庭
外に出ると耳元を冷たい風が通り抜けて行き、思わず首をすくめる。防寒着に身を包んでいたけれどやはり暖められた部屋の中とは段違いに寒かった。
こんな中でシオンは旅をして風邪をひいたりしていないだろうか。どんよりと曇った空を見上げる。
シオンが留守にしてもう2週間経過していた。鎖骨の下のあざはとっくに消え去りそれでも毎日鏡の中を覗き込んで恨めしそうな自分の表情を眺める。
相変わらずシオンからの連絡はないようでひょっとしたら一月以上かかるのかもしれないとルルが言っていた。
朝食を済ませてすぐに外に出るとまだ霜柱がありそれをブーツで踏む感触が面白く、屋敷のまわりをぐるぐる歩いてパリパリと霜柱を破壊するのに熱中していると声を掛けられた。
「チルリットさま。おはようございます」
顔を上げるとアギトがいつかと同じく柔和な笑みを浮かべて立っている。
「おはようございます。お久しぶりです」
アギトとは街へ行った時以来会ってはいなかった。同じ屋敷内にいるのにわたしが直接かかわることのある使用人と言えばルルくらいで滅多に他人と会うことがない。
「ルルから最近庭に出られるようになったと聞かされていましたがこんなに朝早くにお出になられているのですか」
「暇なので一日のうち何回か出ているんです」
一所懸命に霜柱を踏みまくっているところをもしかしたら見られたかもしれないと思うと少し恥ずかしい。
「暇なのはわたくしも同様ですよ。わたくしもシオン様付きの護衛ですから」
「今回の旅にはご一緒されなかったのですか?」
護衛というからには旅に出るときもついて行くのだとばかり思っていたが違うのだろうか。
「はい。よほど治安の悪い所に行かれるならともかくわたくしの仕事は護衛半分シオン様の鍛錬のお相手が半分と言ったところですか」
「鍛練?シオン様が?」
わたしの持つシオンのイメージはいつも本を読んでいる人というものだったのですごく意外に思う。外見的にもがっしりとは程遠い体型だから余計に意外だ。しかし考えてみればわたしのことをやすやすとベッドに放り投げることが出来たのだから案外力があるのだろうか。
「商人というのは盗賊や山賊に襲われやすいので身体を鍛えている人は多いんです。シオン様はあれでなかなかの達人ですよ。今度稽古をご覧になられてはいかがですか」
「是非見てみたいです。あの、でも盗賊や山賊に襲われやすいというのは本当ですか?」
まさか連絡がないのはそのせいではないだろうか。
表情をこわばらせたわたしにアギトはおかしそうに笑う。
「シオン様のことでしたら心配無用です。今回は治安のよいところへ半分勉強しに行ったようなものですから。チルリットさまは本当に聞いていた通り可愛らしい方ですね。思っていることがすぐに顔に出てます」
「え……一体誰がそんなことを」
まさかシオンが?
わたしの思っていることがそのまま顔に出ていたなんて恥ずかしくてもうシオンに顔を合わせられない。
一人汗をかくわたしに何故か慌ててアギトが首を振る。
「いえいえ、シオン様ではありませんよ。庭の散策をされるのは構わないのですがあまり外門に近付き過ぎないほうがいいですよ。門は閉めてあるのですがたまに変な人が入り込んでくることがあるようですから。シオン様には留守の間チルリットさまのことを頼まれましたのでわたくしをチルリットさまの護衛係のようなものだと思っていてくださって構いませんから何かありましたらいつでもお呼びください」
「分かりました。ありがとうございます」
アギトと別れるとすでに霜柱は解けだしておりもう音はしなくなっていた。
アギトもルルもシオンが旅に出ることを知っていて、わたしだけがあんな直前になって知らされたのかと思うと何となく面白くない気分だった。そりゃあお茶しか入れられないわたしとシオンの生活全般の面倒を見ているルルとシオンの身の安全を守っているアギトとは比べられるものではないと分かっているのだが。
そろそろ屋敷に戻って入浴しようかと思いながらぶらぶらしていると、
「こらー!お前、どこから入ってきた!」
驚いて声のしたほうを見るとわたしと同じ年頃の少年が少し離れた場所からこちらを睨みつけている。
え?
わたし?
辺りを見渡すが、わたしとその少年以外人気がない。
「そこ動くなよ!」
言うと同時に少年がこちらに向かってくる。
え?え?え?
訳が分からなかったが少年の剣幕に思わずその場から逃げ出す。
「こらー!」
「きゃー!」
必死で逃げだしたにもかかわらずあっという間につかまって後ろから羽交い絞めにされる。
「やめて!離して!触らないでー!!」
シオンからそうされたときとは全く違う感触に怖気が走り滅茶苦茶に暴れまくる。
「わ、ちょ、ちょっとおちつ、」
羽交い絞めにした少年があまりの暴れっぷりにさらに力を入れてくる。
「何をやっているのですか」
わたしの悲鳴を聞きつけたのか呆れたようにアギトが声を掛けてきてようやくわたしは解放された。
息を弾ませながら少年と距離を取るわたし。
「ヒリト、女の子に乱暴してはいけませんよ」
「いや、だって、女だって分かんなかったし…っ」
ヒリトと呼ばれた少年はアギトの言葉に悔しそうにわたしを睨んで来たのでさらにもう一歩距離を取る。
確かにわたしは防寒のために長い髪をまとめて暖かいフードに押し込んではいた。しかしヒリトの所有物でもないわたしを怒鳴りつけて羽交い絞めにするなんて乱暴ではないか。
冬だというのにヒリトはよく日に焼けていて背はシオンとそう変わらなそうなのにがっしりとした体形をしている。畑仕事を手伝っていた村の子供たちとよく似ていて粗暴そうな外見も相まって関わり合いたくない相手だった。
ヒリトが言うには屋敷に入り込んできた悪ガキと間違えたらしい。
「アギトさん、いいんです、わたしも大きな声を出したりして悪かったので。わたし、もう屋敷に戻ります」
関わり合いになりたくなかったので早口でそう言ってその場を立ち去ろうと背を向けると、
「悪かったな」
憮然とした調子で言葉を投げられたがわたしは振り返らずに部屋に戻った。




