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右か?左か?どっち?。(私の人生考察瞑想ノートより)

作者: 舜風人

狭き門より入れ。


道を歩いている旅人がいた。


すると、前方が二つに分かれているY字路に行き当たった。


左方の道は広くて、平坦で、豊かな森へと通じていた。


右方の道はごつごつで、狭くて石まみれで砂漠へと通じていた。


さて、あなたならどちらの道を選ぶだろうか?


ほとんどすべての人は左方の道を選ぶだろう。


実は、、、、

結末はこうだ。左方の森にはたくさんの猛獣がすんでいて旅人を食い殺し、凶暴な山賊集団の住処でもあって、そこへ入った旅人で生きて帰ったものなどただのひとりもいなかったのだ。


誰も選ばなかったであろう右方の道は、砂漠の果てに楽園があるという、伝説の狭き門だったのだ。


イエスキリストは言った。狭き門よりいれ、それは救いへ通じる道である。


私たちが生きていく過程で、さまざまな決断を迫られることがある。


たとえば、進学、


A大学にしようかB大学にしようか。


たとえば、就職,


A社にしようか。B社にしようか。


たとえば、結婚、


A男にしようか、B男にしようか。A子にしようか?  B子にしようか?



そこで、人は迷い、考え、そしてどちらかに決断せざるを得ない。


そして、ずっと後になって、ああ、あの決断はまちがっていたなーとか


あの決断はやっぱり、正しかったとか、思い振り返るのだ。


人生の決断はいくら熟考しようと最後は勘だ、つまり、直感だ、


そしてその直感が当たるも外れるも、これは、一つの運命でしかないとも言える。


世の中にはとんでもない幸運の星の元に生まれてくるひともいれば、


これでもかというほど、悲惨な星の元に生まれてくる人もいる。


これはなぜなのか。運命だ、といってしまえば、それまでだが、


そこの何か大きな力は働いてはいないのか。


古来幾多の知者、賢人,哲人が考えてきた問題だ。


しかし、結論は出なかった。


つまり分からなかったのだ。


しかし、私はこう考えている。


人は霊性と愛の完成のため幾多の輪廻転生を繰り返していくスピリットがその本体なのだと。


したがって、ある転生では卑賤の身分に生まれて研鑽を積み、


またある転生では、王侯貴族に生まれて,驕りの無意味さを体験し、


あるときは女に、あるときは男に生まれて、研鑽を積むのだ。と


人生は一度きりではない。


「人は愛と霊性の完成のため、何度でも輪廻転生を繰り返していく。」エドガーケイシー



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