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中編

「…先輩」


 ハイネックのインナーに厚手のシャツ、セーターにダッフルコート、マフラーと防寒装備ばっちりな公美に、咎めるような声が落とされた。

 駅前のベンチでうとうとしていたことを自覚した公美は、仕方ないな、と自分の非を認めて苦笑いを浮かべた。


「ごめん…」


「全くです。何かあったらどうするんですか」


 心底呆れたと言わんばかりにため息混じりにぴしゃりという相手が、心底から心配し案じてくれているから厳しい声音になるのだと公美は知っていた。だから、叱責も嫌味も甘んじて受ける。

 普段は緩く穏やかな気質だからこそ、厳しいことを言うのは正論で相手を慮っての事だから。

 どこか安堵したように、嬉しそうに息を吐いて頷く公美に、相手は何か言いたげにしつつも口をつぐんだ。そして、おそらくは別の事を口にした。


「…生憎、俺はまだ17歳ですから、車を運転できませんけど。一人歩きよりはましでしょう」


「うん。ごめん」


「違いますよ、先輩」


「…そうだね。ありがとう、聡哉そうや


 謝る公美に苦言を呈し、感謝の言葉を受け取った聡哉は満足げに頷き、公美の手を取る。

 もう片方の手はスーツケースをつかんでいる。


「行きましょう。藤栄ふじえさんも、待ってます」


「うん」


 祖母の名を出されて、公美は力なく頷いた。

 一も二もなく公美の味方になり、迅速に動いてくれた祖母に深い愛情と感謝を抱きながら、罪悪感があった。

 利用してしまった、と。


「先輩」


 項垂れるように下を向いて歩いていた公美を、聡哉の平淡な声が呼ぶ。


「大好きな人に頼られたら、嬉しいものです。先輩も、そうでしょう?」


「うん…。そうだね。ありがとう」


 内心を読み取ったような聡哉の言葉に、公美は心が軽くなるのを自覚した。


 聡哉こと、烏丸(からすま) 聡哉は公美の一つ下で、17歳。4月から高校3年生だ。

 長期休みの度に祖母の家に一人訪れる公美にとって、実際に顔を合わせる期間は短いものの幼馴染のような存在の一人だ。

 同時に、公美の初恋相手でもあった。


 この町は都会とも田舎とも言い切れない程度なのだが、世界に冠たる火宮かみや財閥の本家や綜合警備会社『アヤオニ』創始者の家、老舗呉服問屋『来嶋くしま屋』本家、名門慧瑛けいえい学園があるから知名度は高い。けして本社があるわけではないので、人は多くないのだ。

 聡哉は慧瑛学園の経営者一族が出資している養護施設の出身だ。名前が書かれた産着にくるまれて、門前に置き去りにされていたらしい。

 小学6年の時、慧瑛学園から優秀な人材と認められ、特待生として入学しないかと打診があり、就学に必要な費用の前面免除ということで聡哉は中等部から慧瑛学園に通っている。


 親によって一時期、祖母の元に行くことを禁じられていた公美は、淡い初恋を押し込めて少年を選んだのはどこか似た雰囲気があったからだと自覚していた。

 久しぶりに面と向かってしまえば、全然似ていないな、と思うのだが。

 少年は少年として、ちゃんと愛していたのだと、面影だけを追ったのではないのだと、初恋相手に会うことで確認するとは何とも複雑だ。


「先輩、これからどうするんですか? 大学、行かないんすよね?」


「うん。しばらくは、お祖母ちゃんのお手伝いしながら、ゆっくりするつもり。色々と準備もあるし。両親には、お祖母ちゃんが自分の家から通わせる、費用も払う、って話したから問題ないし」


