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チルチルチルリット  作者: けろぽん
<番外編>恋になるかもしれなかった
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24

「ミレアとの付き合いはわたしが物心つく前からのものだ」


 屋敷にふたりそろって戻り、慌てふためく使用人にてきぱきと指示を出し、湯浴みを済ませ、着替えを済ませ、伸びた髭と髪を整え、以前と変わらぬ姿でエミリアの部屋を訪れたウリウスは一緒に食事を取った後で静かに話し始める。


「物心つく前、ですか?でもミレアという方は……」

「そう、ミレアとわたしは同じ孤児院出身なのだよ。彼女は恋人であり母親であり、友人であり、姉でもあった。そのころの孤児院は今よりももっと劣悪な環境でね、子供たちが身を寄せ合って生きて行かなければならないようなところだったよ。

 もちろんこのことは極秘事項で父がすべての記録を握りつぶしたから、多分今更誰かが調べようと思ったところで調べようがないだろうけれどもね。ヴィングラー家には子供が生まれなくて、それでわたしがここに引き取られたんだ。父が若いころに使用人に産ませた子供がいて、その子供がわたしくらいの年だったと言う話だったが、その話が本当なのかウソなのか、それすら今となっては分からない。

 ともかくいくつかの孤児院から10歳になる前の子供が何人か集められ、半年ほど、あらゆる教育を受けさせられた。その時はまさかそれがヴィングラーの後継ぎになる試験だと思いもしなかったが。その中で一番優秀だった子供、つまりわたしだけが、ヴィングラー家に引き取られた」


  ウリウスは言葉を切り、懐かしい昔を思い出すかのように目を細めた。


「三つ年上のミレアは孤児院でわたしの面倒をよく見てくれていた。ヴィングラー家の嫡男として生活している間もずっとこっそりと連絡を取り続けていたよ。成人するまでの間に、ヴィングラーにふさわしい知識と品格を持つように厳しくしつけられた。少しでも失点をしてしまったらいつでも放り出されるであろうから、それは必死だったよ。

 成人したら、ミレアと結婚して楽をさせてあげようと頑張った。そんなことはもちろん許されなかったけれどね。ヴィングラー家を継ぐ条件の一つに、貴族との婚姻関係を結ぶことがあったから」


 ことりとエミリアの心臓が音を立てる。

 そうか、やはり、自分との婚姻にはそういう訳があったのか。当たり前だ。貴族の婚姻とはそういうものだ。それは十分理解している。


「切ない悲恋物語ですわね。でも、最後にはきっと幸せになれるんじゃないでしょうか。お互いに思いあっているのですもの……そうでないと、おかしい、ですわ」


 無理に微笑みを浮かべようとしたが、失敗した。きっと変な表情になっているだろうから、エミリアはそんな顔を見られたくなくてうつむく。


 もともと自分が入る余地などどこにもなかった。今となってはウリウスとミレアの間には何の障壁もないではないか。屋敷に戻ってきてくれたウリウスに浮かれて蓋を開けてみれば邪魔なのは自分の方だった。


「ああ、そうだな。切ない話だ。だが、それだけだ。今になって思うのは、初恋など、子供時代の浮かれた気の迷いだ」

「…………」


 意外な言葉に驚いて顔を上げると、優しくこちらを見つめているウリウスと眼があった。


「社交の場に出るようになると、わたしの周りには人が集まってきた。婦人たちはみな美しく、教養も、礼儀もきちんとしている。わたしは理解したよ。これからわたしがこの世界で生きるのならば、ミレアでは駄目なことに。ひどいと思うかね?住む世界が違うんだ。何年も努力してわたしはそれなりのものを身に付けた。それでも人前にいるときは常に気を張っている。だが、ミレアにそれを望むことはできない。それに気付いたときに、彼女との関係は終わった。

 多分、ミレアのほうが先に気が付いていたんだろう。孤児院を出るなり他の男と結婚したよ。子供も儲けて幸せに暮らしていた。不幸だったのは若くして事故で夫がなくなったことだ。子供もまだ小さかった。それなりに自由になるお金を得ていたわたしは彼女に援助した。

 何故そうしたかと聞かれてもうまく答えられないが、そうするのが当然だと思った。その関係が、今もずっと続いていた」

「それは……、愛情というものではありませんか?」

「愛情、というならば、それは家族に対する情のようなものだ。未練とも違う。執着……でもない。やはりうまい答えは見つからないが、多分彼女が死ぬまで、これからも何らかの手助けはしていきたいと思ってはいる。そういうのは君にとっては不愉快なことなのだろうか?」

「……良く、分かりません。ですが、家族のようなものと言われれば、あなたはエンリにも多大な援助をしてくださっています。わたくしは良くてあなたには駄目などととても言えるわけがありませんわ」


 それに内緒でされるより、はっきりと公言してもらった方がずっといい。


「援助と言っても今のわたしにどれだけのことが出来るのか分からないがね」


 自嘲気味に唇をゆがめる。


「そもそもわたしはヴィングラーとは何のかかわりもない素性も分からない孤児だ。君にこの話を伝えなかったのは……失望されるのが怖かったからだ。そして今も。ミレアの店でのわたしの醜態を見られてしまったことで、君を失望させてしまったのではないか、と思っている」


 失望……。

 確かに混乱した。しかしそれならばウリウスを無理に屋敷に連れ戻すことなく逃げ帰っていれば済んだことだ。

 血筋など元より気にもしていない。

 自分の恐怖は、ウリウスのいない人生を送ることなのに。


「怖いものがたくさんありますわね、お互いに」


 沈黙の後、呟いて微笑みを浮かべるエミリアを不思議なものでも見るような表情で。


「それで、どうなさったのですか?」

「それで?とは?」

「それからのお話ですわ。ミレアさんに援助をして、その後のお話です」

「……ずるずると婚期を遅らせていたわたしの前に君が現れた。後は、君も知ってのとおりだ」


 小さく咳払いして話を終わらせるウリウス。

 あら?


