一章八話:江戸の仇を長崎で討たれても、納得するかは個人次第
復讐ってのはね、誰にも邪魔されず 自由で、なんというか救われてちゃあダメなんだ。みんなで静かで豊かで・・・。
逆説的に、本作は復讐劇じゃありません。
ちょっとだけ、またシリアス。
王国、時刻は少々遡る。秘密裏に行われた、事件のあったあの夜。
いや、間もなく朝を迎えるか。山向こうが、わずかに光を帯びてきている。
そんな山中を、二人の男が馬に乗っていた。
「悪いですねぇ……。ヒュー」
「いや、構いやしねぇよ。運び終えた後、すぐに走って帰れそうな奴が俺くらいしか居なかっただけだからな」
「乗馬くらい、貴族の皆様は行うのでは……? ヒュー」
「残念ながら、みんな最高速度を出して掴まってられるほど体力ないんだよ。日ごろから運動していないからな」
「道理ですね……。ヒュー」
会話は弾んでいたが、どこかそのテンションは高くない。
二頭の馬は、ゆっくりと足を進める。
「ところで、場所はそろそろなのか? 一向に着く気配がないのだが」
「嘘はつきません……。ヒュー。我等種族は少々特殊で、あまり人里には降りないのですよ……。ヒュー」
「アンタが人里って言うのも、何か変な感じがするがなぁ……」
「どうしようもありません……。ヒュー」
先導する男は、黒いローブに身を包んだ男。首元から除くケープも色は黒く、妖しさ満点である。
後続の男は雄雄しい筋肉の鎧に身を包んだ、力強い印象を与える男だ。
「将軍殿……、死体は落ちていませんか……? ヒュー」
「将軍は止めてくれ。昔じゃあるまいし、今は軍務大臣だ。……大丈夫。ちゃんと乗ってる」
この二人は、お察しの通り前々章に出てきた二人だ。
魔術師のような男と、軍務大臣である。
そして軍務大臣の後ろには、人一人分の大きさの麻袋が固定されていた。
「……ところで、大臣殿? ……ヒュー」
「何だ? 蛇人間の兄ちゃん」
「……貴方こそ、この場でその発言は止めていただきたく。……ヒュー」
「おっと、済まねぇ。何だ? 流れの魔術師の兄ちゃん」
「貴方は、『彼』を殺したくなかったのですか……? ヒュー」
魔術師が指す「彼」とは、当然、麻袋の中の彼のことである。
軍務大臣は、眉間に皺を寄せた。
「…………まあ、な。そもそも計画は俺が主導だった訳じゃねぇし。後からメリットを提示されて乗った、というところだ。誰だって、殺しは嫌だろ」
「そうですか……。ヒュー」
「それでも暗殺の片棒を担いじまったのだから、もしコイツがアンデッドにでもなって蘇ってきたら、殺されても文句言えないなぁ……。いや、違うな。言っちゃいけないんだ」
「……大臣殿は、真面目なのですねぇ。……ヒュー」
魔術師は、含みのある言い方をした。
大臣が尋ねる前に、彼は言った。
「正直な話、もし魔族と人間とがまた戦争を起しても……、貴方のような方とは、戦いたくないですねぇ……。ヒュー」
「何だそりゃ。皮肉か?」
「事実ですよ。貴方は真面目な人だ……。ヒュー」
「……止せいや。怖気が走る」
「ふっふっふ。敵対種族に言われても、嬉しくはありませんか……。ヒュー」
「それもあるが、真面目だなんて俺の柄じゃねぇ。放蕩息子だから軍人しかなれるもんがなかった。それだけだ。軍人としての誇りとか言っても、所詮は最低限のマナーだ。従うのも当然だ」
「そうですか……。ヒュー」
魔術師は、そして、語り出す。
「……私の一族は、かつて竜の一族に蔑まれておりました。碌な取引も出来ず、馬鹿にされ、信用も何もなく、貿易もなにも交友も交流も何もあったもんじゃありませんでした。……ヒュー」
「そりゃ、酷いもんだな」
「人間でも、そういう話はあると聞きます……。抵抗できない相手に対して、軽く考えて取り返しのつかないことをすれば、後はもう、ですね。……ヒュー」
「……そりゃ、今回のことに対する皮肉か? 兄ちゃん」
「そういう意図はありませんよ……。ふっふっふヒュー。まあそれが権力なのか、暴力なのか、はたまた別な何かなのかは置いておきますけどね。……その状況を改善して下さったのが、竜王なのですよ」
竜王。
人間を苦しめ続けた、憎っき怨敵。
