道化者
それは手品、というものらしい。
道化者が持っていた掌のボールが忽然と消えたかと思うと全然違うところから現れる。
何もなかったはずのところから美しい花が出てくる。
軽快な音楽に合わせてリズムよく道化者が見せてくれるそれはまるで魔法のようにわたしを含めて見ている者を魅了する。ため息のような歓声がわきあがり、時間を忘れて拍手した。
気付くといつの間にかあたりはうっすら夕闇に包まれていてわたしはあわてて立ち上がる。
闇を払うかのように辺りには篝火が焚かれ灯りがともされていたので日が暮れていたことに気付かなかった。
「あれ、もう帰るの?今からまた違うことやるんだぜ」
「う、ん…。でも日暮れまでに帰るって言ってたから心配してるかも」
「じゃあ俺も帰るよ」
「いいよ、ヒリトはまだ見てても。一人で帰れる」
「そうか?気をつけてな」
後ろ髪を引かれるような思いだったがそれを振り切って人込みをかき分けるが、人が多すぎてなかなか進むことが出来ない。
どうしよう。
ルークスのことだから多分すごく心配しているだろう。
そうこうしているうちにどんどん日が暮れて行き、かなり焦っていた。
少し裏通りに入れば途端に人影が少なくなっているのが見える。そこは入ってはいけないと言われていた通りだったが今日はカーニバルでいつもよりも人も多くそんなに危なそうな道には見えない。
あそこを走り抜けたほうが早いかもしれない。
迷っているうちに視界を派手な衣装の道化者が横切った。まさにその裏通りを通ってどこかに向かう途中らしい。
良かった。あのやさしい道化者について行けばいい。
わたしは急いで道化者の後を追った。
裏通りにはいると篝火の灯りも届かずに薄闇が辺りを支配している。わたしは少し離れたところを歩く真っ赤な服を着た道化者を見失わないように先を急ぐ。大通りから入ってすぐは大したことのない道に見えたが、先を進むにつれて極端に人が少なくなってきてわたしは急に不安になった。
もしかしてやっぱりここは入っちゃいけないところだったのだろうか。
どうしよう戻ったほうがいいのかも。
足を止めた。
「お嬢ちゃん。どうしたの、一人?」
いつの間にか前を歩いているとばかり思っていた道化者が目の前でわたしを覗き込んでいる。笑っていないのに笑っている顔。あれ?どうしてわたし、この人のことを優しい人だなんて思ったのだろう。
一瞬にして身体がこわばる。喉が張り付いたかのような感覚。
「あ、の、家に帰るところです」
「ふうん。そっかー。じゃあいっしょに行こうか。ここは暗くて危ないからね」
「え、と。でも、わたし…」
「ほら、もうあそこに大通りが見えるでショ」
言われて道化者が指さす方向に目をやると通りの向こうが明るくなっているのが分かる。
「あ、ホントだ」
ほっとして思わず笑顔になる。
なあんだ。やっぱりこの人優しい人なんだ。
「お嬢ちゃん、変わった髪の色してるんだね」
はっと気づくと帽子の隙間から髪がこぼれているのが見える。
「ええと、生まれつきなんです」
「へえ、いいね。目の色も変わってるし。赤い宝石みたいだよ」
「全然、いいことなんてないです…」
「そうかなあ。あ、これ食べる?」
差し出されたのは先ほどの甘いお菓子でわたしは喜んで受け取り口に入れる。
「?」
口に入れたとき、甘さと一緒にしびれを感じるが、一瞬にして溶けてなくなってしまう。
「美味しい?」
「はへ」
あれ?なんだかうまくしゃべれない。
足ががくがくする。
思わずしゃがみ込んだわたしを道化者は静かに見下ろす。まるで先ほど見た手品のようにどこからか取り出した紐でわたしの手足を拘束すると大きな袋をわたしの上からかぶせてすっぽりと包みこむ。
意識はしっかりしているのに声が出せない。
?
え?
なにこれ?
