間章その6:そして“彼女”は大地に立つ(浮遊)
ネタバレ:冒頭数行注意
ぬ。
ぬぬ。
ぬぬぬ。
えおあああ。
むもまおえいてょ。
なむらなむるなむる。
なむる、なんだっけ。
エース、いってた。
エースがいってた。
いってたわね、何だった?
何だったかしら『ナムル』って。
ていうより、ここはどこかしら。
何にも見えない
何にも聞こえない。
何にも触れない。
どこへも歩けない。
味覚がない。
視覚がない。
嗅覚がない。
聴覚がない。
触覚がない。
そのくせ、こう第六覚は、著しいほど鋭敏化されてる。ようなきがする。
それによれば、それによれば。
どうやら強大な何かの中を、私は漂っているらしい。
どこへつくともわからず、どこへつながるともわからず。
ただこの、果てのない虚無の中で、萌芽した私の意識は、ただただ異物だ。
普通に考えておかしい。この場所は、本来そういうものが生まれ出でない場所であると思う。
とすれば、それには何らかの理由があるはず。
探さなきゃ。
知らなきゃ。
調べてつるしてさらし上げて分析して解剖して解体して研究して調査して調書して議論して公表して実用させていかなきゃ。
そんな欲求が私の中を渦巻くものの。
しかし、闇は変わらず闇の中。
竪琴の一つでも召還できれば、少しは暇つぶしになるというのに。
……ん、竪琴?
何故そんなものを私は欲しがるんだろう。
何故なのかを思い出そう。
思い出せなかった。
一瞬で結論がはじき出された。
……いや、そんなことあるはずないじゃない。
どうしちゃったの、私ののーみそっ。
そこで、はた、と気付いた。
記憶の保管場所にアクセスできない。
つまり私の、のーみそどこだっけ。
のーみそに限らない。
目も、耳も、髪も、手も、足も、成長不足な身長も、軽々しい体重も、べろも、皮膚も、骨も、神経も、血管も、内蔵も、左目の下の泣き黒子も、肺も、心臓も――。
ありとあらゆるものが、この場にはなかった。
私を構成するファクターは、ただ、もはや、私が私である、という言葉と認識だけ。
鶏が先か卵が先か、と言っていたのは変な錬金術師だったっけ。
なんなんだろう、この、わけのわからない不条理は。
『相変わらずだね、メラちゃん』
ふいに、どこかから声が聞こえた。
アンタ誰よっ。
『僕? は、そうだね……、かつての旦那さんなんだけど』
かつてって何かしら。
その言い回し、今の私とは別の私がいたみたいな言い回しじゃない?
『概ね間違ってないよ。ただまさか、“人の理”に乗れたメラちゃんと、こうして再会する時がくるとはね――』
その時、不意に私の思考が彼の正体を捉えた。
「……アンタ、ひょっとして」
『あー、うん、今は思い出さなくても良いかな。そのうち、たぶん、世界の時系列として十年後くらいになったら、嫌でも思い知らされるだろうし』
「わけがわからないわよっ、サファー! 知ってるなら教えなさいよっ」
『……短気なところも相変わらずみたいだね』
未だ優しげな声――私にもったいないくらいの優しさを持つ声をにじませる、彼、サファーは、多くを語らない。
『僕もわりと、無理してここに居るからね。今の君は行ったり来たりしている状態だから』
「行ったり来たり……?」
『うん。不安定だから、どこに居たら良いかというのが判って居ないんだよ。だから、とりあえず僕は、君を一度安定化させようと思ってきたんだ。今のままだと、自分が何者なのか。それ以前がかつて何者であったのか。かなり境界線が曖昧なんじゃないかな? そもそも僕が誰なのかを理解しちゃってるのが、その証拠だよ』
「……わかったわ」
『……これだけの説明で理解しちゃうあたり、相変わらずの鋭さだよね。戦慄するよ』
「だから敵多いのよ。つぶしても擦りつぶしても湧いてくるし」
『メラちゃん、そういうのいくない』
楽しそうに笑っているサファー。
私も、このやりとりは楽しい。
しかし、同時にまた別れのときは近い。
