ヒリト
「ヒリトと会われたそうですね」
午後になって最近はほとんど恒例になっているルルとのお茶会でいきなりその名前を出された。
「あ、はい。アギトさんから聞かれたのですか?」
「はい。ヒリトがとても失礼なことをしてしまったと」
「ヒリトさん、は、ここの使用人なのですか?」
「いえ。彼の父親が長年こちらで庭の管理を任されていまして、小さなころから彼も出入りしているのです。最近は手伝いもしているようですが」
興味がないことだったのでそうですか、と流しながらルルが持ってきてくれた甘い香りのする焼き菓子に視線を向ける。焼き立てだろう、まだ温かいそれは部屋に甘い香りをただよわせたえずわたしを誘惑する。口にするとほろりと崩れ質のいいバターの香りが口腔いっぱいに広がるそれをわたしはすでにひとつ口にしていた。
「どうぞ?」
あまりに菓子を凝視していたせいかルルが勧めるのでついついもう一つ手に取ってしまう。
最近ドレッサーの服がどれも窮屈になってきたような気がして節制しなければいけないと心に誓ったばかりだというのに今なぜかわたしの口の中には焼き菓子が入っている。
寒いからといって部屋に閉じこもりがちになっているせいかもしれない。やはりできるだけ庭で身体を動かすようにしなければ。
「ヒリトさんは毎日こられているのですか?」
「いえ、今日はたまたまでしょう。まっすぐすぎると言いますか正義感が強すぎるんでしょうね。悪気はないのだと思いますので許してあげてください」
許すも許さないもなかった。わたしはただもう関わり合いになりたくないだけだ。毎日来るわけではないと聞いてほっとする。明日からまた庭に出れる。
「おい」
翌日また霜柱踏みに精を出そうと庭に出てみたが今日は少しだけ暖かいせいが霜柱がなくてがっかりしているといきなり声を掛けられて飛びあがって驚いた。まさかと思ったがそこにはヒリトがこちらを睨むようにして立っている。
「な、なんでしょう?」
ずかずかと近づいてきて身構えるわたしの前でいきなりヒリトは勢いよく頭を下げる。
「ごめんなさい」
「へ。あ、はい……」
もごもご言っていると顔を上げたヒリトはにっこり笑った。そんな屈託のない笑顔を向けられたのは初めてだったのでびっくりする。
「お前、何て名前?」
「チルリット……」
「ふうん。いくつ?」
「10歳、です」
「俺11歳。ヒリトって呼んでいいぜ。なあなあ、いいもんやるからちょっと来いよ」
断られるなど思ってもいないようでヒリトは振り返りもせずに歩き出す。気は進まなかったが大人しくついていくと建物から少し離れたところにある木の前で止まった。
「ほら、珍しいだろ」
言われて仰ぎ見るとその木には冬にもかかわらず薄茶色の葉が生い茂り合間に赤い果実が実っている。
「果物…ですか?」
「そうだよ。これすげー珍しいんだぜ。冬果って言うんだ」
得意そうに鼻をこすり、ヒリトはちょっとまってな、と言い木の幹に手を掛けるとあっという間にするすると木にのぼり、赤い果実を二つとるとまた降りてきてわたしの手に一つ押しつける。
「食ってみな」
言うが早いかヒリトは自分の持っていた果物に皮ごとかじりつく。手と口の周りが果汁まみれになるが気にした様子もなく服で拭く。溢れる果汁はとても美味しそうに見えたが服が汚れそうでとてもかじりつく勇気はない。
「食べないのか?」
「あの……」
「しょうがねえなあ。貸してみろ」
わたしの手の果実を奪うようにするとポケットからちいさなナイフを取り出して手品のようにするすると皮をむく。一口大に切り取るとそれをナイフに刺してわたしに差し出す。
「…………」
さすがにそうまでされて結構ですと言える勇気もなくナイフで口を傷つけないように気をつけながらそれを口にする。
甘い。
口に入れた途端びっくりするほど濃厚な甘酸っぱい果汁が口に広がる。
思わず目を見開きリヒトに視線を向けると満足そうに頷く。
「うまいだろう?冬に果実をつける珍しい果物だけど結実するのが難しくてあんまり流通してない高級品だぜ。……まあここの人たちはあんまこういうの食べないから生りっぱなしなんだけどこういうの町で高く売れるから餓鬼が勝手に入り込んで荒らしていくことがあるんだ。綺麗に取るなら構わないけど滅茶苦茶にされるとこっちもたまったもんじゃないしな」
「そうなんですか」
「チルリットの口調ってなんかかたっ苦しいな。もうちょっと普通に喋れないわけ?」
「普通、じゃないですか?」
「うん、全然普通じゃない。まあいいけどさ。お前ここに住んでんの?」
「はい。お世話になっています」
「俺学校休みのときは親父の手伝いでちょくちょく来るんだけど初めて見るなあ」
「学校?」
「うん。これからは庭師であろうが学がいるからってんで行かされてる。まあここの御館様が作った学校だから雇われ人が率先して行かないとって言うのはあるんだろうけどさ。俺はあんまり勉強とか好きじゃないんだけどさ。友達に会うために行ってるだけだな」
「学校って何ですか?」
「えー!学校しらねーの?俺たちくらいの子供を集めて読み書きとか算術とか教えてくれるんだよ。まあでもこんなとこに住んでるお嬢様ならそんなとこ行かないか」
「わたしはお嬢様じゃありません」
「ふうん?」
腑に落ちないような顔をしているヒリトに説明する言葉をわたしは持たない。
「まあいいや。見かけたらまた声掛けるから逃げんなよ」
にやりと笑うと返事をする前にヒリトはじゃあな、と手を挙げて去っていく。
最初の印象が悪すぎたせいかこの時点でのヒリトの印象はまあ機会があったらまた会ってもいいかくらいにまで上方修正されていた。
実際その日からシオンが帰ってくるまでの間かなりの回数をヒリトと顔を合わすことになったのだが。




