一章三話:竜王殺しの宴と別れと(後)
城壁の上でエースとカノンが話し合っていると、看守室の方から男が一人歩いてきた。
「主賓が一体何をやっているんだ? こんなところで。サボリはいかんぞ?」
「「お前に言われたくない」」
凛々しくも男らしい顔つきが、二人の言葉で破顔した。
年は二人よりもだいぶ年上だろう。スキンヘッドの頭が目立つ。しかしカノンのように戦闘体勢ではなく、服装は適当なものだ。気のいい笑顔が、面倒見の良さを物語る。
自分の頭をばしばし叩きながら、男は大笑いした。
「ま、そう細かいことは気にすんなよ。下はセイラ一人置いてきたことになるが、まあ気にするな」
「それを言われると、帰らないといけない気がしてくるから不思議だよな~」
「いや、セイラ一人放置は拙いだろう。魔法と音楽のことに関してなら最強だが、それ以外は単なる小動物だろ、セイラは。本当に放置してきたのか?」
「な~に、おじちゃんの経験から言って、色々体験しないと立派な大人にはなれないんだぜ?」
「カノン、様子見てきて」
「致し方なし。……(せっかく二人っきりだったのに)」
ぼそぼそと小声でカノンは文句を言ったが、しかし大笑いの声にかき消されて男の耳には届かなかった。
ため息を一つつくと、彼女はさも当然のように城壁から飛び降りた。
「いつも思うんだけど、よく俺達って高所から飛び降りるような無茶しても骨折とかしないよな~」
「ま、女神様の加護のたまものだろ?」
「そういうものなのかなぁ……。物理法則が乱れてる……」
「あん? 何だそれ?」
「気にしないでくれ、こっちの話しだから。で、カノンを追い払ったのはどういう理由から?」
もう一度言うが、我等が主人公は決して鈍感ではない。
男の雰囲気から何かを察して、あえて彼の思惑に乗ったのだ。
「でもそうは言っても、何を言ってくるか大体予想はついてるんだけどね。ニアリー」
勇者パーティーの一人、弓兵こと“魔弾の狙撃手”、ニアリー・コールは快活に笑った。
「ははは。まあしんみりする話題は置いておいて、ひとまず酒での飲もうじゃないか」
「……俺が酒、苦手だっての知っていてそれを言ってるな?」
「まあまあ。さっき城の倉庫をあさってきて、度数の低い奴を選んだから安心しとけ」
左手に持っていたボトルを置いて押さえ、右手から魔力を内部に注ぎ込む。
注いだ魔力を物理的な衝撃に変換し、コルクを内側から外した。
「ま、飲もうじゃないか」
泡立つ酒は、所謂シャンペンのようなものである。
彼の目の前にグラスを二つ置き、ニアリーは両方にどばどばと注いだ。
炭酸がはじけて抜けていくのを、エースは嫌そうな顔で見つめる。
「もっと上手に入れろよ」
「いや、トキターはこうやって飲むものだろ」
「このシュワシュワがいいんじゃないか、炭酸の抜けた液体などただの液体だろ」
「何当たり前のこと言ってるんだ? トキターでもワインでも、酒に変わりはあるめぇ……。いや、まあいいや。ほら、早いところ飲もう。グラスを構えろ?」
たっぷり縁すれすれまで入れたそれを持ち上げるニアリー。
エースもそれにならい、グラスを持ち上げる。
両者はグラスを近づけて、一言。
「今日一日の豊穣を、我等が女神様にまた感謝」
「女神様に感謝」
そう言ってから、グラスを軽くぶつけ合った。
空に輝く満月と、どんちゃんさわぎの広場を眺めつつ、二人は酒を飲む。
エースは酒が苦手ではあるが、確かにこの程度ならば飲むことは出来るだろう。
味覚の上ではアルコール特有の刺激臭もなく、ほとんどジュースと言って差し支えなかった。
適度に甘い味を堪能してエースが堪能していると、ニアリーはもう一杯付いているところだ。
一口飲む程度だった彼と違い、どうやらニアリーは一気飲みしたらしい。
「こんな程度じゃ酒じゃねえよ、全く」
二杯目を飲み干した直後、そんなことを呟きながらもう一杯。
「おい、俺の分がなくなるだろそのペースだと」
「あん? エースは酒が嫌いなんじゃないのか?」
「だからって目の前でグビグビ飲み干されてもムカツク。特に自分がギリギリ飲めるラインのものを飲み干されるのはなおムカツク」
「はははははは」
「それに大体、マジで酒飲み始めたら会話どころじゃなくなるだろ、お前」
「おー、そうだったな」
どうやらこの男、自分が来た目的を忘れかけていたらしい。
笑いながら座りなおすと、ニアリーはグラスを置いた。
「俺は、今日をもってお前のパーティーを抜けようと思う」
「んー、予想通りすぎるな」
元々、彼ら二人の間にあった目的はただ一つ。
竜王の討伐のみである。
その目的のために、男は勇者のパーティーに参加したのだった。