「なんだか、今、ずいぶん話を端折りませんでしたか?」

「その後の話は君も知っているだろう」

「ええ。でも、わたくし、あなたの口から聞きたいですわ。自分でも分からないものですから。どうして、あなたがわたくしを選んで下さったのか」


 エミリアは立ち上がり、ウリウスの側に立つ。テーブルに向けていた身体をずらし、エミリアの視線を正面から見上げながら受け止め、ウリウスは口を開いた。


「……君と、夫婦になりたかったからだ」

「どうしてですの?」


 ウリウスの手が、エミリアの手に触れる。指を絡めあっているだけなのに、ひどくいやらしいことをしているような気分になる。


「周りの貴族の娘たちは関心を引くために皆美しい装いで優しい笑顔を振りまいていたのに、君だけは、仏頂面で、わたしのことを射殺しそうな目で睨んでいた」


 あの頃の思いが突如鮮やかな彩りを伴って蘇る。小さく口の中で笑い、エミリアはかがみこみ、皺の刻まれた頬に口づけをする。


「だって、憎たらしかったんですもの」


 ウリウスが立ち上がりエミリアの身体を抱きしめる。何度か口づけを交わしあった後、ベッドに倒れ込み、肌に唇を這わせるウリウスの髪を撫でつけながら、熱いため息とともにつぶやく。


「わたくし以外の女と楽しそうに談笑しているあなたが。女の腰に手を添えて優雅にダンスするあなたが。多分、きっと、本当に殺したかったんだと思いますわ」


 この魅力的な金茶色の瞳を自分からそらせたくなかった。いつも、自分だけを見つめ続けて欲しかった。

 それは随分長い間、叶いはしなかったが、今、この時、ウリウスの瞳に映っているのは自分だけだ。


「さすが野生の獣なだけのことはある」


 顔をあげてにやりと笑うウリウスの唇を、窒息してしまえとばかりにふさいでやった。




 薄闇の中、柔らかなベッドと清潔なシーツとウリウスの腕に抱かれてエミリアはまどろみの中にいた。

 そこはひどく安心の出来る場所で、いくらでも惰眠をむさぼり続けることが出来た。浅い眠りから覚めるたびに隣で寝息を立てるウリウスの胸にもぐりこみ、目を閉じるとたちまちのうちに眠りに落ちる。どうして今までこの心安らげる場所に気付かせてくれなかったのかと恨みがましい気持ちになった。


「わたくしの身体になど興味を持っておられないのかと思っておりました」


 そんなことはこれまではしたないことだと口にすることすらできなかったが、すべてをさらけ出し、飽くことなく絡み合う今この状況で、何をいまさらである。


 目を閉じて眠っているかと思われたウリウスだが、驚いたように目を開く。


「子供を産んだ女を抱く気にはなれませんでしたか」


 少し意地悪な気持ちで耳元でささやくと、少し慌てた様子になり、


「何を馬鹿なことを。あれは君が」

「まあ、わたくしのせいにするのですか」

「せいもなにも、その通りなのだから……」


 ウリウスが言うには、シオン出産時にエミリアは死にかけたそうだ。このあたりはエミリア自身記憶にないのだが、分娩中の部屋に入るなと言われていたウリウスだったが、心配のあまり無理矢理部屋に押し入ったところ、血の海の中で紙のように白くなって気を失っているエミリアを見て激しくショックを受けたそうだ。

 次の子供を作ったらもしかしたら、今度こそ命がなくなるかもしれないと、一人恐怖に陥れられたウリウスは自ら禁欲生活を強いた。しかしそれも長くは続かず、そろそろいいだろうとさりげなく誘いを掛けたら、つれなく断られた、というウリウスだが、それもエミリアは覚えていない。


「そんなことでしたの」


 話を聞くと実にくだらない。半ば呆れたように声を上げるエミリアに、男の性は大変繊細なものであると懇々と説かれ、欠伸交じりに聞き流す。

 本当につまらないことで人生の半分くらいを無駄にしてしまった。ウリウスもエミリアも、年をとった。しかしだからこそ、今、こうやって素直な気持ちでウリウスに甘えられるのかもしれない。




「シオンには……許されないことをした」


 ウリウスの胸におでこを押しつけて眠りに就こうとしているころ、不意にぽつりと呟く。


「自分の息子を自分と同一視していた。シオンの気持ちを、浮かれた子ども時代の気の迷いだと切り捨てた。彼にはわたしにない強い覚悟と決意があったのに」

「……それは、わたくしも同じです。わたくしはシオンにとってけしていい母親ではありませんでした」


 どうして、シオンがいた頃にこうしてウリウスと話し合うことをしなかったのか。そうしたら、違う結末になったかもしれなかったのに。エミリアの人生の中で、ただ一つ、悔やんでも悔やみきれないこと。


「いつか……、もしも、シオンと会える時が来たら、二人で一緒に謝りましょう」

「そう、できたら……」


 囁きに似たウリウスの言葉は、そのまま闇に消えて行く。


 幸せに。

 ウリウスのぬくもりに包まれながら、エミリアは目を閉じる。


 どこかで暮らしている息子とその恋人の幸せを強く、強く願いながら、まどろみの中に落ちて行った。



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