「声出せる?まあ出せないと思うけど静かにしててねー」
袋は麻を使ってざっくりと作られているらしく通気性がいいので息苦しくはない。隙間から何となく外の様子を感じることが出来るが、身体がしびれて動くこともままならない。
「よいしょ」
軽快な掛け声とともに道化者はわたしが入った麻袋を肩に担ぐとどこかに向って歩き出す。
え、嘘。
わたし、どこに連れて行かれるの?
人々のざわめきを感じる。大通りを通っているのか。
「お菓子ちょうだーい」
幼い声が聞こえる。
「今持ってないんだよ。ごめんねー」
わたしを担いだ道化者が明るく言う。
どうしよう。
声を出そうとしてもかすれたため息しか出ない。
ざわめきが遠くなっていく。
「おい、なんだそれ」
「珍しいもの」
どれくらい歩いてきたのか、辺りはカーニバルの喧噪が嘘のように静かだ。野太い男の声がしたかと思ったら乱暴に下ろされる。袋の口が開かれて覗き込んだ男と目があった。剃っているのか頭髪はないのに口髭だけはやたら立派だ。
「普通の家の子供じゃないか。やばくないか。貧民街の子供だって言ったろう。あそこなら子供の一人や二人いなくなっても騒ぐやつはいない」
「だけど見てみなよ。すごい珍しい子供でショ。これなら欲しがるやつらはいっぱいるし値段も高く売れる。今すぐに街を出てしまえば問題はない」
もう一度わたしに視線を向けた小太りの男はわたしの帽子を取り去る。
「本当だ。これならどっかの変態が言い値で買ってくれそうだな。……そうときまったら足がつく前にすぐに出る」
「はえしてくらしゃい」
男が袋の口をもう一度閉じようとしたのでわたしはしびれたままの状態で声を出してみる。先程よりは回復したように思えるが、男は意に介そうともせずにすぐに袋の口を閉じる。
「このままで大丈夫かな。少ししゃべってたが」
「もう出るから平気でショ。街を出たらどんなに泣こうが叫ぼうが関係ないし。あまりうるさいようならちょっと痛めつけちゃえばいいし」
「そうだな。お前はどうする」
「カーニバルは明日までだよ。まだここに残ってめぼしい子供見つくろうさ」
馬のいななきが聞こえてきたのでどうやらわたしは荷馬車か何かに乗せられているらしい。
どうしよう。
わたしがここにいることを誰も知らないし、どうしたらいいのか分からない。男たちの話を聞いているとわたしはどこかに売られてしまうのか。不安に心が塗りつぶされ涙が滲んできた。
どうして入っちゃいけないという路地に入ってしまったのだろう。
あのまま大通りを時間を掛けてでも歩いて行けば今頃はルークスとアリアとともに食卓を囲んでいただろうに。
拘束された手足を動かしてみる。ひどく緩慢な動作に苛々したが、ほんの少しだけなら動くことが出来る。今のうちに少しずつ動いて荷台から降りるというか落ちることはできないだろうか。
「途中で落ちないようにくくりつけとかなきゃね」
道化者の声がしてわたしは袋ごとどこかに縛り付けられた。
絶望が支配する。
がたんと揺れが伝わりゆっくりと動き出す感覚。
街を出てしまったら、もう本当に何の希望もなくなる。このまま街で暮らしていたらいつかどこかでシオンとすれ違うことがあるかもしれないけれど、それすらもなくなってしまう。
我ながら呆れるくらいにあきらめが悪いがこの一年もしかしたらという可能性だけをこっそり胸に抱いて過ごしてきたのだ。
「はえして!」
もうわたしには回らない口で力なく声を発するしか手段は残されていなかった。
帰りたい帰りたい帰りたい。
誰か助けて!
「………!」
「………!」
急に振動が止まったかと思うとなにか怒鳴りあう声のようなものが聞こえてきた。状況が把握できなくて息を殺していると身体を縛り付けられていた拘束が外されまたもや何者かに抱えあげらる。
「はにゃ…!」
またどこかに連れて行かれるかもしれないという恐怖心から力の限り暴れようとして。
ふ、と鼻先をかすめたその香りに身体から力が抜けた。
外の様子を伺うが微かな隙間から得られる情報はあまりにも少ない。
わたしを担いだその人は無言のまま。そしてわたしも。




