10 事情聴取 考察
「どう思います」沢口が言った。
「浦島ですか」
「いえそうではなく、いままで話を聞いてきたうえでのことです。事件の全体像みたいなものですね」
「かなり込み入っているという印象です。まだ全員の話を聞いていませんが、いま集まっている供述だけでも、怪しいところや疑わしい点があります。警部も気づかれていると思いますが、何人かは明らかになにか隠しています。それに榊欣治が死んでいる事実もあるなら、遺言状のコピーも出てきました」
綿貫はため息をついた。
「砂木はどうだい」
「五里霧中ですね。どれが有力な手がかりなのかわからない状態ですよ。毒入りチョコレート、傷つけられた被害者のグラビア、爆弾の電話、遺言状のコピー、榊の死、さまざまな供述。それらがどう結びつくのかを考えるしかないでしょう。いまの僕に言えるのは、この犯人が周到な計画を立てて犯行に及んだのは確かだということです」
「一度整理してみよう」沢口が言った。「まず、死んだのが華輪美也であることはわかっているが、犯人の目的は、やはり彼女だったのだろうか?」
「チョコレートがおかれていたのが被害者の部屋なのですから、それは間違いないでしょう。動機にもこと欠かないみたいですし、脅迫もされているなら、犯人はわざとカードに『毒入り』と記載したり、グラビアを傷つけたりして、被害者の反抗心をあおることもしています。それに、彼女が赤をラッキーカラーにしていたことも計画の一部になっています。しかし砂木警部補の言われるように、犯行方法が確実性に欠けるのも事実なんです。ひとつ間違えれば、他の者を殺してしまう可能性が十分にあります。また逆に、チョコレートは食べられず、誰も死なずにすんだ可能すらあります。美也を殺すのが目的の場合、犯人がそういう曖昧な方法を取るだろうかという疑問は拭いきれませんね」
「しかし美也以外に、犯人は誰を殺そうとするんです。そういう人物はいないみたいですけどね」
「榊欣治が死んでいますよ」
砂木がぽつりと口にし、意外な人物の名が出たことで、沢口と綿貫が砂木のほうに振り向いた。
二人の顔を見ながら砂木は言った。
「どう見ても、榊が殺されているのが、こちらの事件と無関係とは思えないじゃないですか。同じ日に、同じように毒殺されるなんて、偶然ではないですよ。となると、向こうのことがよくわかっていないので決めつけるのは早急ですが、榊殺しが犯人の目的で、こちらの事件はそれをカモフラージュするための欺瞞だったという推理も成り立つわけで、そう考えれば、犯行方法の曖昧な点の説明はつきます。つまり、チョコを食べても食べなくてもどちらでもよかった、誰が死んでも死ななくてもかまわなかった。要するに、犯人は榊さえ死んでくれれば、あとはどうでもよかった」
「華輪美也殺害は、榊の事件の捜査を間違った方向に進ませるためにおこなわれたというわけだ。しかしだな、捜査を混乱させるためだけに、わざわざ手の込んだ方法を使って、成り行きまかせで、人をひとり余計に殺したりするだろうか。誰が死ぬかもはっきりしないままにだぞ」沢口が疑問を呈した。
「ええそうです。欺瞞かもしれないと考えながら、僕にしても、華輪美也の殺害はたんなる欺瞞でなく、犯人の最初からの目的だったという気がしてならないのです。それで困っているんです。爆弾の電話、部屋におかれていたチョコレート、赤色のチョコに仕込まれていた毒、『毒入り』と書かれたカード、切られていたグラビア、そのいずれもが被害者の美也を指しています。欺瞞であろうとなかろうと、華輪美也を確実に殺害する自信が犯人にはあったようにみえるんです。そして美也殺しが犯人の狙いだったら、誰が死んでもよかった、誰も死ななくてもよかったという前提が崩れる。それなのに犯人は、実際のところ、不確実性のある殺人手段を選んでいる。そこに、どうやって整合性を見い出すかです」
「かえってわからなくなった気がするのは、私の気のせいか」沢口が、苦笑いを浮かべながら左のこめかみを指先で押さえた。「つまり、手段と目的になんらかの不協和があると言いたいんだな」
「ま、そういうことです。そこをどう埋めるかです」
「どうしてそんなことになったんでしょう」綿貫が言った。
「いまの段階ではまだわからないとしか僕にも答えようがありません。しかし犯人にとっては、この方法が一番適切だったのですよ。だからそうしたのです」
「手段として疑問はあるが、やはり、犯人は被害者を殺害するつもりだったということになるな」沢口が言った。
「ええ。他の誰かではなく、華輪美也をですね」
