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鼓動

 カーニバルのざわめき。

 麻袋の隙間から露店の食べ物の匂いが流れ込み、灯りが漏れてくる。

 戻ってきたのだと思うと心底ほっとする。

 どこへ行くのだろうと思ったらゆっくりと下ろされた。手足を拘束されたままなのでバランスを崩しそうになるがどうにか体勢を整える。下がちくちくするので噴水広場と対をなしている芝生広場にでも連れてこられたのだろうか。


 袋の口を開けようとする気配がしたので慌てて、


「開けないでくだしゃい」


 まだしびれが残っていてろれつが回っていなくて変だけれどこの際仕方がない。わたしは袋の口をあけられないように少しだけ距離を取る。と言っても拘束されているし袋に入っているので身じろぎ程度しか動けないが。


「…………」

「…………」


 たっぷり沈黙が続いた後で。


「久しぶりだな」


 こらえていたものが溢れだした。

 本当に久しぶりに聞く声。


「はい」


 声が震えないように気をつける。ああ、でも駄目だ。涙が止まらない。


「大丈夫か」

「はい」


「…………」

「…………」

「…っ、というか、なあ、いいから顔を見せろ」

「だ、駄目でしゅ!」


 

 またもや袋の口に手を掛けてきたのでわたしも必死に袋の中で暴れて逃れようとする。


「お前そんなところに入っているから分からないかもしれないが、ここは街中でこのままだったら僕はでかい袋と喋る変な奴だ。しかもお前は袋に入っていて外から見えないが僕は顔を晒されている。いいから早く出て来い」

「い、嫌です!開けないでくだしゃい!」

「だから、なんでだ!」

「だって、泣いてる顔を見られたらまた…嫌われます」


「…………」

「…………」


 ぴたりと袋を開けようとする手の動きが止まったかと思ったら、いきなり袋の口を引きちぎられた。

 シオンがいる。

 記憶にあるシオンより少し成長し、髪型が少し変わった。変わらない金茶色の瞳に浮かぶ感情はなんだろう。


 シオンは無言でわたしを袋から抱き上げて取り出すと手足の拘束を解く。


 わたしが思い描いていた再会はこんなのではなかった。こんな涙と鼻水でどろどろになった顔で再会するはずではなかったのに。


「僕が嫌いだと言ったのは…お前の泣き顔を見ると僕が辛いからだ」


 言いながらわたしの顔を自分の袖口でごしごしこするとシオンの高価な服の袖が涙と鼻水でどろどろになる。それを見て申し訳ない気持ちになりながら、今シオンが言った言葉の意味を考える。


「だからもう泣くな」

「……は、はい」


 心臓が爆発しそうな勢いで脈打つ。このままでいたら呼吸過多で倒れてしまいそうなのでわたしはシオンから目をそらし周りを見回す。


 やはりわたしがいるところは芝生広場でカーニバルに疲れた人たちが思い思いの場所に座って休憩をしていていつもは閑散としている広場も結構な人で埋まっている。袋から出てきたわたしを遠巻きに眺めながらなにやら噂されているような気もするが。


「お前、学校にほとんど行っていないそうだな」

「え……なんで知っているんですか」


 鼻をすすりながら不思議に思う。そういえば今だってなんであんなに都合よくあらわれたのだろう。助けてもらっておいて言うような台詞じゃないとは思うが。


「学校へ行きたいと言ったのはお前ではないか」

「…………言ってませんけど」

「いや、言っただろう。普通の生活がしたいと。だから僕は……」


 ぽかん。として。


「も、もしかしてシオン様はわたしが学校へ行きたがっていると思われて屋敷から追い出したのですか」

「そうだ」

「わたしが普通の生活をしたがっていると?」

「僕もその気持ちは分からなくもないからな」

「そんなことで…?」

「そんなこと?」

「それに、そんなことわたし言ってないです」

「庭師の息子が言っていた」


 シオンが言っているのはあの庭の一件のことだと思い当たる。確かにヒリトはシオンにわたしを学校に行かせるよう、普通の生活を送らせるように言っていた。


「あれはヒリトが勝手に言ったことで…」


 屋敷を出ろと言われた時の絶望ともいえる感情を思い出しまたぼたぼたとわたしの目から涙があふれ出す。

 