『じゃ、そろそろ時間だ。君を必要としている相手に、君を送り届けよう。その先の選択は、アエロプスの観測を逸脱することはないだろうけど――頑張ってね、メラちゃん』
「あたり前よっ。私を誰だと思ってるの?」
『そうだね』
「でもね、もう一つだけ聞いていい」
『何かな?』
「アンタみたいな立場ならわかると思うんだけど、ほいほいと、私一人のためにこんな場所まで出向いてきて、大丈夫だったの?」
『そりゃ、大変だったよ。でもこんまま放置したらきっとメラちゃんは後悔するし、なにより――』
サファーは、特に照れるでもなく言った。
『例え何があっても、僕はメラちゃんが大好きだから』
「……」
『照れてる?』
「う、うるさいわねっ、何言ってるのよアンタ!」
過去の自分と現在の自分が混在する私だから、わかる。嗚呼、確かに私とコイツとは、かつて伴侶であったのだろう。
胸の奥が満たされる。
さっきまでの空虚さと不条理さが、消えてなくなり、どうにでも、何にでもなれそうだった。
『愛してるよ、メラちゃん』
サファーは、もう一度そう言って――。
私は文句を返す前に、その場から消えた。
※ ※ ※ ※
『――だ~から! アンタはそんな小っ恥ずかしい台詞をよく言えたも……』
気が付けば、私は城の中にいた。
石で作られた城は、堅牢で、同時に侘しい。
使用人の影も見かけないあたり、予算もカツカツなのだろう。
『まったく、こっちも言い返す前に送り出されたわね』
私の記憶が、徐々に乖離していく。
どうやら今ここに居る段階で、以前の――私が私になる以前の、サファーのお……、お、お、お嫁さんだったころの、記憶は、さほど要らないと判断されたのだろう。
でも、完全に忘れるわけじゃない。
かつての私の自我も相当に強かったのか、案外にどちらの記憶も自己主張が激しく、磨耗しようにも磨耗しきれないようだ。
『……とりあえず、現状確認と』
両手を見る。
半透明に透けていた。
『いざ現実を突きつけられると、なかなかに衝撃ね……』
身体の感覚も、幼女のもののままだ。
それでも地面から浮いているので、視点はかつてより高い。
と、不意に窓の外で爆発が起きる。
『あれは――』
その方向を確認した瞬間、かつての私では知りえないような、新しい感覚があった。
魔力――そう、魔力。今の私は、何をしないでもそれを感知することが出来た。
強大な竜――いや、竜? 竜の死体? 腐った竜? どう呼称しようか。
『って、エースなら間違いなく「ゾンビ」一択ね』
ドラゴンゾンビを見つつ、私は苦笑い。
なにせそれが出現したと同時に、巨大な結界のようなものが張られたのだから。
『何やってんのよ、二人とも――』
向こうには、燕尾服みたいな格好したエース (相変わらず前髪が鬱陶しい)と、きりっと顔引き締めてるくせにデレデレしてるのがバレバレなカノン (おへそ隠しなさいよっ)が、手をとりあっていた。
って、あれ? 何か見ない顔ね、あの赤毛。
浮気? 浮気なの? あの甲斐性なしエースが浮気? あーこれはもう死亡確定だわ。
ツナナギは全然対象外だったろうけど、あれ、年齢的にエースにもカノンにも近そうじゃない。
『でも違うかしら。そういう訳でもないのかも』
カノンと普通に会話してる段階で、疑われてもいないんだろう。もしその上であの無表情を貫き通せるというのなら、大した胆力だわ。
『……まあ良いわ、行かなきゃ』
そう言って、私は窓枠を飛び越えた。
地面にめり込んだ。
『……なんで実体がないはずなのに、こういうところは等加速度運動のままなのよ、アエロプス!』
運命の女神に罵倒をしつつ、私は、痛む体を起した。
※ ※ ※ ※
これは、不条理と絶望が渦巻く世の中に、娯楽の力で夢と希望を吹き込む物語。
たぶん合ってる。
大体あってると思う。
明らかに本作で回収されない伏線がちらほらと・・・。まあでも、いつもの様に最終的にはこの時間軸につながります
というわけで、間章終了です。次回より第三章、ちょっと筆者的に筆が遅くなる感じの内容ですが、頑張っていきたいと思います(祈願)