「うううん。そうだとしたら、計画を立てる際に、実際のところ美也がチョコレートを食べる確率はどのぐらいだと犯人は思っていたんでしょう。ゴミ箱いきにならずにですね」
綿貫の問いに砂木が応じた。
「ヒフティーヒフティー、五分五分ぐらいじゃないですか。食べるか食べないかに関してはそのぐらいだと思います。部屋においていること、赤色を利用していること、それにカードとグラビアで反発心をあおっていることで確率を上げてはいますが、それを考えてもやはり半々でしょう。被害者のように勝気な性格でなかったら、毒入りなんてカードの添えられたチョコは、まず食べやしないでしょうね」
「もし、もしですよ。美也が、食べないほうの選択をしていたら犯人はどうしていたと思います」
砂木は悪戯っぽい目で綿貫を見つめた。
「深夜に部屋に忍び込んで、寝ている被害者の頭に火かき棒を振り下ろしたというのはどうです」
綿貫は息を呑むと、右の掌で顔を撫でおろした。
「聞くんじゃありませんでしたよ。想像しただけでゾッとします」
「ほかになにかありませんか。いまの段階で捜査に役に立ちそうなことなどは」
気分を払拭するように沢口が言った。
「もっとも有力な手がかりは、チョコレートの箱がおかれたのは、四時半から、被害者が発見するまでの六時半までだという事実です。犯人はこの間に箱をおくことのできた人物ということになります」
綿貫が指摘した。
「それでいくと、まず疑わしいのは邸にいた者たちですね。フミに亜紀代に川口親子。そのつぎに疑わしいのは、美也が戻ってくる前に邸にきた島名一郎と華輪めぐみ。この六人のうちの誰もが、その時間内に箱をおくことができた」
「第三の人物。つまり、外から邸に忍び込んだ人物の可能性はどうでしょう」
「そのことについては、明日にでも調べてみないといけないでしょう。侵入者がいたのなら、形跡を残していると思われますから」
「時間に関してですが、僕は四時ごろかかってきた、れいの爆弾の電話が気になっているんですよね」
沢口と綿貫の話を聞いていた砂木が言い出した。
「いま綿貫さんが指摘された四時半から六時半の時間も、そこから導き出されていますよね。浦島の家にかかってきたのが四時、浦島がこの邸に電話を入れたのが四時半。どうして犯人は爆弾なんて電話をかけてきたのでしょう」
「確かおまえの説だと、チョコレートの箱が四時半以後におかれたのを教えるためということだったな」
「ええ、その考えにいまも変わりはありません。正確には、浦島の家にかかってきたのが四時ですから、四時前にはチョコレートはなかったこと、四時以後におかれたことを確認させたかったのだと思っています」
「しかしどうしてそんなことをする必要があるんだ。わざわざそれを教える必要なんてないだろう」
「では、爆弾の電話がなかったらどうなっていたと思います」砂木はそう問いかけ、そのまま続けた。「被害者が外出してから帰ってくるまでの間にチョコレートはおかれたというふうになっていましたよね。それではまずかった。もしくは電話をかけることによって、有利な立場に自分をおくことができた。だから犯人は、爆弾の電話をかけてきたのではないでしょうか」
「で、それは具体的になんなんだ。そうなったらなにがまずかったんだ。電話をかけて、どうして犯人は有利になるんだ」
「そこまでは、僕にもわかりません」
砂木は肩をすくめ、両の掌を上に向けて肩の高さまで持ち上げてみせた。
「それではなんにもならないじゃないか」
「あ、こういうのはどうでしょう。誰かを犯人に仕立て上げるためにそうしたのだというのは。四時半から六時半までに邸にいた人物の誰かを犯人にみせたかった」
「で、それは誰なんだ」
「わかりません」
砂木がしょんぼりと、また肩をすくめて掌を上に向けるのを見て沢口が言った。
「そうむずかしく考えないで、いまは素直に事実に目を向けるのが一番だな。四時半にチョコレートはなかった。そして六時半にはあった。だからそいつがおかれたのは、四時半から六時半の間。そして犯人はそれができた人物。この事実が変わることはない」
「ええ、僕もそれは認めます。チョコが空中から出現するはずがありませんからね」
「それなら、いまは理屈をこねるより、それができた人物を探し出すほうが得策だ」
「うううん。そうかもしれません。僕は考えすぎる癖があるから……」
「それより、ほかに気づいたことはないのか」
またなにか言い出さないうちにと、沢口が慌てて言った。
「そうですね。犯人は被害者の性格を知っていて、今日の行動も知っていた人物。それに人間関係も把握していた人物。そう、犯人は被害者の身近にいた人物です」
沢口も綿貫も、その点に関しては砂木に賛成だった。




