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〈第四章〉~軍隊には群体を

〈第四章〉~軍隊には群体を

 三日月が妖しく輝く空を背景に、矢神とまりやは公園である人物を待っていた。

「ねぇ矢神君。来ると思う?」

 風にたなびくスカートを押さえながら、まりやは矢神の顔を見上げる。

「……あいつは来る。何せ、友達だからな」

 神経を研ぎ澄ませ、矢神は公園の入り口を睨む。

 やがて、静寂に包まれていた公園に一つの足音が聞こえてきた。

『……来たのか』

 矢神は複雑な思いを抱きながら、暗闇から現れた人物を眺め、挨拶をした。

「夜遅くに呼び出して悪かったな。剛徒」

「いいよ、どうせ暇だったし。気にすんなって」

 軽やかな足取りで阿南剛徒が二人の前に現れた。

「それで、どうしてまた急に呼び出したんだ?」

「阿南君に聞きたいことがあるの」

 まりやはいつも通りの無表情を努めながら、剛徒との距離を詰めた。

「次萩さんが、俺に? 何だろう、怖いな」

 まりやの並々ならぬ雰囲気を感じ取ったのか、剛徒は少しおどけながら肩を竦めて一歩後ろに下がった。

「ねぇ阿南君。貴方は、毎月十三日から十六日にかけての三日間、何処で何をしているの?」

 意図が読めないまりやの問いかけに、剛徒は首を傾げ、眉を顰める。

「どういうことだ? 何でそんなことを」

「……話を変えるよ」

 直ぐに答えない事は予想していたのか、まりやはすぐに質問を打ち止め、流れを変える。

 早々にまりやは会話の主導権を握っていこうとする。

「私達が木黒市連続殺人事件と木黒市連続失踪事件について調べているのは知ってるよね」

 確かに以前そういう話を聞いていた、というより聞かれたことがあるので、剛徒は首を縦に振る。

「二つの事件の犯人は共通していて、異種族が自分の仲間を増やすことを目的とした犯行だった。血を全て抜かれ、死んでいる被害者は変異に失敗し、逆に変異に成功した者は失踪事件の被害者として処理されている。

 最初に私達が狙いを定めたのは異種族の中でもはぐれ吸血鬼(リンクレス)一匹狼(アッシュ)だった。集団としての群体(クラスタ)軍隊(フォース)が異種族と人間とのバランスを崩そうとするとは思えないし、もしそんなことをしているのなら、この木黒市にいる群体と軍隊が黙っているわけがないもの」

「……は? 異種族? はぐれ吸血鬼? 何の話をしてるんだ?」

「とぼけても意味ないと思うけど。まぁいいか。一連の事件の犯人、つまり異種族の特徴は、夜に出没して、大柄で、動きが早くて、マントを羽織っていた。この目撃情報を元に私達は犯人がはぐれ吸血鬼なんじゃないかと想像した」

 矢神から見る剛徒の表情は、話に対して意味が分からないという疑問の感情を通り越して、苛立ちへと変化していっていた。

「だけど、それは犯人が仕掛けた罠だった」

 しかし、そんなことは気にせず、まりやは淡々と真実を告げていく。

「一連の事件の犯人は異種族、いや、吸血鬼(マント)であるという事実は異種族を知っている者、つまりこちら側の人間しか知りうることが出来ない。あちら側(一般人)を騙せれば、あとはこちら側の人間を騙してしまえば全て問題が解決される――そんな風に、犯人は私達を誘導させた」

 つまり、まりや達は犯人を突き止めようとして見事に犯人側の意図に嵌り、弄ばれてしまったのだ。

「私達が犯人をはぐれ吸血鬼だと断定してしまった原因は二つ。被害者の血液が抜かれているということ、犯人の目撃証言に『マントを羽織っている』というものがあったから。しかしこの証言には、決定的な欠陥がある。死体の血液は回収すればいいことだし、犯人がそれらしいマントを羽織ってしまえば吸血鬼(マント)にみえるということ」

 それは、異種族について知っているまりやだからこそ、そう考えてしまう『先入観』からくるものだった。

「全てが『犯人を吸血鬼(マント)に見せるためのもの』だったことを知った私達は、見事に振り出しに戻ってしまった。そんな時、朱里が私達の気分を変えさせるため、ボウリングに誘ってくれた。覚えてる?」

 ようやくわかる話が振られ、剛徒が俯いていた顔を上げる。

「ボウリング、楽しかったね」

「……ああ、そうだな。楽しかったよ。結果は、まぁお前達にとって散々だったけど、あんな風に気を抜いて遊んだのは、久しぶりだ」

 暗闇で二人にはよく見えなかったが、この時剛徒は酷く楽しそうな、苦しそうな表情をしていた。まるであの時間が剛徒にとって非日常だったとでもいうように。

「あの日、私達は朱里にある物を渡されたの」

 まりやは制服のポケットから一枚の紙を取り出し、剛徒へと差し出す。

 訝しみながらも剛徒はその二つ折りの紙を受け取り、開き、目を凝らして注視した。

「なんだこれ? 被害者リスト?」

「この二ヶ月間で殺害及び失踪した人間のリストだよ。この中には、連続殺人、失踪にカウントされていない被害者もいる」

「これが事件の真相に何の関係があるんだ?」

「すぐに分かるよ。このリストに載っている被害者は老若男女関係なく殺されているけど、よく見ると失踪した人間の殆どが男性で、偶に女性がいる。これは変異における女性の成功率の低さを表しているの。まぁでもそれは些細な問題。大事なのはそこじゃない。死体発見場所の欄の隣を見て」

 剛徒が視線を動かし、隣の欄を見る。

「そこに書いてあるのは事件発生日及び死体発見の時間。発見された時間はいつも夜九時から夜中の三時ごろだけど、見るべき場所はそこじゃない。十三日から十六日にかけての三日間だけ、被害者も目撃情報も一切出ていない。つまり、この三日間だけ犯人は全く活動していないということなの」

 この時初めて、阿南剛徒が明確に、はっきりと、目に見えて動揺した。

 被害者リストを握りしめ、目を見開いている。

人狼(グレイ)は満月が訪れると完全に変異し、本能に従い、暴れ、正真正銘の狼になる。その期間、人狼は周囲の人間を傷付けないために軍隊が所有している施設に籠ったり、姿を晦ましたりする。なりたての人狼なんか何日も前から兆候が表れてしまう。