その魔族側からの評価を、男は初めて聞いた。
「かの王は、為政者としては最高でした。統治すれど君臨せず。調整役として従事し、まるで己を殺していたように思います……。ヒュー」
「己を殺して、か……」
「皮肉にも、我等の地位を失墜させた一族から、我等の地位を復興させる存在が現れたわけです……。ヒュー」
「軋轢とかはなかったのか?」
「最初はありましたとも。しかし……、今は、ご覧の通りです。ヒュー」
魔術師は、蛇人間の魔術師は、肩を揺らして笑った。
「かの統治者のためなら、命を差し出すくらい訳ありません。たとえかの統治者が討たれたとしたら、その仇の死体をズタズタにして、さらし者にするほど憎むくらいには。……ヒュー」
「……なるほどな」
「だから、私は貴方を嫌いになれそうにありません。……己が職務のために、自らを差し出す姿勢を持つ貴方を。その責任を投げ出さず、厳しく律する姿勢を持つ貴方を。……ヒュー」
二人の会話は、ここで一度途切れる。
両者ともに、両者それぞれの考えがある。
両者ともに、両者それぞれの立場がある。
少ない会話ではあったが、それを理解した二人だった。
だが、何ということはない。結局のところ、心あるもの同士だ。考えることに大差はない。
たとえお互い、信条としているものが違えど。
手を取り合えるのなら、それは大した差ではないのだ。
ただ、そんな簡単なことが――勇者と竜王との間でさえ成立しかてけた簡単なことが、何より、何より難しいのだ。
筆者ではない何処かの誰か――この世界を見守っている読者でもない何者かが、この会話を聞いてため息をついたかは、定かではない。
さて、そんな真面目な話しは置いておいて。
異変に先に気付いたのは、蛇人間の方だった。
体が人間のものと違うだけあって、敏感にその異変を感知した。
「……大臣殿、注意されよ。……ヒュー」
最初に彼が察知したのは、空気の変化だった。
変温動物という概念はこの世界にはないが、変温動物である蛇は周囲の温度で自身の体温が左右される。奇しくもその性質は、蛇人間にも多少受け継がれていた。
「どうしたんだ? 魔術師の兄ちゃん」
「熱気を感じます。それも、並の熱気では――ッ!」
独特の呼吸も忘れて、蛇人間は唖然とした。
彼に続いて、軍務大臣も同様の有様だ。
二人がそうなるのも、無理はない。
そこには――竜が居た。
並の竜ではない。翼は見上げる彼らの天球を覆うほどに大きく、鱗は灼熱の太陽を思わせるほどの烈火。わずかな一呼吸でさえ火が吐かれ、周囲の森に被害を与えていた。
ここまで大きな竜を、蛇人間は竜王以外に見たことがなかった。それはまた、軍務大臣も同様である。二人は一様に考えた。何故、こんな場所にこれほど強大なドラゴンが居るのかと。むしろ手綱を握っている馬が、何故怯えていないのかが不思議でならなかった。
竜は、足元に居る二人を値踏みするように見ると、蛇人間だけに分かる言語で話しをつけた。
蛇人間はフードの下で目を見開くと、平伏し、馬を下りた。
「……なあ、何がどうなってるんだ? 兄ちゃん」
「想定外の事態が起こりました。しかし、いや、いや!」
歓喜に満ちた蛇人間は、大臣の後ろに固定されていた麻袋を外すと、それを竜に献上した。
竜は、その袋を片手で摘むと、大空へと飛び去っていった。
「……何なんだ? ありゃ」
「竜王の、血族です」
「はッ!?」
「いずれあなた方とぶつかるであろう、我等が未来の統治者に他なりません! いや~、さすがは竜王! 自分の後のことを考えていたとは……。しかも、勇者の体を欲するとはッ! いやはや何をするのか、想像もつきませんよッ!」
心からの喜びを言い表す蛇人間の魔術師。
そんな風にはしゃぐ計画の協力者を見ながら、軍務大臣は、これからどう報告したら良いかと頭を悩ませることになるのだった。
そして、上空では。
はるか彼方へ飛び去った巨龍が、自分の握る麻袋を一瞥してこう呟いた。
『ようやく見つけたのでございます――我が主人よ』
巨龍のそんな言葉は、間違いなく今後のこの世界に、波乱を巻き起こすだろう予兆に他ならないのであった。
ネタバレ:魔族側ヒロイン、遂に登場!