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2 事情聴取 フミ

 玄関を入ってすぐ左の応接室を借りて聴取が始められた。質問役は綿貫が担当し、記録係として野田のだという所轄の若い刑事が同席した。

 ドアを入ってきたフミは、どこかに罠でも仕掛けられているみたいに、注意深く部屋を見まわしながらソファに腰をおろした。刑事たちを前にしてフミが言った。

「なにしろ初めてのことで、どうしたらいいんでしょう」

 表情に疲れがにじんでいるが、声には張りがあった。

「心配されることはないですよ。私どもの質問に答えてくださればそれでいいんです。まずご自分のことからお話し願えますか」綿貫が言った。

「大杉フミ、六十七歳になります。こちらのお邸で家事全般を任されております。亜紀代様がお生まれになってからですから、ご厄介になりましてかれこれ、今年で五十年ほどになります」

「ほう、五十年といえば、もう人生そのものですね。フミさんは、他の誰よりもこの邸のことについてはお詳しいわけだ。それではフミさん、事件の話に入る前に、少しばかりこの邸の人たちのことについて話してもらえませんか。なにぶん私どもは、そのへんのことについてまるでわかっていませんので」

 綿貫の質問の仕方は穏やかで、威圧するような感じのまったくないものだった。

「どこから話せばよろしいのでしょう」

「そうですね。簡単でいいですから、華輪家のことを知りたいのですよ。どういう家柄なのか、誰が誰なのか、その中でこちらの邸に住まわれているのはどなたなのかとか、そういったことです」

 わかりましたとフミは、頭の中で整理でもするような間を取ってから話し始めた。

 ――先代の佐門と絹の子供たちが、春仁、奈津枝、冬和、亜紀代の四人。長女の奈津枝は、二十歳の時に島名均しまな ひとしと結婚し、一郎と二郎をもうける。次男の冬和は二十八の時に一歳年上の太田幸子おおた さちこと結婚し、そのひとり娘がめぐみ。奈津枝と冬和は結婚を機に邸を出て、春仁と亜紀代が邸には残った。絹が六十六歳で死去し、その三年後、いまから七年前に七十九歳で佐門が亡くなった。遺言により、事業のほとんどと邸が長男の春仁に残され、実質上春仁が華輪家の当主となった。

「妹や弟さんたちから不平は出なかったのですか。かなりの資産でしょう」

「そのようなことはありませんでした。佐門様がご存命の時から、春仁様があとを引き継がれることは、みなさまにもおわかりのご様子でしたから。六十五を過ぎたころから佐門様は会長におなりになり、春仁様に事業のほうも任されておられました。遺留分というのですか。弁護士の牟田先生にお聞きしないと詳しいことはわかりませんが、そういうものはみなさまにも配分されたようです。それでも、春仁様が相続されたぶんに比べたら、それほどのものではないようです」

「なるほど、その時に兄弟間で確執みたいなものはなかったわけですね。では、話の続きをお願いします」

 ――五年前に井上優子いのうえ ゆうこが訪ねてきて、彼女が自分の子供であることを知った春仁が、自分の娘として入籍し邸に引き取った。そして昨年の四月に、芦谷美也を愛人として邸に住まわせた。

 綿貫が口を挟んだ。

「ちょっと待ってください。それでは、優子さんというのは、春仁さんの内縁の妻の子供ということになるんですね」

「少し違います。優子様が訪ねてこられるまで、春仁様もご自分に子供がいたことはご存じなかったのです。優子様のお母様にあたる井上律代いのうえ りつよ様は、もう亡くなっておられますが、優子様をそれまでお一人でお育てになられたわけです。ですから、内縁の妻としますのはいかがなものでしょう。春仁様は生涯独身で通すと言われていたお方でしたから、結婚するとか子供を作るという話はお嫌いになっていました。特に若い時分は、絶えず女性を取り替え引き替えされては、それを楽しんでおられました。そのころのお相手のひとりが律代様だったのではないかと思っております。これはわたしの憶測でございますが、律代様は、そんな春仁様をほんとうに愛しておられたのではないでしょうか。ですから妊娠したことを告げれば、反対されるのがわかっていたので、春仁様に教えずに優子様をお産みになり育てられた。そのせいで、優子様が律代様の残した手紙を持って訪ねてこられた時に、初めて春仁様も、子供がいたことをお知りになったのだと思っております」