 ちなみに犯行が行われていない三日間は満月の前夜と満月の夜、そして満月の後という日程だった」

 剛徒は小刻みに体を震わせながら、怯えたような眼つきでまりやを睨んでいる。

「阿南君。もう一度聞くよ。君はこの二カ月間、十三日から十六日の三日間、何をやっていたの?」

 毅然とした態度でまりやは剛徒を追い詰め、ついに彼は、呻き声を漏らし、一歩後ろへと下がった。

 剛徒は闇の中で一人、手で顔を覆い、腰と膝を曲げ、力なく項垂れている。

 この世全ての罪を背負ったかのように、怯え、震え、また一歩後ろへと下がる。

 その度に、まりやは一歩前に出て距離を詰める。

 公園の中を移動し、剛徒はとうとう、矢神とまりやが出会った築山の壁にぶつかった。

「教えて阿南君。君は、本当は人狼なんでしょう?」

 逃げ場がなくなった剛徒は、まりやの視線から逃れるように、左右に視線を巡らせ、そして――ゆっくりと溜め息を吐いた。

「ああ、そうだよ。俺は人間じゃない。人狼(グレイ)だ」

 剛徒の答えに、まりやは納得し、矢神は目を伏せた。

「だけど、だから何だっていうんだ?」

 剛徒はこの場に不釣り合いなほど大きい声で笑いながら、開き直る。

「確かに俺は人狼だ。そこは認めてやるよ。満月が近い時は気を抜くとすぐに狼になる。けどそれだけだ。それだけだろう? それ以外に何がある? 俺があの事件の犯人だって証拠はあるのか? ないだろう? それじゃあ俺が犯人とは言えないんじゃ」

「証拠ならある」

 それまでずっと黙っていた矢神が、口を開いた。

 悲しく、切ない表情で矢神は剛徒と対峙する。

「お前が犯人だっていう証拠ならある。それは、守川が生き残ったことだ」

 突然朱里の名前を出され、剛徒は目を鋭くして矢神を睨む。

『失敗は出来ないな』

 射抜くような剛徒の視線を受けながら、矢神は生唾を飲みこむ。

「あえてお前に聞くけど、守川はどうして生き残ったんだ? ほとんどの人間が死に、攫われていく中で、どうしてあいつだけが傷一つなく生き延びることができたんだ?」

「そんなこと……分かるわけないだろ。ただの偶然じゃないのか? 犯人の気まぐれとかだろう」

 剛徒が投げやりに言葉を吐き捨て、話をはぐらかそうとする。

「そう、お前の言うとおり、朱里は犯人(おまえ)のおかげで、助かったんだよ」

 無論、矢神はその言葉を見逃すわけもなく、まるで予想していたことのように、すらすらと言葉を返す。

「あの日の夜、お前はいつものように変異させるターゲットを探して、街をうろついていたはずだ。そして人気のない道を一人で歩いている女性を見つけた。お前は彼女を今夜の変異させるターゲットにして襲いかかった」

 その頃はまだ気付いていなかったのだろう。人狼特有の身体能力を駆使してあっという間に女性を追い詰め、喉元に喰らいつこうとした。

「だけど、喰らいつく寸前でお前は相手の顔を見てしまった。そしてお前は気付いた。今まさに襲い、変異させようとしている人間が、守川朱里だったということに」

 獣のようなギラついた目で、ずっと矢神を睨んでいた剛徒の表情は、すでに消えていて、蒼白い顔で矢神の言葉を待っているだけだった。

「変異っていうのは、それほど成功率が高くなくて、十五人くらいを変異させて、一人成功すればいい方なんだよ。つまり……その、死ぬ確率の方が圧倒的に高い。だから阿南君は、朱里のことを変異させられなかったんじゃないのかな?」

 目尻を下げて、憐れむように、悼むように、まりやがおずおずと口を開く

「馬鹿言うなよ。どうして俺が守川を」

「お前じゃ守川を変異させられないだろ。だって、お前は守川のことが好きなんだから」

「ッ! お前、なんでそんなこと」

 単純明快で簡潔な理由に、剛徒は思わず口籠る。今までとは違う明らかに狼狽している様子が、矢神が打ち明けた理由に説得力を持たしていた。

「僕達は中学生の頃から一緒だったんだ。気付いてないとでも思ったのか?」

 気付いたのが何時なのか、矢神は具体的には知りえないが、ある日をきっかけに、親友の友達を見る目が、今までとは違うということに気付いてしまった。

「お前は好きな女を、守川朱里を変異させることが出来なかった。だから直前で逃げた。だからお前は――守川しか知らない、守川が生き残ったことを知っているんだ」


 ■■■


 罪を暴くのが、こんなにも苦しいものだとは思わなかった。

 真実を明らかにするのが、こんなにも辛いとは思えなかった。

 ただそれでも、やらなければいけなかった。

 そうじゃなければ、自分達は前に進めないのだから。

「まさか、お前に全部知られるなんてな」

 夜の公園で人狼(グレイ)である阿南剛徒が、項垂れながら呟く。

 大きな体も今はすっかり小さく見えた。

「なぁ剛徒、お前は、どうしてそんなことをやったんだ? お前は勉強出来ないけど馬鹿じゃない。こうなることぐらい分かってたんじゃないのか?」

 何年もつるんできた友人が、殺人事件や失踪事件を引き起こしていたという事実が信じられなくて、矢神が気遣う様に剛徒へ歩み寄ろうとする、

「待って、その前に、聞きたいことあるんだけど」

 まりやが矢神の前に腕を伸ばして制止させた。

「貴方が一連の事件の犯人だってことは認めるのね?」

 剛徒が頭を起こし、築山に背を預けたまま虚ろな目を向ける。

「ああ、そうだよ。俺がやったんだ」

「じゃあ、夜の埠頭で、私を襲ったのも貴方なの?」

 先程の淡々と真実を追及する姿とは裏腹に、まりやは鬼気迫る表情で剛徒に詰め寄っていく。

「だとしたら、私の懐中時計をどこにやったの!? 君が持っているんでしょう!? 返して、あれがないと私は! 私は!」

「待てよ次萩、少し落ち着け」

 声を荒げるまりやを抑えるように、矢神が手を伸ばして肩を掴む。

「止めないで矢神君、私はこのために」

「分かってる。お前の気持ちはちゃんと分かってるよ。けど、少し落ち着いた方がいいんだよ」

 まりやを鎮めようとしている矢神の視線の先には、眉間に皺を寄せた――何も理解していないような表情の、剛徒が立ち尽くしていたのだ。

 どう反応すればいいのか分からず、状況についていけず、剛徒はただただ、呆然と立ち尽くしていたのだ。

「さっきから何の話をしてるんだ? 埠頭とか、懐中時計とか、何のことだかさっぱりなんだが」

「分からない? ふざけないで、あの日の夜、貴方が私から懐中時計を奪ったんでしょう。私が皮剥人(スティーラー)だということを知っていて、懐中時計を奪ったんでしょう。あれを奪えば私は人間に戻れなくなって、やがて衰弱する。貴方は私が弱ったところを叩くつもりで」