両者がお互い人格的に気に入り合っているだの、ニアリーがエースの格闘技術の先生であるだの、伊達に一年も一緒に旅をした関係ではない。
それなりに、深い親交を結んでいる。
しかしそうであっても、なおニアリーは彼らと離れるというのだ。
なぜならば。
「竜王も殺したから、そろそろみんな弔ってやろうと思ってな~。何せ量が量だ。一朝一夕で終わるとはとても思えねぇ」
“魔弾の狙撃手”は、かつて大規模な冒険者ギルドを率いていた男である。
そのギルドは、規模の大きさもあって戦争の際に戦力のひとつとして扱われていた。
当然のごとく、軍隊と共に戦うことを前提として組み込まれていた彼らは、王命ゆえ拒否することも出来ず、戦争で各地に散り散りとなる。
そして、死んだ。もちろん全員がではない。しかし当時の戦争と言えば、大体の戦場に竜王が現れていた。圧倒的な力に、数多くの冒険者たちは蹂躙されるほかなかった。
結局、ギルドのメンバーが八割以上消息不明になるまで、彼らは戦場で戦わせられることになったのだ。
その落とし前をつけるため、彼は勇者のパーティーに入ったのだった。
「一朝一夕どころか……、下手をすると何年も、何十年もかかるかもしれなくても、それでもやるのか?」
「ああ。それが、命を背負った奴の責任ってものだろ。俺は今、こうして生きている。だから奴等の、せめて尊厳くらいは守ってやりたいと思う」
表面上は気のいいオッチャンといった態度を崩してはいないが、その言葉の端々から感じられる意気込みは、まさしく男の意地である。
梃子でも動かないとは、まさにこういった態度のことであろう。
だからこそ、エースも止めることは出来ない。彼も自分の中に、譲れない目標があるから分かる。
「そうか。……ま、頑張れ」
色々考えても、彼の口からは結局、激励の言葉意外は出てこなかった。
そういう時の言葉を、残念ながら彼は持ち合わせていなかった。
※ ※ ※ ※
ちなみに話し終わった後、「まあ今生の別れにはならないだろうが、しばらく会えなくなるんだ、一緒にどんちゃん騒ごうじゃねぇか!」と、無理やり広場に叩き落されたエースである。
色々とこの年長者に文句を言いたいことが山ほどできたエースだったが、彼が再びニアリーを発見した頃には、相手はもうべろんべろんに出来上がっていたため意味はなかった。
「ぼうけんしゃのきほんてっそくぁ~、たたかう、のむ、さわぐ、ねるだぁ! おまえものめぃや!」
もはや何を言っても馬耳東風である。
心の底から深い、深いため息をつくエースの肩を、カノンが同じ様な表情で軽く叩いた。
「……お疲れ。セイラどうした?」
「あー、何でも、大臣から依頼されていた代物がもう少しで出来上がるからと、今頑張って作っているところだ」
「健気だなぁ……」
「同意だ。……ん、エースはそういうのが好みか?」
「いや、そういうわけじゃないけど。どちらかと言えば、頑張っている妹を見てるお兄ちゃんな心境に近い。俺、妹いないけど」
「それはまあ同感だな。私も妹は居ないが」
筆者も妹は居ないが、子供と一緒に遊んだりするのは嫌いじゃない。
さて魔法使いこと、“吟遊詩人”セイラは、同性異性問わず母性本能をくすぐるタイプである。
というか、母性本能くすぐられてしかるべきだ。まだ年齢は二桁いっていない。
それでも最強クラスの魔法使いなのだから、世の中は恐ろしいものだ。
性格は、真面目で研究熱心。
長い金髪をふりふりと動かしてせかせか走る姿は、男前口調なカノンにでさえ、己のキャラを忘却させ「いや~ん、か~わ~い~い~ッ!」と叫び抱きすくめ頬ずりさせるほどである。ちなみにそれを傍から見ていたパーティーの男二人は、あまりの状況にドン引きだった。
あとは黒ケープの下にすっぽりと引篭もる癖さえ直れば、同年代の友達も増えることだろう。
ちなみに友達第一号は、この国の王女様。
年が近かったこともあって、竜王討伐後の帰りの旅で、それなりに仲良くなったりした。
「まあでも健気だとかどうこう言うんなら、そうやってこまめにリサーチしてきたりするあたり、カノンも結構健気だと思うよ?」
「ん? そ、そうなのか……?」
カノンはその一言で、照れたような、困ったような顔を浮かべた。
そして少し赤くなりながら、エースの左腕に抱きつこうとして――。
背後からべろんべろんに酔っ払ったニアリーに、二人揃って突き飛ばされることとなった。
女剣士カノンよ、残念ながら今は攻められる時ではないぞよ。
怒りで頭が沸騰しかかった彼女に、そんな筆者の言葉が届いたかは定かではない。
どうでもいい話ですが、カノンのビジュアルイメージは傷の位置が違う斗貴子さんです。