「つまり、大学に行くなんて一言も言ってない、っていう方便が聞く言い方で話しをつけたんですね。しかも、文書にして署名捺印もさせたんじゃないですか」


「弁護士さんが来て、書類を作って持ってきてた。両親にしても、不出来な娘の為にこれ以上お金を使いたくなかったみたいで、嬉々としてサインしてたよ」


「…そうですか」


 むっとしたように相槌を打つ様子に、公美は久しぶりに楽しい気分になった。

 会話内容は鬱々としているのに、何の気負いもなしに軽い口調で話せるのは事情を把握している相手だからか、聡哉だからなのか。

 かつての淡い想いはすでに遠い彼方だから、前者だろうと自己完結した公美を、聡哉は立ち止まって振り返る。

 気付けば、もう祖母の家の前だった。

 送ってくれたことに感謝を述べようと聡哉の目を見上げれば、怖いほど真剣な眼差しに公美は固まった。


「今、言うのは卑怯かもしれないけど、弱っている所に漬け込む様で申し訳ないけど、もう誰かに掻っ攫われるのはごめんだから、言います」


 一拍を置いて、聡哉は公美の手を放して一歩後ろに下がった。


「新藤 公美さん、俺、烏丸 聡哉は貴方が好きです。この12年、貴方を思い続けて、忘れたことはありません。辛い別れを決断した貴方を支えさせてください。―――今すぐ、考えてほしいわけじゃありません。俺が大学を卒業したら、また、言います。その時まで、貴方の幼馴染として、貴方を思う男として、貴方の側に居る事を、許して下さい」


 呆然とした公美に、苦笑を浮かべた聡哉はインターホンを押すと、頭を下げて去っていった。

 早朝にもかかわらず、公美の到着を今か今かと待っていたらしい祖母は、常の淑やかさからは考えられない程慌ただしい音をたてて玄関の引き戸を開けた。

 その先で、スーツケースに縋り付くようにしてうずくまり、顔を真っ赤にしている公美を見つけ、祖母は笑顔から一転して不安に慌てふためきしばしうろたえることになる。




 烏丸 聡哉は、稀に見る美少年である。

 美少女すら霞むほど。10人中10人が振り向くほど。老若男女問わず、視線を集めるほど。

 表情が少ない為にクールに見られがちだが、結構大雑把で軽いノリの冗談も悪ノリもし、嘘と真実を織り交ぜた話で友人を混乱させて遊ぶようなところがある。そんなギャップが良い、と非常にモテる。

 平均を越えた180㎝前後の長身も、養護施設の管理責任者が剣道の道場主である為、幼少から剣道をやっていて腕っ節が強いのも、モテる要素にしかならない。

 先に述べた性格から、男子から受けるやっかみは冗談半分になりがちで、友人も多い。その大半は、公美の幼馴染もどき達だが。


 そんな美少年が、爆弾発言だけして去っていった。

 公美がショートしてしまうのも仕方ないだろう。




 家に公美を入れ、落ち着かせて話を聞いた祖母は着物の袖で口元を覆いながらも涙を浮かべて大笑い。

 公美の初恋も、聡哉の想いも全て知っていたらしい。



 悲壮な覚悟で家を出てきたはずなのに、それが一気に吹き飛んだ、初春の早朝だった。



※※※



 衝撃を受け止める為に1日ゆっくりしてから、スマホの電源を入れた公美だがライン画面に新着メッセージはなく、既読の文字もない。

 公美は、1日待っても何のリアクションもなければ、と決めていたことを実行する為に祖母にお願いをした。二つ返事で頷いてくれた祖母は、どこかに電話をかける。


「先輩っ!」


 20分後、車の音がしたと思ったら断りもなく玄関が開き、廊下を失踪してやって来た小柄な人物は、涙目と涙声で公美に飛びついた。直前、勢いを殺しきって公美に衝撃が行かないようにしたのは見事な技である。その後ろから、ゆっくりと入ってきた20代半ばの青年が「よう」と手を上げれば、公美も笑みを返して会釈する。