 皮剥人の数少ない弱点の一つとして、体力がある。常人離れした素早さと怪力を有する皮剥人だが、ベースは人間なので、莫大なエネルギーを消費してしまう。衰弱状態の皮剥人を叩けば倒せない事はないのだ。

 とはいえ、皮剥人の体力は異種族以上のもので、衰弱させるのにもかなり時間がかかる。

 大抵の場合、皮剥人の体力がなくなる前に、異種族は殺される。それほど賢いやり方ではない。

「待ってくれ! 俺は君が皮剥人だってことすら今知ったんだ! だから返せって言われても何のことだか」

「まだしらばっくれるつもりで!」

 まりやは真っ向から否定する剛徒の胸倉を掴み、締め上げる。

「手を出すな次萩! 落ち着けって言ってるだろ!」

 目が血走っているまりやの腰を掴み、矢神が大声を上げて無理矢理引き離す。

「どうして止めるの! 離して!」

 悲鳴にも似た声を上げながらまりやは腕を振り回し、矢神の腕の中で暴れる。

「よく考えろ! 剛徒の言ってる事は本当だ!」

「どうしてそんなことが分かるの! 矢神君は私の事を信じてくれないの!?」

「そうじゃない! いいか! もし剛徒がお前のことを知っていて懐中時計を盗んだとしたら、その後学校で無事なお前の姿を見ておかしいと思うはずだ。そして僕が同調者(シンクロン)だということに気づき、僕を排除するだろ。でも剛徒はそれをやらなかった。お前が皮剥人だということを知らなかったからだ!」

 矢神の声を荒げながらの説明に納得できたのか、まりやは歯を食いしばりながら矢神の手を握り締めた。

「じゃあ私の、私の懐中時計は、お母さんが残してくれた物は、一体どこにあるの……」

 茫然自失の様子でまりやはズルズルと、矢神の腕から逃れ、膝から崩れ落ちる。

 自分を制御する懐中時計を失った――それ以上に、もう傍にいない、消えてしまった母親との唯一の繋がりを失った事が悲しかった。

 悲しくて、苦しくて、辛くて、どうしようもないほどに、虚しかった。

「ねぇ矢神君、私はどうすればいいの? 私はこれからどうすれば」

 今まで気丈に振舞っていたが故に、喪失に耐えることが出来なかった。

 まりやの同調者である矢神は、彼女の哀しみが狂おしいほど伝わってきて、いつのまにか、矢神の頬には涙が伝っていた。

 泣かない約束をしたまりや。

 何があっても笑う事を、笑わせてもらう事を約束したまりや。

 矢神はまりやの代わりに、泣くことができないまりやの代わりに涙を流したのだ。

「大丈夫だよ次萩。お前には」

「憐れだな、生物兵器(スティーラー)

 暗闇から声が聞こえてきた。

 獣の臭いが鼻腔をついた。

「人間のエゴが生み出した存在であるお前には、そんな惨めな姿がお似合いだよ」

公園に設置してある外灯の下には、矢神達が通っている木黒高校の制服を着た、神山ライアンが立っていた。


 ■■■


「いつかはばれるとは思っていたが、まさかこんな早く、それも皮剥人にばらされるとはな」

 矢神達を見下ろしながら、神山ライアンが不敵な笑みを浮かべる。

「神山ライアン……なんであんたがここに」

 何が起こっているのか分からない事と、まりやに対して侮辱とも取れる言葉を吐いたことに対して、若干の苛立ちを感じながらも、矢神は今も傍若無人に立ち尽くしている神山ライアンを睨みつける。

「……そう、そういうことだったのね」

 顔を上げたまりやが立ち上がり、冷淡な声で呟く。

 新たに敵が現れた事で、まりやは落ち込んでいる暇もなくなってしまったのだ。

「……貴方はやっぱり人狼(グレイ)で、それも軍隊(フォース)のゴールドだったってことでしょう?」

 まりやが確認している間にも、いつのまにか周りには人狼が現れていた。

 既に人ではなく狼の状態になっていて、低い唸り声を発しながら四本足の獣が矢神達を取り囲んでいる。

「そして阿南君は貴方に命令されて動いていたに過ぎない。この前の夜私を襲って懐中時計を奪ったのも貴方なんでしょう?」

「ご名答、そこまでくれば完璧だ、生物兵器。ただ一つ間違いを指摘するとしたら、俺はそんな人間臭い仔犬(パピー)など知らん。命令の伝達は部下のシルバーとブロンズの役目だ」

 まりやの詰問に対し、軍隊(フォース)のゴールドである神山ライアンは尊大に答えた。

「私は私を切り捨てた軍隊に復讐をするため、仲間を集める必要があった。この木黒市に群体(クラスタ)は存在しない。格好の餌場だよ、ここは」

「貴方達がやっているのはれっきとした殺人なんだよ。今すぐに止めないと結果的に貴方は痛い目を見ることになる」

「殺人!? おいおい! 聞いたかお前達! こいつは今自らの口で殺人を非難したぞ!」

 周りの部下に声を張り上げ、ライアンが舞台俳優のように大げさなリアクションを起こす。

 言葉を聞いたライアンの部下達は獣らしい下品な鳴き声で応え、ライアンも同じ様に下品な笑い声を上げる。

 相手を心の底から嘲笑し、軽蔑し――ピタリと、笑うのを止め、冷酷な表情になった。

「笑わせるなよ。殺すためだけに造られた化物が、生き物らしい口を利くんじゃない」

 憎しみの篭った冷たい視線に、まりやは顔をこわばらせ、矢神の手を握り締める。

「フンッ、まぁそんなことよりもだ。問題は山積みだ。阿南剛徒、どうやらお前は失敗したらしい」

 会ったことのないゴールドに名前を呼ばれ、剛徒は思わず身を固め、恐る恐るライアンの顔を窺う。

「普通ならお前はそれ相応の罰を受けてもらわなければいけないが、俺は優しいからな。寛大な心を持っている。だからお前に最後のチャンスをやる。なーに、難しい事じゃない。お前の力ならすぐに終わる事さ」