「その律代という女性の手紙だけで、春仁氏は優子さんを簡単に自分の娘だと認められたのですか。あまりに安易すぎませんかね」

「もちろんそうです。ですから、春仁様の話では親子鑑定もしたうえでのことだと、他のみなさまにご説明なさっていました。それに、わたしに言わせてもらえば、優子様を初めて見た時から、目のあたりや顎のあたりが祖父の佐門様そっくりで、一目で華輪の血筋の方だということがわかりました」

「優子さんのことはいまの話でいいとして、昨年の四月に美也さんを愛人として住まわせたのには理由があったのですか。それに、美也さんはいま華輪姓ですよね。愛人ではなく、春仁氏の妻なのではないですか」

「ええ。美也様は春仁様の妻になられていたのですが、そのことは優子様と弁護士の牟田先生しかご存じなくて、わたしどもには愛人としてしか知らされていなかったのです。それが……」

 フミは、春仁が昨年の十月に五十五歳で亡くなった夜のことと、そのあとの経緯を話した。

「それはそれは。愛人がいきなり本妻になったのでは、みなさんさぞ驚かれたでしょう。それは間違いのない事実だったのですね」

「確かなことでございました。優子様と弁護士の先生の話もありましたし、正式な婚姻届けが役所のほうで受理されていたとうかがっております」

「しかし、なんでまた春仁氏は急に結婚されたのです。さきほどの話では、生涯独身で通すつもりだった御仁が」

 綿貫が疑問を口にすると、フミも小首を傾げてみせた。

「そのへんのことはわたしにもわかりません。不思議なことでございます。ただ優子様がこられて、春仁様はややお変わりになったように見受けられました。家庭的になったと申しますか、そういうことに目覚められたみたいでした。以前にも、外国なんぞには興味がないと公言されていましたのに、二十九歳の誕生日の日に突然アメリカに行くと宣言されて、その翌日には旅立たれ、三年ばかりを向こうで生活なさったこともありました。そしてその間、一度もご帰国なさらず、ある日ひょっこりと戻ってこられる。そういうお方でしたから、突然結婚というものに関心をお持ちになったのかもしれません」

「なるほど、普段から春仁氏は自由奔放で型破りなところがあったわけですね。それでは邸にいま住まわれているのは、次女の亜紀代さんと、春仁氏の娘の優子さんと妻の美也さんに、あなたの四人だったわけですね。他にどなたか、邸に出入りされている方はおられますか」

「通いの女中の川口妙子さんと娘の早智さん。あとは――浦島ぐらいですかね」

「浦島さんというのは、どういうお人なのです。普通の社員にしては、えらくみなさんと親密にされているような気がするのですが」

「刑事さんもさきほど食堂で見かけられたと思いますが、足に包帯を巻いた大男がいましたよね。あれが浦島です。華輪コーポレーションの一介の社員であることは間違いありません。ただ普通の社員と違って、こちらの邸のことなどもよくやってくれます。それでみなさまとも、公私にわたって気心の知れた間柄となっているわけです」

「普通の社員と違うというのは、なにか理由があってのことなわけですか。たとえば、どなたかの遠縁にあたるとか」

「いえ、そういうのではございません。浦島が華輪に入りましたのは、暴漢に襲われた優子様を助けたのがきっかけでして、その時浦島も足に大怪我をし、治療やら見舞いやらなんやらと、そういうことがあったものですから、なにかとみなさまと接する機会が多く、そのようになったのです」

