太股と自制
シオンの部屋のベッドは広い。
最小限の灯りにして薄暗くした部屋のベッドの上でわたしとシオンは無言のまま向かい合って座っている。膝小僧と膝小僧が触れ合うくらいの距離。
お互いの瞳の中に互いの姿を確認し合えるほどの。
長い沈黙の後。
「……僕が望むことはそんなにおかしいか?」
ぽつりとシオンが呟く。
「ヴィングラー家はすでに大きい。今さら貴族と婚姻関係を結ぶことで一体どれほどの恩恵を受けれるというのだ?」
「…………」
「僕はこれまで傀儡のように生きてきた。父上の期待に添うように努力をしてきた。自分を押し殺して。でもそうやって生きてきた僕に一体今何がある?」
シオンはわたしの手をとりそうっと壊れやすいものを扱うかのように指先に唇を付ける。
「お前だけでもういい。僕のもとにお前がいてくれるならもうそれだけでいいのに」
わたしは。
わたしにははたしてシオンにそこまで思われるほどの価値があるでのあろうか。
目の色も髪の色も常人と違う。
光に弱く陽のもとではろくに働けない。
生まれ育った村でも忌み嫌われていたわたしが傍にいると逆にシオンの人生を狂わせているのではないだろうか。
そう思いながらも、シオンにこれほどまでに求められていることが、心が震えるほど嬉しい。
うなだれたシオンの頭をわたしは自分の胸元に抱き寄せる。
わたしがいなかったとしたらシオンはウリウスの思う通りにそれなりの身分の花嫁をもらいヴングラー家も安泰なのだろう。この人をこんなに苦しませているのは自分なのだと思うとひどく胸が苦しい。でもだからと言ってシオンの傍を離れることを考えると心が引き裂かれそうになる。そして利己的な自分に嫌気がさす。
「……昔僕は腹違いの兄弟に会いに行ったことがある。僕と同じ父から生まれた子供が一体どういう生活をしているのか興味があったから」
「それでお会いになられたのですか?」
「物陰からこっそりな。普通の家の普通の子供だった。僕が驚いたのは」
そこでシオンは言葉を切って。
「父上がその子供を抱き上げて笑っていたことだ。何もしていないのに。褒美でもないのに。そういうことをする父だということを僕は知らなかった。尊敬はしている。感謝も。でもそれは子供が父に抱く感情ではない。チルリット。僕には血のつながった両親がいるにもかかわらず、いないのだ。お前と同じだ。貴族の娘を娶ったらきっと僕は父上と同じことをしてしまう。貴族の娘との間にできた子供を愛せる自信がない。これ以上可哀そうな子供をつくりたくない」
絞り出すような言葉にシオンの心の痛みを感じ、こみ上げるものを抑えきれずにぽたぽたとわたしの目から涙があふれる。
「優秀な跡継ぎとしてしか僕は愛されない。ただのシオンでは駄目なんだ」
シオンの言葉が震えていて、わたしは怖くてたまらなくなる。このままではシオンは壊れてしまうんじゃないだろうか。シオンを抱く腕に力を込める。髪を両手でなでつけ、耳朶に唇が触れるほどの距離で囁く。
「シオン様、わたしが愛しています。ヴィングラー家の嫡男としてのシオン様でない、ただのシオン様を」
金茶色の瞳をまっすぐに見てわたしは無理矢理笑顔をつくる。
「うん」
ため息のように小さく頷いて。
少し逡巡した後でわたしは今まで黙っていたことを口にした。
「それに…、エミリア様も愛しています。シオン様のことを」
「……母上が?」
少しだけ目を見開いた後で皮肉な笑みを口元に浮かべるシオン。
「以前シオン様が外出されている間にエミリア様に呼ばれてお茶をいただいたことがあったのです。そのときにエミリア様は本当はシオン様を自分の手元で育てたかったと。ルルさんもアギトさんもシオン様の味方にはなれないので……わたしにシオン様の味方でいて欲しいとおっしゃられました」
「…………形だけだとばかり思っていたが伊達に父上の妻をやっているわけではないということか。大した炯眼をお持ちだ。今日僕は思い知らされた。この屋敷の支配者が誰であるかということを」
「シオン様も一度エミリア様とお話を……」
「機会があったらな」
わたしの言葉をどんな思いで聞いたのか分からないが、穏やかな笑みを浮かべるとシオンはわたしを抱きしめ、そのまま一緒にベッドに倒れ込む。手を伸ばし間近にあるシオンの頬を撫で、シオンの両手をとり、頬擦りする。
「挟みましょうか?」
「……やっぱりやめておく。今日はそこにはさまれたら自制がきかなくなる」
「?」
その代わりとでもいうようにお互いの右手の指一本一本しっかりと絡ませ、隙間もないほどに密着する。シオンの胸に耳を付けていると規則正しい鼓動が聞こえてきて安心する。
「お休みなさい、シオン様」
「お休み」
シオンに抱かれシオンのぬくもりに包まれながらわたしは吸い込まれるように眠りに就いた。