 低く纏わりつく声でライアンが語りかけ、太くゴツゴツした指を矢神達に向けた。

「命令は簡単だ。お前が、そこにいる皮剥人(スティーラー)と、同調者(シンクロン)を殺せ」

 簡潔に下った命令に、剛徒は目を大きく見開き、冷や汗を垂らした。

 黒目がギョロギョロと動き回り、呼吸が荒くなっていく。

「おおっと、動くなよ化物。お前が動いたら、俺が持っているお前の大事な物が壊れてしまうかもしれないからな」

 ライアンが懐から取り出したのは、まりやが必死になって求めた物だった。

 金色に光り輝く懐中時計が視界に入り、まりやは足を動かそうとして、寸前で思い留まる。

「さぁ阿南剛徒、そいつらを殺せ」

 懐に懐中時計をしまい、ライアンは勝ち誇ったように「フンッ」と鼻を鳴らす。

 対照的に剛徒は拳を握り締め、切羽詰った様子で肩を揺らしている。

「落ち着けよ剛徒、僕達が死んだ後、お前は用済みになって殺されるだけだ」

 そうは言っても軍隊に所属している剛徒がここで矢神達を殺さなかったとしても、おそらく他の人狼が矢神達を殺し、剛徒も殺されるだろう。

 ならば少しでも希望がある方を選ぶしかない。分かっているのに、剛徒は握り締めた拳を振る事が出来ない。

「俺には、こいつらを殺すことなんて……」

「温いことをぬかすなよ、若造。お前がやらなかったら、この女が死ぬ事になる」

 迷いが振り切れない剛徒を急き立てるように、ライアンが部下に指示を出して、闇の中から拘束された一人の少女が現れた。

 肩口で切り揃えられたボブカットの黒髪は艶やかで、改造した学校指定の制服は所々切り刻まれて、真っ白な柔肌が覗いている。

 縛られて気を失っている少女は守川朱里だった。

「……守川? どうして守川がここに?」

 剛徒が握っていた拳を開き、呆然と口を開ける。

「本当はそこにいる同調者に使うつもりの人質だったが、まさかこんな形でお前に使えるとはな」

「止めろ! 守川は関係ないだろ!」

 無関係の朱里を巻き込んだことに矢神は酷く罪悪感を覚え、その場に立ち尽くしたまま叫ぶ。

 ライアンの言葉を信じるなら、矢神がここでヘタな動きをすれば、朱里は殺されてしまうだろう。

「おいおい、関係ないなんて冷たいこと言うなよ。彼女はお前達の友達なんだろう? さて、阿南剛徒、自分の置かれている状況が分かったな? お前があいつらを殺さないと、この女の頭が吹き飛ぶことになるぞ」

 配下の人狼が朱里の頭を掴み、力を込めようとする。人狼の力があれば、人の頭部など茹でたトマトのようなものだ。簡単に潰れてしまうだろう。

「……殺すのは、皮剥人だけだ。同調者の方は、生かしておいてくれ」

 大切な人を守るため、剛徒は苦渋の決断をする。

 開かれていた拳は、いまや再び握られていたのだ。

「……フンッ、まぁいいだろう。殺せ」

 剛徒が呻き声を漏らす。

 手足や背中から骨の折れる音が聴こえ、体が狼のそれに痛みを伴って組み変わっていく。

「ウゥ……ウオォオォオォオォ!」

 全身の毛穴から灰色の毛が生え、口は大きくなり、鼻が伸び、真っ黒な瞳に茶色が混ざる。

 初めて見る人狼の変異は酷く痛々しいものだった。これで鳴くなと言う方が無理な話だろう。

 実際、目の前で変異を見ている矢神も、その壮絶さに思わず目を逸らしそうになる。

「ブルゥ……グルルルル」

 変異を終え、狼の姿になった剛徒が一層鋭くなった瞳で矢神達を睨む。

 その姿は既に矢神の親友である阿南剛徒ではなく、本能に身を任せた灰色の獣だった。

「さぁやれ、その造り物を噛み殺せ!」

 ライアンの言葉と共に、剛徒が動き出す。

 ただでさえ近かった距離があっという間に縮まり、まりやの眼前に狼の口が広がる。

 こんな時でも、次萩まりやは無表情だ。迫り来る脅威に対して左腕を犠牲にして、動きを止めようとする。

 しかし――剛徒の牙がまりやの腕を噛み千切ることは無かった。

 動いてはいけない筈だった矢神が動き、飛びかかってきた剛徒に対し、同じように飛びかかったのだ。

 両者は絡まりながら地面を転がり、剛徒の方が矢神から離れた。

「矢神君!」

 腹を蹴られて咳き込む矢神の元にまりやが慌てて駆け寄る。その顔には先程とはうって変わって明らかに動揺の色が浮かんでいる。

「どうして! 私のことはいいのに!」

「……いいわけ、ねぇだろ」

 体を起こそうとするまりやを手で制し、矢神がゆっくりと起き上がる。

「お前だけじゃない、誰だろうと死んでいいことなんてないんだよ。だから僕は、お前を守るし、剛徒を傷付けることだって出来ない」

 唸り声をあげ、灰色の毛を逆立てている剛徒が、鳴き止み、逆立っていた毛が戻っていく。

 尻尾をおろし、動きを止めたままとび色の瞳で矢神を見つめる。

「お前だって、そうなんだろ剛徒」

「だとしても、結末は変わらない」

 矢神の問いに答えたのは、剛徒ではなく、ライアンだった。

「お前達の下らない正義感でお前達の大事なお友達が死ぬことになる。誰も傷つけない結末を迎えるなんて、無理なんだよ」

 朱里の頭を掴んでいる部下の人狼に合図が送られる。

 ギリギリと音が鳴り、朱里の頭が締め付けられていく。

 苦悶の表情を浮かべる朱里を見て、剛徒が精一杯叫び、疾走していく。

「クソッ、やらせるかよ!」

 蹴られた腹を抑えながら、矢神も剛徒の後を追いかけようとする。

 だけど、力は残っているのに、動けない。

 助ける意思があるのに、間に合わない。

 ここにいる誰もが――もう手遅れだと、諦めかけた。

 もうよくやったんじゃないのかと、自分で自分を慰めようとした。

 そして――


 ■■■


「――――」

 まるで何かを呼び寄せるような、その音は、真夜中の公園に響き渡った。

「まさか、この音は」

 まりやが矢神の体を支えながら、思い当たる節があるかのように、呟く。

「――――」

 再び奇妙な高音が響き、公園にある暗闇という暗闇からコウモリの大群が飛来した。

 バサバサと大きな羽音を立てて襲いかかるコウモリに追従するように、吸血鬼(マント)達もその姿を現わし、人狼(グレイ)に襲いかかる。

朱里の身体を拘束していた人狼には、二人の吸血鬼と一際数の多いコウモリの群れが襲いかかり、攪乱させ、隙を突いて朱里の身柄を確保した。

 朱里を助けること自体が目的だったのか、吸血鬼達は撤退し、矢神達の周りに集まる。

 集まった中には、矢神がまりやの屋敷で見た執事風の男もいた。

「貴様ら、どこの群体(クラスタ)だ」

 ライアンは荒い息を吐きながら逃げ遅れたコウモリを掴み取り、地面に叩きつける。

 吸血鬼達は何も答えない。

「貴様らの女王はどこにいる! どこに隠れている!」

「隠れているつもりなんて、ないわ」

 築山の影から聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 十年以上前から聞いていた、馴染みのある柔らかな女性の声だった。

