一章二話:竜王殺しの宴と別れと(前)
その日、王国中が喝采を上げた。
その偉大なる行いに。
その勇敢なる英雄に。
人々はそんな彼を、「黒の勇者」と称えた。
彼の勇者の名は、エース・バイナリー。
苗字こそついてはいるが、前話のエースと同一人物である。
農村出身者の彼には本来、苗字がついていないのだが、彼の救出した姫が、その偉業をたたえて与えた苗字である。
聖剣と聖盾をふるう、黒衣の英雄の存在は王国中をたちまち駆け巡った。
見た目はヤワでも侮るなかれ、彼の一撃は魔を滅ぼす一撃なり。
誇大広告のようなお触書やら瓦版やらが王国中のいたるところに出回り、その英雄の凄まじさを知らしめた。
勝利の凱旋が終わった直後、エースが漏らした一言がこれである。
「街の人の目が、みんな据わっているよ……」
竜王を殺した英雄に対して、賞賛と同時に畏怖を感じている証拠だろう。
竜王を殺すというのは、それほどに恐ろしく規格外なことだ。
竜王とは、魔族の王である。
魔族とは、人間とは異なる知性ある種族。
頭部に角を持ち、人間をはるかに上回る魔法を操る。
種類は千差万別とまではいかないが、人間の人種よりは多種多様である。
そんな魔族を人類は嫌い、魔族も人類を見下していた。
だからこそ戦争が起こり、エースが生まれる数十年前まで続いていたのだ。
その戦争で、人間に最大の痛手を残したのが竜王である。
ほぼ全ての魔族が、どんなに頑張っても人間数人分の魔力しか保有していないとしよう。
しかしかの竜は、それをはるかに上回る。
例えて言うなら、アリとクジラ。
人間をアリと考えた時、それほどの差が出るのである。
その攻撃は、初級魔術でさえ地形を変える。
その気になれば山を砕き、河の流れを変え、湖を干上がらせる。
人間ごときのちっぽけな火力では、どうあがいても勝つことが出来なかったのだ。
当初、人間と魔族との戦力差は多少魔族が有利という程度であった。
しかし竜王の登場で、戦局は一変した。
人間はもはや、魔族に蹂躙されるばかりかと思われたその時。
突如、魔族たちは人間への戦争を取りやめたのである。
急なことに、人間側は困惑を極めた。
しかししばらくの間、ある程度の平和を享受することとなった。
だが、それも長くは続かない。
現国王の娘が、竜王にさらわれたのだ。
その竜王から王女を取り返したのが、勇者エースである。
噂によれば――彼は真正面から竜王と対決し、勝利したとのことだ。
畏れられない方がどうかしている。
恐れられない方がどうかしている。
結果として勇者様ご一行は、四人が四人とも微妙な面持ちで石造りの古風な王城に帰還したのだった。
※ ※ ※ ※
さて、宴である。
誰が何と言おうと、宴である。
夜通しで開催される、一大パーティーである。
王女を救出した勇者たち四人を主賓とした、大規模な宴である。
城内部だけでは市民も参加できないからと、城前の広場で執り行うあたり、この国の王様はそれなりに配慮の出来る男だった。
宗教的な理由から質素、倹約に努める彼ら民衆も、この時ばかりは豪勢な食事と酒に舌鼓を打っている。
そんな光景を眼下に眺めながら、エースは城壁の上で深呼吸。
「……うん、空気がうまい。下はワイン臭くてかなわない」
どうやら、広場に漂う酒臭さに辟易して逃げ出したらしい。
満月を眺めながら、青年はにこりと目を細めた。
「ま、エンタメは少ないけど風情は多少あるか」
おや?