「いまひとつよくわかりませんな」

 綿貫が言うと、フミは声を立てずに笑った。

「ええ、わたしにもほんとうはよくわかっていないのです。いつのまにやら浦島はいたような気がします。春仁様の運転手と邸の雑用係として最初は雇われ、当初は寝起きも邸のほうでしていましたので、社員となりましたあとも使い勝手がいいと申しますか、なにかと浦島に頼むことが多くていまのようになっているみたいです。刑事さんも浦島とお話になったらわかると思いますよ。なにかそういう男なのです、浦島というのは。ごつい顔に合わないきれいな声をしてますし。いまは浦島のほうが、わたしよりもみなさまのことに関しては詳しいかもしれません」

「わかりました。あとでご本人に聞いてみましょう。それではフミさん、今日あったことを話していただけますか」

 ソファの上で一度いずまいを正してからフミは話しだした。ミスがあってはいけないとしているみたいだった。

 普段と変わりなく朝を迎えたことから始まり、美也の提案で今夜は客を招待していたこと、捻挫のせいで美也が浦島の家にいき、優子と二郎は観劇、四時半ごろに浦島から電話があって美也の部屋を調べ、めぐみと一郎が五時過ぎに前後してきたこと、美也たち三人が六時ごろに戻り、チョコレートの箱のことで美也に聞かれたことなどを、順を追ってフミは話した。

「ですから、美也様がチョコレートを口にされるところを直接見てはおりません。叫び声がしてわたしと川口たちがいきました時には、もう美也様は床の上に倒れられていました。あのようなことがこの邸でおこるなんて、なんとも恐ろしいことです」

 その時のことを思い出したように、フミは小柄な身を震わせた。

「美也さんが、みなさんを招待されたのはいつのことなんです」綿貫が言った。

「わたしがことづかりましたのは一週間前です。来週の土曜に招待しているから、その準備を頼むと」

「なにか理由があったのですか。誰かの誕生日とか」

「いえ、そういうことはなにも。お話では、優子様と二郎様がその日観劇にいくので、そのついでに、華輪の若い人を招いてみようと思い立ったからとのことでした」

「いわゆる親睦ですね。招待されていたのはどなたたちなんです」

「一郎様に二郎様、それにめぐみ様と、あと榊欣治という方ですね」

「榊欣治とは、どなたです」

 初めて聞く名前に、綿貫は眉をひそめた。

 沢口と砂木もフミに注目したが、フミの答えは素っ気ないものだった。

「一度もお会いしたことがありませんし、榊様がどういう方なのか存じ上げません」

 拍子抜けしたように綿貫の口が開き、そして言った。

「なにも知らないのですか」

「ええ。なんでも美也様のむかしのお知り合いの方だとはうかがっております。それ以上のことはなにも。それに榊様は、いまだにおみえになっておりません」

「えっ、きてないんですか」

 綿貫が素早く反応した。

「そうです。お約束の時間は七時だったのですが、いまだに連絡もございませんなら、おみえにもなっておりません」

「こちらから確認は取っていないのですね」

 フミはうなずいた。

「こういう事態になりましたので、連絡を取るのもどうかと思いまして。それにわたしは、榊様の連絡先も知らないものですから」

「まいったな。なぜこないのか気になりますね。連絡もないとなるとなおですね――どなたか榊さんの連絡先を知っている人はいませんか」

「浦島が存じているかもしれません」

「わかりました。浦島さんに聞いてみて、こちらから連絡を取ってみましょう。つぎに、四時半にかかってきた浦島さんからの電話のことについて、もう少し詳しいとこを教えてもらえませんか。爆弾の悪戯電話の件です」

