5 事情聴取 優子
榊の死が、事件にさらなる暗い影を落とした。
沈黙が落ち、それをとりなすように、綿貫が後頭部を手で撫でおろして言った。
「いやはや、驚きましたね。こちらの事件と関係があるのでしょうか」
「詳しいことがわかっていないので断定はできませんが、偶然とは思えませんね」
「どうして榊が死亡しているのがわかったのですか」砂木が言った。
「浦島なる人物に榊の連絡先を聞いて電話を入れたら、その電話に博多署の捜査員が出たというわけさ。いま現在あちらも取り込み中らしい。榊の遺体が発見されたのは今夜の八時ごろで、第一発見者は榊の部屋を訪ねた恋人と思われる女性。遺体は台所の床の上にあり、割れたカップにインスタントコーヒーが、同じく床にこぼれていた。外傷などはないので、薬物の中毒死と見られている。どうやら、こちらと同じ青酸系らしいよ。ドアには鍵がかかっておらず、物色された形跡もないなら、遺書もないので、殺人の可能性が強いとして現在捜査が進められている。遺体の硬直状態から、死亡したのは今日の昼のうちらしいから、うちの被害者より先に死んでいたみたいだ。いまわかっているのはこれぐらいだ。榊は、この邸にきたくても、すでにそれが叶わなくなっていたのさ」
「榊が、こちらの被害者と同じ日に同じ青酸系の薬物で死んでいたとなると、どう見ても無関係じゃないですね。博多署との合同ということになりますかね」綿貫がうんざりした顔をしてみせた。
「近いうちにそうなるでしょうね。とりあえず、うちの者とあなたの署の刑事をそちらにまわしておきましたけど、かまわないですね」
「ええ。こちらの関係者たちには、まだ榊が亡くなったことは伏せておいたほうがいいでしょう」綿貫が提案した。
「明日になればニュースでわかることですが、それでいきましょう」
沢口が言い、その方針でいくことが決まった。
フミをもう一度問い質してみる必要があったが、まだなにか出てくるかもしれないので、それは最後にまわすことになった。
つぎに呼ばれたのは華輪優子だった。
優子は正面に座ると、名と年齢を言い、真っすぐに綿貫たちを見つめた。そして、問いかけられるのを静かに待った。ショートヘアーに化粧のほとんどない顔は、清楚な魅力を放っている。くっきりとした眉の下の目には、年齢に不釣り合いな落ち着きが見て取れた。
「華輪家の家族の一員になられた経緯を、まずお聞きしたいのですが」
優子はこくりとうなずき、五年前に母が死去し、その時遺品の中から自分宛ての手紙を見つけ、それによって父親が華輪春仁であるのを知ったと話した。
「母から父は死んだと聞かされていたので、その手紙はわたしにも驚きでした。わたしが困ったりしないようにと考えて、母が書き残したものだと思います。困ったわけではありませんでしたけど、わたしも父がどんな人なのか知りたかったので、それで、母の写真と手紙を持って父を訪ねたのです。父は、突然のわたしの出現に戸惑いましたが、母を覚えてくれていたみたいで、わたしを自分の娘と認めこの邸に住むようにはからってくれました」
「それが五年前ですね。その時あなたのことを、春仁さんのご兄弟、つまり身内の方々はどう受け止められていましたか」
「父以上に驚かれたと思います。最初は疑いの目で見られていたみたいですが、そのへんは父がうまく処理してくれました。五年めのいまでは、みなさんよくしてくれますし、わたしが父の娘であることをわかっていてくれていると思います」
「優子さんはいま大学の三年生で、四月から四年生になられるんですよね」
「ええ、この邸にきた時にそれまでの仕事を辞め、父がこれからどうしたいかと尋ねましたので、大学にいってみたいとお願いしたんです。一年勉強して、普通なら卒業の二十二歳になる年に入学しました。大学の友だちからはお姉さん扱いです」
二十四らしい、若やいだ笑みが優子の唇に浮かんだ。
「お父さんと美也さんの結婚について聞きますが、話では、あなたはみなさんより先にご存じだったとか」
「美也さんがこちらにくる少し前に、父から聞いてました」
「えらく突然のことですけど、特別な事情でもあったのでしょうか」
「わたしにも突然のことでしたけど、父には、格別そういう意識はなかったと思っています。父は破天荒で、突然とか急な思いつきというのは当たり前の感覚だったみたいでしたから。ですから美也さんとの結婚も、わたしたちにとっては意外でも、父にしてみれば普通のことでした。話によると、美也さんと知り合ったのは、招待を受けたパーティの席のことで、美也さんはコンパニオンをしていたそうです。それから街中で偶然出会い、交際が始まったとのことでした。特別な事情などはなかったみたいです」
「しかしそれまで独身で通すと言われていた方にしては、えらい変わりようだとしか思えないのですがね。それに、どうして秘密にされていたのでしょう」
「ほんとうのところはわかりませんけど、父がわたしに話してくれたところですと、わたしと生活するようになって、自分は大切なものをいままで忘れていたような気になったそうです。家族とか子供とかは邪魔なだけだと思っていたが、それは間違いだったかもしれないと。だから、わたしの母にはすまないが、結婚して妻を持ちたいのだが、おまえはそれでもかまわないかと話してくれました。もちろんわたしは父に賛成しました。さすがに美也さんをお母さんとは呼べませんでしたけど、父が結婚するのはいいことだとわたしも思いました。みなには、美也さんがある程度馴染んでから話そうと思うということでしたので、父も、どこか照れくさいところがあったのじゃないでしょうか」
「なるほど、そういうことだったのですね。あなたと生活されているうちに、遅まきながら春仁氏も、家族愛に目覚めたという次第だったのかもしれませんね。あなたのような娘さんができたのなら、私にもその気持ちがわかるような気がしますよ。では、今日のことを話していただけますか」
