礼儀と教養
「はっきりさせておきたいのですけれど、その何の後ろ盾もないチルリットさんとやらはどういった立ち位置にいらっしゃるのですか?この婚約者を選定するような場にふさわしいとは言えないと思いますけれど」
口火を切ったのはレイティだった。
「そのことについてわたしもはっきりさせておきたいのでチルリットを呼んだのです。婚約者を選定するもなにもわたしにはそのつもりがまったくありません。皆さまをお呼び立てしておいて申し訳ありませんが父が勝手にしたことですから」
シオンの言葉に唇をかむレイティ。
「失礼ですが」
黙って話を聞いていたサティアが穏やかにシオンとわたしに交互に視線を向けて。
「それはヴィングラー家の次期当主としてあまりに浅慮なことではないでしょうか?貴族ではないとはいえ世間に知られたヴィングラーの嫡男がまさか庶民のように自由に婚姻相手を選べるとでも?わたしが思っていたよりも存外に子供のようなところがおありになるのかしら?ある程度社会的地位のある方たちには正妻とはべつに妾を持っていても誰も咎めはしないと思いますが」
「子供のようなところも何もわたしはまだ成人もしていない子供ですよ。愛というものを信じたい年頃ですし。そして個人的理由から何人もの妻を持つつもりはありません」
シオンの言葉にオデットがうっとりと頷いている。どうやら彼女も愛を信じたい年頃らしい。それはもちろんわたしもだけれども。
レイティが白けた表情でフォークを手にしてすっかり冷めた菓子を苛立たしげに口にする。
「商人風情が随分上から物をおっしゃるのね」
「そうですか?別にわたしはあなたたちでは役不足と言っているわけではありません。ここにいるのが庶民であろうか貴族であろが絶世の美女であろうが絶世の不美人であろうが同じことです。それとレイティさんは随分商人を見下していらっしゃるようですがわたし個人としてはその前時代的な考えのほうに興味がありますね」
「前時代的ってどういうことですの?考えが古いとでも?」
「おやめなさいな、レイティ。実際に貴族の中には没落してしまってそこらの裕福な庶民よりも苦しい生活を強いられているものも少なくないのはあなたも知っているでしょう?血筋だけで偉そうにふんぞり返ることができる時代は今は昔。これからは貴族であろうとも明日の糧を考えて生きなければならないこともあるでしょう」
「あらうちはそんな心配はしていないわよ。エイシャー家もまあ、新王と縁が深いとあってはそれなりに持ち直しそうですわね。ギヤカーンはどうなのかしら?」
レイティは相変わらず嬉しそうにお菓子を口にしているオデットに視線を向ける。
「あ、あの、う……、わたくしはそのう、家の事情などよく分からないものですから」
「レイティ。あなたのそのずけずけしたものいいが皆に倦厭されているところだと何度も申しあげたでしょう。余所のお家の事情を探ろうとするなどそれこそ品性を欠いた言動じゃなくて?これは友達と思っているからこそ進言しているのですよ?」
「陰でねちねちというよりはマシですわ。わたくしが探ろうとせずともよそ様の事情などいくらでも耳に入ってきますしね。それよりもそこで他人事のように頬にクリームを付けているチルリットさん。わたくしが一番癪に障るのはあなたのように気品も教養も礼儀もなっていない方と同列かそれ以下のように扱われていることですわ。」
「あ、わ、わたしですか?」
本当に人ごとのように眺めていたわたしにいきなり敵意をむき出しにしてきたレイティにわたしはまごつきながらナフキンで頬をぬぐいながらシオンを見る。
「クリームはもう付いてない。まあ、がんばって反論しろ」
そんなわたしをどこか面白そうに傍観する姿勢になっているシオン。
反論?反論も何も気品も教養も礼儀もなっていないのは本当のことだしなあと思う。
「すみません」
それしか言葉のないわたしにシオンが小さく噴き出す。
素直に謝られて毒気を抜かれたように言葉に詰まっているレイティ。彼女に代わって口を挟んできたのは一貫して穏やかな空気を崩さないサティア。
「すみませんと謝るのはどういうわけなのですか?気品はともかく礼儀と教養は努力すればしただけ身につくものですよね?そういった努力もしないで今のその状況に胡坐をかいていることにすみませんということですか?」
「あ、ええと、はい。努力、はしてないです」
わたしの一日と言えばのんびりしているだけで努力という言葉は皆無だ。静かな口調なのに何故かひどく攻め立てられているようで罪悪感を覚えてしまう。
「そうですか」
いやな汗をかいているわたしにサティアは優しい笑みを浮かべて話を終わらせた。
「なかなか面白かったな」
ようやく三家が帰途につき解放されたわたしがソファに崩れ落ちているとシオンがやってきて隣の空いたスペースに腰を下ろす。シオンは全く疲れていないようで、指一本動かすのさえ億劫になっているわたしはため息のような返答を返す。
だらりとしたわたしの身体をシオンは抱きよせて自分の膝の上に座らせ、優しく髪を撫でる。わたしはシオンの肩に頬をのせて髪を撫でられる感触に心を癒されながら存分に甘える。
「そーかそーか。悔しかったのか」
うん?悔しい?
肩に乗せていた顔をおこすとシオンに両手で頬を挟まれる。
「安心しろ。明日からみっちり礼儀と教養を身につけ立派な貴夫人になれるように先生を付けてやる」
「へ?」
「誰の前に出ても恥ずかしくないようにな」
「え?あの」
にっこりと笑みを浮かべ、おでこに口付けをするとシオンはわたしの身体を再びソファに預けて部屋を出ていく。
ぽかーん。
ソファの上に置き去りにされたわたしは呆気にとられた状態でいつまでも扉を見つめていた。