「浦島から電話がありましたのは、四時半ごろでした。わたしが取りますと、まず浦島が、そちらのほうでなにか変わったことはなかったかと尋ねてまいりました。それで、ないと申しますと、いま美也さんの部屋に爆弾を仕掛けたという電話があったので、まさかとは思うが調べてくれないかと言ってきました。爆弾とは子供じみていると思いましたが、やはりそういう電話があったのなら見ておかないわけにはまいりません。ただ美也様のお部屋に勝手に入って調べるにしましても、どこまで触っていいものか許可をいただきませんとできないものですから、美也様と電話を代わってもらいました。美也さんは笑いながら電話に出て、浦島がうるさいから一応部屋を見まわるよう申されました。鍵の掛かっているところはべつにして、あとは引き出しの中からクローゼットの中まで、遠慮なく、好きなだけ見てもかまわないとのことでした。それで川口と二人で美也様の部屋に入り、二十分ほどそれらしきものを探してみましたがけっきょくなにもございませんでした」

「部屋の隅々まで調べたのですか」

「ええ。見えるところはすべて見てみました。爆弾なんて馬鹿げたこととは申しましても、わたしどもに手落ちがあってはなりませんので、引き出しの中なども見ました。化粧台の裏やベッドの下もですね」

「それでも、なにもなかった。そのあとはどうされたのですか」

「報告の電話を浦島のほうへしました。浦島が出ましたのでなにもなかったことを告げると、そのあとで美也様が出られました。忙しいところをごめんなさいね、浦島によく言い聞かせておくからと、美也様は最前のように笑っておいででした」

 綿貫はゆっくりと、フミに念を押すように言った。

「ここで大切なことを聞きますが、その時チョコレートの箱はどこにもなかったのですね」

「それは間違いございません。チョコレートの箱がありましたのなら、わたくしか川口のいずれかが気がつかないはずがありません。あれだけ部屋を見てまわったのですから」

「それでは、問題のチョコレートの箱と封筒が美也さんの部屋におかれたのは、それ以後のことになりますよね。それ以後、誰かが邸内に忍び込んだ気配のようなものはありませんでしたか。どんな些細なことでもかまいませんので、気になることがあったなら教えてください」

 フミは大きく息をついて、頭痛でもするかのように額に左手をあてがった。

「美也様にあんなことがあり、わたしもそのことをずっと考えていたのですが、思い当たることはなにひとつありません。ほとんど厨房のほうにいましたので断定はできませんが、勝手に誰かが入ってきたようなことはなかったと思います」

「わかりました。それでは一郎さんとめぐみさんがきた時のことを、もう一度話してもらえますか」

「時間にして五時ごろです。先にめぐみ様がおみえになったのでリビングにお通しし、お茶を用意しています間に、一郎様がおみえになりました」

「もしかして二人は、一緒にきたのではないですか」

「それはないと思います。そんなふうには見えませんでしたし、お二人とも車をお持ちで、自分たちの車でこられたと申されていましたので」

「一郎さんとめぐみさんは、美也さんたちが帰ってくるまでなにをされていたのでしょうか」

「厨房にいましたのでそれは存じ上げません。お二人ともリビングにおられたと思います」

 重要な部分なだけに、フミも慎重になっているのがわかった。

 一郎とめぐみには、二階の美也の部屋に上がることのできる機会があったのを、その場にいた全員の者が承知していた。

 綿貫が言った。

「もう一度聞きますが、そのことについてはなにも知らないのですね」

「いまも申し上げました通り、わたしには存じ上げないことです。一郎様とめぐみ様にお聞きください」

 綿貫はフミを見つめていたが、フミもその綿貫の視線を一歩も譲ることなく受け止めていた。綿貫が大きく息を吐いた。

「さて、美也さんが帰ってきたのが六時過ぎ。それから、二階に上がった美也さんがあなたを呼んだのですね」

「チョコレートの箱が部屋にあるが、誰がおいたのか知らないかとお尋ねでした。それで部屋にご一緒に上がってみますと、デスクにリボンのついた赤い箱がおいてありました。わたしが四時半ごろにはこのようなものはなかったことを申しますと、美也様は箱を持ち上げて、その下に封筒と、美也様の傷がつけられたグラビアがあるのをお見せになりました。わたしが驚いていますと、誰の仕業か知らないかと、もう一度お尋ねになりました。わたしは知らないというほかありませんでした。そして川口たちにも確認したのですが、二人も、まったく心当たりがないということで、そのことを美也様にお伝えしました」

