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一月後

 りりり、とベルの音が聞こえたような気がしてわたしは無理やり意識を覚醒させる。

 慌ててベッドから飛び降りて枕元にある灯りをつけると部屋の中がぼうっと明るくなる。今が真夜中なのか明け方なのか窓から外を見ても分からなかったが、問題なのはベルの音が鳴った、ということで、隣にあるシオンの部屋の扉をノックする。


「はい」


 すでに屋敷のなかは寝静まっているというのにいつものようにシオンは起きていたらしくしっかりとした返事が返ってくる。


「失礼します。あの、お呼びでしょうか」


 シオンが読んでいた書物から顔を上げる。


「呼んでない」

「え?」

「僕は呼んでない、と言った」


 ポカンとしたわたしにイラついたように言ったあとでシオンは分厚い書物に視線を戻す。

 どうやら寝ぼけて幻聴でも聞いてしまったようだ。ここにきてから一月余り何かというと呼びつけられてすぐに行かないとひどく不機嫌になられるので気が休まる暇がなく夢にまで出てきたのか。しかしそう言われてみれば今まで寝ている間に呼び出された覚えはない。


「すみません。失礼します」


 これ以上機嫌が悪くならないうちに退散しようと扉を閉めようとすると、


「待て。せっかく来たなら僕にお茶をくれ。ちょうど休憩したいと思っていた」

「あ、はい」


 シオンの部屋には快適に過ごせるだけの設備がすべて整っており、今シオンが使っている読書をしたり書き物をしたりする書斎机とは別にソファセットがありそのテーブルの上に何時でも喉の渇きをうるおせるようにお茶が入れられるようになっているのは知っている。が、いつもルルがそういうことをやっていたのでわたしがお茶を入れるのは初めてで、ルルがやっていたことを思い出しながら見よう見まねで淹れてみると、カップに注がれた色はちゃんとお茶の色が付いているのでちょっと安心し、それをシオンに差し出す。


「……なんだこれは」


 一口飲むなりシオンが眉をひそめる。どうやら失敗したらしい。ここで「お茶です」などと答えようならさらに機嫌が悪くなるのが目に見えているので、


「すみません。今度ルルさんにお茶の入れ方を習っておきます」


 とりあえず謝っておく。

 シオンはすぐに不機嫌になったりイライラしたりはするが、村にいた大人たちのように大声を出してわたしを罵ったり叩いたりするなど手を出してくることはない。いつ呼び出されるかと気が休まることはないが村での暮らしを振り返るといつも美味しいものが食べられるし、雨の入りこまない温かくやわらかなベッドで休めるし、絶え間なくできていた青あざの痛みに耐えなくてもすむここは天国のようだった。


「そうしてくれ。こんなにまずいお茶をいつまでものまされたらたまらない」


 言いながらもカップに残ったお茶を一息に飲み干してまた本に目を戻す。

 シオンが読む本は分厚い上に細かな文字がびっしり書かれている。文字が読めなかったわたしだったが、シオンにせめて読み書きくらいできるようになれと言われて先生まで付けられた。朝食を食べた後の時間を利用して勉強を始めたばかりなのでまだ片言しか読めないが、そのうちシオンのように本が読めるようになれるかと思うとわくわくした。


「身体を見せてみろ」


 ふと思いついたかのようにシオンが顔をあげ、わたしはいつものように全裸になる。ここにきてから数日おきに繰り返されるそれにどういう意味があるのか分からないが、あばらが浮き出ていた身体に少しだけ肉が付き、いつもお風呂上りにすりこまれているオイルのせいか血色も良くなり髪もさらさらになり少しは見られるようになったように思うのだが、シオンはいつもつまらないものでも見てしまったかのように鼻を鳴らして終わる。

 

「ここはどうした」


 珍しくシオンが本を閉じて近づいてくると冷たい指でわたしの太ももをなぞる。

 なぞられたところを見ると薄くピンク色の線になっている。それは村で鍬を振り回されたときにわたしの太ももに刺さった時のものだ。何故鍬を振り回されたのか未だ持って分からないのだが、ふざけていたのかいつものいじめだったのか。幸いだったのは鍬を振り回していたのは非力な子供だったのでこれだけの傷跡で済んだ。それでも鍬が刺さった時は大量に出血し、ひどく痛んだし熱も出た。

 それをシオンに告げると、


「お前の住んでいた村は大人から子供に至るまで野蛮人しかいなかったのか」


 呆れたように言ってわたしに服を差し出す。わたしの部屋のクローゼットの中は色とりどりの服でいっぱいになっている。肌触りがよく柔らかな感触は着用するときに肌を滑るような感触が気持ちがいい。少し前までごわごわした他人の古着で着の身着のままでいたことなど考えられないほどだ。


「わたしがあの村で何の役にも立ててなかったのは事実ですから。村は小さな子供から大人まで畑仕事をして生活していたのでわたしのように昼間畑に出ると倒れてしまうようなものはいらなかったのです」

「その村でお前のような髪の色や目の色を持つ者たちは他にもいたのか」

「いえ、わたしの両親も普通の……他の皆と同じように栗色の髪と瞳を持っていました。ただ父も母も人より体が弱かったのでわたしのようなものが産まれたのはそのせいだともいわれましたけど」

「まあ無知な野蛮人は知らないと思うがお前のようなものが稀に産まれる話は僕も聞いたことがある。あるところでは神の使いだと崇められるがあるところでは悪魔の手先だと迫害される。母上は悪魔の手先だと思っているらしいが」


 わたしの髪をつまみながら唇をゆがめて笑みを浮かべるシオン。エミリアとは最初の邂逅以降一度も会っていない。わたしが見ている限り、シオンとエミリアとの間に親子の交流というものは全く存在していなかった。ヴィングラーの姿もあれ以来見ていない。


「お前のその赤い目が怖いらしい」


 楽しそうな口調でわたしの耳元でそう囁くといきなり耳たぶにかみつく。痛くはなかったが突然の出来事に驚いて身を引こうとするとそれよりも早く強い力でシオンに両腕を掴まれる。


「お前のすべては僕のものだ。僕以外の者に勝手に傷をつけられたりするな」

「はい」


 息がかかるほどの近さで怒ったような眼差しを向けられわたしは息をのむ。シオンの顔立ちはエミリアに似ているせいか女の子のように可愛らしいのだが、神経質そうな表情や眼差しがその顔立ちから柔らかみを消し冷たい感じを受ける。間近で見ると整った顔立ちゆえに迫力がある。勢いにのまれ小さく頷くとシオンは満足したのか腕を開放し、背を向けた。



「僕はもう寝る。お前はもう少し太れ。連れ歩くのに貧相すぎるとこっちが恥ずかしい」

「はい。では失礼します」


 なぜか顔をあげてシオンを見ることが出来ずにうつむき加減のままわたしは急いでシオンの部屋を出る。噛まれた部分が熱をもったかのように熱く、息苦しさのせいが鼓動が速い。

 自分の部屋に逃げるように戻ってようやく一息ついたが、ベッドにもぐりこんでもなかなか寝付くことが出来なかった。


 

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