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おかえり

 寒いからと暖炉のそばで火にあたりながらカップに口をつけるシオン。手が冷たいせいかカップを両手で包むように持っている様が幼い子供のように見えて微笑ましい。


「先程から何をニヤニヤしているのだ」

「え、そ、そうですか?」

 

 慌てて顔を引き締め居住まいを正し、


「シオン様、ご無事でお戻りになられて何よりです。少し痩せられましたか?」


 輪郭が引き締まったというか顎の線が尖ったような気がする。


「どうかな。まあここのように至れりつくせりの生活ではなかったからな」

「何をされていたのですか?」

「跡継ぎになるための顔見せのようなものだ。人に会ってばかりいたから疲れた」


 そこでシオンが盛大なくしゃみをする。


「シオン様、寒いのでしたらわたしのベッドでお休みください。まだ温かいですよ」

「そうする」


 シオンがベッドにもぐりこみ、口元まで布団をかぶる。

 カップを片づけて火種を残して火の始末をしていると、


「お前はどうする」

「わたしはええと、ソファにでも」

「こっちで寝ろ。寒い」

「はい、では失礼します……」


 そっとベッドに入る。ベッドは一人で寝るには十分すぎるほど広いものだったが二人で寝るにはそれほど余裕がない。


「そんな端にいたら落ちるぞ」

「は、はい」

 

 半分落ちかけていたのを少しだけシオンに寄る。


「こっちを向け」

「はい」


 ゆっくり体の向きを変える。耳まで布団をかぶったシオンがわたしを見つめている。わたしもシオンを見つめる。どんな表情をしたらいいのか分からない。部屋が薄暗いのが救いだ。わたしの鼓動が聞こえてしまうのではないかと危惧するほどの距離。


「あざは消えたか?」

「……はい。もうとっくに」

「そうか。変わりはなかったか」


 ヒリトという友達のような存在が出来たこと、ルルとお茶会をしていたこと、服が窮屈になって仕立ててもらったことなど案外いろいろあったような気がするがシオンを見ているとどれも話をするほど大したことではなかったような気もする。

 シオンが寒そうに身を震わせる。


「シオン様、寒いのですか?手を貸してください」


 差し出された氷のように冷たい手をわたしは自分の太ももにはさむ。


「…………」

「…………」

「……これは僕にどうしろというんだ」

「え、何かおかしいでしょうか。わたしが小さい頃、母親が寝る時にこうやって手を温めてくれたんです」


 わたしの家はやはりあまり裕福ではなかったのだろう。冬は眠れないほど寒いこともあって、そんなときに母がわたしの手をこうやって腿にはさんでくれた。そうすると不思議によく眠れたことを思い出した。


「ふうん。お前、母のことを覚えているのか」

「少しだけ。顔はもうおぼろげですけど」

「……僕が幼いころ母は二人いた。ローサとアリアという優しい女たちだった。彼女たちは日替わりで僕の面倒を見てくれていた。泣けば抱きしめてくれたしわがままも聞いてくれた。何をしても怒られたことがなかったからそれが普通だと思っていた。でもある時知ったのは彼女たちは僕の母ではなく、単なる使用人で、僕は雇用主の息子だということとたまに顔を見せる綺麗な女の人が僕の本当の母だということだった。今ではもう名前くらいしか覚えてないがな」

「あの、でもエミリア様はお身体が弱かったのでしょう?」


 息を吐くように小さくシオンが笑う。


「ルルから聞いたのか。あの人の身体はいつでも都合よく体調が悪くなるんだ。僕はあの人に抱かれた記憶すらない。多分血はつながってはいるのだろうが他人より遠い。まあいまさら母を恋しがる歳ではないがな」


 唇をゆがませるシオンが泣いているように見えて、わたしは胸が痛くなる。シオンの金茶色の瞳は涙をにじませてすらおらず、冷たい光を宿したままだったのだけれど。

 

「シオン様、これから手が冷たくて眠れないときはわたしをお呼びください」

「なんだ急に。また太ももにはさんでくれるのか」

「はい。シオン様の手はいつも冷たいので」

「……そうか。今度から眠れないときはそうする。僕はもう疲れた。寝る」


 囁くように言ってシオンは目を閉じると瞬く間に眠りに落ちたのか寝息を立て出す。シオンが眠ったので遠慮なくもう少しだけ側に寄ってシオンの顔を眺める。まつ毛が意外に長いことに気付く。シオンが目を閉じたところを初めて見て、くすぐったいような気持ちになる。多分シオンが見ていたらまたニヤニヤしていると指摘されそうな。


 ああ、とため息を漏らす。

 わたしは嬉しいのだ。だってシオンがいなくて寂しかった。だから嬉しい。悪天候にもかかわらず真っ先にわたしのところに帰ってきてくれたことが。


「おかえりなさい」


 ちいさなわたしの囁きはシオンの寝息にまぎれて消えていく。



 そうして一カ月ぶりにわたしはようやく所有者のもとに戻ったのだった。



 

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