは彼に財産のほとんどを貢いでいたというわけです。ですから、わたしにはいまお金が必要でした。お金でなくても、誰かに養ってもらわなければ、わたしみたいな女はとうてい生きていけないでしょう。貧乏や苦労というのは、想像するだけでわたしには恐ろしいものです。恥ずかしい話ですけど、わたし一度も働いたことがないんですよ。美也さんにそのことを知られ、いつここを出ていけと言われるかもしれないと、びくびくし通しでした。それであの人のご機嫌を取ったりしていました。わたしは鳥籠の中の小鳥みたいなものでした。ひねり殺すも、餓死させるも、籠から追い出すのも、美也さんの気持ちひとつでした。わたしに、あの人を殺す動機があるのはこれでおわかりでしょう。わたしは美也さんが恐ろしかったのです。あの人が死んでも遺産が入るわけではありませんけど、優子さんのほうが、血が繋がっているぶん、まだわたしに親切にしてくれるように思えますもの」

「詐欺のことは警察には届けられたのですか」

「ええ、それでこうやって事前にお話ししているんです。調べられたら、すぐわかりますから。ただ、ほかの誰にも詐欺にあった話はしていません。馬鹿なくせに、プライドだけはまだどこかに残っているみたいです」

 亜紀代は唇の片端を上げた。

「刑事さんも、わたしのことを軽蔑されるでしょうね。――わたしみたいな女はクズだとお思いでしょう」

「亜紀代さんはなにができるのですか」

 砂木はその場の雰囲気を変えるような口調で言った。

「いまお話しした通り、役に立つことなどなにもできません。刺繍したり、お菓子を焼いたり、ピアノを弾いたり、そんなお人形みたいなことばかりですわ」

「それだけできれば十分ですよ。それを人に教えるなんてどうです」

 亜紀代は目を開いた。

「そんなこと想像もつきません」

「一度、そのことでどなたかと相談されたほうがいいと思いますよ」

 砂木はそう言って立ち上がった。

「刑事さん、いまわたしが話したことは、みんなも知ることになるのでしょうか」

「捜査の都合上そうならざるを得ないかもしれません。特にグラビアの件に関しては、誰が盗んだのかを明らかにする必要がありますので、触れずにおくのは難しいでしょう。それでももちろん、秘密にできることは、そうするつもりです」

「グラビアを針で刺して喜んでいたなんて、みんなわたしのこと、お上品ぶった最低の女だと思うでしょうね」亜紀代は呟いた。

「気に病んでも解決はしません。人生をうまくするコツのひとつは、強くなることです。それに、やり直しができることを認識することです」

 砂木は出ていくためにドアを開き、肝心なことを忘れていたみたいに振り返った。

「そうそう、春仁さんは、あなたにとってどんなご兄弟でしたか」

「ハル兄さんですか」亜紀代は目をしばたいた。「どんなと言われても――そうですね。わたしにはとてもやさしい兄でしたわ。姉やフユ兄さんは、ハル兄さんになにか引け目みたいなものを感じていたみたいですけど、わたしはそんなものを感じたことなどありませんでした。だって、ハル兄さんはハル兄さんで、わたしはわたしなんですもの」

 砂木は笑ってうなずいた。

「亜紀代さん、あなたはご自分のことを、誰よりもご存じじゃないですか。それならなんの心配もいりませんよ」そう言って、砂木はドアを閉じた。

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