7
初めての夜会に出た翌日、エミリアは山のような贈り物に埋もれていた。
高価な流行りのドレスは靴から装飾品まで一式そろえられてきれいに箱に納められている。他にも大きな、というよりもはや巨大ともいえる花束、たくさんのお菓子。贈り主はウリウス=ヴィングラー。美しいカードが添えられていて、再会を楽しみにしていると流暢な文字で書かれていた。
「すごいじゃない」
今となっては名前すら覚えていない夜会の間滞在させてもらっている家人のほうが嬉しそうに笑っていた。
「でも、こんなにいただけません。返さないと」
呟くエミリアの言葉を、とんでもない、と大仰に否定する。
夜会の翌日に贈られるものは意中の相手に見せる男からの誠意や本気度であって、大人しくもらっておくのが礼儀だそうだ。
意中の相手……。
全くピンとこない。
昨日の自分の態度は今思っても結構不遜なものだったし、彼が自分を気に入るところなどあっただろうか。
しかしこれで次の夜会を欠席するという選択がなくなったのは事実だ。ドレス一式を送られて再会を楽しみにしていると言われたら、もう出席するしかない。
今日起きたら両親に泣き言を綴って帰ってしまおうかと半ば本気で考えていたエミリアは憂鬱なため息をひとつついた。
二回目の夜会は五日後に開かれた。
前回と同じように馬車をお願いし、会場に乗り付ける。
大きく背中と襟ぐりが開いたドレスはなんだか気恥かしかったが、淡い上品な藤色は我ながら良く似合っていた。胸元には大仰になりすぎないものの、存在感のある宝石が煌めく。
あつらえたようにぴったりなのはドレスが贈られた翌日、仕立て屋がやってきて手際よくサイズを直してくれたからだ。本当に、よく気の利く男だ。利きすぎるくらいに。
会場に入ると、一度目の時ほど圧倒される感じはしない。ゆっくりと会場を見渡すが、ウリウス=ヴィングラーはまだ来ていないようだ。前回も結構時間がたってから来ていたから、今回もそうかもしれない、と少し落胆する。
落胆?
いや、落胆などするわけがない。たった一度しか会ったことのない人だ。ただ、贈り物のお礼をしようと思っていたのにいなかったので肩透かしのような気分に陥っただけ。
「失礼、わたくしユーリティ=バーグと申します。お名前を伺ってもよろしいですか?」
顔を上げるといかにも貴族然とした少年が笑顔を浮かべてエミリアを覗きこんでいる。
「エミリア=マイスキーです。どうぞよろしくお願いします」
会場に足を踏み入れた途端に声を掛けられたことに驚いた。前回は壁際で突っ立っていても誰も声を掛けても来なかったのに。
その日は入れ替わり立ち替わり、時には幾人か同時に声を掛けられ、息つく暇もない位だった。少年たちはまるでエミリアをお姫様のように扱う。料理をとってくれたり飲み物を持ってきてくれたり、寒くないか、暑くはないかと世話を焼きたがる。
そしてどうやらそれはドレスのせいであるらしいと気付いた。会場を見渡すと野暮ったいドレスを着ている少女はやはり一人でポツンとしているものが多く、流行りの物で美しく装った少女の周りには人が多い。
上の空で受け答えをしながらエミリアの視線は出入り口に頻繁に向けられる。
その人が登場した時は前回と同じく、小さな歓声が起こった。そうだ、見張ってなくても来たことなどすぐ分かるではないか。
今日のこのドレス姿を見て、彼は何か言ってくれるだろうか。だんだんと近づいてくるウリウスに、エミリアは平静を装って視線を向ける。目があったら、会釈をして、それからきちんと礼を言おう。そう思っていたのだが。
ウリウスの視線は一度もエミリアに注がれることなく中央のほうで楽しげに談笑する集団の元へ去っていく。
「エミリア、どうかしたの?」
飲み物を持ってきてくれたなんといったか......ラーなんとか?もう名前も忘却していた少年は不思議そうにグラスを差し出している。
「いいえ。どうもありがとうございます」
「で?なんの話だったかな?ああ、そうだ、僕の父の話だったね。父は古くから王家との繋がりがあってね」
