9 パーティ会場 二郎とめぐみに榊 そして青い蝶
カスタムメードの赤いドレスに身をつつんだ美也を、島名二郎は冷ややかに見つめた。それでも、スポットライトを浴び、歯切れよく挨拶をする彼女が、魅力的であることは二郎も認めないわけにはいかない。額の生え際からうしろに流した栗色のロングヘアー、日本人離れしたすらっとしたスタイル、足首は細くしまりハイヒールがよく似合う。
ただ、好みに合わないのだ。きらびやかな女は、どうも苦手なのだった。
エレガントビーナスのオープンパーティの会場である。場所は、店がオープンするキャッスルタウンのA号館の最上階、招待客は福岡の財界人や名士と呼ばれる人たちの、妻や娘たちがおもで、数にして百二、三十人ほどが集まっている。中央の大テーブルの上には、ビーナスを模した氷の彫刻が据えられ、それを取り囲むようにして、色彩を重視したとおぼしき料理が配置されている。会場には、寿司と蕎麦、それに揚げたての天麩羅を食べさせる屋台があり、その隣にはバーテンダーの手で好みのカクテルを作ってもらえる洋酒コーナー。そしてそれの反対側には生バンドまでが用意されているという豪勢さであった。女性が主体のパーティのため、女のコンパニオンより、若くて感じのよい男のボーイが多いのも特徴だ。
「――それでは、今宵のパーティを思う存分お楽しみください。と申しましても、くれぐれも殿方にご心配をかけない程度に、ですね。そしてわたしどものエレガントビーナス、エレビに、みなさまの熱いご声援をお願いいたします」
美也が笑顔で頭を下げ、会場から一斉に拍手が沸き上がった。つぎに県会議員が壇上に立ち、乾杯の音頭をとってパーティが始まった。
砂糖に群がる蟻のように、みなが料理のおいてあるテーブルや、屋台へと向かう。飲むことより、食べるほうが優先されるのは女性客の常である。苦笑を浮かべながら二郎もその仲間に加わった。バンドがグレンミラーの曲を演奏し、各自が談笑するなか、カメラマンのストロボがあちらこちらで閃光を放っている。
冬和と幸子夫妻の姿が見え、兄の一郎は優子のそばにつきっきりでいるつもりみたいだった。優子の隣では、めぐみが退屈そうな顔をしている。亜紀代の姿が女性客の間からかいま覗く。さすがに奈津枝は、パーティの招待をやんわりと辞退していた。そして美也とのつながりを断つわけにもいかないためにも、息子の一郎と二郎が出席しているのだった。
その肝心の美也は、笑顔を絶やさず接客に余念がない。
めぐみが二郎のそばにやってきた。淡いピンクの、フリルスカートとジャケットが揃いのフォーマルな装いをしている。
華奢な身体つきで、肌の色がミルクのようなやわらかな白さだ。鼻や口が小さくて目ばかりが大きく見える顔は、二十歳なだけに少女の硬さが残り、女というにはもう少しといった印象を与える。前髪を長めにして不揃いにしたウルフカットアレンジが、顔の輪郭をシャープに見せ、短めのスカートから黒いタイツの脚がすらっと伸びていた。
「どう?」
今夜の服装のことをめぐみが尋ねた。
「似合っているよ」
「もう感情のこもっていないセリフ。ほんとうはなんとも思っていないんでしょう」
めぐみが噛みつく。
「わかった。それじゃ、ぜんぜん似合っていない。案山子みたいだ」
めぐみが腰に両手をあてて頬をふくらませた。
「あなたって、ほんとうに女を見る目がないんだから」
「それでも、女に目がないよりはましだろう」
二郎は、優子のそばにいながら、他の女性たちを盗み見している一郎を顎で示した。
「それはそうだけど」めぐみも一郎をチラッと見やって答え、それから気分を変えるように言った。「ねえ、美也さんにはもう挨拶にいった?」
「まだすませていない。美也さんもいまは忙しいだろうし、僕たち身内はあとでも構わないと思うよ」
と、その時二郎は視線を感じて首を動かした。
パーティ客に混じって、ひとりの男がさっと顔をそむけるのが目に入った。距離にして五メートルほど離れている。二郎の知らない男だ。そのままじっと見つめていると、男はまたもや、様子をうかがうようにそっと二郎のほうへ顔を向けた。目と目が重なる。今度は男のほうも視線を逸らすことはなかった。薄笑いを顔に貼りつけ、グラスを片手に二郎たちのほうへと歩いてきた。
「榊欣治といいます。美也さんの知り合いで、今夜のパーティに参加させていただいています」