「くっ、先輩を捨てやがったクソ野郎、先輩が止めなかったら微塵斬りにしてやるのに」


「やめなさい」


 不穏な呟きはごくごく小さなものだったが、人物と密着している公美に聞こえないわけがない。

 語尾に被せ気味に制止を呼びかけると、人物は不満そうに頬を膨らませて渋々離れた。

 女子高校生の平均より確実に小柄な人物は、ぱっちり二重の可愛らしい少女だ。

 元気印の活発系、と誰もが思うし、実際にそうだが、先の発言は彼女が言うとシャレにならない。

 聡哉と同じ養護施設出身で、同じ剣道場に通う兄妹弟子であるのだが、その腕は彼女の方がはるか上を行く。はっきり言って、聡哉の完敗である。聡哉が弱いのではなく、彼女が圧倒的に強すぎるのだ。

 だから、斬る、という類の発言は彼女がすると恐怖でしかない。居合いも経験しているからなおの事。


「すぐに会いに来たかったけど先輩疲れてるだろうから最低でも1日は間を置こうって思ってたんだ。そしたら藤栄さんから先輩が出かけるから連れて行ってくれって連絡来て超特急だよね」


 息継ぎはどこだ、と公美は思った。ついでに、早口で一息だったのに、どうして聞き取りやすいんだろうと。

 話好きな彼女は、その性格から得た経験とスキルなのか、声質なのか、どれだけ早口でも非常に聞き取りやすい。その上、話題も豊富にあるし、単なるうわさ好きというわけでもないから中々の癖者である。


「車を出したのはおれだけどな。千幸ちゆきは、昨日から落ち着きが無かったんだ、ちょっとテンション高いのは勘弁してやってくれ」


 再び公美にしがみついた千幸の頭を撫でつつ、青年が優しく瞳を細める。

 久しぶりに帰って来た妹を見る兄の様だ。


「ありがとう、春兄」


 春兄、と呼ばれた春久はるひさは、どういたしまして、と笑う。


 千幸が落ち着いた頃、祖母が仕度を終えてやってきた。

 四人で春久の車に乗り込み、向かったのは携帯ショップ。

 今のスマホは親が与えたものだから、新しいものにするつもりだ。

 実家周りの知人友人のアドレスは全消去、新しいアドレスは向こうに教える気はなかった。唯一人、ずっと案じてくれていた従姉には、解約する前にメールを送り、少年達に漏らさないと約束を取り付けたので、アドレスを教えることにした。少年には、『もう無理、別れましょう。さようなら』とだけ送っておいた。ちなみに、未だに既読はついていなかった。

 新しいスマホのアドレスには、家族は祖母の名前だけ、後は千幸や春久ら幼馴染もどき達の名前で埋まるのみ。実家周りの名前は、従姉だけだ。

 そして、ピコン、と軽快な音でメールの受信を知らせるスマホを見て、公美は固まる。


 送信者 烏丸 聡哉、とあった。


 スマホの液晶と公美を交互に見た千幸は、にまぁ、と意地の悪い笑みを浮かべた。可愛らしいのに非常に残念だ。

 その様子を、祖母と春久は微笑ましく見ている。助けろ、と思うより先に千幸が公美に詰め寄った。

 硬直から解けたばかりの公美に、話術に長けた千幸に抗する手段があるはずもなく、洗いざらい吐かされ、千幸の言葉に再び固まった。


「10年前から、あたしたちの間では周知の事実だったよ。先輩に彼氏ができたって時の聡哉の落ち込みっぷり、一晩では語りつくせない程だったんだけど、聞く?」


 いたたまれなさ爆発である。


 初っ端から爆弾発言の連続で、陰鬱とした感情も現実もどこかへと飛んでいった。


 翌日から怒涛の様に訪れる幼馴染もどき達に、笑顔で歓迎されて公美も自然に笑顔になる。

 聡哉は、あの告白が無かったかのように以前と変わらない態度で接し、世話を焼いてくれた。時折、さらり、と好意を口にする為、妙に意識する羽目になるのだが。





 衝撃はあれど、愛おしい人々に囲まれ、日常が作られる。


 悲しみも痛みも乗り越えるには時間はかかるが、今、この時、確かに自分の周りは幸いに満ちていることを、公美は実感する。




 秋の始まり、残暑厳しい頃、公美は女の子を出産した。


 名前は、『ひなた』。




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