「わたしは、わたしはずっとシオン様のそばにいたかったのに…!」


 その言葉になぜかシオンはひどく意外そうな顔をする。


「なー…、泣くな。それにお前は言っていたではないか。何もできないのが嫌だと。僕は何もする必要がないと言っているにかかわらず、だ。あの生活が嫌だったのだろう?」

「そ、そんなわけ、ないです」


 ではわたしはシオンの勘違いというか思い込みで屋敷から出されたということか。一年間もほったらかしにされて、こんなときばかりまるで白馬の王子様のように格好よく登場して、しかもわたしはシオンに会えて心臓が破れそうなくらいなのにシオンはいつもの冷たい表情で。わたしの心を惑わすようなことばかり言って自分は涼しい顔で、ずるい。

 無性に腹立たしくなった。

 

「そりゃあわたしはシオン様の所有物でしたけど所有物にだって感情があります。わたしの感情なんてシオン様にとって暇つぶしの玩具みたいなものでしかないのかもしれませんが」

「暇つぶしの玩具…、だと?」


 わたしの言葉にシオンの目に剣呑な光が宿り、その迫力に思わず身を引こうとするとそれよりも早く二の腕を掴まれる。


「お前は、そんな風に思っていたのか。僕がどんな気持ちで…!」


 あまりにも身を乗り出してきたのでバランスを崩しその場に二人して倒れ込む。


「し、シオン様、怒っておられるのですか…?」

「いつも僕の判断力を狂わすのはお前だ。あの嵐の日にだってあんなに急いで帰る必要なんてなかったのに、お前がー…お前のことを想うと…」


 すでに辺りは闇に包まれていたが広場には篝火が焚かれていて暗闇ではない。

 すぐそばにあるシオンの顔が朱に染まっている。あら?シオンの顔が赤い所なんか初めて見るけれど、たぶんわたしの頬も同じくらいかそれ以上に朱に染まっているだろう。


「シ、オン様、心臓が、バクバクしています」


 触れ合っている胸の鼓動が誰のものか分からないくらいに激しい。


「もう、いい。黙れー…」


 シオンの唇がわたしの唇をふさぐ。

 何度かついばむようなキスの後でシオンの熱い舌が口の中に侵入してきた。わたしの舌はまだかすかにしびれが残っていて、動きがぎこちなく所在なさげなそれをシオンの舌が舐めまわしからめとる。


 背筋がぞくぞくして思わずシオンの身体にしがみつく。

 喘ぐように息継ぎをして再びお互いの唇を貪り合う。

 シオンの手がわたしの髪をなで頬をなでる。もう二度とないと思っていた冷たい感触にそれだけで涙が出そうになる。


 もういい。

 シオンがわたしを見て頬を染めてくれて心臓を鼓動を高鳴らせてくれたのが分かっただけで、全部もういい。


「シオン様」


 遠くで聞いたような声がする。

 シオンの舌がわたしの口腔内の形を確認するかのようにゆっくりと這いまわる。


「シオン様」


 え?

 うっとりと閉じでいた目を開けると絡み合っているわたしたちのすぐそばにアギトが立っていて、わたしは現状を思い出し構わずわたしの口を吸っているシオンの胸を叩く。


「無粋な男だな。少しは気を回せ」


 短く言ってまたすぐにわたしの唇をついばみ始めるシオン。

 いや、もうわたしはそれどころじゃない。


「これでもかなり気を回したほうですが。一応ここが芝生広場だということもお忘れなきようお願いいたします」


 はっ。そういえば…。

 シオンの下から恐る恐る辺りを見渡すとたくさんの人が興味津々にこちらに視線を向けている。

 も、もう明日から街を歩けない…。

 


 

 

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