 心のどこかで「そんな、まさか」という思いを抱きながら、矢神は声が聞こえる方向へ振り向く。

「みっくん、お待たせ。ごめんなさい、皆を集めるのに少し時間がかかっちゃって」

 背後の暗闇から現れたのは紛れもなく、吾相(ああい)梛摘(なつみ)だった。

 その姿は普段見かける制服姿ではなく、吸血鬼としての正装に近い姿だった。

 レースで縁取られたブラウスにウエストラインが強調された黒のロングジャケット、その下にはウエストのフロント部分が編み上げ仕立てとなっているオーバースカートに、黒い編み上げロングブーツを履いている。

 勿論、吸血鬼の証である濃緑色のマントも羽織っていた。

「梛摘さん? なんでここに? ていうか、その格好は」

 突如現れた梛摘に周りにいる吸血鬼達が恭しく頭を下げる。それだけでも、彼女が特別な存在なんだということが分かってしまった。

「ごめんねみっくん。実は私、木黒市の群体(クラスタ)の女王なの。私達はここ最近で出来た新興の群体だから、力をつけるまでなるべく実態を探られないように、それぞれが集団で行動しないようにしていたの。でも」

 一旦言葉を切り、気絶している朱里と、吸血鬼達の突然の登場で狼狽えている剛徒を見て、梛摘は複雑な表情を浮かべる。

「助けに来て正解だったみたいね」

 梛摘が配下の吸血鬼に指示を出し、朱里を安全な場所へと連れて行く。

「まさか貴様が吸血鬼……それも群体の女王だったとはな、驚いたよ、吾相(ああい)梛摘(なつみ)。てっきりお前ははぐれ吸血鬼だと思っていた」

 鋭い眼光を宿しながら梛摘を睨むライアンの肩は、怒りで小刻みに震えていた。

「あら、匂いに敏感な貴方なら気づいた上で放置しているのだと思ったけど?」

 ライアンのにらみ(・・・)など全く気にもせず、梛摘は肩を竦めて微笑む。

「……フンッ、丁度いい、貴様らを殺せば、この街を支配するのは我々となる。やらせてもらうぞ」

 吸血鬼達の攻撃から逃れた配下の人狼が、歯の隙間から声を漏らし、前のめりになって身を構える。

 同時に梛摘の周りにいる吸血鬼達も腰を落とし、臨戦態勢に入る。

「やりたいのなら、どうぞご自由に。でも私達を倒してもこの街を支配する事は出来ないわ」

「なんだと?」

「だって私の群体は人間と共生することが理念だから。私達を倒しても意味はないわ。この街を支配したいのなら、この街の人間を全て倒すしかない。まぁなんにせよ貴方達じゃ無理ね」

 梛摘が嘲笑するが、ライアンはその時既に狼になって咆哮をあげていた。

「矢神君」

 襲い掛かる人狼達に背を向け、まりやは矢神と向き合う。

「私は、ちゃんと矢神君を守るよ」

 強い決意が込められた紫色が混じった瞳には、わずかに怯えも混じっていて、ひどく切なそうだった。

「分かってるよ。だから僕は、お前を守る。心配するな。いつでも、お前を戻してやる」

 小さくて細い手が矢神の手に絡み、やがて、まりやは名残惜しそうに、そっと手を離し、柔らかに微笑んだ。

「みっくん、ここは危ないから、少し離れて」

 梛摘が後ろから声をかけ、矢神はそれに従ってまりやから離れていく。

 一歩、二歩と離れたところで、矢神は立ち止まり、まりやを見つめる。

 人狼達が襲い掛かってきているので、既にまりやは背を向けていて――矢神から一歩分、離れた。

「ウジュアァアァアァアァ!」

すぐにまりやは嫌悪している皮剥人へと変身し、雄叫びを上げた。その叫びを合図に、吸血鬼達が人狼に襲い掛かり、梛摘はゴールドである神山ライアンと対峙する。

「みっくん! 離れて! ここじゃ危ない!」

 ライアンの攻撃をかわしながら、梛摘が声を張る。

少し離れた場所から見える皮剥人の戦闘風景は、異様なものだった。

 人狼が鋭利な爪を振りかざし、集団で襲いかかるが、皮剥人が丸太の如く太い腕を振り回し、暴れ回ると、纏わりついた人狼達は一瞬で吹き飛び、ボロ布のような姿になって地面に転がる。

「グルゥ……ウオォオォオォ!」

 一匹だけ突撃し損ねた人狼が叫びながら皮剥人に単身突撃する。鋭利な爪が、強靭な牙が、月の光を受けて輝き、皮剥人を狙う。

 対する皮剥人は、攻撃を正面から受け止め―バキンッと、鈍い音が鳴った。

 襲い掛かった人狼の牙が呆気なく折れる。

「……どうやら、俺の出番はないみたいだ」

 矢神の傍にいる剛徒が、目の前の光景を眺めて苦笑いをする。

 同じ光景を見て、矢神も思わず息を呑んだ。

「むしろ、あそこにいたら俺までやられるかも」

 一匹の人狼の攻撃を受け止めた皮剥人は、へし折った前脚を掴んだまま引き寄せ、その大きな拳で人狼の胸に三つほど風穴を空け、そのまま地面に叩きつけた。

 痛めつけられた人狼は既に息絶えていて、見るも無残な姿になっていた。

「ウジュウゥ、ウジャアァアァアァ!」

 鳴き声をあげながら近づいてきた人狼の頭を掴み、握りつぶし、その体を縦に引き裂く。

 さらにもう一匹の人狼が襲い掛かるが、腕を突き出して首を掴み、地面に叩きつけて両手を合わせて作ったハンマーで叩き、ペシャンコにした。

 間近で繰り広げられる圧倒的過ぎる暴力に、人狼達を足止めしている吸血鬼(マント)達も、いまや完全に人狼(グレイ)の敵になっている剛徒も驚きを隠せなかった。

 その中で矢神だけは、真剣な表情で皮剥人の、次萩まりやの戦いを見守っていた。

 襲ってきた人狼を弾き飛ばし、その隙を突いて吸血鬼が攻撃を仕掛ける。ギリギリのところで人狼が逃げて距離を保つ。

 今や戦況は完全に吸血鬼側が有利だった。

「逃がすか!」

 梛摘の必死な声が矢神の耳に聴こえてくる。

 見るとライアンが尻尾を向けて公園から抜け出そうとしていて、

「グジャアァアァアァアァ!」

 皮剥人が怒りを露にしながら倒れている人狼達を踏みつけ、追いかけようとしている梛摘を押し退け、逃げるライアンを追っていった。

「待て! 次萩!」

 一目散に走っていってしまった皮剥人を、矢神が追いかける。

「待ってみっくん!」

「ごめん待てない! あいつ、ヤバイ顔してるんだよ!」

 分かり易過ぎるほど明確な殺意を出している皮剥人に矢神は危機感を覚え、とにかく全力で走る。

 それは同調者(シンクロン)としての義務ではなく、ただ一人の男として、強靭に見えて脆弱な心を持った少女が心配だから、彼女を泣かせたくないから、とにもかくにも――ただ一人の普通の女の子のために、動いていた。

