黒い影
午後から以前見たことのある男たちがまたわたしの身体の寸法を頭からつま先まで計って帰って行った後ルルとお茶をしながら「こうやってのんびりできるのももうすぐ終わりですね」と笑いあう。
風はやむどころかどんどん強くなっているようで、
「こんな天気では戻られるのが遅れるんじゃないでしょうか」
「本当は明日帰られる予定でしたけれど悪天候で出立を見送りとなり街に滞在しているようです」
「そうなんですか。隣町で。そうですよね。危ないですものね、こんな天候だと」
「そうですね。この辺りは真冬でも積雪することはあまりないのですがもしかしたら今夜は雪が降るかもしれません」
「雪ですか。わたしのいた村も雪は降らないところだったので初めて見られるかもしれないですね」
雪というものがどういうものなのかは本に出てきたから知識として知っているが、実際見たことはなかった。そんな一大イベントが起こるかもしれないというのにわたしは全然別のことに気を取られていてルルとの会話も上の空だ。
だからなのか何となく会話も途切れがちになる。
隣町というとここからどれくらいなのだろうか。地理に全く詳しくないわたしにはそれが分からない。もしかしてすぐ近くなのだろうか。
ルルがお茶を片づけて一人になってもわたしは部屋の中をうろうろして窓の外を眺める。隣町というのはここから見えるところにあるのだろうかなどと考え背伸びをしてみる。窓から見えるのは灰色の空と門の外に広がる見慣れた街並みだけだというのは分かってはいるのだけれど、帰ってくるのはあと二、三日後だと分かってはいるのだけれど、どうにも落ち着かない気持ちを抑えることはできなかった。
夜、眠りに付いたものの眠りは浅く風が窓を揺らすたびに目を覚まし、また眠るということを何度か繰り返す。暖炉の種火のせいで部屋の中はうっすら明るい。何度目になるのか分からない眠りの中でまどろんでいると、ふ、とシオンの匂いが鼻先をかすめたような気がする。夢にも匂いがあるのかと夢うつつの状態でシオンを想う。
帰ってきたら冬果を食べてもらおう。甘くて美味しいから、多分気に入ってくれる。
「ありがとう、チルリット。これ好物なんだ」ともしかしたら笑みを向けてくれるかもしれない。髪をなでてくれてもしかしたら、もしかしたらローレン王子のように優しく抱きしめてくれるかも。「会いたかったよ、チルリット」なんて耳元で囁いて、「服を脱げ」……いやいやいや。王子はそんなことは言わないはずだ。
「何をニヤニヤしている」
「シオン様、服は駄目です……」
「僕がどうした?」
「……そんなとこ触ったら、……ぎゃっ!」
薄暗がりの中覗き込む黒い影にわたしは跳ね起きる。
「シ、シ、シオン、さま……?」
「なんだ」
いまだぼんやりとした頭で黒い影を凝視する。全身黒ずんだ大男のように見えるのは水分を吸った防寒着をこれでもかというくらいに着こんでいるからで、口元を覆う防寒帽子のせいでくぐもった声だが、冷たい光を浮かべている金茶色の瞳は確かにシオンのものだ。
「お、帰りなさいませ」
なんで、とかどうして、とかの疑問より先に口をついて出た言葉にシオンは小さく鼻を鳴らす。
「とりあえず服を……」
まさか、と思いつつシオンのセリフに身構える。
「脱がせてくれ」
「へ?」
「手がかじかんで脱げない。僕の部屋はものすごく寒かったからここに来た」
そりゃあ一月もの間主不在で暖炉に火も入れてなかったから寒いのは当たり前だろう。
「ルルさんを呼びましょうか?」
「いい。僕が帰ってきたことは誰にも報せてないからな」
慌ててベッドから降りてシオンを暖炉の前に連れて行き種火をかいて火を大きくする。
「誰にも報せていないのにどうやって中に入られたのですか」
「産まれたときから住んでいるんだ。人が知らない抜け道の一つや二つ知っている」
シオンに屈んでもらい帽子に手を掛け脱がせ、次に手袋、防寒服と脱がせていくが、どれもこれも水を吸って大変脱がせにくく氷のように冷たい。
「どうやって帰ってこられたのですか?ヴィングラー様もご一緒ですか?」
「いや。父上たちは今日も酒場で一杯やっている。一人で馬を駆ってきた」
「こんな天気の中お一人でですか?」
「こんな天気だからこそ野盗に襲われる心配もない。酒場で飲んだくれるより屋敷でゆっくり本を読むほうが有意義だから帰ってきた」
「シオン様、中の服も濡れておられます。お着替えされないと……」
わたしは自分のドレッサーから洗いたての寝間着を出す。
「少し小さいかもしれませんが」
「……これを僕に着ろと?」
「大丈夫です。ゆったりとした造りになっていますから入らないということはありません」
「お前は本気で言っているのか冗談で言っているのか分からん。なんで僕がこんなフリフリひらひらのを着なくちゃいけないんだ。濡れた手袋を脱いだら少しは手が動くようになった。自分の部屋で着替えてくる」
「シオン様、ではわたしは温かいお茶を入れておきます」
枕元の灯りをシオンに差し出しわたしはあわてて言った。頷くシオンを見てほっとする。そのままシオンが自室に戻ってしまうのではないかと心配だったのだ。
シオンが部屋を出て行くのを見届けてわたしは暖炉に薪をくべて出来るだけ早く暖かくなるようにしてからお茶の支度をする。途中、ふと気付いて鏡を見ると髪はぼさぼさでなんだかさえない顔色をした見慣れた顔にひどくがっかりする。久しぶりに会ったのだからもう少し身だしなみを整えた姿を見てほしかった。とりあえず髪だけを手櫛で整えお茶を用意し終えたところでシオンが戻ってきた。




