国葬とお誘い
王都ソーフヒート。
わたしが今住んでいる街の名前を知ったのは街で学校に通っていた時。全く真面目な生徒でなかったけれど一応それくらいは習った。というか学校へ来る生徒の中で街の名前とか王様の名前を知らないのはわたしだけだった。でもたぶん、わたしの生まれ育った村の人たちのほとんどはそんなことは知らない。遠く離れた王都の名前がなんだろうが、国王の名前がどうだろうが毎日繰り返される生活には何の支障もないからだ。
いま、国王が崩御されたからと言ってもわたしにはまったく関係がなかったが、ヴィングラー家にとっては大騒動らしい。誕生パーティがなくなってシオンが暇になったかと言えばまったくの逆で国葬だとか挨拶だとかで外出ばかりしている。わたしも特に外に出るわけではないのに喪に服すという意味で三日間は黒いドレスを着るように言われた。
ようやく通常通りのドレスに戻ったその日、わたしは厨房にいた。何をしているかというと卵を力の限り泡立てている。この泡立て作業でスポンジのふんわり感が決まるので手を抜けない。
シオンのパーティーはなくなったが、誕生日そのものがなくなったわけではないので、来るべきその日に向けてケーキを焼く練習をしている。ケーキそのものは街で何百回と焼いてきたので練習する必要もないのだが、お店で使っていた窯と屋敷の窯が違うのでその辺一度焼いてみて確かめる必要があったのだ。ルルの計らいでお昼をすぎて夕食の支度にとりかかるわずかな時間厨房をあけてくれた。
屋敷の厨房はびっくりするくらい広かった。ルルに聞いたところによると5人の料理人がここで働いているらしい。
窯の温度を確かめて型に流し込んだタネを窯の中に入れあとはじっくり焼きあがるのを待つだけだ。厨房は隅々までとても綺麗に整頓されているので原状回復くらいはしておかないとと気合を入れて後片付けをすませるとちょうどいい頃合いでケーキが焼きあがる。
焼きあがりを確認してみると我ながらうまく焼けた。アリアのところで使っていた窯と大して違いはなかったのでほっとする。
「あら?」
不意に女の人が厨房に入ってきて、わたしを見てちょっと驚いた顔をする。ルルと同じ制服を着ているので使用人だと分かるが……どこかで見たような?
「あなたは……チルリットさま?」
「あ、はい」
「何をされているのですか」
「ええと、ちょっとケーキを焼かせてもらうためにここをお借りしているのですが」
「ケーキを?焼く?」
眉をひそめたその表情で、ああ、と思い当たる。いつかエミリアのそばにいた使用人だ。
「リーナたちはいないのですか?」
リーナという人が誰なのかすら分からないが、ここにはわたし一人だ。ルルが気を使ってくれてそうしてくれた。わたしが頷くのを見て、その使用人はそうですかと小さく会釈をして厨房から出ていく。
少し冷ましたケーキを型から取り出し皿に移す。いつまでもこの場所を占領してはいられないので手早く切り分けてその場で一切れ食べてみる。
うん、まあうまくいったのではないだろうか。
皿を持ち部屋に戻ろうとした時、また先程の女の人がやってくる。
「チルリットさま、明日は何かご予定がおありですか」
「え……いえ、何もありませんが」
突然の言葉に口ごもるが、わたしの場合予定などあるほうが珍しい。
「エミリア様が良ければお茶をご一緒しないかとのことでご都合をお聞きしたいのですが」
「エミリア様が?」
びっくりした。しかしわたしが再びここに戻ってこられるようになったのはエミリアの口ききでもあったので、機会があればお礼をしたいとも思っていたので二つ返事で頷く。
「わたしはいつでも大丈夫です」
「分かりました。ではのちほどルルのほうに時間を伝えておきます」
わたしはお皿を持って急いで自室に戻る。
ケーキのほうはあとでルルにも味見してもらうことにしてテーブルの上に置く。クローゼットをあけると色とりどりのドレスがかかっており、その中に使う予定のなくなった深紅のドレスも所在なさげにかけられている。エミリアに会うのに失礼のない恰好というのはどういうものだろうか。正装するのならあの深紅のドレスを着るのだろうか。お茶会とはどういったものなのだろう。パーティ?いや、お茶会というからにはお茶を飲むに違いない。食事の作法などは一通りルルに教えてもらっていたが、お茶会にはお茶会の作法があるのだろうか。
ベッドの上に何着かドレスを並べ、いろいろ見比べる。
シオンがいればエミリアの好みなど聞けるのに、と残念に思う。いや、そもそもそういうことを知っているのだろうか不明だが。
屋敷に戻ってきてしばらくしたころ、シオンにエミリアとの間にどういった話し合いがもたれたのか聞いてみたが、「お前は知らなくていい」と言うだけでそれ以上何も聞けなかった。わたしからもお礼を言ったほうがいいのかという問いにも「必要ない」という一言で終わった。
シオンとエミリアの関係にわたしが口を出すことはおこがましいことだし、そうする気もないけれど。エミリアが誘ってくれたならお茶会というものに参加して、出来ることならほんの少しでもエミリアに気に入ってもらいたかった。彼女はシオンの母親だから。
ベッドの上に並べたドレスの何着かを鏡の前で合わせてみるがそもそも何を基準にして選べばいいかすら分からないので何も決まらない。考えてみればわたしは蔑まれることは得意だが好かれることは得意ではなかった。どの服が人の目から見て好感度が上がるのかなんて分かるわけもない。
あとでまたルルに見てもらおう。作法とかそういうのも聞いて失礼のないようにしなくては。