この少年が持っている「現代日本」の語彙の中に、エンタメなどという語は存在しただろうか。
筆者が疑問に思いながら書き進めていると、エースはごろんと横に寝そべった。
そんな彼に、声を掛ける女性が一人。
「……主賓が何をやってる」
口調こそ乱暴だが、声質は乙女のそれである。
まず目に付くのは、顔にある傷跡であろうか。刃で付けられたと思われる額の傷跡は、元々の傷の深さを物語る。次に目に付くのは、彼女が酷く美人だということだろうか。実直そうな印象の顔立ちに、短く切りそろえられた髪を揺らす。動きやすく加工された軽装のアーマーをまとう体躯はやや小さく、その腰に二振りの剣を挿していた。
彼女もエース同様、城壁を登ってきたらしい。
ひょいひょいと彼の頭の上側に回ると、その場に腰を下ろした。
エースが目を開けて、彼女の名を呼ぶ。
「や、カノン。そっちもさぼり?」
勇者の四人組パーティーが一人、女剣士カノンは呆れたように微笑む。
「まあ、そんなところだ」
「だったらカノンが、俺のことを注意するのは無理だと思うけど」
「そういうことじゃないさ。だって私はともかく、エースは今日の主役なのだから。王女様に並び」
「うん、まあ……、そうなんだよね~……」
今日のパーティーは、勇者による竜王討伐ならびに、竜王に囚われていた王女が帰って来た祝い事なのである。特に乱暴された形跡もなく、五体満足、精神障害すら見られなかったとあらば、祝わないことなどあるはずがない。
そんな場所に担ぎ出されているのに嫌気が差しているのか、エースは力なくため息をついた。
カノンが、黒装束の青年の反応に頭をかしげる。
「何故そんなに嫌がるのだ? 王族にここまで強く貢献したら、貴族入りくらいは確実に保障してもらえるだろ?」
「う~ん、それで済まなそうだから、出来れば逃げちゃいたいんだよな~。……吊橋効果って知ってる?」
「何だその、胡乱な言葉は」
「う~ん、俺も最近知った言葉なんだけどさ。ほら、竜王と戦うちょっと前に、錬金術師のおっちゃんから譲ってもらった日記帳があるじゃん?」
「あの『俺は異世界から、この世界に飛ばされてきたんだッ!』とか言っていた奴のか?」
「そうそう。ある程度解読できたんだよね、アレ」
嘘である。
実際、書かれていた言語は日本語だったで、直読みしていただけだったりする。
しかし彼の言葉に、驚きつつも女剣士は納得した様子だった。
「さすがは、我等が『女神様』に選ばれた勇者ということはあるか。胡散臭い書物でも、なんなく解読するとは」
「まあ戦闘に役立ちそうなことは全然書かれていなかったけど。で、それいわく、危機的状況における心臓の脈動の加速と、恋に落ちたときの脈動の加速を勘違いする現象のことを言うらしい」
「……つまり?」
「あの王女が俺を見る目、どこか熱っぽくなかった?」
幸か不幸か、自意識過剰の勘違いではない。
実際にこの国の王女(まだ十代前半だが)、助けてくれた勇者に惚れている。
我等が主人公は、本作を出来る限りコメディ路線にさせるため、余計なフラグをバンバンへし折る能力を持っている。
決して難聴系鈍感主人公ではないのだ。
そんな彼の言葉に思うところがあったのか、カノンは困ったような顔で肩をすくめた。
「確かに、弱るな。なにせ、エースと一緒になるのは私のつもりなのだから」
そしてこの女剣士も、一切合切隠す気がない。
あんまりにもストレートな告白である。
ただし、
「ま、俺はまだ身を固めるつもりはないがな」
残念ながら、話の展開のためなら、余計なフラグはバンバンへし折る主人公である。
そんな創造主の見えざる手の介入でも感じたのか、カノンはそれ以上この話題に触れなかった。
そのかわり、こう続けた。
「夢のため、かい?」
「ああ。知ってるだろ?」
言いながら、黒衣の少年はがばっと起き上がり、拳を突き上げる。
「俺は、この世界にエンタメ文化を定着させるッ!」
何だか自信満々に微妙なことを言う主人公である。
よっぽど幼少期のエンターテインメント不足に苦しまされたようだ。
もっとも、そんな彼の言葉にカノンは理解を示しきれて居なかった。
「私も協力するよ、終生を共にするのだからな。……ところで、エンタメとは何だ?」
微妙に当惑する彼女を置き去りにしてハイテンションな雄たけびを上げる勇者。
本作はあらすじの通り、コメディ路線を目指していくつもりである。
前話との間のお話は・・・そのうち番外編とかで。