男は、二郎と同じくらいの二十代後半あたりから三十歳あたり、長身で、甘い、女に好かれそうな顔立ちをし、どこか崩れた雰囲気が漂っている。こうやって間近に見ても、二郎には榊と会ったような記憶はない。ホストクラブにでも勤めていそうなタイプだが、白のタートルネックのセーターに茶色の革のジャケットは、あまりいい品ではなかった。黒い二つの目が、人をからかうように二郎を見つめている。
二郎が、自分とめぐみの名を教えた。
「島名二郎さんと華輪めぐみさん。ということは、美也のご親戚ですね」
榊が自分たちをいくぶんなりとも知っていることに、二郎は不思議な思いがした。
「ええ。それで榊さんのほうは、美也さんとどういうお知り合いなのですか」
失礼に聞こえないようにして尋ねた。
「むかしの知り合いですよ。それが最近になって再会してですね。ふたたび交流をあたためさせてもらっています」
榊はそれ以上言おうとせず、話題を切り替えた。
「それにしても美也もえらくなったもんです。こんなたいそうなパーティを開けるんですから。しかも客は名士ばかり。さっきから驚いてばかりですよ」
どうやら榊は、美也を呼び捨てにするほどの仲らしい。
二郎は差し障りのない程度に答えた。
「彼女はエレガントビーナスの代表者ですから、このパーティの重要性をよく承知しているんだと思いますよ」
「そうでしょう。ほんとうにすごい――それに聞くところによると、このキャッスルタウンの所有者も彼女だそうですね」
「美也さんは、十月に亡くなった僕の伯父の相続人なんです。所有というといささか語弊がありますが、華輪コーポレーションの筆頭株主であるのは確かです」
「いやはや、まさにシンデレラストーリーだ。いったい資産にしてどれほどあるんですか」
「僕にだって見当つきませんよ。言い換えるなら、見当がつかないぐらいの額ということになるでしょうね。このキャッスルタウンにしても、四ヘクタールの敷地に三つのビルを複合した大型商業施設ですし、テナント料とは別に、売り上げに対してもなんパーセントかのマージンを得ていると聞いていますから、収益を考えたら相当なものでしょう」
榊は口笛を鳴らすと、タートルネックでつつまれた首を縮めこませた。
「唖然とするしか言いようがないな。さてさて、そしてつぎに欲張りな女王が欲しいのは名声というわけだ」
「そんな言い方したら叱られますよ」
「しかしほんとうのことじゃないですか」
榊はしらっと言ってのけた。
「ところで榊さん、さきほど僕のことを見られていたような気がしたのですが」
榊の顔に、人をからかうような様子が再び現れた。
「いえ、ちょっとあなたが、以前の知り合いの人に見えただけなんです。確か、どこかで一度お目にかかったことがある――顔は覚えているのに、どうも名前が思い出せない。どうです、あなたは僕に覚えがないですか」
二郎が首を横に振ると、榊は声を立てて笑った。どういうわけか、ますます人を馬鹿にしているような調子が強くなった。
「やっぱり、私の記憶違いというやつでしょう。よくあるんです。誰かを見てどこかで会った気がしたり、逆に、むかしの同級生にまったく気づかなかったりですね。要するに私の記憶力が弱いということです。もし気に障ったのなら勘弁してください」そして、「それでは私はこれで失礼します。ここで知り合いになれてほんとうによかった。またお会いする節には、よろしくお願いします」
セーターの首まわりを指先で引っ張って直すと、榊は軽く会釈して他の人々の輪へと歩み去った。
「なにあの人。感じ悪いわね」
さっそくめぐみが思った通りのことを口にした。無視されていたことが気に入らないようだった。
「人をそう軽々しく判断しちゃいけないな。あんがい、あれで好人物かもしれない」
「本気で言っているの」
めぐみが言い、二郎は肩をすくめてみせた。
「美也さんの知り合いだと言っていたけど、できたらあんな人とつき合うのは願い下げだわ。なに考えているのかわからない感じ――なんか、気分悪い。わたしお化粧直してくるわね」
めぐみのうしろ姿を、二郎は黙って見送った。
パーティも一段落ついて、みなはそれぞれのグループになって会話に高じていた。美也は、いまだにそのグループからグループへと挨拶をしてまわっている。大袈裟なぐらいに明るく振る舞い、ここからでも、彼女の華やいだ声色が聞き取れそうなほどだ。
視線を転じると、いまだに兄の一郎は優子により添っていた。平気でそんなことのできる一郎の無神経さに、半ば呆れる思いがした。