笑みを浮かべてグラスを傾けながら少年のよく動く口許を凝視する。先程揚げた料理を口にしたからだろうか、テラテラ光る唇はなにか意思を持った軟体動物のように見える。
グラスに入っている果実酒は甘く口当たりがよくすぐに空になってしまった。
「どこへいくの?」
「飲み物がなくなったので取って参ります」
「僕がとってきてあげるよ」
「いいえ、そこでお待ちになってて」
これ以上軟体動物をみていると気分が悪くなりそうだったのでエミリアは足早にそこを離れる。
一人果実酒をあおっていると声をかけられ、身構えつつ振り返ると、ヴォイドがいた。
「まあ今晩は」
「エミリア、今日はすごく……キレイだね。さっきからとても目立っていたよ」
どこか眩しそうに目を細めるヴォイドに、エミリアは気恥ずかしくなる。
「綺麗なのはドレスですわ」
「そんなことないよ。話しかけたかったけど、いつも周りに人がいたから」
「自分でも驚いています。前回はほとんど声をかけられなかったのに」
ヴォイドと喋っている間も、こちらにチラチラ視線を向けられているのを感じる。それなのにウリウスとは一度も視線が合うことはない。今も楽しそうに美しい貴婦人たちと談笑している。
再会を楽しみにしていると言ったくせに。
何故だか恨み言のような黒い気持ちがエミリアの中で渦巻く。
「今日のわたくしどうかしら?」
果実酒をあおったあと、何とはなしに呟く。
「う、うん、さっきもいった通りすごく綺麗だよ」
照れたようにうつむき、グラスに目線を落としながら言うヴォイド。
この人は多分すごくいい人なんだろうな、とエミリアは思う。
純朴で誠実な人なんだろう。そして臆病な正直者。エミリアが絡まれても一人で逃げてしまうような、そんな弱さも持っている。
視界にアイーシャとフィオリッツェをとらえた。二人ともきれいに着飾っているがあのふたりはなんの目的でここに来ているのであろうか。声をかけられてはいるが、夜会にはじめて参加したような貴族からで、そういったのはお眼鏡に叶わないのか適当にあしらっているのが遠目でも見てとれる。
眺めているとアイーシャと目があった。一瞬、悔しそうな表情になったアイーシャに優雅にお辞儀をすると、顎をそらして無視された。
「あのふたり、たぶんもう君には近付きもしないよ」
愉快そうなヴォイド。
「野暮ったい田舎者を馬鹿にするしかできないんだよ。長いこと夜会に出ているらしいけど、あの性格だから全然相手が見つからないらしいしね」
何故だか、ものすごく意地悪な気持ちになる。
「ヴォイド、踊ってくださる?」
「え、え?」
ヴォイドの手から無理矢理グラスを奪うと、そのまま中央に引っ張っていく。
「ちょ、ちょっとエミリア?僕、ダンスなんて全然……」
「大丈夫ですわ。わたくしも出来ませんから」
にっこり微笑むと、ヴォイドは赤くなったり青くなったりしてなんだかおかしい。
「わたくしの腰に手を」
おっかなびっくりといった体でぎこちなく腰に手を置かれた。
「わたくしに合わせてステップを踏んでください」
「う、うん」
手を握り、第一歩を踏み出そうとして。
ヴォイドがドレスの裾を踏み、よろめいたエミリアは踊っていた紳士にぶつかる。
「あっ、も、申し訳ありません」
慌てて頭を下げたエミリアに、可笑しさを堪えたような声が降ってくる。
「お怪我はありませんか?」
顔をあげたエミリアの視界に飛び込んできた、優しくこちらを伺う金茶色の瞳に エミリアの全身の血が逆流した。
「大丈夫です。いきましょう、ヴォイド」
「う、うん、ごめん、エミリア」
ヴォイドの手を引き壁際まで来るとようやく息をつく。
よりにもよってウリウスにぶつかるなんて。
羞恥で顔が熱くなる。
「ごめんなさいね、ヴォイド。わたくしちょっと酔ったみたい。口当たりがいいからって果実酒を飲みすぎましたわ。酔いを醒ましてきます」
顔も見ずに早口で言うと、そのまま夜風に当たるために人気のないヴァルコニーへ向かった。