「美也さんがチョコレートを口にした時は厨房にいたのですね」

「そうです。川口たちと三人で厨房におりました」

 綿貫が沢口と砂木を見やった。

「ほかになにかありましたら」

「浦島さんは捻挫のせいで、今夜はこないことになっていたのですよね。それなのにいま食堂におられるのはどういうことでしょう」

 沢口が言った。

「わたしが電話で連絡したのです。あと奈津枝様と冬和様にもいたしました。奈津枝様はおみえになっていますが、冬和様のほうはご不在でしたので、留守番電話に吹き込んでおきました。ですから、いずれおみえになると思っております」

 沢口はうなずき、つぎに尋ねた。

「門扉とか玄関の扉といった、この邸の戸締りはどうなっているのですか」

 表の門扉は自動式になっていて邸内から開閉ができ、来客時には門柱にあるインターホンで対応のあと、開けることになっている。閉める際には、門の近くにモニターカメラがあって、それを見てから、やはり邸内から操作していることをフミは説明した。あと開閉のできるリモコンがあり、美也と優子と亜紀代とフミが一つずつ持ち、川口親子には一つ、奈津枝のところには二つ、冬和のところには一つが渡されていた。いまは警察の出入りもあるということで、門扉は開放されたままであった。

「春仁さんがお持ちのぶんもあったのではないですか」

「それを奈津枝様のほうにおまわししたのです。ですから奈津枝様のところは、二つになったわけです」

「それでは。今日は、来客でもない限り一日中門扉は閉じられていた状態だったのですね」

「ええ、そうなります。二郎様や一郎様やめぐみ様は、リモコンを使ってご自分たちでおできになりますし、それ以外に来客はありませんでしたので、わたしのほうで門扉の開閉はおこなっておりません」

 錬鉄製の門扉は二メートルほどの高さがあり、鉄柱と鉄柱の間隔は二十センチ弱で子供が通り抜けるのも難しい。しかも鉄柱の上部は、先の尖ったものとなっている。よじ登ることは不可能でないかもしれないが、それなりの準備と手間がかかるものであるのは間違いなかった。昼日中に門前でそんなことをするとは思えない。それより、石垣をよじ登ってフェンスを乗り越え、庭から侵入したとするほうが、敷地内に忍び込むには適切であった。もしそれがおこなわれたとしたら、石垣とフェンス、それに庭に痕跡が残っている可能性が高い。明日の午前中にでもその調査をしなければならなかった。

「門のほかに出入り口はないのですか」

「厨房から表に出ました先に裏ドアがあります。門からでは買い物の際にはなにかと不便ですので、わたしや川口はそちらのドアを使用するほうが多うございます。そのドアは閉めると自動的に施錠されるタイプのもので、内側からは開けられますが外からは鍵がないと開きません。ですから、そこから出る時には鍵を持って出るようにしております」

「そのドアをよじ登って侵入することは可能ですか」

「そういうこともあるでしょうから、ドアの上のほうには鉄条網が仕掛けられています」

「それを切断でもしないと無理ということですね。では、玄関の扉のほうは常時鍵を掛けられているのですか」

 フミは首を横に振った。

「就寝前の戸締りの際には鍵を掛けますが、日中は掛けておりません。玄関の鍵を所持されているのは美也様と優子様と亜紀代様の三人、そしてわたくしが、春仁様がお持ちだったぶんを合わせ、スペアとして二本持っております。川口には持たしておりません。信用していないというわけではなく、なにか間違いがありました時川口に迷惑にならないようにです」

