誕生日と食事
翌日から始まった日々のことは辛くて思い出すたびに涙が滲みそうになる。
朝起きてから夜寝るまでのほとんどの時間が礼儀と教養に勉強にあてられた。礼儀の先生としてきたのは初老を迎えて頭髪のほとんどが白髪になった初老のフラウという女の人だった。痩せた身体にいつも黒一色の簡素なドレスを身に付けた優しそうな……と思ったのは最初に対面した時だけだ。フラウ先生は鬼だった。
食事の時間は勿論テーブルマナーにあてられ、シオンとともに食事をとることもなくなった。一応一通りのマナーを学んだつもりではいたのだがフラウ先生によると「全然できていない」レベルだそうだ。少しでもおかしなことをしたら厳しい叱責が飛ぶ。
少ない自由時間である入浴時に涙を流したことも数えきれないほど。
ここのお屋敷に来る前に村でひどい扱いを受けていた時よりも泣いた数は多いかもしれない。
迫害に対しては心を閉ざすことでやり過ごしてきたが、叱責は叱責そのものが辛いのではなくて何度教えられてもできない自分、教わった通りにできない自分が嫌になって辛くなる。要するに自分自身の問題というわけだ。
シオンはたまに部屋に来ては勉強の様子を見たり他愛もない話をしたりした。何度もシオンに弱音を吐きたくて、優しく髪を撫でられたり抱き締められたりすると涙がにじんでもう辞めたいとついこぼしてしまいそうになったが、いざ顔を上げて金茶色の瞳を見ると何も言えなくなった。
フラウ先生にわたしが何か失態を見せたとき恥をかくのは一緒にいる連れなのだといわれたらやるしかなかった。所有物であるわたしが所有者であるシオンに恥をかかせることなどあってはならないことだから。シオンがわたしに何かを望むならわたしはできるだけそれにこたえたい。
それにやっぱりサティアに言われた言葉もわたしの中で引っ掛かっていて、衣食住のすべてを頼りきってなにもせずに胡坐をかいていたそれまでの自分を恥ずかしく思った。
昼食をすますとそれからは教養の勉強をすることになっている。教養を教えてくれるのはセインという中年の痩せた男の人。またもやわたしの苦手な分野だが、主に学ぶのは世界情勢や史実。セインの教え方がうまいのか思っていたより面白かった。王侯貴族の始まりの話や王室の歴史は物語のようでもあったしシオンとの会話の内容も広がった。
その日はシオンの14の誕生日。フラウ先生にお願いしてその日だけはシオンと食事を共にすることを許してもらう。夕食は家族でとのことでわたしとは昼食を取ってもらえることになる。午前中の勉強を終えてシオンの部屋に向かうと、すでにシオンはテーブルについていた。
「すみません、お待たせしました」
「うん」
シオンの向かいに座るとルルが給仕を開始する。
こうやって改めてマナーを習ってからシオンと食事をとるとシオンのマナーはほぼ完璧に近いことが分かる。今までの自分を思い返すと赤恥ものだ。
「何だ、妙な顔をして」
「いえ、あのう、今まで食事中お見苦しくて申し訳なかったなと思いまして」
「チルリットさまは前とは比べ物にならないくらいに美しい所作になられましたね」
給仕をしながらルルが優しく笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。まだまだフラウ先生に叱られることは多いのですけど」
「頑張ったな」
えへへ。
シオンに笑みを向けられ、嬉しくなる。その一言と笑顔で辛かったことが報われる。
「ちょっと待っててくださいね」
食事を終え、わたしは急いで自室に戻り、昨日夜遅くに台所で焼いたケーキを持ってシオンの部屋に戻る。思いもかけず忙しくなったので昨日ルルに頼んで深夜に台所を貸してもらってなんとか焼き上げたものだ。
「シオン様、お誕生日おめでとうございます」
「おめでとうございます」
シオンの前にケーキを置いてルルとともに祝いに言葉を口にする。
「…………」
あれ?
シオンは無表情のままケーキを凝視している。何か失敗したのだろうか。
「あ、あの、わたしにできることといったらこれくらいしか思いつかなかったので……。わたしの作ったものなのであんまり味のほうも期待できるものではないのですけど」
「よろしければお切りいたしましょうか?」
「んん?ああ、いい。あとはチルリットにやってもらう」
ルルの言葉にシオンはケーキを見つめたまま言い、ルルは必要のなくなった食器をワゴンに乗せて部屋を出ていく。
「今召しあがられないなら下げておきますね」
どうもわたしのプレゼントは失敗だったらしい。まあ考えてみれば屋敷ではもっとずっと美味しいお菓子をつくってもらえるのだから当たり前かと思いつつも少しだけ悲しい気持ちになる。こうなったらさっさとシオンから見えないところに下げてしまおうとシオンの前に置いたケーキに手を伸ばすと伸びてきた腕がわたしの腰を強く抱きよせる。
「わっ。ど、どうかしましたか?」
おなかに顔をうずめて無言のままのシオン。
しばらくシオンのつむじを眺めてからそうっとシオンの髪を撫でる。くせのない栗色の直毛がわたしの指をさらさらと流れていく感触が気持ちいい。小さな子供みたいだなと思うと、急に愛おしい気持ちになりシオンの頭を優しく抱く。
ぎゅうううう。
次第にシオンの腕の力が強くなってきて、
……あのう、かなり苦しいんですけど。
「シ、シオン様?」
「よく考えてみたら」
「はい」
「僕は誕生日を本当の意味で祝ってもらったことがなかった」
「え?でも」
「ケーキはもらう。パーティを開いていたからな。豪華な大きなものを。でもそれは僕のために作られてはいない。招待客に食べてもらうために作られたものだ。招待客たちも皆お祝いの言葉を口にするがそれだけだ。その日の主役は僕でなくてもかまわないんだ。父上も母上も同じだ。僕が産まれて来た日を特別な日だと本当に祝ってくれるものなどいない」
それは違う、と喉まで出かかった。少なくてもエミリアはシオンのことを大切な存在だと思っているはずだ。この前聞いたのだから確かだ。でもそれはわたしが口にしてもいいことだろうか?他人のわたしが口にした途端単なる白々しい慰めに聞こえてしまうのではないか。
「僕が可哀そうな子供だということを僕は見ないふりをしてきた。でもお前はそれを僕につきつける」
「すみません、そんなつもりでは」
「謝ってもらわなくていい。お前が傍にいてくれるなら僕はかわいそうな子供でも一向に構わない」
「…………」
わたしもシオンの頭を抱く手に力を込める。
「勿論、わたしはシオン様のお側にずっといます。いさせてください」
「当たり前だ。前に言った通り一生お前を所有し続けてやるから覚悟しておけ」
照れているのかわたしのおなかに顔をうずめたままぶっきらぼうなシオンの言葉にわたしはおかしくなって栗色の髪に優しく口付けをした。




