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花畑


 わたしは言葉もなく視界いっぱいに広がる花畑を眺める。

 抜けるような青空と、目が痛くなるほどの新緑。胸一杯に吸い込む空気もどこか芳しく感じられる。


「す、すごいです、すごい!」


 馬上のわたしがあまりに美しい光景に頬を紅潮させて振り向くとすぐそばにシオンの顔があったので慌てて前を向く。先ほどとは別のことで胸がドキドキした。

 街を出てしばらく街道を走ったところに突然現れた花畑だった。


「降りるぞ」


 シオンが先に馬から降り、わたしに手を伸ばし抱きとめてくれる。


「ありがとうございます」

「馬をつないでくる」


 荷物を下ろし少し離れたところにある木に手綱をくくりつけて戻ってくる。


「ここはどなたかのものなんですか?」

「いや、自然にできた誰のものでもないものだ。この季節のほんのわずかな間しか見られないがな」

「あの、わたし花を摘んでもいいでしょうか」


 無言で頷くシオンを見て、わたしは嬉々として走り出す。どこまで行っても見渡す限り花、花、花。わたしの体力では端のほうまでもたどり着けないだろうと思われる。

 出来るだけ花を踏まないように移動しながら気に入った花を摘んでいく。屋敷に戻って飾ろう。部屋に飾るときっとすごく部屋が明るくなるだろう。夢中になって摘んでいるうちにいつの間にか持てないほどの量になってしまった。

 顔を上げるとシオンと随分離れたところまで来てしまっていたので花を抱えて慌てて戻る。


「シオン様、こんなにとってしまいました」


 息を切らしながら駆け寄るわたしをシオンはいつにない穏やかさで迎える。


「小腹がすいた。何か食べるか」

「あ、わたしが」


 摘んだ花を横に置いて買って来たものを広げる。シオンが買い物をしてわたしは後ろをついていただけだったが買って来たものを広げてみればどれもこれも美味しそうなものばかりだ。草の上に二人で並んで座って好きなものをつまむ。


「なんだかすごく楽しいですね」

「そうだな」

「シオン様、どうかなさったのですか?」

「どうもしてないが」

「なんだかいつもよりお優しいです」

「いつも優しくなくて悪かったな」

「あ、いえそういう意味ではなくて、いつもはもっとこう分かりにくく優しいです」


 わたしの言葉にシオンが小さく笑う。そう言えばいつのころからかシオンは普通に笑うようになっていた。会ってすぐのころは唇をゆがませるような笑い方だったのに。急に胸がいっぱいになりわたしはもうひとつパンを食べようと思って伸ばした手を引っ込める。


「風が気持ちいいな。久しぶりに一息ついた気がする」


 つぶやくシオンにわたしは気になっていたことを聞いてみる。


「ずっとお忙しそうでしたけれど、これからもっと忙しくなってヴィングラー様のようにほとんどお屋敷に戻ってこられなくなるのでしょうか?」

「ああ、父上が屋敷にいないのは別に家があるからだ」

「どこかに別荘をお持ちなのですか?」

「まあ、別荘と言えばそうとも言える。そこにも妻がいて子供がいる。妻と言っても正式な妻ではないし子供も認知されていないから嫡出子と言えば僕だけなのだがもし僕に何かあった場合はそっちがヴィングラーの後を継ぐことになるだろうな」

「……そ、それはエミリア様は…?」

「勿論知っている。というか多分世間のみんな知っているが知らないふりをしているだけだ。父上と母上は愛情の全くない政略結婚だったからな。母上は僕一人を産んで役目を終えたとばかりに父上を拒絶した」


 ヴィングラーとエミリアの間に愛情がなさそうなのは滅多に会ったことのないわたしにもわかるが、それが結婚当初からそうだったなんて、なんだかやりきれない話に思えるが。


「政略結婚なんて王様とかのお話だとばかり思っていました」

「所詮商人だからな。父上が若かったころなど商人の地位は今より格段に低く、常に見下される存在だったらしい。いくら金を持っていてもな。だから貴族とのつながりが欲しくて母上と結婚したし、今でも世間に認めてもらうために慈善事業に金をつぎ込んでいる。それでも貴族たちから見ればどこの馬の骨か分からない成り上がり者だ」