 ありがとうございましたと沢口が礼を述べると、それを待っていたかのように砂木が身体を前に出した。

「すみません。僕からも少しお願いします。美也さんとチョコレートの箱を確認にいった際ですが、美也さんが箱を持ち上げると、下からグラビアと封筒が出てきたと言われましたよね。グラビアは封筒の上にあったのですね、中ではなく」

「ええ、全部かどうかは知りませんけど、封筒の上に、顔の部分がカッターで切り裂かれたグラビアがあったのは間違いありません。突然目に飛び込んできたので、よく覚えております」

「それは美也さんがそうやっておいたのでしょうか。それとも、最初からそうなっていたのでしょうか。ご存じないですか」

 フミは一度顔を下げ、考えるようにしてから答えた。

「確か、『こうやってあったのよ。箱を持ち上げたら、下からわたしのひどい写真が出てきてもうびっくり、頭にきちゃうわ』。そのようなことを美也様が口にされていたことを覚えていますので、美也様が見られる前も、そうやっておかれていたのだと思います」

「つまり、チョコレートの箱の下に、最初から、グラビアと封筒はわざと見えないようにしておかれていた。こう考えていいわけですね。その時の美也さんの様子はどうでした」

「腹を立てられていたと思います。しかし美也様は冷静なお方でしたので、取り乱されたり、怒りで声を出されるようなことはございませんでした。不快そうな表情をお見せになっただけです」

 砂木は満足したように破顔し、綿貫が、グラビアやチョコレートのことでなにか心当たりがないかを尋ねたあとで言った。

「ほかになにか気づいたことや、言っておきたいことがあったら、どんな些細なことでもかまわないので話しておいてください」

 フミは片手を頬に当て、二、三度撫でた。

「べつにこれといってございません。しいて申し添えるなら、亜紀代様はわたしどもと今日一日、ずっと邸におられたというぐらいのことでしょうか」

 一瞬、フミの目がすばしっこく刑事たちの様子をうかがった。

 妙な違和感を与えたものの、それについて言及する者は誰もいなかった。

「ご協力ありがとうございました。ところでフミさんは、今回の事件をどう考えられます」

 フミは唇を硬く結んで綿貫を睨みつけ、それから結んでいた唇を開いた。

「なにかの間違いです」

 そう言いおいて、フミは部屋を出ていった。

「見上げたもんです。疲れてはいるんでしょうけど、気はしっかりとしている。話も整然としていました」

 綿貫が感想を述べた。

「おかげで、いくらか内部の事情がわかってきました。ひと悶着ありそうな人間関係に莫大な資産。頭が痛くなります。被害者は、みんなにあまり好かれていなかったでしょうね」

沢口が言った。

「そりゃそうでしょう。愛人がいきなり本妻になって財産を持っていたのでは、波風立つのが当然でしょうな」

「そういえば、榊とかいう人物がいましたね」

「まだきていないという男ですよね。そこに警部はなにかあると思われますか」

「一概には言えませんけど、殺人が発生していて、きていないし、連絡もないというのは――どうもね。それに被害者のむかしの知り合いみたいですし、そこになにかあるのかもしれません。至急調べたほうがいいでしょう。榊が犯人で、逃亡中となったらことですから」

 沢口はそう言ってから砂木を見やった。

「チョコレートの箱のことにこだわっていたが、なにか気づいたことでもあるのか」

「犯人の性格のことを考えていただけです。爆弾といい、チョコレートの箱の下にグラビアを隠しておいて、被害者が箱を持ち上げてからびっくりさせようなんて、犯人は悪意にたけたユーモアの持ち主だなと思ってですね。『毒入り』というカードもありましたよね」

「それがどうかしたのか」

「往々にしてこういうユーモアを持った殺人者というのは、相手にするのにはやっかいな頭脳の持ち主だということですよ」

「で、それはおまえの好きなミステリ小説での話かい」

「いやだな、沢口さん」と砂木は頭を掻いた。

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