 義務なのではない。

 言うなれば恋川矢神という一人の人間の、

「僕が、僕が助けたいんだ!」

 男としての意地だった。

 走って、走って、膝が崩れる程に走って、ようやく、追いつく事が出来た。

「グルゥ、グルルルルル……」

 ライアンは木黒市に流れる紅涼川をバックに鋭い眼光で皮剥人を睨み、必死に爪を立てている。

 皮剥人の方も、紫色の瞳を大きく開き、ライアンを睨みながら荒い息を吐いている。

「ウオォオォオォオォオォ!」

 ライアンが叫びを上げ、皮剥人に襲い掛かる。

 その攻撃は変則的で、周辺のブロック塀やガードレールを利用した一撃離脱戦法だった。

 その爪と牙で肉を削ぎ、噛み千切り、攻撃を喰らう前に距離を置く。

 そうやって皮剥人の体力を削り、なんとか時間を稼ぎ、やがて逃げる。

 それが、ライアンの考えた作戦だった。

「ブッシャアァアァアァアァ!」

 だがその作戦も、あっけなく打ち砕かれた。

 離脱しようとしたライアンの尻尾を掴み取り、真横のブロック塀に叩きつける。

 崩れるブロックに体を打ちながらライアンは人間に戻り、どうにかしてこの場から逃げようとする。

 無論、それを許す皮剥人ではない。拳を握り締め、一歩、また一歩とライアンに近付いていく。

 そして、目の前まで来てライアンを見下ろし、拳を振りかざす。

「やめろ、次萩」

 矢神がゆっくりと歩み寄りながら、皮剥人へ、まりやへと近付く。

 止めるのはライアンに情を掛けるわけではない。倒れているあの男の手の隙間が、わずかに光っていたからだ。

 そしてその光は、懐中時計の光に似ていた。

しかしまりやは、そのことに気づかず懐中時計ごとライアンを倒そうとしている。

 いや、もしかしたら気付いているのかもしれない。

 ただ皮剥人としての本能が働き、攻撃を止めることが出来ないだけなのかもしれない。

 それならば、止められるのは同調者である矢神だけだ。

「お前にも見えてる筈だぞ、やめろ」

 矢神が言葉を投げ、皮剥人の、まりやの背中にしがみつく。攻撃をする前になんとしてもまりやを人間の状態に戻さなければならない。

 絶対に離れてはならない。少なくとも――矢神自身はそのつもりだった。

 皮剥人は振り向くことなく尻尾を振り回し、しがみついた矢神を一瞬で引き剥がした。

 宙に浮く感覚を体感し、四肢をもがきながら吹き飛び、アスファルトに転がった。

「クソッ、次萩、やめろ!」

 痛みに耐えながら体を起こした時には、もう既に、

「やめろぉ!」

 皮剥人の拳は、懐中時計ごとライアンの体を粉砕していた。

 アッパー気味に放たれた拳を体で直接受けたライアンは懐中時計の欠片を周囲に漂わせながら宙を舞い、ガードレールと金網を越え、後ろの紅涼川に落ちていった。


 ■■■


「終わったのか?」

 川の流れに逆らえず、下流へと落ちていくライアンの姿を脳裏に焼き付けながら、矢神は静かに佇んでいるまりやを見つめた。

 いつからか降り出した雨が皮剥人であるまりやの体を濡らし、金髪と黒髪がピッタリと体に張り付いている。

 戦いの終わりにしては、あまりにもあっけない最後だった。

「みっくん! 大丈夫?」

「大丈夫か!? 矢神!」

 後ろから梛摘と剛徒が現れ、矢神の体を起こす。

 その後もワラワラと吸血鬼(マント)達が梛摘の周辺に集まってくる。

「ああ、大丈夫だよ。それよりも、あいつを元に戻さなきゃ」

 二人に体を支えてもらいながら立ち上がり、よろよろとまりやへと近付いていく。

 今はとにかくまりやを人間の状態に戻すしかない。壊れた懐中時計についての話は、それからだ。

「待ってろよ次萩、今戻してやる」

 雨で濡れた肩に優しく触れ、三秒間の時が過ぎるのを待つ。

 一秒――矢神は回りこんで皮剥人(スティーラー)の顔を覗きこむ。

 二秒――前に来た矢神に気づき、皮剥人であるまりやも目を合わせる。

 三秒――目を合わせた時、矢神は皮剥人の紫色の瞳から一筋の涙が零れるのを見てしまった。

「ウゥ……ウウゥ……ウジュアァアァアァアァ!」

 矢神の目の前で、皮剥人が絶叫する。

 もう既に三秒以上経っているというのに、人間の姿に戻らず咆哮する。

 矢神が触っていない左腕に力を込め、矢神に対して振り下ろす。

「みっくん!」

 皮剥人も拳が矢神の頭を潰す瞬間、梛摘が飛び込み、寸前で攻撃をかわした。

 雨に濡れたアスファルトを二人が転がり、即座に配下の吸血鬼達が女王を守るように陣形を組んで立ち塞がる。

「どうして、戻らないんだ」

 顔についた雨水を拭いながら、矢神が呟く。

「みっくん、少し落ち着いて」

「どうしてあいつは戻らないんだ! ちゃんと触っていたのに! なんであいつは、皮剥人のままなんだよ! あいつは! あいつが一番あの姿を嫌ってるんだ! 僕は戻そうとしたのに! なのにどうして戻らないんだよ! どうして!」