二郎は優子を見つめた。襟が白の、グレイのワンピース姿だった。黄色の細いベルトと、同じく黄色の前ボタンが、そのおとなしいファッションに色を添えている。ショートにし、分け目をつけずに横に自然な感じで流した髪は、毛先を細くしているのだろうか、いまにも風になびきそうな趣があった。一郎の言葉にいちいちうなずき、時折微笑みを浮かべる様子は、二郎にとって飽くことのないものであった。
――ちくしょう、なんて彼女は魅力的なんだろう。
二郎は吐息をつくと、その場から歩き出した。少しばかり外の空気に触れたくなった。会場の隅を半周するようにして、夜景の広がるテラスに出た。そこなら誰にも邪魔されることなくひとりになれそうだった。しかし、生憎とそこには先客がいた。
闇に溶け込むようにして欄干にもたれかかり、考えごとをしている背広を着た大男の姿があった。浦島だった。よほど考えに集中しているらしく、二郎がきたことすら気づいていない様子だ。両腕を組み、顎を胸につけるようにして、ついぞ見せたことのないような険しい表情なのが、会場からの明かりでわかった。
人の気配に、浦島はハッと顔を上げると、たちまちのうちに、いつもの快活な笑みを浮かべた。いままでのが嘘みたいな顔だった。
「あっ、二郎さんでしたか。どうされました。女の子にでも振られましたか」
「まあね。ナイトの君と違って、僕の役回りはピエロだから」
「もう勘弁してください。いい加減、ナイトだとかピエロだとかはなしにしませんか」
「しかし、事実は事実。君はナイトで僕はピエロだ」
「仕方のないお人だなあ」
いま見たばかりの浦島の表情のことには直接触れずに、二郎は会話を続けた。
「それより、どうして浦島さんこそこんなとこにいるんだい」
「それが私も、女の子に振られてですね」浦島は鼻を鳴らした。「もちろん冗談です。たぶん二郎さんと同じで、少しばかり夜風にあたりにきたんですよ」
「女だらけで、化粧の匂いで窒息しかねないからね」
「まったくです。それによく食べるし、話す。弱きもの汝の名は女なりなんて、私には信じられません」
「そう。オスを平らげるカマキリこそ、女の本性だよ」
「と言っているうちに、そのメスカマキリの子供が、あなたを食べにきたようですよ」
振り返ると、めぐみがテラスに入ってくるとこだった。
「もう探したのよ。いったいこんな寒いとこでなにしているの。お願いだから、男二人の逢引きなんて言わないでよ」
二郎と浦島は顔を見合わせて笑った。
「それじゃ、お二人の邪魔にならないように戻るとしますか。このパーティも私には仕事のうちですからね」
浦島はそれだけ言うと、会場へと歩んでいった。
「美也さんにこき使われて、浦島さんも大変そう」
めぐみが同情するように口にした。
「そうだね……」
そう言いながら二郎には、さきほどの、浦島の考え込んでいた様子が気になっていた。あの、真剣な、どこか怖いところさえ感じさせた浦島の表情。よほどのことがあったとしか思えなかった。
――いったいなにがあったのだろう?
パーティから帰ってきた榊欣治は、ベッドの上で含み笑いを洩らした。
何度思い返してもたまらない。ようやく俺にも運が向いてきたというわけだ。まったくなんという幸運だ。しかも、こうも重なるとは。
隣で横になっていた水月由美が、上体を起こした。髪がくしゃくしゃになっている。
「なに、さっきからひとりでにやにやしているのよ。気持ち悪いわね」
榊はなにも答えなかった。ただにやにやしていた。
「ほんと。ねえ、なにがあったの? 欣ちゃんのこと心配して言っているのよ」
「大丈夫、大丈夫。金の卵を産むガチョウにようやく巡り会えたのさ。おまえにもいい思いをさせてやるから、安心しとけ」
「あぶないことじゃないでしょうね」
「ま、見てなって」
榊は頭のうしろで手を組んでベッドの枠にもたれかかった。そして、小声で楽しそうに唄った。
「なによそれ?」
榊は唄い続ける。
「もうわけがわかんないわ。まるで子供みたい」
由美はベッドからおりると、裸のままキッチンへ向かい冷蔵庫を開いた。女というより、まだ少女のような身体だ。由美が振り返って言った。
「もう、いい加減にしないとおじいちゃんになってしまうわよ」
榊はなにも言わなかった。ただ唄い続けていた。
無意識に掌が右の首筋を探る。青色の蝶の彫り物が、首筋の皮膚の上で飛び立とうとするかのように蠢いていた。