てのひら
一人になりふと気付くと先程まで遊んでいた子供たちが遠巻きにこちらを眺めているのが分かる。子供にいい思い出のないわたしは一人残ったことを早くも後悔した。出来るだけ目立たないようにと隅のほうへ移動する。
そのうちに子供たちは観察するのに飽きたのかわたしを意識しながらも遊び出す。遊んでいるのは歩き始めたばかりといった幼児から十代半ばくらいの子供たちで20人くらいいるだろうか。うつむきがちになりながらその様子をうかがう。
わたしがもしあの時シオンの手を取らずに孤児院へ行くことを希望していたらここでこうやって皆と一緒に遊んでいたのだろうか。村でも友達など一人もいなかったわたしには同じ年頃の子供と関わり合って遊ぶということが想像がつかない。
どんな遊びをしているのかと思えば追いかけっこをしたり土に水を加えてこねて何やら作ったりと他愛もないことばかりだ。
そのとき一人の幼児がおぼつかない足取りでわたしに近付いてくるのが分かり、汗が噴き出す。誰か気付いて輪に戻してくれないかと思うが他の子供たちは遊びに夢中で気がつかない。幼児は手を伸ばせば触れるほどそばまでくるといきなり転んだ。
「あ、あの、大丈夫?」
大声で泣き出した幼児に思わず手を差し伸べようとすると一緒に遊んでいた子供が走り寄ってきて幼児を抱き抱えわたしを睨みつけようとして。
悲鳴を上げられた。
「きゃー!おばけ!」
それをきっかけに次々と子供たちが集まってくる。
「目が赤いぞこいつ!」
「魔物だ!本で読んだことあるぞ!」
どうしたらいいのかおろおろしているうちにべちっと何かが投げられ腕に当たる。見ると水で練った泥団子で、空色のドレスに見事に染みを作った。泥団子は一つだけではなく次々に飛んでくる。大概はずれたがいくつかは当たりすぐにドレスは泥まみれになる。
「あなたたち!何しているの!」
鋭い声に攻撃がピタリとやむ。建物からシオンたちがやってくるのが見えた。
「…………」
シオンがわたしの格好を見て絶句しているのが分かり、泣きそうになる。
「まああ、どうしましょう、高いお召し物がこんなことに……まあ、まああ」
おろおろとしている初老の女の横で先程シオンを案内していた女が子供たちを叱りつけている。無言のままのシオンの代わりにアギトが、
「院長、とりあえず何か着替えを貸していただきたいのですが」
「あああああ、そうですわね、そうですとも。とりあえず、こちらで着替えていただきましょう」
渡された服は施設の子供たちが着ていたものなのか色あせたものでわたしにはサイズが大きくぶかぶかで不恰好に見えた。帽子をかぶっていたので髪の毛に泥は付かなかったが恰好に似合わないので脱いでしまう。一人着替えを終えたわたしは汚れた服を持って部屋を出る。シオンたちがどこにいるのかうろうろしていると、子供の叫び声のような泣き声が聞こえてきて心臓が跳ねる。近付きたくないのに足が勝手に声のしたほうへ向かう。
抑えた声で激しく叱責するのが聞こえる。何かを叩く音とか細い悲鳴、すすり泣きの声、合間に「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません許してください」と呪文のように繰り返す声がする。
閉まっている扉の向こうで何が行われているのか、恐ろしくて足が動かなくなる。
叱責の声がわたしを殴っていた村人の声と重なり、胸が痛くなり呼吸が苦しくなった。
やめてやめてやめて!
やめてと言ってもやめてくれない、許してと言っても許してくれないのなら何も感じないふりをすればいい。ただ日々が過ぎて行くのをぼんやりと。
朽ちかけた家畜小屋から空を見上げながら感情を押し殺し何も感じないようになればいいと願いながら呼吸する毎日。
鍬で太ももを刺されて熱で朦朧としていたときわたしはほっとしていたのだ。これでようやく楽になれると。なのにわたしは回復してしまった。身体が弱くて役に立たないくせにこんなときだけ生き汚い奴だと聞こえよがしに言われた。わたしもそう思う。回復したことを誰よりも残念に思っていたのはわたし自身だった。
「チルリット」
声に顔を上げると、シオンたちがすぐそばにいた。いつもと変わらない冷たくも見える無表情にわたしはひどく安堵する。
何も感じない物体になってしまったらと願っていたわたしは計らずとも彼の所有物になれたのだった。
「シオン様、すみません服を汚してしまいました」
「そうか」
意外なほど穏やかな口調で頷くと、シオンはわたしが足を止めていた扉の前に立つとなんの躊躇もせずに開け放つ。
「失礼。躾けるのは構いませんがあまりにもいきすぎたものは父の耳にも入れなくてはならなくなるので。ヴィングラー家の寄付金を未来ある子供たちのために有意義に使ってもらいたいですね。今日は見学は中止します。院長によろしくお伝えください。では」
中にいた女が何やら慌てた様子で言い訳を口にしているのも構わずにシオンはそのまま孤児院を後にする。
「ほら」
外に出た途端シオンがわたしに手を差し出した。
「いえ、あの、わたしこんな恰好なので」
先程までの美しいドレスならともかく今のわたしは綺麗な身なりをしているシオンとはどう見てもつり合っていない。
「だから何だ」
まごついているわたしの手を取りさっさと歩き出すシオン。
「すみません」
先程まで帽子をかぶっていたからなのか気付かなかった人々の視線を痛いほど感じた。わたしの髪の色と眼の色はそれほど人の注目を浴びるものだったことを先ほどまですっかり失念していた。
「何を謝る」
不恰好で珍しいわたしの手を引くことでシオンに恥ずかしい思いをさせていることに対して、なのだが、言葉がうまく出てこない。
「多分お前は視力が弱いのだ。故に人ごみを歩くのに苦労する。眼鏡をかけるという手もあるが僕はあれが好きじゃない。せっかくのお前の眼の色を隠してしまうのも勿体ない」
いつの間にかシオンの歩調がゆっくりになっている。
「だからこれからも歩きづらい時は僕がお前の手を引いてやる。それが所有した者の責任というやつだ」
「……はい」




