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チルチルチルリット  作者: けろぽん
<番外編>恋になるかもしれなかった
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15

 ここからビュータにあるマイスキーの屋敷へはゆうに半刻はかかる。その間中無言でいるわけにもいかずにエミリアは覚悟を決めた。


「何故こちらに?」

「先ほども言ったが君の友人に呼ばれた」

「あの人は……」


 その言葉が続かなくて口ごもる。あの人は?なんだろう。ウリウスは誤解しているのだろうか。自分と彼の間に肉体関係があると?そしてその誤解を解いた方がいいのだろうか。何のために?そんなことウリウスにとってはどうでもいいことなのかもしれないのに?


「彼のことは覚えているよ。ダガール=ヴォイド。いつかの夜会で君と一緒に踊っていた」


 出会ったころの話を持ち出されて驚く。しかもそれを覚えていたとは。


「踊っていたというか、正確には踊ろうとしていたのですけれどあなたにぶつかって、それきりでしたが」


 なにをいまさら。こんな、十数年も昔の話を、言い訳のように。


「あの、ヴォイド……彼になにかの権利を渡したとお聞きしたのですけれど」

「ああ、そうだね。要求されたからね」

「それは、そのヴィングラー家にとってかなりの損失を被る物なのでしょうか」

「それは君が気にすることではないよ。最初に言ったはずだ。生活の心配はさせないと。君の丸ごとを引き受けると」


 不意に、胸が熱くなる。

 どうして、この人は、こんなときに。


「離縁を申し出た女のことなど放っておけばいいではないですか」


 声が震える。


「まだ、離縁したわけではない。そもそもきみからあのような手紙をもらう理由が分からない。最初の約束をわたしは忠実に守ってきたはずだ。不自由をさせた覚えはないし、君がダガール=ヴォイドに惹かれる理由も分からない」

「そう、ですわね。あなたにはきっと分からないでしょうね」


 自分の苦しみも悲しみも。

 感情が渦を巻き、抑えきれなくなる。

 ヴォイドに惹かれたことなどない。

 けれど、利用しようとしたことは確かだ。夫に触れられもしない女が、お飾りのためだけに存在している妻が、薄っぺらな言葉にどれほどすくわれたのかなんて、この人は全く分からないのだ。


「少なくともヴォイドは、わたくしを見て、愛を囁いてくれました。優しく抱きしめてくれましたわ」


 堪え切れなくなった涙が瞳から転がり落ちる。


「嘘に塗り固められた愛の囁きと快楽におぼれるだけの情欲が君が欲していたものだというのか。あの男のために涙を流すほどに」

「…………」


 金茶色の瞳に、ある種の剣呑さが混ざるのを見て、自分が何か間違いを口にしてしまったのを感じる。言葉だけを聞けば、まるで自分とヴォイドが肉欲にまみれた関係のようではないか。

 そしてウリウスはエミリアの涙をヴォイドを思ってのものだと勘違いしている。

 馬鹿らしい勘違いだと開こうとした口から嗚咽が漏れた。感情がうまく制御できない。涙がこぼれおち、ドレスに染みを作る。これではまるで……別れがたきを別れむせび泣いているようだが、どうしようもない。

 そんなエミリアを冷ややかに見下ろし、


「ならばそこで服を脱ぎ、股を開けばいい」


 言われた意味を理解するのに時間を要した。

 そして頬が朱に染まる。


「な、なにを、あなたは」

「今から抱いて差し上げようと言っているのだよ、わたしは」


 あ、と思う間もなく距離を詰められ唇をふさがれる。

 それすらも記憶にない位に久しぶりのことで、歯を食いしばり、ウリウスの舌が口内に入ってこようとするのを拒む。


 今更、一体どういうつもりなのか。

 両手でウリウスの身体を押し戻そうとしてもびくともしない。ヴォイドとは比べようもない位がっしりとした身体。怒りを込めて至近距離にある金茶色の瞳を睨みつけると、次の瞬間ウリウスがエミリアの鼻をつまむ。


「!」


 息が出来ない。

 ほとんど反射的に新鮮な空気を求めて大きく口を開けてしまったその隙を逃さないとばかりにウリウスの舌がやすやすと侵入してきた。

 唾液をすすり好き勝手にエミリアの中で動き回る。


 まさか、本当に、こんなところで?

 いくら普通より広いとはいえ、馬車の中だ。逃げ場所さえもなく、密着する身体を引きはがすにはエミリアはあまりにも非力だった。


 馬鹿にしている。

 同意も得ずに、力ずくでなんて。


 自由になる右手の爪をウリウスの地肌に突き立てると力を込めて引っ掻く。


「っ!」


 思っていた以上の手ごたえがあり、痛みに顔をゆがめ、ウリウスの身体が離れる。見ると、ウリウスに左耳の下から顎の線に沿い長い引っかき傷が出来ていて、鮮血が滴っている。自分がつけてしまった傷に驚き、固まってしまうエミリア。傷に手を当て、掌についた血を静かに見下ろし、ウリウスは唇をゆがめた。


「さすが野生の獣だ」


 赤く染まった手を伸ばされ、エミリアは思わず首をすくめ、目を閉じた。伸ばされた手はそのままエミリアの首筋に触れ、やさしく髪をかきあげられる。

 その掌の感触に、エミリアは小さく息をついた。





 身体のあちこちが痛い。破瓜の痛みにも匹敵する鈍痛がじくじくと身体を苛む。

 起き上がる気力もなくうつ伏せの状態でクッションのきいた座席に横たわったまま馬車の振動に身を任せる。ウリウスがどうしているのが、どんな表情をしているのかはうつ伏せたままのエミリアには分からない。ただ、身支度を整えているのであろうか、時折聞こえてくる衣擦れの音で眠っているのではないことだけは確かだ。

 酷い有様なのだろうな、とぼんやりと思う。髪はぼさぼさだし、無理な体勢を取らされたり暴れたりしたせいでドレスは皺になり、あちこち破れている。

 後、どれくらいでマイスキー家に到着するのか。この有様を弟夫婦にどう説明するのか、なんだかすべてがどうでもよかった。


「……こんな状態で屋敷には戻れませんわ」


 ぽつりとつぶやく。


 しばらく無言のままのウリウスだったが、壁を叩き、小窓から御者に何か指示を出している。

 ここで自分にあつらえたようなドレスが登場しても、何も驚かないだろう、と思ったら、皮肉な笑みがこぼれた。いつでも用意周到なこの男は本当に用意していそうだ。


「満足でしょうか?」


 腕に力を入れてゆっくりと身を起こす。


「十年以上指も触れようとしなかった女、いらなくなった女でもいざとなると捨ててしまうのが惜しくなりましたか?」


 挑むようにねめつけた先のウリウスはいつもと変わらない様子で、無性にそれが腹立たしかった。

 静かなまなざしでエミリアの怒りを受け止め、ウリウスはゆっくりとかぶりを振る。


「いいや。捨てられるのはわたしのほうだから」


 

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