5
アイーシャとフィオリッツェはその声の主を見るとあからさまに眉をひそめる。
「あなたとはお話しすることなどなくてよ?」
「取り巻きの方々の元へお戻りになって」
冷たいまなざしを向けられ、ウリウス=ヴィングラーは皮肉な笑みを口元に浮かべ、肩をすくめる。近くで見ても彼はとても華やかな人だった。以外にがっしりとしていて、見上げるほどに背が高い。金茶色の瞳が印象的だ。
「ではこちらのお嬢さんをお借りします。よろしかったら一曲お相手しただけますか」
芝居がかったそぶりで大仰なお辞儀をされ、展開に頭が付いていかずにぽかんとしていたエミリアは手を取られて中央に引っ張り出される段階になり、ようやく声を上げる。
「あ、あの、すみません、わたくし、困ります……。ダンスなんて」
「大丈夫ですよ。あなたは簡単なステップを踏んでいただければ。わたしがそれに合わせます。それに、今あちらに戻りたいですか?」
問われて振り向くと冷ややかな目でこちらを睨むように凝視している少女二人が見えてエミリアはあわてて視線を戻し、観念したようにウリウスの手に自分の手を重ねる。
軽やかな音色に合わせて足を踏み出すが、われながら動きがぎこちないのが分かる。
「顔をあげて」
「そんな、無理です」
エミリアの腰に添えられた掌の大きさを感じながら視線すらあげれずに、ウリウスの袖口にあしらわれた飾りボタンに目を向ける。それはとても細やかな細工が施されていて美しい。
手に触れた肌触りからもウリウスの着用しているものが同じ絹とは言えエミリアのそれとは比べようもなく上等のものだということが分かり、なおのこと恥ずかしくなる。はたから見るとどれほど不釣り合いな二人に映るだろうか。
「あっ、も、申しわけございません」
早く終わってくれないかということばかりに気を取られていたのでステップを間違えてウリウスの足を踏んでしまう。思わず目線をあげるとかなりの至近距離から金茶色の瞳を向けられていて、心臓がはねた。こんな距離で男の人と対面したのは初めてで、怖い位の真剣な表情に視線を逸らしたいのに逸らせない。
ウリウスはじっとエミリアの瞳を見つめている。
先程まで談笑していた雰囲気とはまったく異なる冷たい光。
どうしよう、それほどまでに踏まれた足が痛かったのだろうか。
いやな汗が流れそうになったその時、ふっ、と金茶色の瞳が和らいだ。
「大丈夫ですよ。そんなに泣きそうな顔にならなくても」
「べ、別にわたくしは泣きそうになどなっておりません」
「構いませんよ。わたしは泣き顔を見るのは嫌いじゃない」
「ですから泣きませんわ」
半ば意地のようになって言い返すエミリア。
「そうでしたか。それならもう少ししてからダンスにお誘いしたほうがよろしかったですね」
からかいを含んだその物言いに、エミリアは唇をかむ。
嫌なやつ。
こんな人と踊る羽目になるなんて。
もしかしたら、わざと自分に恥をかかせようという魂胆なのではないだろうか。田舎者を笑いものにするために。でなければこんなに目立つ人が自分をダンスに誘う理由がないではないか。
「……わたくし、気分が悪くなりました」
まだ曲は途中だったが、一刻も早くウリウスと離れたくて、エミリアは手を振りほどく。
「大丈夫ですか?」
「ええ。心配ご無用です。もう帰らせていただきますから」
吐き捨てるように言うとそのままホールを飛び出す。
もういやだ。
こんなところ来るんじゃなかった。誰もかれもが自分の身なりを笑っているような気がする。あと二回催される夜会にも出たくない。
エミリアの持っているドレスは今着ている一着だけ。三回の夜会をそれで過ごすつもりだったが、次にまたあのアイーシャとフィオリッツェに会ったら馬鹿にされるに決まっている。
石造りの外階段を降りたところで腕を掴まれた。
「ちょっと待って、君……えーっと、エミリア=マイスキー」
「……どうしてわたくしの名前を……」
思わず立ち止まり、ウリウスを見上げる。名前を知っていたこともそうだが、自分を追いかけてきたことにも驚いた。
「ここは独身の若い男女の出会いの場ですよ?お近づきになりたいお嬢さんの略歴位知っておくのは当然でしょう」
「それは悪趣味ですわね。紹介もされていないのにこそこそわたくしのことをかぎまわって、田舎者だと嘲笑っておいでですか」
「これはずいぶんととげのある言い方を。気位の高い貴族から厳しい言葉を投げつけられるのは慣れていますが、君の言葉はわたしの心をひどく抉る。美しいものほど鋭い刺があるというのはどうやら本当らしい」
さも傷つきましたと言わんばかりに自らの胸に手を当てるウリウス。
すべての所作が芝居がかっており、本心がまったく見えない。喋っていると心がささくれだつというか、妙に苛立たせる男だ。
「詩人にでもなったおつもりですか?商人だと聞きましたが、売れない詩人でしたのね、ウリウス=ヴィングラー……」
そこではっとエミリアは口を押さえる。
紹介もされていないのに、名前も職業も知っているなど、先程放った言葉が正に自分に返ってきた。
そんなエミリアを見て、ウリウスはなぜか嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
「これは光栄ですね。わたしのことを知っていただけていたとは。一体どういった話を聞いたのか、教えていただきたいものです」
「それは……、大した話じゃありませんわ」
「自分が一体周りからどういう風に見られているのか気になりますね。よろしければお聞きしたい」
言いながらもそんなことは全く問題にしていないというそぶりでエミリアの手をとり、恭しく指先に口づける。
背筋がぞくりとしたのは嫌悪感からなのか。
「何でも持っていると。……家柄以外は。ヴィングラーさん。あの、手を、お放しになって下さい」
「わたしのことはウリウスとお呼びください。あなたたちのように高貴な出自ではなく下賤な身ですから。呼び捨てて下さって構わないですよ」
「そんなこと……本当にそう思っていらっしゃる?」
自らを卑下するような言葉とは裏腹にウリウスからは内面からあふれ出すような強い自負心が見て取れる。
エミリアの言葉に無言のまま皮肉な笑みを浮かべ、
「気分が悪くなられたのは残念です。うちの馬車で送らせましょうか?」
「いいえ、結構です。ヴィングラーさんは会場にお戻りになって下さい。あなたをお待ちしている方がたくさんいらっしゃるでしょうから」
「そうですか。次の夜会でも会えるのを楽しみにしていますよ」
握られたままの手を引かれ、よろめいたところをウリウスに抱きとめらる。あ、と思う暇もなく頬に口づけをされた。
「では。お気をつけて」
小さく微笑み、ウリウスは背を向け会場に戻っていく。
鼓動が早いように感じるのは気のせいだ。
頬が熱いのも、会場の熱気に当てられたせいで。自分に言い聞かせるようにエミリアはその場をあとにした。