 アスファルトに出来た水たまりを叩き、矢神が地面に向かって叫ぶ。

「……私が昔聞いた話では同調者(シンクロン)が皮剥人を戻す際、両者の間で気持ちが通じていないと戻らないらしいんだけど」

 梛摘が今も暴走している皮剥人を見て、左腕をおさえながら話す。押さえている場所は、以前皮剥人との戦いで切断され、まだ完全に治りきっていない傷痕だった。

「なんだよそれ、つまりあいつは、人間に戻りたくないっていうのか」

「もしかしたら、そうなのかもしれない。多分、何らかの理由で皮剥人の中にいる彼女の意識が制御できなくなったのかもしれない」

 つまるところ、今まりやは暴走状態になっている。普段から無闇に力を振るっているように見える皮剥人だが、中にあるまりやの意識がどういった行動を取るのか、ある程度誘導しているのだ。

「……違う、あいつは、制御できなくなったんじゃなくて、制御する事をやめたんだ」

 暴走の理由に心当たりがある矢神がゆっくりと立ち上がる。

「あいつは、大事なところで制御しきれなくて、懐中時計を壊してしまった。自分の手でぶっ壊したんだ。もう元に戻る術はない。少なくとも、あいつが抱いていた最大の希望は文字通り打ち砕かれた。だからあいつは、もうどうでもよくなったんだ。戻れなくなったんだからもうどうにでもなってしまえと、考える事を、放棄したんだ」

 そうすれば、残るのは皮剥人としての意識のみになる。異種族を殺すというプログラムしか残らない。

「ふざけんな、何の為に僕がいると思ってんだ」

 配下の吸血鬼を吹き飛ばした皮剥人を睨み、矢神は歩き出す。

「待ってみっくん! 近付いちゃ駄目」

 すかさず梛摘が立ち塞がり、矢神を止める。

「止めないでくれ梛摘さん、僕はあいつの傍にいなきゃ駄目なんだ」

「危険だわ。貴方は確かに同調者だけど、ただの人間なの。暴走状態の皮剥人に近付くなんて自殺するようなものよ」

「なら、ただの人間じゃないやつと一緒に行けばいいんだろ」

 梛摘の制止を振り切ったのは、矢神ではなく、阿南剛徒だった。

 それでも危険だという梛摘の忠告など聞くつもりがないのか、剛徒はすぐ狼になり「ウォン!」と矢神に向かって力強く吼えた。

 矢神も頷き、狼になった剛徒の横に並んだ。

「頼むぞ剛徒」

 矢神が背中を叩いた瞬間、剛徒が駆け出した。

 群がる吸血鬼達の間をすり抜け、二人はあっという間に皮剥人と対峙する。

「ウオォオォオォ!」

 最初に動いたのは剛徒だった。

 叫びながら走り出し、皮剥人の攻撃をかわしつつ後方へと跳ぶ。

 そして皮剥人が振り向く前に背中へ乗り、うなじに噛み付く。

『今しかない!』

 剛徒を引き剥がそうと苦戦する隙を見つけ、矢神は皮剥人の体に触れる。すかさず、周りの吸血鬼達も飛び掛り、皮剥人を押さえ込む。

 だが、三秒以上経ってもまりやは戻らない。

「おい、聴こえてんだろ。返事はしなくていいから、ちゃんとリアクションしてくれよ」

 矢神は皮剥人の顔を見つめながらゆっくりと語りかける。

「確かに懐中時計は壊れちまった。というより、お前が壊した」

 語っている間にも、二人の吸血鬼が吹き飛ばされる。

「あれはただお前を人間状態にさせてくれるアイテムじゃない、お前の母親が造り、残し、託していった唯一の繋がりだ。でもお前は、それを壊した」

 矢神の言葉に反応した皮剥人が、激しく抵抗し、吸血鬼も、剛徒も吹き飛ばされた。

 残っているのは矢神だけだ。

「お前はライアンが憎かった。自分の一番大切な物を奪ったライアンが憎くてしょうがなかったんだ。そしてその憎しみは、皮剥人を突き動かして、ついに制御下から外れた。あれは、お前が犯した過ちだ」