二郎と一緒に観劇に出かけたこと、行きと帰りのついでに、美也を送り迎えしたことなどを優子は話した。
「芝居のあいだ二郎さんとずっと一緒だったのですね。途中で、お二人のどちらかが席を離れるようなことはありませんでしたか」
「それはありませんでした。一度十分ほどの幕間があって、その時はべつべつになりましたけど、それを除けばずっと一緒でした」
「芝居が終わったのが四時四十分で、それから浦島さんの家に着いたのが五時十分になるんですね」
「はい。浦島さんの家に着くと美也さんがわたしたちを出迎え、中に入ると、ちょうど浦島さんが、美也さんのカバンに荷物をつめているところでした」
「なにか変わったことはありませんでしたか」
「そういうことはありませんでした。ただ浦島さんから、爆弾が仕掛けられたとかいう変な電話があった話を聞きました。それと、以前から美也さんに嫌がらせの手紙がきているのを知りました」
「嫌がらせの手紙。それはなんですか?」
「中傷したり誹謗したりする内容の手紙だと思います。それを八通ほど受け取ったと美也さんは言っていました。会社のほうにらしいので、手紙のことは浦島さんに聞いてみてください」
それから優子は、六時ごろに邸に戻ってきたことなどや、美也が死亡した際の状況を話した。
「チョコレートの流れですが、まず美也さんが最初にひとつ口にし、つぎに二郎さんが、そのつぎにあなたとめぐみさん、そしてふたたび美也さんがひとつ食べてから倒れられたのに間違いありませんね」
美也の死を思い出したように、優子は深いため息をついてうなずいた。
「その時のチョコレートの包みの色は覚えられていませんか」
「美也さんが最初に取ったぶんと、二郎さんのぶんは記憶にありません。わたしとめぐみさんのが金色で、最後に美也さんが食べたのが赤色だったことは覚えています」
「あとのほうだけ記憶に残るような、なにか理由でも」
「めぐみさんが最初赤色のを取ると、美也さんが、赤は自分のラッキーカラーだから駄目だと言ったのです。そのことがあったので覚えているのだと思います。つい色を意識するようになりましたから。で、めぐみさんが金色のを取り、わたしも同じ色のにしました。そして美也さんが赤色のぶんを口にしてああなったのです」
「美也さんが赤色をラッキーカラーにしているのは、みなさんご存知なのですか」
「ええ、知っていると思います。よく言っていましたので。赤色に思い入れがあったみたいで、決める時の服装は赤か、赤をあしらったファッションにしていました。礼儀で赤を身につけられない時などは、下着を赤にしていたみたいです」
「ほかになにか気づかれたり、気になったりしたことはありませんか」
「ないと思います」
優子が首を振り、沢口が言った。
「榊欣治さんのことでなにか知っていることがあったら教えていただけませんか」
「榊さんですか。パーティで一度会っただけの人ですから、よく知りません。美也さんのむかしの知り合いで、そういえば、離婚した前のご主人とつき合いがあった人だとか美也さんが言っていたようです」
「ほう、美也さんは以前にも一度結婚をされていたんですね」
「ええ、佐賀に住んでいた時分だと聞いています。離婚してから福岡に出てきたのだそうです。榊さんがどうかされたのですか。いまだにこられていないし連絡もないようですけど」
「それで私たちも榊さんの所在を調べているところなんですよ」
沢口はそう答えておいた。
「戻ってくるとクラクションで知らせるのが、二郎さんのやり方なのですか」
砂木が言った。
「クラクションと言われるのは……ああ、今日のことですね。あれは猫がいたんです。車道のところに猫が寝そべっていたので、それで二郎さんがクラクションを鳴らしたんです。威張った猫で、三度ほど鳴らしたと思います」
「近所の猫ですか」
「いいえ、見かけたことのない猫でした」
優子が退出してから沢口が言った。
「彼女の証言でひとつだけはっきりした。被害者は赤に対して強い思い入れがあったわけだ。いかにして犯人が、目的のチョコレートを被害者に食べさせることができたのか、ひとつわかった。赤は被害者のラッキーカラーだったんだ」
「鑑識の報告を待たねばなりませんが、赤色のチョコレートにだけ毒が仕込まれていたんでしょうね」
「そうなると思いますよ――どうした? 砂木、浮かない顔をしているが」
「確かにそうだとは思うんです。しかしその方法では、やはり確実性に欠けますよね。いくら赤にこだわるからといっても、チョコの包み紙ですよ、人に譲ってもおかしくない程度のものです。もちろん赤に仕込んでおけば、被害者を殺害する確率は増えます。ただそれでも確率が上がるだけで確実じゃない。他の人を巻き添えにする可能性がある」
「じゃあ、どう考えるんです」綿貫が言った。
「被害者の好みの赤色を利用したうえで、それとはべつに、被害者を確実に殺害するためのなにかがあった。そうでなかったら、被害者を確実に殺す必要はなかった」
「犯人にしてみれば、誰が死んでもよかったというわけですか。できたら華輪美也が死ねばいいが、ほかの誰でもよかったと。それだと、無差別殺人になります」
「そうじゃないから頭が痛いんですよ。『毒入りの』カードが添えてもあったし、カッターで切られたグラビアもあったのです。悪意があるのは誰の目にも明らかだ。だからチョコレートは、用心して食べられなかった可能性もあったはずです。つまり、無差別殺人でなく、誰も殺さずにすますのが犯人の計画だったのかもしれません」
綿貫が呆れ返った様子を見せ、記録係の野田刑事までがぽかんとしている。
沢口が言った。
「砂木、考えすぎだよ、考えすぎ」