「貴族というのはそんなに偉いのですか」

「さあ…。どうかな。血筋がはっきりしていると言えばそうなのだろうが、時代が変わってきているからな。生活するのがやっとの貴族も少なくはない」


 そういえば村から屋敷に向かう途中にトビがそんなようなことを言っていたのを思い出す。少しさみしそうに王様や貴族と商人は違うと言っていたのはそういうことだったのか。


「まあ僕は父上ほどに屋敷を空けることはないだろう。父上とは仕事のやり方も違う」

「そうですか」


 ほっとしながらもわたしの心の中にまた別の不安がよぎるが、無理やりそこから目をそむけ笑顔を浮かべた。


「飲み物飲まれますか?」

「ああ、もらう」


 買ってきた飲み物はこぼれないように蓋のついた筒状の容れ物に入っている。


「これすごいですね。持ち運びができるなんて」

「うちが取り扱っている商品だが高すぎて王都でしか売れない。もう少し単価を下げないと流通しないで消えていくだろうな」

「こんな便利なのにそういうこともあるんですね。あ、先ほどアリアさんのところで買った蜂蜜も入れましょうか」


 まだかすかに温かいミルクの中に蜂蜜を一匙入れてかき混ぜると辺りに甘い香りが漂う。


「アリアさんて…」

「僕を育ててくれた人だ」


 ああ、やはりどこかで聞いた名だと思った。こんなことをわたしが思うのは変なのかもしれないがシオンを育ててくれた人がとても優しそうな人だったことが嬉しい。


「ローサさんはどうなさっているのですか」

「一家で田舎に引っ込んで孫も産まれて幸せに暮らしている。アリアは残念ながら子供に恵まれずにあそこで店を営んで生活している」

「シオン様結構町の様子に詳しいですけれど良く行かれてるんですか」

「昔は一人でこっそりと抜け出して遊びに行っていた。特にアリアがあそこで店を出したころはほどんど毎日のように入り浸っていた。そのすぐ後に一度誘拐されかけてから厳しくなって今では護衛なしでは街へいけなくなったけどな」


 今日こうやって出てこれたのは何年振りかと指折り数えている。


「小さなころはよく想像していた。アリアの店に遊びに行ったときにもしここの家の子供に生まれていたらどういう生活だったのか。父と母と僕がいて、学校へ行ったり友達と喧嘩したり店を手伝ったりして過ごす日を。裕福ではないが僕はたぶん今よりも…」


 そこで言葉を切る。


「いや、なんでもない」

 

 勢いをつけて立ち上がるとシオンは何かを振り切るように大きく伸びをして、


「そろそろ帰ろう。馬を取ってくる」

「……はい」


 わたしは広げたものを片づけ始める。


「あーーーーー!」


 そんな大きな声を出すシオンを見たことがなかったのでびっくりして顔を上げると、


「馬が逃げてる」

「ええっ」


 見ると確かにつないであったはずの馬がはるかかなたを自由にのんびりと歩いていく姿が見えた。


「つないであったんですよね?」

「あった。が、もしかしてほどけたのかも…」

「ど、どうします?口笛を吹いたら戻ってくるとか…?」

「僕は口笛が吹けない」

「…………」

「…………」


 ぷ。

 思わず噴き出してしまう。と、なんだか笑いが止まらなくなった。止めようとするが先程のシオンの呆然とした顔が脳裏から離れずに苦しい。

 憮然とした表情でそれを見ていたシオンだったがわたしが涙を浮かべて腹を抱えているのを見てたまらなくなったのか自分も笑いだす。そうしたらますます止まらなくなり二人して地面を転げまわって笑う。


「…………」

「…………」


 ひとしきり笑い合うとようやく笑いが収まり、お互いに顔を見合わせた。


「何がおかしかったんだ」


 ひどく真面目ぶった顔をしたシオンが自分も笑っていたことを棚に上げる。


「すみません。なんだか……シオン様、口笛吹けないんですね」

「悪かったな。大体口笛を吹いてどうして馬が戻ってくるんだ」

「前にルルさんが貸してくれた本に書いてあったのです。勇者の馬はどこにいても口笛一つで勇者のもとに馳せ参じると」

「お前その偏った知識をどうにかしたほうがいい。とりあえず歩くぞ」

 

 荷物をひとまとめにして担ぐとさっさとシオンは歩きだしたのでわたしも慌ててあとを追った。




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