「ウジュアァアァアァ!」

 怒りを露にした皮剥人が叫び、矢神に頭突きをかます。

 鈍い音が鳴り、矢神がアスファルトに後頭部を打ち付ける。

「それが、どうした」

 だが、頭突きなどなかったかのように、矢神はすぐ起き上がった。

 額が割れ大量の血が流れている――それでも、矢神は目を閉じることなく皮剥人を、次萩まりやを見つめている。

「全部、自分のせいだ。それがどうしたっていうんだ。そんなことはどうでもいいだろ」

 矢神は再び近付き、まりやの顔に触れる。

 顔にくっついた髪を払い、雨水を拭う。紫色の瞳から零れる涙さえも、雨水と同じ様に拭い、頬を撫でる。

「人間でいられる懐中時計なんて、もう要らない。お前には僕がいるだろ。僕が一緒にいるんだ」

 皮剥人に初めて出会った夜。矢神はちょっとした好奇心で関わってしまった。

 でもそれは、好奇心だけではない。それならば、正体を確認したらすぐ逃げられた筈だ。

「お前がもういいって言っても、いらないって言っても、消えろって言われても、お前が死ぬまで、僕が傍にいてやる」

 それが出来なかったのは、同じ声だったから。

 朱里と歩いていた時に聴こえた叫び声と、公園で聴こえた叫び声が、同じ――助けを求める叫び声だったからだ。

 矢神には、そう聴こえた。だから逃げることなんて、出来なかった。

「だから……だから、もう泣くな! まりや!」


 ■■■


「ごめんね、本当にごめんね、まりや。お母さんのせいで辛い思いをさせて、本当にごめんなさい」

 次萩まりやの母親である次萩玲奈はよく謝っている母親だったと、まりや本人はそう記憶している。

 ひどく哀しい顔をしながらいつも何かに対して謝っていた。

 まりやが何か悪いことをして、それが母親にばれたとしても、大きな声で怒られたり、手を上げられたりすることなど、一度もなかった。

 困り顔を浮かべて、優しく指摘する程度のものだった。

 娘であるまりやは、その態度が何だか自分からひどく距離を置かれているように思えて、子供心に自分は母親に必要とされているのか、少し、少しだけ分からなくなった。

「お母さん、私は生まれてきてよかったのかな」

 まりやはなるべく、感情を表に出さないように、ふと、思ったことを口に出す。

 夕食の準備をしている母親の動きが止まり、ゆっくりと振り向く。

 そこにはいつもの少しだけ不安そうな顔をしている母親の顔がある――まりやは特に深く考えずそう思っていた。

「おかあ、さん?」

 母親である玲奈は柔らかい微笑を浮かべていた。

 いつも通り哀しい顔を浮かべて謝ってくると思っていたら、微笑みながら、まりやの体を抱き締めたのだ。

「お母さんはね、貴方を産んで本当に幸せだった。世界で一番幸せだった。貴方が私達の元に来てくれて本当に感謝してるの」

 まりやの頭を撫でながら、玲奈が優しく語りかける。

「お母さんは、私が娘で、幸せ?」

 玲奈の胸に顔を埋め、まりやが訊ねる。

「もちろん、だから、貴方も幸せになって」

「……私、幸せになれるのかな」

 自分が皮剥人だということが、まりやを幸せから遠ざけている。それは幼いまりやでも自覚していることだった。

「大丈夫だよ」

 まりやを抱き締める腕に一層力が込められる。

「まりやを大切にしてくれる人はきっと現れるから、まりやはその人の傍にいて、その人を守ってあげて。そうすれば、その人もきっとまりやを守ってくれるから」

「お父さん……みたいに?」

 今はいない父親のことを口にすると、まりやを抱き締めている腕が離れ、穏やかに微笑んでいる玲奈の顔が現れる。

「そうね……あの人は、お母さんにとってそういう人だったから。世界で一番大切な人だったの」

「今は違うの?」

「ええ、今はね」

 そう言って玲奈はまりやの額に軽くキスをして、夕食の準備へと戻っていった。

「私の傍で、私を守ってくれる人……」

 先の分からない未来をぼんやりと考え、まりやはキスされた額をゆっくりと撫でた。


 ■■■


「……あれ? ここどこ?」

 守川朱里が目を覚ました場所は、公園のベンチの上だった。

 妙に体中が軋むのは、ベンチなんかで寝ていたせいなのだろうと自分なりに納得する。

「ていうかなんでこんなとこに……そういえば」

 手櫛で髪を整えながら、眠る前の記憶を必死に蘇らせる。

 そう、目の前に突然風紀委員の連中が現れ、襲われて、眠ったのではなく気を失ったのだ。

 だとしたら、何故自分は放置されているのだろうか。

「うっわ、なんかスッキリしない」

 得体の知れなさが消えないまま助かったとしても、どうにも不快感が残ってしまう。もしかしたら、自分はまだ助かったわけではなく、どこかで監視されているだけなんじゃないのだろうかと考えてしまう。

「目ぇ覚めたのか、守川」

 暗闇から声が聴こえ、朱里はビクッと肩を上げ、振り向く。

 そこにいたのは、シャツとパンツ、そして真っ黒なマントしか身に着けていない阿南剛徒だった。

 普段見ることが出来ない、というより出来れば見たくない友人のあまりに変態的な姿に、朱里は座ったまま全力で引いた

「……あんたのおかげでかなりスッキリした。バイバイ」

「バイバイ!? いくらなんでもいきなりそれはひどくねぇか?」

「ひどいのはどっちだよ! 攫われた挙句になんでそんなショッキングなもの見なきゃいけないわけ!?」

「ショッキングなものとか言うな! 仕方ないだろ!」

「はいはい、お前らそこまでだ」

 額に布を巻いた矢神が、眠っているまりやをおんぶして現れた。

「せっかく三人とも無事だったんだからギャーギャー騒ぐなよ」

「無事だったって……なんなの? 結局あたしに何があったの?」

 血が滲んでいる布が巻かれた額を見ながら、朱里は困惑する。

「えっとだなぁ、それは」

「お前風紀委員に攫われたんだよ。それで、俺と矢神と次萩さんの三人で助けに来たんだ。それで、この公園でどうにか助け出したんだ。少しばかり怪我したけどな」

「何の為にあたしを誘拐したの?」

「それは知らないな。なにせ助ける事に必死だったから。なぁ矢神」

 朱里には剛徒が矢神に対して目配せをしているように見えた。

「そうだな。本当に大変だったよ」

「ああ、大変だったな」

 朱里の中で消えてしまったもやもやがまた湧き上がってきた。

「……あんた達、あたしになんか隠してるでしょ」

 口を尖らせて朱里は二人の顔を覗きこむ。

「何言ってんだ、隠してるわけないだろ?」

「ああ、本当は隠してるんだ」

 隠してると言ったのは、剛徒だった。

 先程までの笑顔はなく、キュッと唇を引き結び、真剣な表情をしている。

「剛徒、お前何を言うつもりで」

「大丈夫だよ、大した事じゃない」

 かぶせ気味に答え、剛徒が朱里へ一歩近付き、片膝をついてしゃがみこみ、視線を合わせる。

「な、何? どうしたの?」

 いつになく真剣な態度に、朱里も戸惑い、前髪を整える。

「守川、昔から俺は黙っていた事があるんだ」

 朱里の視線は少しおぼつかない。対する剛徒は朱里の瞳を一心に見つめている。

「このことは矢神にも黙っていて、正直、かなり心苦しかった。何度も何度も、二人に言おうとした。だけど、言ってしまえば、この関係が、中学の頃から続いていたこの関係がどうにかなってしまいそうで、俺はそれが嫌で、言いたくなかった。そう思っていたんだ」

 少し重い語り口に、朱里はなんとなく話題を察したのか、眉を下げる。

「けど本当は違った。俺は関係を崩したくないってことを言い訳にして、逃げてただけだったんだ」

 朱里から見る剛徒の瞳は鈍く輝く琥珀色で、そこに映る自分も同じく琥珀色だった。

「守川朱里、俺はお前の事が好きだ」

 剛徒らしいストレートな告白に、朱里は驚きつつも、少しだけ安心した。

 あんな真剣な顔をしているのだから、もっと重大な話だと勝手に思い込んでいたのだ。

「ありがとう、あたしも剛徒のこと好きだよ」

 朱里の返事に、剛徒が目を見開く。どうやら、今の言葉がにわかに信じられないらしい。

「もちろん、友達として」

 続けて言った言葉に、剛徒はガクンと首をうなだれ、「そうか……」と小さく呟いた。

 思わせぶりな言葉を返して、一気に叩き落した朱里は、満面の笑みだ。自分よりも大きい剛徒の頭をポンポンと叩いている。

「ごめんね、剛徒の気持ちは嬉しいけど、正直友達としてしか見れない。それに、あたし好きな人いるからさ。ね? 矢神」

 それまで蚊帳の外だった矢神は、突然名前を呼ばれてことで目に見えて慌てる。

「え? そうなのか? いや、知らなかった、全然。えっと、その、まぁ、なんだ。フラれたやつの前で言うのもなんだけど、その、頑張れよ」

「……あたしも、いい加減逃げるのやめようかな」

「ん? なんか言ったか?」

 朱里の呟きは聴こえなかったらしく、矢神が首をかしげて訊ねる。

「ううん、なんでもない。ほら剛徒! フラれた記念にラーメン奢ってやるから! 行くぞ!」

「お前悪魔のような女だな」


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